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うちのぺんぎんが日本政府と交渉している件  作者: むぎちゃ
第4章 小さな奇跡と星への第一歩
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第80話 見えない供給者

 日本とアメリカの共同宇宙船開発が本格的に動き始めてから、技術者たちの机には二種類の書類が積み上がるようになっていた。


 一つは、自分たちの手で解決できる問題を記した書類。船体の強度、居住区の配置、貨物の積み下ろし、生命維持設備の整備性。試作し、計算し、失敗すれば作り直すことで、少しずつ答えに近づけるものだった。


 もう一つは、どれほど計算を重ねても、必要な情報が外部から届かなければ先へ進めない問題をまとめた書類である。


 特殊推進装置の取り付け条件。慣性負荷軽減装置の作用範囲。人工重力の境界で生じる現象。防護装置が異常を検知した際の挙動。そして、それらを安全に停止させるための外部信号。


 後者の書類には、技術者たちが共通して使う呼び名があった。


 ――提供者照会事項。


 そこに記された質問の送り先を、誰も知らなかった。


     ◇


 首相官邸の会議室で、三浦誠司官房長官は分厚い資料の表紙をめくった。


 机を挟んで座る高瀬隆一首相の前にも、同じ資料が置かれている。表紙には日米共同宇宙開発計画の名称と管理番号が記され、その下に小さく「特殊装置に係る外部仕様照会」とあった。


 本文は六つの装置ごとに分けられ、さらに設計上の必須事項、安全審査に必要な事項、今後の検討に使う参考事項という三つの区分で整理されていた。


「JAXAとNASAが共同でまとめたものです。日本側の技術担当者が内容を確認し、両国で必要性を認めた項目に絞っています」


 三浦が説明すると、高瀬は最初のページに目を通した。


「思っていたより多いね」


「はい。ただ、質問の数そのものより、回答の扱いが問題になります」


「というと?」


「この資料は、相手が通常の企業や研究機関であれば、設計担当者同士の会議で解決していく種類のものです。しかし今回は、技術提供者の身元を伏せたまま、政府が間に入って確認する必要があります」


 三浦は別紙を一枚取り出した。


 そこには照会の流れが図示されていた。JAXAとNASAの共同技術チームから日本政府の専用窓口へ。窓口で内容を確認した後、技術提供者に意思を尋ねる。回答が得られた場合は、開示を許された範囲だけを技術チームへ返す。


 図としては単純だったが、実際の運用には難しさがあった。


「技術者たちは、質問をしたら答えが返ってくるという前提で設計を進めたくなります。ですが、提供者には回答義務がありません。答えられる項目でも、すぐに返答できるとは限りませんし、内部構造に関わる情報は開示できない場合があります」


「だから、質問を送る前に整理する必要があるわけだ」


「ええ。それと、もう一つあります」


 三浦は照会資料の中ほどを開いた。


「装置の内部構造を知りたいという要求と、船体を安全に設計するために必要な外部仕様の確認は、似ていても別のものです。質問の書き方によっては、前者に踏み込んでしまう可能性があります」


 高瀬が目を落とした箇所には、慣性負荷軽減装置に関する質問が並んでいた。


 装置が正常に動作しているか、外部から確認できるか。


 動作中に電源が失われた場合、乗員に作用する加速度はどのように変化するか。


 停止信号を受けてから実際に停止するまでの時間は、どのように保証されるか。


 いずれも、宇宙船に人間を乗せる以上、避けて通れない内容だった。


「これは必要な質問だね」


「はい。JAXA側もNASA側も同じ見解です。ただ、装置がどうやって慣性を軽減するのか、その原理を説明してほしいという質問は含めていません」


「必要なのは、使う側が何を確認できるかということか」


「そのとおりです」


 高瀬は資料を閉じず、しばらく考えた。


 日本政府が技術提供者と接触するようになってから、すでにさまざまな出来事があった。現代科学では説明のつかない装置を受け取り、社会へ導入し、その影響に対応してきた。


 それでも今回の計画には、これまでと異なる点がある。


 宇宙船を設計するのは、日本とアメリカの技術者たちだった。特殊装置だけが優れていても、船体全体が安全でなければ意味がない。しかも、実際に乗り込む人間は、地球から遠く離れた場所で装置を操作することになる。


