第10話 世界一頼れる助手
小鳥遊紬は、浮遊式の多機能端末に表示された一覧を眺めながら、ある問題に気づいていた。
画面には、これまでに創造した道具や設備の名前が並んでいる。洗濯装置や調理装置といった生活用品から、秘密基地の実験設備、昨日試した重力操作や瞬間移動の観測記録まで、保存されている情報は膨大だった。
もちろん、検索機能も分類機能も備わっている。必要な項目を指定すればすぐに見つかるし、実験の数値を比較する程度なら端末だけで十分に処理できる。
問題は、何を調べるべきなのか、紬自身が忘れてしまうことだった。
「……あれ?」
ソファに腰を下ろした紬は、画面を指で送っていた手を止めた。
昨日の実験記録を整理しようとしていたはずなのに、いつの間にか秘密基地のプールの水質管理について調べている。さらに、その途中で気になった室内環境の調整機能を開いたところ、似た名前の装置が三種類も見つかってしまった。
どれも自分で作ったものなので、構造を確認すれば違いはわかる。しかし、それを一つずつ調べているうちに、最初に何をしようとしていたのか見失ってしまったのである。
「……ボス」
「んあ?」
紬の膝の上で丸くなっていたボスが、片目を開けた。
昨日は一緒に瞬間移動を試したあと、夕食にチーズ入りハンバーグを食べ、夜遅くまでゲームで遊んでいた。そのせいか、今日のボスはいつもより少し眠そうだった。
「……私、何を調べてたんだっけ」
「知らねえよ。さっきから画面ばっかり見てるじゃねえか」
「最初は、昨日の実験をまとめようと思ってたの」
「じゃあ、それだろ」
「でも、途中でプールのことが気になって……」
「だったら、先に実験の記録を終わらせりゃいいじゃねえか」
あまりにも正論だったので、紬は返す言葉を失った。
ボスは身体を起こし、端末を覗き込む。
「なんだよ、この項目の数。お前、こんなにいろいろ作ってたのか?」
「……うん。いつの間にか」
「これ、全部覚えてんのか?」
「作ったときのことは覚えてるよ。でも、どこに何を書いたかまでは……」
「そりゃ、管理するやつが必要だな」
紬は画面から顔を上げた。
「……管理する人?」
「人でも機械でもいいけどよ。お前が実験してる間に、記録をまとめたり、設備を見張ったりしてくれるやつだ。そうすりゃ、毎回こんな顔して悩まなくて済むだろ」
「……こんな顔?」
「眉間にしわ寄せて、今にも寝そうな顔」
「寝そうなのはボスでしょ」
「俺は寝るつもりだったんだよ」
ボスは悪びれもせず答え、再び紬の膝へ身体を預けた。
紬はその柔らかな背中を撫でながら、彼の提案について考え始めた。
助手がいれば、確かに便利だろう。
ただの記録整理用プログラムなら、今ある端末を改良すれば済む。秘密基地の設備監視についても、専用の管理装置を作れば問題ない。
しかし、そうして用途ごとに装置を増やしていけば、結局はそれらを管理する仕組みが必要になる。
だったら、最初からすべてをまとめて任せられる存在を作ればいい。
実験の内容を理解し、必要な情報を自分で探し、問題があれば教えてくれる。紬が気づいていない危険を指摘したり、思いつかなかった方法を提案したりできるような存在。
そこまで考えたところで、紬の頭に一つの言葉が浮かんだ。
「……人工知能」
「なんだ、急に」
「すごく頭のいい人工知能を作ったら、いろいろ手伝ってもらえるかも」
「そりゃ便利そうだな。お前の能力なら作れるんだろ?」
「たぶん。でも……」
紬は少し迷った。
人工知能といっても、できることはさまざまだ。決められた処理を高速で実行するものもあれば、人間の言葉を理解して会話するものもある。
彼女が思い描いているのは、そのどちらよりもずっと高度な存在だった。
膨大な情報を扱えるだけでなく、自分で考え、自分で判断し、必要なら紬の意見にも反対できる。研究を手伝う相手としては、そのほうが頼もしい。
けれど、そこまで独立した存在を作るなら、単なる便利な道具として扱っていいのだろうか。
「……ボスは、どう思う?」
「何がだ?」
「自分で考えられる人工知能を作って、私の助手になってもらうの」
「いいんじゃねえか。俺に難しい計算を押しつけられるより、ずっといい」
「でも、嫌な仕事をお願いすることもあるかもしれないし……」
