八話 衝撃は雷鳴と共に
精一郎は、過去一度も、城という場所に訪れたことはない。ゆえに、彼のイメージとして、城とは偉い人間の住む派手な内装、というものがあった。
そして実際に目にしてみれば、豪華絢爛――ではなかった。
明らかに高価といえる調度品は無造作に大量に置かれているのではなく、少なくともそれぞれが映える箇所に。
内装も比較的シンプルで、だが、それがいい。
馬鹿みたいにお金をかけてそれぞれが輝きどころを潰しあうよりか、よほど上質な雰囲気を漂わせている。
完全に入城し、精一郎の背後で扉が閉まる。
しかしそれを露ほども気にすることなく、内部に目を奪われた精一郎は期せずして言葉を漏らしていた。
「良い城だ……」
改めてだが、精一郎が城というものを直に見たのはこれが初めて。ついでにいえば、精一郎は特別美的感覚がいいわけでもない。
そんなわけで、初めて城を見たというのに良いも悪いも偉そうに評せる立場ではないのだ。実際、傍らでその呟きを聞いたメイは、何言ってんだコイツ、と言いたげな顔で精一郎を見ている。
だが、そんな精一郎の感嘆が耳に届いたのか。
ありがとうございます、と先導していたシーラが振り返り、嬉しそうに微笑んだ。
それからは誰も言葉を発する者はなく。一行は城の中でもとりわけ大きな両扉の前に辿り着く。
「こちらにて、王がお待ちです。私の後に続いて入室願います」
シーラが振り返り、精一郎達に声をかけた。
精一郎はといえば、城に見惚れていた和らぎはすでに彼方へと吹っ飛び、押し寄せる緊張に力みすぎ、一周回って顔が平静時に見えなくもない。メイはといえば、一寸たりとも揺らぐことない無表情。
そんな対極な二人だが、シーラの言葉に頷いたのは同時。
それを見たシーラが目配せすると、城外から着いていた二人の護衛がそれぞれ片方ずつ扉を押し開けた。
「――御客様をお連れ致しました!」
よく通る声と共に、両扉をくぐるシーラ。
言われた通り、精一郎もおっかなびっくりながら歩を進めようとした刹那。
「必要ないかもしれませんが、改めて。会談は私に任せてください。最悪、セーイチロウは半分意識を失っても倒れなければ構いません。倒れることは、許しません。いいですね?」
隣に並んだメイが、そっと耳打ちする。
前半はまだしも、後半の言い種のなんと物騒なことか。しかし精一郎にそれを咎める余裕はもはやない。
小さく頷いた精一郎に、メイもまた頷き返すと、二人はシーラに続いて部屋へと踏み入れた。
「…………」
まず肌に感じたのは、今まで精一郎が感じたことのない厳かな空気。
扉より入って左右には、武装した幾人かの兵士達が控え。それより少し先に立つのは、恐らく政務関係の文官と思しき少数の者達。
そして――扉より一直線、赤の絨毯が敷かれた床の続く先。通常の床より高い壇上に鎮座する真紅の玉座に腰掛ける、明らかに高価な衣服を纏った、壮年の男性。
皆が皆、扉から現れた精一郎とメイへ視線を送っている。
思わず取って返そうとする精一郎の足は、しかしすぐ傍らにいるメイからの無言の重圧により、否応なく進まされた。
一歩一歩踏み出すごとに、強まる視線。
それだけで、精一郎は内心半泣きだ。しかしこの時、意外にも精一郎はそこまで視線に対しては緊張を覚えていなかった。
では、緊張を克服したのか、というとそうではない。
単純に、それを上回るもの芽生えていたからだ。
それは、恐怖。
何を隠そう――メイが怖かった。
倒れたら、許さない。
反論こそしなかった――いや、できなく、精一郎の心の根底にまでそれは根付いてしまった。
(まだ、怒って言われた方がよかった……)