 提供者の秘密を守ることと、乗員の安全を守ること。


 どちらか一方だけを優先すればよい問題ではなかった。


「三浦君。質問を全部まとめて渡す必要はないだろう」


「はい。優先度の高い項目から段階的に確認する案を考えています」


「ならば、まずはその方針で相談しよう。相手が何を負担に感じるかも、こちらが勝手に決めるべきではない」


「承知しました」


 三浦はうなずき、資料の端に置いていた端末へ手を伸ばした。


 連絡先の表示には、個人名も組織名も記されていない。


 日本政府が管理する専用の通信窓口である。


 画面に接続準備の表示が現れたところで、高瀬がふと口を開いた。


「ところで、先方はこの質問を読んで、どう思うだろうね」


「……正直、予想がつきません」


「私は、少し申し訳なく思っているよ」


「総理が、ですか?」


「宇宙船を作ろうと言い出したのは我々の側でもある。もちろん協力をお願いしているだけだが、技術者が真剣になればなるほど、提供者に求めるものは増えていく」


 三浦は返事を急がなかった。


 机の上の資料には、日米の技術者たちが費やした時間が詰まっている。その努力を無駄にしたくない気持ちは、三浦にもよく分かった。


 だが、努力したからといって、他人に無制限の協力を求める権利が生まれるわけではない。


「だからこそ、最初に確認した条件を守る必要があります」


「そうだね」


 通信がつながったことを示す控えめな音が鳴った。


『お待たせしました。三浦官房長官、高瀬総理。アイリスです』


 三浦は背筋を伸ばした。


「アイリスさん。日米の技術チームから照会資料が届きました。ボスさんたちに相談したいのですが、今、お時間はありますか」


『確認いたします。少々お待ちください』


 音声がいったん途切れる。


 三浦は資料を見下ろしたまま、返事を待った。


 数十秒後、スピーカーから聞こえてきたのは、いつもの遠慮のない声だった。


『おう、三浦。なんだ、もう宿題が来たのか?』


「……宿題と言いますか、技術的な確認事項です」


『同じようなもんだろ。とりあえず話してみろよ』


 高瀬の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。


     ◇


 その頃、紬の自宅では、テーブルの上に小さな皿が三つ並んでいた。


 紬の皿には一口大に切ったチーズケーキ。ボスの皿には、彼の体質に合わせて作られた魚の軽食。そしてアイリスのホログラムの前には、なぜか中身のない小皿が置かれている。


「……アイリスも、お皿いる?」


『お気遣いありがとうございます、マスター。ただ、私は食事を摂取できませんので』


「うん。知ってる」


『では、なぜ私の前にもお皿があるのでしょう』


「……一緒に食べてる感じがするから」


 アイリスは少しだけ目を細めた。


『それでしたら、ありがたく使わせていただきます』


 そんなやり取りの途中で政府から連絡が入り、紬はボスを膝に乗せたまま、空いている手でチーズケーキの皿を端へ寄せた。


 アイリスがテーブルの上に照会資料を投影する。


 細かな文字と図表が何枚も重なって現れ、紬は思わず眉を寄せた。


「……多い」


『日米双方で重複を整理した結果です。原案はこれよりかなり多い項目を含んでいました』


「これで減ったの?」


『はい』


「……宇宙船って、大変だね」


 ボスが画面を見上げる。