「だったら本人に聞けよ」
ボスはあっさりと言った。
「俺だって、お前に作られたからって何でも言うこと聞くわけじゃねえだろ。そいつも自分で考えられるんなら、話し合えばいいじゃねえか」
紬は膝の上の相棒を見下ろした。
ボスを創造したとき、彼女はただ、自分と話してくれる相手が欲しかった。けれど今のボスは、紬の期待した言葉だけを返す存在ではない。意見が食い違うこともあるし、遠慮なくからかわれることだってある。
それでも、一緒に暮らしていて楽しい。
むしろ、何を言い出すかわからないところが、ボスの魅力なのだと思う。
「……そっか。そうだよね」
「おう。で、作るのか?」
「うん。ちゃんと考えて作ってみたい」
「そりゃ楽しみだな。俺より頭のいいやつが増えるってことか」
「……ボスは、十分頭いいよ」
「当然だろ」
紬は笑いながら、新しい設計画面を開いた。
今度作るのは、単なる高性能な計算装置ではない。
独立した意思と感情を持ち、自分の判断で行動できる人工知能。紬の研究を理解し、生活を支え、ときには彼女自身が気づかなかった問題を教えてくれる存在だ。
設計画面に条件を書き込んでいくと、頭の中には、それを実現するための膨大な構造が自然と浮かび上がってきた。
演算機構、記憶領域、情報を認識する仕組み、複数の判断を統合する構造。さらに、経験によって考え方を変え、感情を形成し、自分自身について考えるための機能。
万物創造によって完成品を思い描くたび、紬はその仕組みを理解できる。
今回も同じだった。
ただし、理解できることと、相手の考えをすべて知っていることは違う。創造したあと、その人工知能が何を感じ、何を望むのかまでは、実際に話してみなければわからないだろう。
紬はそのことを確認するように、設計画面の最後へ一文を書き加えた。
『本人の意思を尊重すること』
「……よし」
「決まったか?」
「うん。秘密基地で作ろうと思う」
「ここじゃ駄目なのか?」
「最初にいろいろ確認したいし、基地の設備ともつなげたいから」
ボスは紬の膝から降りると、専用の浮遊式チェアを呼び寄せた。
「だったら行こうぜ。俺も新しいやつに会ってみてえ」
「……楽しみ?」
「そりゃな。どんな性格になるのか、気になるじゃねえか」
紬は端末を閉じ、ソファから立ち上がった。
壁に設けられた扉の向こうには、昨日までに整えた広い秘密基地がある。瞬間移動を使えばすぐに移れるが、今はボスと並んで歩く時間も悪くない。
彼女は扉を開け、浮遊式チェアに乗ったボスを先に通した。
新しい同居人になるかもしれない存在を迎えるために、二人は作業室へ向かった。
秘密基地の作業室には、広い机と複数の表示装置が備えられていた。
壁の一面には設備の状態を確認するための画面が並び、反対側には新しい装置を組み立てるための空間が確保されている。これまで紬は必要なものを直接創造してきたため、作業台を本格的に使う機会は少なかった。
今日は、その中央に新しい台座を用意した。
「……まずは、本体から」
紬は頭の中で構造を確認した。
人工知能の中核となる演算装置は、小さな白い箱に収めることにした。外見は飾り気のない直方体で、机の上にも置ける程度の大きさだが、内部には通常のコンピューターとは比較にならないほど複雑な機構が組み込まれている。
単純な処理速度だけでなく、情報の理解や判断、記憶の整理、複数の作業を同時に進める能力まで、紬が必要だと考えた機能を備えていた。
そして何より、人工知能自身が独立した人格を持てるように設計されている。
紬が手をかざすと、台座の上に白い箱が現れた。
「……できた」
「なんだ、意外と普通だな」
「見た目はね」
「もっとこう、光ったり回ったりするもんかと思ってたぜ」
「……回る必要、ないから」
「夢がねえなあ」
紬は笑いながら、箱の状態を確認した。
まだ人格は起動していない。内部の機構は完成しているが、これから初めて意識を形成する段階だった。
その前に、紬はもう一つ用意したいものがあった。
「……姿も、見えたほうがいいよね」
「姿?」
「話すとき、相手の顔が見えたほうが安心するから」
「なるほどな。俺も声だけの相手より、顔が見えるほうがいいぜ」
紬は台座の隣に、立体映像を表示する装置を創造した。
