四話 イメチェンメイド
呼びかけに返答するように咆哮を上げ、その後甘えるように顔を精一郎の元へと近づけてきたティラノサウルス――もとい、精一郎のおもちゃであったはずのディノ。
何故、おもちゃが巨大化したのか。それに加え、どうして生きているのか。
明らかに常識や理解を越えた現実がそこに広がっていたが、しかしそんなことは精一郎にとってはどうでもよかった。
自分が、緊張しない。それだけで、何よりの証拠。
夢のようだ、とは思ったものの、深く考えることはせず精一郎はディノの頬を撫でる。ざらざらとした硬い感触にも、笑みを浮かべる。
例え夢だとしても、それはそれでよかったのだ。
しかし、ふとディノが精一郎から視線を外したところで、その感情は一気に崩れ去る。
ディノにつられるように振り返る精一郎。瞬間、彼の身体は再び緊張に硬直した。
視線の先にいたのは、一人の女性。
陽光に煌めくは、長く伸ばされた金色の髪。上質な衣服を身に纏い、精一郎を見ている。
(……うわぁ、綺麗な人だな)
なにより目につくのは、その美貌。まるで、最高の職人が丹精込めて作り上げた高価な人形のように、美しく整っている。
ただの人間相手にすら、ろくに舌が回らない精一郎。それがとんでもない美女相手では、尚更。それも、相手はこちらを直視しているときた。
「…………」
最初に思った感想以外、言葉はおろか心にすら何も浮かばない。
「…………」
しかし、相手も何も言ってこない。ただ、黙って精一郎を見つめるのみ。
沈黙。二人と一匹の間を、さあっと風が吹き抜ける。
と、ここでその沈黙を破り、ディノが女性の方を向いたまま低い声を上げた。
それが、きっかけになったのか。弾かれたように、女性が会話の口火を切る。
「あ、あのっ。……私は、ここ、デュニスの第一王女、シーラ・エンポリウスと申します」
最初の言葉こそ言葉尻が震えていたものの、その後落ち着かせるように胸に手を当て、女性――シーラは、名乗った。
そこですぐさま自分も名乗り返す――とならないのが、精一郎クオリティ。
(……デ、デュニス? シーラ、エンポリ?)
シーラにとっては身分と名を名乗っただけだが、精一郎にとっては何を言っているのか意味不明。しかし、そこでもう一回、と聞き返すことすらできない彼である。
口を開けず、せいぜいが若干眉を顰めて頭の中に疑問符を浮かべるだけに留まった。
そんな精一郎を前に、シーラは頭を下げる。
「先程は魔狼より助けていただき、ありがとうございました」
それを受けて、しかしやはり精一郎は言葉を出せない。
(え……えーと?)
それどころか、女性が頭を上げて再び視線が交差したことにより、疑問すら忘れて頭が真っ白となる。
「…………」
「…………」
またしても、沈黙。
だが、先程と異なるのは。シーラの瞳は、精一郎の言葉をじっと待っているかのよう。
それでもやはり、精一郎は喋らない。否、喋れない。
結果、シーラのお礼から会話に進展はなく、数秒が過ぎ去った。
下手をすれば、この状態がいつまでも続くのでは。ようやく精一郎が危機感を抱き始めた、その瞬間。
「――全く、何をされているのですか、セーイチロウ様」
シーラではなく、勿論精一郎のものでもない、第三者の声。
精一郎が声の方を向けば、いつの間にそこにいたのか。すぐ隣に、新たな女性の姿があった。
静かながらも確かにその存在を主張する、銀の髪。きちっと姿勢を正し、メイド服のような衣装に身を包んでいる。十代半ばの精一郎よりかは明らかに年上だが、それでも充分に年若い女性だ。
声が発されたことでようやく気付いたのもそうだが、なにより精一郎が驚いたのは、その突如現れた女性が精一郎の名前っぽいのを呼んだことだ。しかも、様付で。
なぜなら精一郎は、彼女のことを知らない。銀の髪を持つというのもそうだし、慣れたようにメイド服を着こなす女性という点でもそう。
精一郎としてはかなり驚いたのだが、しかし緊張に硬直していた身体は、その場から一ミリたりとも動きはしなかった。
「主の側仕えの身ながら、口を挟む形となってしまい申し訳ござません、王女様。私は、メイと申します」
メイ、と名乗った彼女は、シーラに向けて優雅に一礼する。次いで、彼女は言う。
「我が主、セーイチロウ様は寡黙ゆえ、失礼ながらこの場は側仕えである私がお話させていただきます」
そうして会話を始めたメイとシーラを、精一郎は放心したように見ていた。
見知らぬ女性が己の名を知っていたというだけで驚きだというのに、彼女は精一郎を主と呼んでいるから。原因は、それに尽きる。
なにせ精一郎は、一般家庭の範疇におさまる家の出。メイドどころか、お手伝いさんすらいない。つまり、彼を主として扱う存在などいるはずがないのである。
(もしかして……ここはメイド喫茶っていうやつなのかな?)
そうして精一郎は――何ともずれた思考へと発展した。
とはいえ、精一郎はメイド喫茶に行った事はないし、何より気弱な彼が行けるわけもない。
耳にしたことがある、程度だ。
(うわー、うわー、うわー)
ここが、本当にメイド喫茶なら。さっさと出なければ身が持たない。主と呼ばれるなど、気弱な精一郎にとって気恥ずかしいほどこの上ないのだ。時間が過ぎれば、彼女だけでなく他にも精一郎を主と呼ぶ人間が出てくるとも限らない。
……もっとも、そもそもここは建物ですらなく屋外なのだが、すっかり内心大パニックに陥った精一郎はそれに気付くことはなかった。
「――ウ」
(早く出ないと。……あ、お金!?)