「そりゃそうだろ。人間が何十人も乗るんだぞ。俺が乗るための小舟じゃねえんだからな」


「ボスが乗る船でも、ちゃんと作ってほしいよ」


「当たり前だ。沈む船に乗りたい奴がどこにいる」


『今回の船は、主に宇宙空間を航行する予定ですが』


「分かってるよ、アイリス。例えだ、例え」


 紬は二人の会話を聞きながら、資料を指先で送った。


 彼女には、そこに書かれた質問の意味が理解できた。


 装置をまだ創造していなくても、望む機能を備えた完成品を生み出すことはできる。そして、創造したときには、その仕組みまで理解できる。


 だが、何でも作れることと、他人が安心して使えることは別だった。


 紬は画面の一項目で手を止めた。


「……これ、怖いね」


「どれだ?」


「加速してる途中で、ふわふわのほうが止まっちゃったら、ってところ」


 ボスは該当箇所を読み、くちばしを閉じた。


「そいつは洒落にならねえな」


『技術チームも同じ点を重大な危険として扱っています。通常の停止操作だけでは不十分で、装置間の状態確認と、異常発生時の安全動作を一体として設計したいようです』


 紬は少し考えてから、顔を上げた。


「じゃあ、加速する装置だけ動くことがないようにしたらいいんじゃないかな」


『具体的には、慣性負荷軽減装置が必要な保護状態を維持できない場合、推進側が危険な加速指令を受け付けない構成が考えられます』


「うん。それと、途中で何かあっても、急にみんなが危なくならないように」


『停止過程も含めた安全設計が必要ですね。単純に推進力を遮断するだけでは、船体や乗員に生じる影響を十分に評価できません』


「……そこも考えなきゃ」


 紬は真剣な顔でうなずいた。


 ボスは膝の上で体勢を変え、彼女の手元を見た。


「なあ、紬。今すぐ全部決めなくてもいいんだぞ」


「うん?」


「向こうだって、まだ船の形を考えてる途中だろ。お前が先に装置を作っちまったら、今度はその形に合わせて船を作らなきゃならなくなる」


「……あ」


「だから、まずは何ができるかを伝えて、どんな形が欲しいか聞けばいいんじゃねえのか」


 紬はしばらく黙ってから、こくりとうなずいた。


「そうだね。せっかく作ってくれてるんだもん」


 アイリスが資料の表示を切り替えた。


『では、現時点で回答できる事項と、装置の具体設計が必要な事項を分けましょう。提供者の身元につながる情報や、内部構造の説明は含めません』


「お願い」


『ただし、マスター。もう一点、確認したいことがあります』


「なに?」


『質問に回答することと、装置の製作を約束することは別です。その区別を、回答文に明記してもよろしいでしょうか』


「……うん。作るのは、ちゃんと話が決まってからにしたい」


「それでいい」


 ボスが即座に言った。


「向こうの連中が頑張ってるのは分かるが、お前が急かされる理由にはならねえからな」


 紬はボスの頭を撫でた。


「でも、質問には答えてあげたいな」


「なら、答えりゃいい。嫌なもんまで答える必要はねえってだけだ」


 その言葉に、紬の表情が和らいだ。


 アイリスは資料の中から優先度の高い項目を抜き出し、三人が確認しやすい形に並べ直した。


 最初に検討したのは、六つの装置を宇宙船へ組み込む際の基本的な考え方だった。


 船体の骨格や居住区、生命維持設備は、日米の技術者が作る。特殊装置は、それぞれ独立した完成品として提供する。その内部を開けたり改造したりせずに使えるよう、外側に必要な接続部を用意する。