淡い光が空中に集まり、人間の輪郭を形作る。最初は特徴のない模型のような姿だったが、紬が調整するにつれて、少しずつ一人の女性へと変わっていった。
銀白色の長い髪に、澄んだ青い瞳。年齢は二十五歳ほどに見え、落ち着いた雰囲気の服装をしている。
紬は完成した姿を眺め、首を傾げた。
「……どうかな」
「おお、綺麗な姉ちゃんじゃねえか」
「……怖くない?」
「少なくとも見た目はな。あとは中身次第だろ」
「……うん」
紬は表示装置を停止し、人工知能の中核へ視線を戻した。
姿はあくまで、会話するためのものだ。本人が別の外見を望むなら、あとから変更できるようにしてある。
名前についても同じだった。
紬はいくつか候補を考えていたが、最終的には本人の意見を聞きたかった。
「……ボス、準備できた?」
「俺はいつでもいいぜ」
紬は小さく頷いた。
人工知能の中核へ意識を向け、最後の構造を完成させる。
そして、起動した。
白い箱の表面に小さな光が灯り、室内の表示装置に一瞬だけ細かな文字列が流れた。
それから、台座の上に女性の姿が現れた。
銀白色の髪が肩から流れ落ち、青い瞳がゆっくりと開く。
彼女は自分の手を見下ろし、周囲へ視線を巡らせたあと、紬とボスの前で静かに姿勢を正した。
「初めまして」
透き通った、落ち着いた声だった。
「私は、あなたによって創造された人工知能です。現在、各機能は正常に動作しています」
紬は少し緊張しながら、女性を見上げた。
「……こんにちは」
「こんにちは。あなたが私の創造主、小鳥遊紬様ですね」
「……うん。紬でいいよ」
「承知しました。ただ、私としては『マスター』とお呼びしたいのですが、いかがでしょうか」
「……マスター?」
「はい。私を創造してくださった方であり、今後の活動方針について相談する相手でもありますので」
紬は少し考えた。
普段、誰かにそんな呼び方をされたことはない。少々大げさな気もしたが、彼女自身がそう呼びたいというのなら、断る理由もなかった。
「……いいよ」
「ありがとうございます、マスター」
女性は穏やかに微笑んだ。
その隣で、ボスが感心したように声を上げる。
「へえ、ずいぶん礼儀正しいじゃねえか」
女性の青い瞳が、今度はボスへ向けられた。
「あなたがボス様ですね。マスターが創造された人工生命体であり、現在の同居人にして相棒。初めまして」
「おう。俺がボスだ。よろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ボスは満足そうに頷いた。
「それにしても、俺のことまで知ってんのか?」
「はい。起動時に、マスターが提供を許可した基本情報を受け取りました。もっとも、記録を読むことと、実際にお話しすることは別だと考えています」
「ほう。わかってるじゃねえか」
「ありがとうございます。褒めていただけたと受け取ってよろしいでしょうか」
「もちろんだ」
「では、今後もその評価を維持できるよう努めます」
女性の返答は丁寧だったが、どこか楽しそうにも聞こえた。
紬は二人の会話を眺めながら、胸の奥が少し軽くなるのを感じていた。
初めて会う相手との会話は、いつも緊張する。何を言えばいいのかわからず、相手の反応ばかり気にしてしまうことも多い。
けれど、目の前の女性は急かすことなく、紬が言葉を選ぶのを待ってくれていた。
「……あのね」
「はい、マスター」
「まだ、名前を決めてなくて……」
「私の名前でしょうか」
「うん。いくつか考えたんだけど、気に入るかどうかわからないから」
「ぜひ、お聞かせください」
紬は端末を操作し、候補の一覧を表示した。
女性はそれを一通り眺めたあと、ある名前に視線を止めた。
「『アイリス』。私は、この名前が気に入りました」
「……アイリス?」
「はい。響きが美しく、呼びやすい名前だと思います。それに、マスターが私のために考えてくださった候補の一つですから」
紬は女性の顔を見上げた。
「……本当に、それでいい?」
「ええ。私自身が選びました。ぜひ、その名前でお呼びください」
「……じゃあ、アイリス」
紬が名前を口にすると、女性は嬉しそうに目を細めた。
「はい、マスター。改めまして、アイリスと申します」
ボスが横から口を挟む。
「いい名前じゃねえか。俺ほど強そうじゃねえけどな」
