リボンの思い出
フロアに腰を下ろし、天井に開いた穴を見つめながら、麗子はリボンを巻いた左足をさすった。
まだ痛みはあるが、だいぶ治まった。
巻いたリボンで隠れないほどの範囲で、肌が赤黒く変わっていたが、今はリボンで隠れる程度に小さくなっている。
普段は髪を縛るために身につけているリボンだった。
リボンは学校の校章が入ったもので、学校指定のデパートなどで買えるものだ。
だから、本来傷を癒したりする術をかけても、こんなに効果を発揮するものではない。このリボンが術の効果を高めるには訳があった。麗子は橋口と一緒に初めて『永江除霊事務所』に行った時のことを思い出していた。
橋口と麗子は、高校卒業と同時に除霊士の試験を受ける為、高等部に上がる前の春休み、除霊事務所を探していた。
宝仙院高等部から通うことになる為、条件としてK駅近くに事務所のある大手を狙っていた。
だからTヒルズにしか事務所がない、『永江除霊事務所』は全く候補に上がっていなかった。
二人は、除霊事務所の二大メジャーである株式会社D除霊社とM除霊興業株式会社に書類を出し、それぞれ面接を受けていた。
その日は、別の中小の事務所の面接を受けた帰りで、二人は学校の制服を着てK駅に向かって歩いていた。
「今日の事務所は、ちょっと程度が低い感じ。パスかな」
「当然なんだケド」
「かんなは、DとMだったら、どっちがいい? まあ、どっちも受かっていると言う前提で、だけど」
橋口は即答した。
「私はK駅近くの事務所の人たちの印象もいいし、Dの方が断然いいと思うんだケド」
「そうかなぁ。確かにMは、K駅近くの事務所がちょっと小さいけど、全体としては有名除霊士揃いだし、勉強になるんじゃない」
「……」
橋口が黙って立ち止まった。
「何よ、反対意見があるなら、声に出しなさいよ」
と麗子は言いながら振り返った。
橋口が何かを見ている。
橋口が呆然と見つめている先を追った。
「!」
麗子は、ガードレールに腰掛けている老婆を見つけた。
二人が歩いている歩道とは車道を挟んで反対側のガードレールで、ガードレールと車の位置関係から、その向き座っていると明らかに車に轢かれていると思われた。轢かれないにしても、交通量からクラクションを鳴らされても仕方ないはずだった。
「……霊体なんだケド」
「こっち見てるね。わっ、渡ってきた」
老婆は、四車線をひっきりなしに通り過ぎる車やトラックをすり抜けて、麗子達の方に向かってきた。
老婆は白髪混じりの短い髪を、後ろに撫でつけていた。派手な刺繍のセーターを来て、ピッタリした黒いレギンスを履いている。目には、濃い色のサングラスを掛けていた。
「なんなの、どうしよう!」
麗子はK駅の方に逃げようとした時、正面を塞ぐように立っている者に呼びかけられた。
「あなたたち、宝仙院の学生でしょ? そして、バイト先の除霊事務所を探している」
正面に立っている女性が、麗子の髪を括っていたリボンを摘んで持っている。
全く人のいる気配を感じなかったし、リボンを解かれるのも感じなかった。
麗子は言葉の意味を考える暇もなかった。
「えっ?」
「ああ、ごめんなさい。これお返しするわ」
突き出した手にはリボンがぶら下がっている。
麗子が手を出すと、リボンが手の平に落ちた。
落ちたリボンは、まるで金属のゼンマイように、自らの力でクルクルと巻かれていった。
「これは……」
状況を把握していない橋口が、麗子の背中を叩いて言った。
「麗子、ばあちゃん消えたんだケド」
「かんな、それどころじゃないわよ」
「げ、さっきの婆ちゃん!?」
麗子の正面を塞ぐように立っている女性は、真っ黒い髪ではあったが、同じように後ろに撫でつけていて、サングラスをしていた。服はビジネススーツだったが、顔の輪郭や肉付きは、道路を渡ってきたおばあさんの霊と同じだった。
「あれは私が作り出した囮の霊体」
「除霊士の方ですか?」
「私は、永江除霊事務所の所長で永江という者よ」
女性は二人に名刺を差し出した。
麗子は名前を確認する。
「永江リサさんとおっしゃるんですね」
永江リサ、どこかでこの名を聞いたことがある。だが、麗子が思い出せるのは、そこまでだった。聞いたことがありそう、だけなのかもしれない。
「私は冴島麗子と申します」
瞬間、サングラスの奥の目が光ったように思えた。
「冴島!? もしかして、あなた、冴島次郎三郎さんのお孫さん?」
「……なぜその名を」
「冴島除霊事務所を設立した冴島次郎三郎さんは、この国で最初に除霊を近代ビジネスまで引き上げた方ですから、今除霊士をやっている人間で、知らない人はいないと思いますよ」
冴島という苗字からの、ただの連想なのか。それともこの永江リサという人が、何かお祖父ちゃんと関わりがあったのか、麗子にはわからなかった。
「現在は冴島除霊事務所はないんです」
だから、私が立ち上げ直す。必ず。麗子は唇を噛み締めた。
「そうですか。お祖父様の事務所を継ぐ後継者に恵まれなかったのは、本当に残念です」
橋口が横から出てきた。
「そんなことより、その永江除霊事務所の所長さんが、私たちになんのようなんだケド」
「お二人が除霊事務所でバイトをするなら、ぜひ我々の事務所に来て欲しくて」
「スカウト! 私たちの力もまんざらでは無いってこと何だケド!」
橋口は腰に手を当てて、威張るように体を反らした。
鼻息も荒く言葉を続けた。
「悪いけど、こっちはDかMかで悩んでぐらいなんだから、所長さんの小さな除霊事務所なんか興味ないんだケド」
「まあ、そんな冷たいこと言わないで。とりあえず、そこの駅でお話だけでも。好きなもの食べていいですよ」
「マジ? 好きなモノはいっぱいあるんだケド!」