 そこまでは以前から決まっている。


 問題は、どこまでを外部から確認できるようにするかだった。


「……状態が分からないのは、困るよね」


 紬が言うと、アイリスはうなずいた。


『はい。動作中か停止中か、正常か異常か、操作を受け付ける状態かどうか。少なくとも乗員が判断に使う情報は必要です』


「じゃあ、そういうのは見られるようにする」


『診断情報を表示する外部接続を用意する方針ですね。ただし、具体的な信号方式はNASAとJAXAの制御系設計に合わせて調整する必要があります』


「それは向こうに決めてもらおうぜ」


 ボスが口を挟んだ。


「変な端子を勝手に作って、あとから『うちの機械につながりません』なんて言われても面倒だろ」


『もっともな指摘です。互換性のない独自規格を一方的に指定する利点はありません』


「だろ?」


「……ボス、たまに技術者みたい」


「たまにってなんだ、たまにって」


 紬が小さく笑う。


 ただ、次の項目を開くと、その笑顔は再び慎重なものに変わった。


 特殊装置が故障した場合、乗員は何をすればよいのか。


 地球から遠く離れた場所で、装置が使えなくなったらどうするのか。


 船の中で直せないものを積む以上、何かが起きたときに人間が取れる行動を、あらかじめ決めておかなければならない。


「……壊れないように作るつもりだけど」


『故障しにくいことと、故障を想定しなくてよいことは違います。乗員にとっては、装置の内部で何が起きているかより、何をすれば安全を保てるかが重要です』


「うん」


『また、装置が正常でも、船体側の配線や冷却設備、制御機器が故障する可能性があります』


 紬はその説明を聞き、しばらく画面を見つめていた。


 自分が作るものなら、故障しないようにできるかもしれない。


 けれど宇宙船には、自分が作らない部分がたくさんある。


 人間が作る部分を信用していないわけではない。ただ、どれほど優れた技術者でも、予想外の出来事を完全になくすことはできないのだろう。


「……じゃあ、船のほうで何かあったときも、安全に止まれるようにしてほしい」


『停止が常に最も安全とは限らないため、状況に応じた安全状態を定義する必要があります。たとえば着陸中なら、停止より姿勢維持や安全な場所への移動が優先される場合もあります』