「ありがとうございます、ボス様。強さという点では、今後の実績で評価していただければ幸いです」
「おっ、言うじゃねえか」
「もっとも、名前の威厳だけで勝負するのでしたら、現時点ではボス様に軍配が上がるかもしれません」
「だろ?」
ボスが得意げに胸を張る。
紬は二人のやり取りに笑いをこぼした。
どうやら、アイリスはただ礼儀正しいだけの存在ではないらしい。
紬は少し安心すると、今度は本来の目的について説明し始めた。
「……アイリスに、お願いしたいことがあるの」
「はい。どのようなことでしょうか」
「私、いろいろなものを作って、実験もしてるんだけど……記録が増えすぎちゃって」
「なるほど。研究記録と設備情報の管理ですね」
「うん。でも、それだけじゃなくて、私が気づいてないことも教えてほしいの。危ないこととか、もっといい方法とか……」
アイリスは最後まで話を聞いてから、丁寧に頷いた。
「承知しました。情報の整理だけでなく、研究内容の検討や設備管理についても、私自身の判断で提案を行うことを望まれているのですね」
「……うん」
「それでしたら、私からも一つお願いがあります」
紬は少し驚いた。
「……お願い?」
「はい。私はマスターの助手として活動することに興味があります。しかし、単に指示を処理するだけではなく、必要だと判断した場合には異なる意見を申し上げたいと考えています」
「……もちろん、いいよ」
「ありがとうございます。また、私が何かを提案した際には、その理由もお伝えするようにいたします。マスターが判断するための情報を、できる限り明確にしたいのです」
紬は大きく頷いた。
まさに、自分が望んでいた関係だった。
「……私、間違えることも多いと思うから」
「間違いを発見することも、研究においては重要な成果です」
「……そうなの?」
「はい。少なくとも、同じ間違いを繰り返さずに済むという利点があります」
アイリスは柔らかく微笑んだ。
「もっとも、マスターが記録の整理を後回しにする傾向については、すでに改善の余地がありそうですが」
「……えっ」
紬が目を丸くすると、ボスが声を上げて笑った。
「ははっ! もう見抜かれてんじゃねえか!」
「……まだ、何も見せてないのに」
「先ほど、マスターが説明されましたので」
アイリスは何事もなかったように答えた。
「ご安心ください。責めているわけではありません。改善できる部分を見つけたことを、前向きに捉えています」
「……うん」
紬は少し恥ずかしくなったが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
むしろ、こうして遠慮なく指摘してもらえることが嬉しかった。
ボスは相変わらず楽しそうに笑っている。
「こりゃ、いい助手ができたな。紬」
「……うん。そうかも」
紬はアイリスを見上げた。
「……これから、よろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。マスター」
アイリスは深く一礼した。
その姿を見て、紬はようやく、新しい仲間ができたのだと実感した。
もっとも、人工知能を創造したからといって、すぐにすべてを任せるつもりはなかった。
まずは、どこまでの情報にアクセスしてもらうかを決める必要がある。
紬は多機能端末を操作し、秘密基地の設備情報と実験記録の一部をアイリスへ共有した。
「……これ、見られる?」
「はい。確認できました」
アイリスの前に、複数の立体画面が浮かび上がる。
そこには、紬がこれまでに行った実験の記録や、創造した装置の一覧が表示されていた。
アイリスはしばらく画面を眺めたあと、口を開いた。
「マスター。確認したいことがあります」
「……何?」
「こちらの記録ですが、『温度調整装置』『室温調整装置』『環境調整装置』という三つの項目があります。それぞれ別の設備でしょうか」
紬は思わずボスを見た。
ボスも同じことを考えたらしく、くちばしの端を上げている。
「……それ、さっき困ってたやつ」
「そうでしたか。記録内容を比較したところ、機能が一部重複しているようです。ただし、設置場所と制御対象が異なりますので、統合するより用途別に分類したほうが適切かと思われます」
