永江の見解
有栖アリスは、一月前、母親と一緒にこの事務所にやって来た。娘のアリスが、奇妙なものを見ているそうで、何か霊が憑いているのではないかと言うことだった。
永江所長は娘のアリスをみたところ、何かに憑かれている様子はない。
その『ありのまま』を母親に告げた。
「みたところ、悪霊の類がついた様子はありません。アリスちゃんが他人より霊感が強いと言う可能性はありますが」
母親は頭ごなしに否定する。
「霊感なんてないんです。私も、夫もそんな家系じゃないんだから」
「霊感は、必ずしも遺伝とは限らないんですよ。私も父が東欧で母も特別霊感の強い家系ではありませんでした」
「あなたがどうかは知りません。とにかく、私のアリスに霊感なんてないんです」
一切聞く耳を持たない相手に、永江所長は困ってしまった。
しかも、この母親は、アリスに変なモノが見えなくなるまで、ここに来させると言うのだ。
「私も除霊案件で外出することがありますし、大体、ここは学童保育をする場所じゃないんです」
「アリスには、もうそう言ってますから」
「あまりに一方的すぎます」
永江所長が立ち上がると、母親はバッグから札束を出す。
「それなりの報酬があれば良いんでしょう?」
机に置くと、所長の方へ押し出してきた。
放課後子供を預かるだけにしては、考えられない高額な報酬だった。
何かある。只事ではない何かが。永江は札束を押し返す。
「頂けません。この仕事は受けられません」
母親は真っ青な顔をしている。
「受けてもらうまでは帰れません。では、もう一つ上乗せします。どうでしょうか」
五本。この貧乏除霊事務所には喉から手が出るほど欲しい金額だ。だが、この依頼にはきっと裏がある。考えなしに受けるのは危険すぎると、永江は考えた。
すると娘のアリスが永江の横にやって来た。
頭のリボン、水色のワンピースに白いエプロン。ディズ○ーの『不思議の国のアリス』のイメージのままの格好をしている。
アリスは裾を少し持ち上げて挨拶した。カーテシーと言うやつだ。
「おねぃさん、アリス、お絵描きして大人しくしてるから、ここに置いて」
「あのね、そういうことじゃないの。この事務所のお仕事とは違うから受けることが出来ないの」
アリスは不安げに胸の前で指を組む。
「お願い。もう行くところがないの」
「行くところが…… って」
永江は視野の隅の変化を感じ取った。
「まさか」
振り返ると、母親が消えている。
机には札束が置かれたままだった。永江は札束を押し返したと思っていたが、そこに契約書があったようで、見知らぬ紙に永江の拇印が押されている。
「やられた!」
慌ててアリスの手を取り、事前に書いてもらっていた有栖の住所に向かう。
タクシーを使いその住所が示す場所に着くが、そこに有栖の家はなかった。
「ねぇ、アリスちゃん、お家はどこ?」
「ここよ。間違いないわ。ここにあったはずなの」
「……」
アリスが学校に行って、帰ってくる間に家を売り払ったとでもいうのか。ありえない。最初からここに住んでいなかったか、あるいは、この娘記憶をすり替えたのか。
「大丈夫よ、私が変なモノを見なくなったら必ずお母さんが迎えにくるから」
こんな状況から、そんな言い分を信じられるか。永江は思う。独身なのに突然子持ちとか冗談が過ぎる。もしこのまま親が引き取りにこないなら、かわいそうだが、この子は児童施設に入れるしかないだろう。
「アリスが見たモノの絵を描いてるの」
ランドセルから丸めた画用紙を取り出すと、広げて見せる。
土から手が出ているもの、植物に手足顔が付いているもの。炎に浮かび上がる人影、組み合わせた金属を持った幽霊、そして水のような液体の霊が描かれていた。
「私が除霊した悪霊に、仲間がいたのよ」
アリスが指差したのは『金属棒を持った幽霊』だった。これを除霊したということだ。
「アリスちゃんが除霊した? ねぇ、アリスちゃん。おねえさんと話す時は、ウソをついたらダメなのよ」
「除霊するのは、大きくなってからの話」
大きくなってから? 未来の話だと言うのか。
「仲間の悪霊は、アリスに除霊の力がつく前に倒そうとしているの」
そんな馬鹿な。時間を遡ってこの時代にくるというのか。もしそんな悪霊がいるとしたら、私に倒せる訳がない。
「時間移動は、私の力を使うのよ」
まるでアリスは、私の考えを読んでいるようだった。
「アリスちゃんには時間移動の力が……」
「そんな事、まだ出来たこと無いけど」
突然、強い霊力に覚醒するようなことがないわけではない。だが、滅多にない。どう大きく見積もっても、このアリスという娘に感じる力は、タイムリープ出来るような、強大なものではなかった。
「お願い助けて」
そう言って自分の腰を抱き締めてくる『不思議の国のアリス』に感情が揺さぶられる。
「他にわかってることはないの?」
「うーーーん、と」
アリスが見えていることが正しいとすれば、対抗手段を用意することは可能だ。時間があれば、だが。
「その悪霊、いつやってくるの?」
「もうちょっと先」
どれくらいか、具体的には分からないのか。対抗手段の準備が間に合うだろうか。
永江が不安げな表情を読み取ったように、アリスは言う。
「けど、大丈夫よ。退治してくれるおねぃさんも来るみたい」
「時間跳躍出来るほどの、凄腕除霊士なのかしら」
「違うの。そのおねぃさんは巻き込まれただけよ。おねぃさんに」
そう言ってアリスは永江を指差す。
「私に!? 何それ、どういうこと?」
どちらかというと、私が巻き込まれている状態だ。それが、誰かを巻き込むというのはどういうことだ。子供の曖昧な表現に振り回されるのはもう嫌だ。
自然と表情がキツくなっていた。
アリスの表情が曇る。
「……」
「ねぇ、アリスちゃん、答えてよ。私がどうしたの? なんでその人たち巻き込まれるの? 私はどうすればいいの?」
一瞬、驚いたような表情をした後、アリスの頬に涙がつたった。
「えっ?」
「お家に帰りたい。けどお家がないの……」
自らの不安を、八歳の少女に怒鳴り立てても仕方ないことだ。この子だって、今、私と同様、物凄いストレスがかかっている。私の怒りは、本来、この子の親に向けられるべきだろう。永江は思った。
「ごめんね。おねえさんのお家に行ってご飯たべようか。アリスちゃんは何が好き?」
泣き顔のまま、必死に食べたいものを考え始めるアリス。
永江はアリスの顔を見ているようで、どこか遠くを見ていた。
未来からやってくる悪霊。
自分の除霊経験の中でも初めての事案だ。果たして上手く処理できるのだろうか。