「そっか……」


「そこは向こうの操縦士と技術者にも考えてもらえばいい。俺たちだけで決める話じゃねえ」


 ボスはそう言うと、資料の端に表示された質問を翼で指した。


「それより、この『予備品の供給計画』ってやつだ。ずいぶん気が早くねえか?」


 アイリスが項目を拡大する。


『将来的な保守体制を検討するための参考質問です。現段階で予備装置の提供を要求しているわけではありません』


「ふうん。なら、そう書いとけよ。紬が何個でも作ってくれると思われたら困る」


「……必要なら、考えるけど」


「必要になってから考えりゃいいんだよ」


 紬はボスを抱き直した。


 彼女にとって、装置を一つ作ること自体は難しくない。それでも、作ったものが何に使われ、誰が管理し、どんな責任を伴うのかは、無視してよい問題ではなかった。


 だからこそ、政府との協力を始めたときから、使い道と条件を確かめてきたのである。


 アイリスが回答案をまとめると、画面には三つの区分が現れた。


 第一は、基本方針として回答可能な事項。


 第二は、日米の設計条件を確認した後でなければ決められない事項。


 第三は、装置の内部構造や提供者の秘密に関わるため、回答しない事項。


「……これなら、分かりやすいね」


『はい。なお、第一の区分についても、実物の製作と安全検証が完了したことを意味しない旨を付記します』


「うん。それでお願い」


 ボスは満足そうにうなずいた。


「よし。じゃあ三浦に返事するか」


 アイリスが通信を再接続する。


『三浦官房長官。お待たせしました。回答方針について、本人の意思を確認できました』


 スピーカーの向こうで、紙を置くような音がした。


『ありがとうございます。差し支えない範囲で、内容を伺えますか』


「おう。まず、質問に答えるのは構わねえ。ただし、何でも答えるわけじゃねえし、装置を作る約束でもねえ。それは分かってるな?」


『もちろんです』


「それから、内部の仕組みを聞かれても教えねえ。だが、船を作るのに必要な外側の条件は、相談しながら決めていく」


『承知しました。日米の技術チームにも、その前提を徹底します』


 ここで紬が、ボスの羽毛を撫でながら小さく口を開いた。


「……あの」


『はい。どうぞ』


「船に乗る人が、困らないようにしたいです。だから、使うときに必要なことは、ちゃんと分かるようにします」


 向こう側で、少しだけ間が空いた。


『ありがとうございます。そのお気持ちは、技術者たちにも伝わると思います』


「……でも、まだ作らないです」


『はい。製作の時期や条件は、改めてご相談します』


 紬はほっとしたように息をついた。


 その後、アイリスが回答案の扱いについて説明し、三浦は日本政府側で文面を確認したうえで日米の技術チームに返すことを約束した。


 通話を終える直前、高瀬が声をかけた。


『一つだけ、お伝えしてもよろしいですか』


「なんだ、総理」


『技術者たちは、見たこともない装置を相手に、ずいぶん苦労しているようです。ですが、誰かが答えを用意してくれるのを待つだけではなく、自分たちにできることを一つずつ進めています』


「そりゃ頼もしいじゃねえか」


『ええ。私もそう思います』


 高瀬の声には、穏やかな確信があった。


『ですから、皆さんも無理をなさらないでください。宇宙船は、一人で作るものではありませんから』


 紬は膝の上のボスを見た。


 ボスも彼女を見上げる。


「……はい」


 その返事は小さかったが、迷いはなかった。


     ◇


 同じ日の午後。


 ワシントンD.C.のCIA本部では、エリザベス・カーターが新しい分析資料を確認していた。


 画面に表示されているのは、日米共同宇宙開発計画に関連する技術・産業動向の評価報告である。


 日本国内の宇宙関連企業における人員募集の増加、共同研究に関する公表資料、政府予算の動き、NASAとJAXAの連携体制。どれも、公開情報や正規の政策評価で扱える範囲のものだった。


 かつてカーターは、日本の特殊技術を生み出している人物、あるいは組織の正体を突き止めようとしていた。


 だが、ウォーカー大統領から明確な停止命令が下された以上、その調査を続けることはできない。


 命令の理由は、今も知らされていなかった。


 カーターは画面を切り替え、共同宇宙開発計画のリスク評価を開いた。


 特殊装置の内部技術が日本側の管理下に置かれ、米国の技術者が直接確認できないことは、依然として重要な問題だった。装置の性能がどれほど優れていても、交換や保守が一国の判断に左右されるなら、計画全体に影響する可能性がある。


 しかし、それは供給者の正体を暴くこととは別の問題である。


 誰が作っているか分からなくても、どのような条件で装置が提供され、どこまで安全性を確認できるかは評価できる。


 カーターは報告書の一文を修正した。


 『供給者の特定が必要』という以前の書き方を削除し、『供給条件および運用上の依存関係について継続的な評価が必要』と記す。


 修正を終えたところで、机上の電話が鳴った。


「カーターです」


『大統領府から、宇宙開発計画に関する評価資料の提出を求められています。現状の分析をまとめられますか』


「可能です。ただし、提供者の身元に関する分析は含めません」


『承知しています。今回は、計画の安全保障上の影響と、日米間の技術的な依存関係についてです』


「分かりました。必要な範囲で整理します」


 通話を切ったカーターは、画面に並ぶ数字を見つめた。


 国家の分析機関にとって、分からないものを分からないままにしておくのは、決して心地よいことではない。


 それでも、知らないことを埋めるためなら何をしてもよいわけではない。


 大統領が停止を命じた調査を、別の名前に変えて続けるつもりはなかった。


 カーターは新しい報告書の冒頭に、評価の対象を明記した。


 『本報告は、共同宇宙開発計画の公開情報および認可された政策資料に基づき、供給体制と運用上のリスクを評価するものである。技術提供者の身元、所在その他の個人情報を対象としない』