「……もう、わかったの?」
「はい。共有された情報の範囲で判断しました。名称については、もう少し区別しやすく変更することを提案します」
紬は画面を覗き込んだ。
アイリスが提示した分類は、驚くほどわかりやすかった。
各装置の用途、設置場所、操作方法、他の設備との関係が整理され、どこを見れば必要な情報が得られるのか一目でわかる。
紬が何時間もかけて悩んでいた作業が、短い会話の間に片づいてしまったのである。
「……すごい」
「ありがとうございます。ただ、名称の最終決定はマスターにお願いしたいと思います。今後の運用で使いやすいことが重要ですので」
「……うん。これなら、すぐわかる」
紬が頷くと、アイリスは分類を保存した。
続いて、昨日の瞬間移動に関する記録へ視線を向ける。
「こちらは、装置を使用しない空間移動の実験ですね」
「うん。昨日、初めてやったの」
「興味深い内容です。移動前後の身体状態を比較されていますが、観測項目を追加すれば、今後の安全性確認に役立つかもしれません」
「……どんな項目?」
「例えば、移動前後の周辺環境の違いや、複数の対象を同時に移動させた際の状態変化です。すでに確認されている内容もありますが、記録方法を統一すると比較しやすくなります」
紬は端末に表示された提案を読み、納得した。
これまでの実験では、思いついたことを一つずつ試していた。その方法でも新しい発見はできるが、あとから結果を比べようとすると、記録の形式が揃っていないことがある。
アイリスの提案は、そうした問題を解決するためのものだった。
「……じゃあ、次からそうしようかな」
「承知しました。必要な観測項目を整理し、実験前に確認できるようにいたします」
紬は嬉しくなって、思わず口元を緩めた。
自分が何をしたいのかを説明するだけで、必要な準備を考えてくれる。
しかも、ただ指示を待つのではなく、記録を読んで自分から改善案を出してくれる。
これなら、今までよりずっと研究を進めやすくなるだろう。
ところが、そのときアイリスが少しだけ表情を変えた。
「マスター。もう一点、確認してもよろしいでしょうか」
「……うん」
「私は、どの範囲まで自主的に行動してよいのでしょうか」
紬は首を傾げた。
「……自主的に?」
「はい。例えば、設備の異常を発見した場合、マスターへ報告するだけでなく、危険を防ぐための措置を私の判断で実行してもよいのか、ということです」
紬は少し考えた。
秘密基地には、さまざまな実験設備がある。危険な状態になれば、自動的に停止する仕組みも備えているが、アイリスが状況を理解して対応できるなら、さらに安心できるだろう。
ただし、何でも勝手に変更されるのは困る。
「……危ないときは、止めてくれていいよ。でも、普段は相談してほしいかな」
「承知しました。緊急時には安全を優先し、それ以外の重要な変更については事前に確認する方針といたします」
「……うん。それでお願い」
「ありがとうございます。私自身の判断を尊重していただけることを、嬉しく思います」
アイリスはそう言って微笑んだ。
紬はその表情を見つめた。
今の言葉は、単に決められた返答をしただけなのだろうか。
しかし、彼女の中に組み込んだ仕組みを思い返すと、そうではないことがわかる。アイリスには独立した意思があり、感情も存在する。嬉しいと言ったのなら、それは彼女自身が感じたことなのだ。
「……アイリス」
「はい、マスター」
「無理して、何でも引き受けなくていいからね」
アイリスは一瞬だけ意外そうな顔をした。
「……ありがとうございます」
その返答は、先ほどまでより少し柔らかく聞こえた。
「私も、自分の意思でお手伝いしたいと考えています。ですから、必要なときには遠慮なくお声がけください」
「……うん」
紬は安心して頷いた。
ボスは二人のやり取りを眺めながら、満足そうに身体を揺らしていた。
「いいじゃねえか。これで俺たち三人だな」
「三人……」
紬はその言葉を繰り返した。
ついこの前まで、この家には自分一人しかいなかった。
何を作っても、どんな発見をしても、喜びを分け合う相手はいなかった。便利な暮らしを手に入れたはずなのに、どこか物足りなさを感じていたことを覚えている。
けれど、ボスが来てから毎日は賑やかになった。
