第81話 たった一隻の宇宙船
JAXAの共同開発準備室に設置された大型ディスプレイには、地球と月を結ぶ一本の線が表示されていた。
地球側の出発地点から月面へ向かい、荷物を降ろして再び地球へ戻る。図にしてしまえば、驚くほど単純な往復航路である。
しかし、その線の上には赤や黄色の印がいくつも重なっていた。月面での荷役、乗員の交代、地上での整備、補給物資の積み込み、機器の点検。それぞれに必要な時間が書き込まれ、少し離れた場所には、まだ数値を入れられない空欄が並んでいる。
藤堂健一は画面を見上げながら、手元の資料をめくった。
「これ、最初に作った人間はずいぶん楽観的ですね」
隣に立っていた桐生雅彦が、コーヒーの入った紙コップを持ち上げる。
「誰が作ったんだ?」
「私です」
「なら、修正する理由ができてよかったじゃないか」
「もう少し慰めるという選択肢はありませんか」
「設計主任に必要なのは慰めより修正時間だ」
藤堂は苦笑して、資料の一ページを抜き出した。
日米の技術者たちは、匿名の技術提供者から日本政府を経由して届いた初回回答を受け、特殊装置と船体の接続条件について検討を進めていた。外部から状態を確認できること、安全停止の連動を考慮すること、船体側との接続規格を調整する余地があること。いずれも設計を前進させる材料にはなったが、装置の大きさや質量、応答時間といった具体的な数値はまだ示されていない。
そのため、藤堂たちが現在扱っているのは、確定した宇宙船ではなく、いくつもの条件に対応できるよう作られた比較設計だった。
そして、比較設計を進めるほど、別の問題が大きくなっていた。
「機器の話をいったん横に置いて、運用計画を見直したいんです」
藤堂が画面を切り替えると、月面基地建設のための輸送工程表が現れた。
「最初の案では、宇宙船が予定どおり地球と月を往復することを前提にしています。地球で資材を積み、月で降ろし、帰ってきたら次の荷物を積む。その繰り返しです」
「問題は?」
「船が一隻しかないことです」
桐生はすぐには答えなかった。
宇宙船を一隻だけ建造するという方針は、最初から共有されている。建造費用や運用体制、特殊装置の供給が保証されていない現状を考えれば、むやみに複数隻を計画へ組み込めないのは当然だった。
だが、一隻という条件を図面の端に記すことと、その一隻だけで月面基地を建設し、運用し続けることは、まったく違う。
「たとえば、初回輸送で居住設備の一部を月面へ運んだとします。次の便で電力設備や追加資材を届ける予定だったとして、その前に地球側で船の整備が長引いたらどうなるでしょう」
「月面に人がいるなら、補給が止まる」
「そうです。しかも、船が月面にいる間は地球から新しい物資を送れません。逆も同じです」
藤堂は工程表の一か所を指で示した。
「この案では、基地の組み立て作業員を最初の便で送り、次の便で大型設備を運ぶことになっています。でも、それだと作業員は大型設備が来るまで待つことになります。船に不具合が出れば、待機期間が延びる。さらに悪いことに、月面で医療上の問題が起きても、帰還手段が地球にあるかもしれない」
桐生は紙コップを机へ置いた。
「輸送能力を増やすことより、輸送が止まったときに何が起こるかを先に考えるべきだな」
「ええ。予定どおりに飛べる宇宙船を設計するだけでは足りません」
藤堂は工程表の赤い印を一つずつ消し、別の位置へ動かし始めた。
「予定どおりに飛べなかった場合でも、人が生きて帰れる計画にしないといけないんです」
その日の午後、日米合同の運用設計会議が開かれた。
画面の向こうにはNASAの技術者たちが並び、中央にはアンドリュー・コリンズ長官が座っている。今回は船体構造の説明会ではなく、宇宙船一隻をどのように使うかという、運用そのものを検討する会議だった。
藤堂が最初に提示したのは、三種類の輸送計画である。
一つ目は、建設資材を優先して月面へ運び、必要な設備がそろってから作業員を送る方式。二つ目は、少人数の作業員と最低限の設備を先行させ、以後の輸送で基地を拡張する方式。そして三つ目は、無人での資材搬送と有人での組み立て作業を組み合わせ、船を地球と月の間で段階的に運用する方式だった。
「三案とも利点があります。ただし、現時点ではどれも採用を推奨できません」
藤堂の説明に、NASA側の技術者が眉を上げた。
『三つともですか?』
「はい。どの案にも、宇宙船の稼働率を過大に見積もっている部分があります」
藤堂は船の整備予定を示す欄を拡大した。
「私たちは航行時間を短くできる可能性に注目しすぎていました。特殊推進装置が要求どおりに働くとしても、地上での貨物検査、乗員の健康確認、船体の点検、消耗品の交換はなくなりません」
『月までの移動時間が短くなれば、輸送の回転率は上がるはずですが』