 そこまで書いて、彼女は小さく息を吐いた。


「……見えない相手を評価する、か」


 その言葉に答える者はいなかった。


 けれどカーターには、これまでとは違う仕事の輪郭が見え始めていた。


 正体を知らないことそのものが、必ずしも危険なのではない。


 危険なのは、知らない部分があることを忘れてしまうことだった。


     ◇


 数日後、JAXAの共同開発準備室に、日本政府から最初の回答文書が届いた。


 藤堂健一は、端末に表示された通知を見て、思わず姿勢を正した。


「桐生さん。来ました」


 隣の席で資料を確認していた桐生雅彦が顔を上げる。


「提供者からか?」


「政府窓口からです。日米共同の照会事項について、回答可能な範囲が整理されたそうです」


 桐生は藤堂の端末をのぞき込んだ。


 文書には、回答できる内容と、今後の設計調整が必要な内容が明確に分けられていた。


 最初の項目は、特殊装置の外部診断に関するものだった。


 動作状態、異常の有無、操作受付状態など、乗員の安全判断に必要な情報を外部から確認できる構成を目指すこと。ただし、具体的な表示方式や信号規格は、日米の制御系設計と調整して決めること。


 続いて、推進装置と慣性負荷軽減装置については、危険な加速状態が生じないよう相互の安全連動を設ける方針が示されていた。


 その一方で、装置の寸法や質量、必要な電源条件、排熱の有無、停止までの応答時間といった数値は、まだ確定していなかった。


 文書の末尾には、重要な注意書きがある。


 『本回答は、設計上の基本方針に関する現時点の見解を示すものであり、特殊装置の製作、提供、性能保証または供給数量を約束するものではない。具体仕様は、共同設計の進展と提供者の個別承諾を前提に調整する』


 藤堂はその一文を読んでから、椅子の背にもたれた。


「……なるほど」


「どうした?」


「もっと細かい数値が返ってくるかと思っていました」


「期待外れか?」


「いえ。そういうわけじゃありません」


 藤堂は画面をもう一度見た。


「むしろ、設計の進め方がはっきりしました。装置が完成してから、その仕様に合わせて船体を変更するんじゃなくて、こちらが必要な条件を具体化して、向こうと調整していくんですね」


「そういうことだろうな」


「それなら、こちらにも仕事があります」


 藤堂は新しい設計ファイルを開いた。


 特殊装置の寸法が分からない以上、機器区画を最終決定することはできない。だが、どの程度の空間を確保できるか、配線や冷却設備をどこまで変更可能にするか、取り外し作業にどんな設備が必要かは、技術者側で検討できる。


 装置の状態を表示するための監視画面も、外部から得られる情報の種類が分かれば、操作系の構想を進められる。


 数値がすべてそろっていなくても、設計できる部分は残っていた。


「桐生さん。これ、NASA側にも共有しますよね」


「もちろんだ。共同で照会した内容だからな」


「なら、次の会議までに、こちらで決められる接続条件の候補をまとめます。電源方式も、装置側に一方的に指定してもらうんじゃなくて、船体側の制約を整理して提案したいです」


「いいだろう。ただし、候補は一つに絞るな。まだ何も実物を見ていないんだからな」


「分かっています」


 藤堂はそう答え、少しだけ笑った。


「見えない相手と一緒に設計するなんて、変な仕事ですね」


 桐生も口元を緩める。


「相手が見えなくても、仕事の結果は見える。そこを信じて進めるしかないさ」


 窓の外には、いつもと変わらない空が広がっていた。


 その向こうに、人類がまだ到達していない場所がいくつもある。


 藤堂は画面に表示された宇宙船の設計図へ目を戻した。


 船体の輪郭は、まだ何度も変わるだろう。特殊装置がどんな姿で届くのかも分からない。そもそも、いつ届くのかさえ決まっていない。


 それでも、日米の技術者たちは少しずつ前へ進んでいる。


 答えを待つだけではない。


 答えが届いたとき、確かに受け止められる船を、自分たちの手で作るために。


 藤堂は新しい設計案に日付を入れ、作業を始めた。


 まだ名前さえ正式には決まっていない一隻の宇宙船が、図面の上で少しずつ形になろうとしていた。

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