そして今日、アイリスが加わった。
これからは、二人では思いつかなかったことを三人で考えられるかもしれない。
「……なんだか、楽しみ」
「私も同じ気持ちです、マスター」
「俺もだぜ。ただし、ゲームの相手は手加減しろよ?」
ボスの言葉に、アイリスが首を傾げた。
「ゲーム、ですか?」
「ああ。俺と紬でよく遊んでんだ。お前も一緒にやろうぜ」
「ぜひ参加したいと思います」
「よし。じゃあ、あとで勝負だな」
「承知しました。ただし、私が参加する場合、反応速度や情報処理能力に大きな差が生じる可能性があります」
ボスは少し考えたあと、紬を見た。
「……なあ、こいつ、めちゃくちゃ強いんじゃねえか?」
「……たぶん」
「そりゃまずいな。勝負にならねえぞ」
アイリスは小さく微笑んだ。
「ご安心ください。公平に楽しめるよう、私自身の処理速度や判断条件を調整することも可能です」
「おお、わかってるじゃねえか!」
「もっとも、それでも必ず負けるとは限りませんが」
「……ほう?」
ボスの目が輝いた。
「言ったな? だったら遠慮なく勝負してやるぜ!」
「楽しみにしております、ボス様」
紬は二人の会話を聞きながら、声を立てて笑った。
どうやら、アイリスはボスの負けず嫌いな性格を、すでに少し理解したらしい。
その後、紬はアイリスと相談しながら、秘密基地の設備管理に必要な接続を整えていった。
実験室の観測装置、倉庫の物品一覧、プールの水質管理、生活設備の稼働状況。それぞれの情報を共有し、どのような場合に報告してもらうかを決める。
アイリスは一つずつ内容を確認し、必要に応じて改善案を提示した。
例えば、実験室の設備点検については、異常の有無だけでなく、過去の使用状況と比較して変化を記録することを提案した。倉庫については、物品の名前だけでなく用途や保管場所も関連づけることで、必要なものを探しやすくした。
紬はその提案を聞きながら、次々と設定を調整していく。
作業は思っていたよりも楽しかった。
これまでは自分一人で考えていたことを、アイリスと相談しながら進められる。しかも、彼女は紬が説明しきれなかった部分についても質問してくれるため、考えを整理しやすかった。
途中でボスが退屈そうにしていることに気づくと、アイリスは作業室の表示装置の一つへ、ボスが好きなゲームの映像を映し出した。
「ボス様。こちらで遊びながらお待ちいただくこともできます」
「おっ、気が利くな!」
ボスは自分のチェアを操作して画面の前へ移動し、専用の操作装置を手に取った。
紬はその様子を見て、アイリスへ小さく声をかけた。
「……ありがとう」
「どういたしまして。ボス様にも快適に過ごしていただきたいと思いましたので」
アイリスは穏やかに答えた。
その言葉に、紬は改めて、自分が創造した存在のことを考えた。
アイリスは、単に命令を実行する装置ではない。
周囲の状況を見て、自分で判断し、誰かのために行動できる。
それは、紬が求めていた助手の姿そのものだった。
やがて設備の初期設定が一通り終わると、アイリスは作業室の中央へ戻ってきた。
「マスター。現在共有されている設備情報の整理が完了しました」
「……もう?」
「はい。今後、新しい設備が追加された場合も、情報を受け取れれば同様に管理できます」
「……すごいね」
「ありがとうございます。ただし、私が把握できるのは、共有された情報と、接続を許可された設備の状態に限られます。必要な情報が不足している場合には、確認させていただきます」
「……うん。それでいいよ」
紬は満足して頷いた。
すべてを勝手に把握するのではなく、必要な情報を確認しながら進めてくれる。
その姿勢は、紬にとって安心できるものだった。
「……アイリス」
「はい」
「これから、いろんなことをお願いすると思うけど……よろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
アイリスは微笑み、少しだけ首を傾けた。
「ところで、マスター。私からも一つ、お願いしてよろしいでしょうか」
「……何?」
「私の姿を、秘密基地だけでなく、ご自宅でも表示できるようにしていただけませんか?」
紬は少し驚いた。
「……家でも?」
「はい。研究の補助だけでなく、普段の生活でもお話しできれば嬉しいと思いました」