「セーイチロウ」
すっかり見当違いの思考に耽っていた精一郎だったが、すぐ隣から自身の名を呼ぶ声に気付き、ビクリと身を竦めてそちらを見る。
見れば、先程のメイという名の女性の、そのガラス玉のような紅の瞳が精一郎の顔を注視していた。
「聞いていたと思いますが、これから私達は王城へと向かうことになりました」
「……へ?」
そして彼女から発せられた言葉に、精一郎は呆気にとられる。
そんな精一郎の態度に、メイは表情を変えることなく言う。
「へ、ではありません。まさか、話を聞いていなかった、などとは言いませんよね?」
どうやら、精一郎がパニックに陥っている間に、彼女達の会話は終わっていたようだった。見れば、付近にシーラの姿はない。
そして、はいそうです、と気軽に返事できるほど、精一郎の面の皮は厚くない。
「ご、ごめん。えっと……君は誰? どうして僕の名前を知ってるの?」
少しだけ近くを見回した後、精一郎はおずおずと口を開いた。
瞬間、精一郎はメイの顔がムスッとした顔になったような気がした。いや、実際彼女は表情を変えていないのだが、なぜか精一郎はそう思ったのだ。
「なるほど。あの王女様がいたために、セーイチロウは正常ではなかった、と。それでは仕方ありません、私も、もう一度だけ名乗りましょう」
なぜか先程とは違い、今度は様付ではなくメイは「セーイチロウ」と呼ぶ。
そうして彼女は、精一郎に向けて名乗った。
「私の名前は、メイです」
精一郎の漆黒の瞳を、真っ直ぐに見据えて。
「……メ、イ」
「そうです、セーイチロウ。我が主」
主というにしては、その物言いは精一郎を全く敬っておらず、ある意味傲岸不遜。
とはいっても、そんなこと精一郎は気にしない。
問題なのは、明らかに彼女――メイが精一郎を知っているということ。そして、精一郎もまた彼女を知っているらしいという事実。それも、相手の様子から明らかにただの知り合いという枠組みを越えている。
元々、両親を除けば精一郎と親しい人間など無に等しい。無論のこと、両親のどちらもメイという名ではない。
……だが、その名を精一郎は知っている。
こっそりと盗み見るように、チラと精一郎は彼女の容姿を再確認した。まあ、相手はこちらを見ているのでこっそりも何もないわけだが、しかし彼女は文句も言わずただただ精一郎を見つめ返すだけ。
「…………」
ショートカットにされた銀の髪。その下には、無表情ではあるものの確かに整った造形がそこにある。
しかし再確認してはみたものの、やはり精一郎の記憶に該当するものはない。
――容姿だけを見れば、だが。
すっかり空気となっていたディノが、フルル、と声を漏らす。
それを、横目に。
「メイ……もしかして、僕のおもちゃだった、あのメイ?」
おそるおそる相手の顔色を伺うように、精一郎は訊ねた。
確か、あれは幼稚園のお遊戯会か何かで人形劇をやった時のこと。その際に精一郎の担当した役が、台詞の無いメイドその2――後に精一郎がメイと名付けた人形であった。
「……はっきりしませんね。何故、自分の言葉に自信が持てないのです?」
「いや、だって……僕の知ってるメイは、黒い髪だったし、それに――」
感情の籠っていない平坦な声ながらも、どこか責めるようなメイの言葉。
おっかなびっくりしながらも精一郎は返答し、そして言い淀む。
「それに、なんです?」
「……もっと笑顔だったし」
しかし間髪を入れず、鋭いメイの追及。
戦々恐々の精一郎があしらえるはずもなく、か細い声で答える。
刹那、すっ、とメイの両眼が細まった。
「なるほど、なるほど。つまりセーイチロウは、私の容姿が変わっていたために分からなかったと、そう言いたいわけですね」
含みを持たせた言い方。未だ変化のないメイの無表情であるが、明らかに機嫌を損ねている、というのが精一郎には分かった。
それを前にして、もはや無言にならざるをえない精一郎であったが、内心では自己弁明をしていた。
(だって、しょうがないじゃないか……)
幼稚園のお遊戯会での人形劇の後、そのまま精一郎の元へとやってきたメイは、メイドを模した人形だった。とはいっても、お店で販売していたとかではなく、園児の母親のような、あくまで趣味程度の人間の作った簡単な人形。
その髪の色は黒であり、断じて銀などではない。そしてそれは、表情にもいえること。デフォルメされたそれは、目や口といった顔を構成するパーツが線の一本で表現されているわけだが。彼女のように無表情ではなく、笑顔。
精一郎は、おもちゃの頃のメイを頭に思い浮かべ、今眼前に立っているメイ? と見比べる。
(変わっているどころの話じゃない……!)
それどころかほとんど全くの別人。共通しているのは名前だけ。
これをヒントなしに気付けというのは、あまりに無理難題であり――むしろ嘘であるということのほうが現実味がある。
でも、彼女は――メイは嘘をついていない、と精一郎は思った。
ディノと同じだ。
精一郎とまともに会話できているという時点で、気付くべきだった。
――彼女は間違いなく、精一郎のおもちゃであったメイである、と。
……ディノに続き、自分で言っていて信じ難いことだが。
「ならば、こういうことにしましょう」
そんな精一郎の葛藤をよそに、いいことを思いついた、と言わんばかりにメイが一人頷く。
そして言ったのだ。
至極真面目……なのか判別できない、依然無表情のままで。
「これは――イメチェンです」