明らかに怒って言われるのは、怖い。だがそれ以上に、無表情が、何を考えているか分からない瞳が、一番怖い。果たして、倒れてしまったら何をされるのか。
もはや精一郎の恐怖の対象は、部屋中から降りかかる視線ではなく、味方であるはずの傍らのただ一人にすっかり移っていたのだ。
その瞬間から、もはや自分でも何が起こって事がどう運んだかを、精一郎は覚えていない。
或いは、メイの言ったように、本当に半分意識を失いつつも、倒れなかったのかもしれない。
気付けば、メイに倣って玉座の男性――即ちデュニスの王に向かって跪いていた。精一郎達の前を歩いていたシーラが、いつの間にか玉座の側に控えて壇上からこちらを見下していた。
王が名乗った気がしたが、その名前すら精一郎の耳には入ってこない。
黙りこくる精一郎をよそに、会話を交わす王とメイ。無論、その内容は耳に入らない。
途中、何かの金属音が聞こえたような気がした。……勿論、気がしただけ。
そんな状態であったから、時の感覚も精一郎にはなかったわけだが。
きっかけは、精一郎自身よく分からない。単純に、その単語が耳にとまっただけかもしれない。
――魔王。
唐突に脳が覚醒し、その言葉を拾った精一郎は。微かに身じろぎし、面を上げた。
「ほぅ、セーイチロウ殿は、魔王に興味がおありか」
そしてデュニスの王は、それを見逃してはいなかった。
精一郎に向けられた快活な笑顔とは裏腹に、その瞳に探るような光を湛え。誰ぞある、と手を打ち、侍女に何かを持ってこさせる。
筒状に丸められ、所々傷んだ年季を感じさせる紙。
「これが、大魔王ファルハーン。過去、魔の頂点に君臨せし彼の者に挑んだ勇敢な戦士により、命と引き替えにもたらされた、貴重な情報たる似顔絵」
王の手により広げられ、明らかとなったのは。少々色の掠れてしまった一枚の絵だった。
本物ではなくただの絵であるというのに、見ている者に恐怖を与えるような眼光鋭い目つき。
血を想起させる、真紅の双眸。
口元には豊な白き髭を蓄え。首元には、漆黒のマント。
――なにより特徴的なのは、青く塗られた肌。
全身ではなく、首から上のみ。だというのに――いや、それ故か、絵とは思えぬ迫力が伝わってくる。
ただ、精一郎は動じなかった。
……嘘だ。正確にいえば、動揺をみせないほどに、思考が停止したのだ。
それ自体は他人には分からなかっただろうが、思考が停止したことが知れたら、この場にいる者はこう解釈したことだろう。
精一郎は、大魔王の絵を見て思考を停止させたのだ、と。
それは間違いではない。事実、精一郎は確かに絵を見て思考を停止した。
――恐怖を感じたのではない、別の意味で。
(……まさか、あれは)
実を言うと、嫌な予感はしていたのだ。……魔王の、その名を聞いた時点で。
それから再びの思考停止すること、しばらく。
精一郎の意識が復活した時には、既に王のいた部屋を出ていた。
「――ようやく戻ってきましたか」
いつの間にか、見知らぬ部屋。すぐ前、それこそ密着せんばかりに、メイの姿が大きく瞳に映る。
「……うわぁっ!?」
いきなりのことに驚き、思わず跳び退る。
そんな精一郎の態度に、メイは少しばかり眉を下げただけで、言った。
「まあ、なんとなく予想はできます。聞きたいことがあるのでしょう、セーイチロウ?」
「う、うん……あ、あのさ」
肯定は、気圧されたように。
しかし、次には決意したように、声を上げ。
「さっきの、大魔王ファルハーンって――」
「――ええ、いますよ」
精一郎が言い切る前に、メイが断定する。
そうして、ガラス玉のような紅の瞳が、精一郎を射抜く。
「貴方の――セーイチロウの、おもちゃ箱に」
まるでそれが、契機であったかのように。
空より、雷鳴が轟いた。