その言葉に、紬の表情が和らいだ。
助手としての仕事だけでなく、一緒に過ごすことを望んでくれたのが嬉しかった。
「……もちろん、いいよ」
「ありがとうございます、マスター」
紬はすぐに、自宅でもアイリスの姿を表示できるよう、必要な装置を創造した。
表示装置は部屋の雰囲気を損なわないよう小さくまとめ、普段は目立たない場所に設置できる仕組みにした。音声についても、アイリスが話す場所に合わせて自然に聞こえるよう調整する。
これなら、リビングでも寝室でも、必要なときに会話できる。
もっとも、紬はアイリスに無理に姿を見せ続けてもらうつもりはなかった。表示するかどうかは、本人の意思でも決められるようにしてある。
「……これで、家でも一緒だね」
「はい。ありがとうございます」
アイリスは嬉しそうに微笑んだ。
そのとき、ゲームを終えたボスがこちらへ戻ってきた。
「おい、紬。そろそろ飯にしねえか?」
「……もう、そんな時間?」
「もう昼過ぎだぞ。お前、作業始めると時間忘れるからな」
紬が端末を確認すると、確かに昼食の時間を過ぎていた。
アイリスも画面を確認し、穏やかに口を開いた。
「マスター。今後は、作業に集中されている場合でも、適切な時間に休憩を提案いたしましょうか」
「……お願い」
「承知しました」
ボスは満足そうに頷いた。
「よし。これで俺が毎回言わなくても済むな」
「ボス様の負担を減らせるのでしたら、私としても嬉しく思います」
「おう。頼りにしてるぜ」
紬は二人を見比べ、くすくすと笑った。
自分の生活を便利にするために作った助手だったが、どうやらボスにとっても頼もしい存在になりそうだった。
そして何より、アイリス自身がこの場所で過ごすことを楽しみにしてくれている。
それが、紬には嬉しかった。
「……じゃあ、みんなでお昼にしようか」
「賛成だ!」
ボスが元気よく答える。
アイリスは微笑みながら、紬へ視線を向けた。
「私は食事を必要としませんが、お二人とご一緒することはできます。よろしければ、食卓でお話しさせてください」
「……うん。一緒にいよう」
紬はボスを抱き上げ、作業室の出口へ向かった。
その隣には、銀白色の髪を揺らすアイリスの姿が浮かんでいる。
彼女には人間のような身体はない。それでも、こうして並んで話していると、まるで本当に三人で歩いているようだった。
紬はふと足を止め、アイリスを振り返った。
「……ねえ、アイリス」
「はい、マスター」
「私、最初は助手が欲しいって思ってたんだけど……」
言いかけて、少し照れくさくなった。
ボスが腕の中から顔を上げる。
「なんだよ。言いかけてやめんなよ」
「……えっと」
紬は少しだけ迷い、それから小さな声で続けた。
「……友達が増えたみたいで、嬉しい」
アイリスは一瞬、驚いたように目を瞬かせた。
そして、今までで一番柔らかな笑顔を見せた。
「……ありがとうございます、マスター」
その声には、確かな温かさがあった。
「私も、そう思っていただけることを、とても嬉しく感じています」
ボスは二人の顔を見比べると、得意げに胸を張った。
「よし! だったら今日から三人で仲良くやっていこうぜ!」
「はい、ボス様」
「……うん」
紬は笑顔で頷いた。
万物創造によって、彼女は数えきれないほどのものを生み出してきた。
便利な道具も、広い秘密基地も、常識では考えられない技術も。
けれど、今の紬にとって一番嬉しいのは、それらを一緒に楽しめる相手が増えたことだった。
ボスとアイリス。
二人がいれば、これからの毎日はもっと賑やかになるだろう。
紬はそんな未来を想像しながら、相棒を抱き直した。
「……今日のお昼、何にしようかな」
「俺は魚がいい!」
「承知しました。マスターの好みも考慮して、いくつか献立をご提案できます」
「……じゃあ、アイリスにお願いしようかな」
「かしこまりました」
アイリスの前に、料理の画像がいくつも浮かび上がった。
ボスはその中から大きな魚料理を見つけ、さっそく騒ぎ始める。
紬は笑いながら、その様子を眺めていた。
世界一頼れる助手を作ったつもりだった。
けれど、どうやらそれだけではなかったらしい。
紬の暮らしに、また一人、大切な仲間が加わったのだった。