「航行時間だけなら、その可能性はあります。ですが、往復するたびに一週間の整備が必要なら、航行が数時間になっても一週間は消えません」
画面の向こうで何人かがうなずいた。
船がどれほど速く飛べても、人間が貨物を固定する作業まで瞬時に終わるわけではない。宇宙船の内部で使われる通常の機械には摩耗があり、居住区には清掃や衛生管理が必要で、帰還した乗員には休息と検査が求められる。
未知の特殊装置が宇宙航行の常識を変えるとしても、すべての作業がその影響を受けるわけではなかった。
コリンズが資料に目を通しながら口を開く。
『一隻だけの計画では、地上整備の時間も任務の一部として扱わなければなりませんね』
「そのとおりです。しかも、整備時間の見積もりは実機が完成し、試験を行うまで確定できません」
『では、運用計画に余裕を持たせるしかない』
「それだけでは不十分だと考えています」
藤堂が次の資料を表示すると、画面には二つの月面基地の概念図が並んだ。
左側は、輸送が順調に続くことを前提とした建設計画。右側は、途中で輸送が停止する可能性を考慮した計画だった。
外見上の違いは大きくない。どちらも月面に複数の設備を配置し、段階的に拡張していく構想である。
ただし、右側には明確な条件が加えられていた。
『独立運用可能になるまで、長期滞在者を置かない』
NASA側の一人が、その文章を読み上げた。
『これは、基地の建設順序を変更するという意味ですか?』
「はい。少なくとも、居住設備だけ先に運んで人を残すような工程は避けたい。電力、生命維持、通信、予備部品、緊急時の退避手段を含めて、必要な条件がそろうまでは、作業員は宇宙船と一緒に帰還する方式を基本にします」
『船が月面にいる間に作業を行い、船が帰るときは全員帰る。初期段階では、月面に無人の設備だけが残るわけですね』
「そうです。ただし、その方式にも問題があります。毎回の着陸と離陸に伴う負担、荷役に必要な時間、月面設備の無人保守などです」
ここで発言したのは、NASAの宇宙飛行士ダニエル・フォスターだった。
『現場の立場から言えば、その案のほうが安心できます。ただ、基地を組み立てる時間が毎回短くなる。工具を片づけて帰るだけでも、相当な手間ですよ』
「作業時間の不足は承知しています」
『それに、地球の工事現場なら、忘れ物を取りに戻れます。月ではそうはいきません』
フォスターの言葉に、藤堂は小さく笑った。
「だから、忘れ物を前提にした計画も必要ですね」
『冗談で言ったつもりだったんですが』
「こちらは真剣です」
会議室に控えめな笑いが起こった。
だが、そのやり取りをきっかけに、議論は具体的な方向へ進み始めた。
月面で使用する工具をすべて地球へ持ち帰る必要はない。真空や温度変化に耐えられる保管設備を先に設置できれば、工具や組み立て用治具の一部を月面へ残しておける。地上から持ち込む資材についても、輸送用の容器をそのまま現地の保管庫として利用できれば、荷物を一つずつ別の場所へ移し替える作業を減らせる。
もちろん、容器の耐久性や開閉機構、月の砂への対策などは別途検証が必要だった。それでも、同じ一隻で何度も往復するなら、毎回同じ作業を繰り返さずに済む仕組みには大きな価値がある。
『つまり、最初の便で運ぶべきものは、基地そのものとは限らないということですね』
コリンズの指摘に、桐生がうなずいた。
「最初に必要なのは、次の便を受け入れやすくする設備かもしれません。荷役用の治具、資材保管設備、着陸地点の状態を確認する観測機器。いずれも、月面で人を長期間滞在させずに準備できる方法を検討します」
『最初の一便で立派な基地を作るのではなく、二便目の仕事を楽にする』
「そして二便目は三便目の仕事を楽にする。そういう順序です」
藤堂は工程表へ新しい欄を追加した。
そこには、建設資材の重量でも、乗員数でもなく、『次便への引継ぎ能力』という項目が記された。
宇宙船一隻という制約が、月面基地の建設方法そのものを変え始めていた。
しかし、問題はまだ残っていた。
『月面に全員を残さないという初期方針には賛成です』
フォスターが手を挙げた。
『ただ、将来的に基地が完成して常駐者がいる場合はどうしますか。船が地球に戻ったあと、基地で重大な故障が起きたら?』
会議室の空気が引き締まった。
月面基地が独立運用できるようになったとしても、地球から完全に切り離された存在になるわけではない。食料や医療用品、交換部品など、地球に依存する物資は残るだろう。
そのとき唯一の宇宙船が地上整備中だったら、月面からの救援要請に即座に応じることはできない。
藤堂は別の工程表を開いた。
「現時点では、月面への長期滞在開始条件を厳しく設定するしかありません。生命維持設備の冗長化、予備品の備蓄、故障時に使用できる隔離区画、通信手段の確保。それに、地球側で船を再出発させるまでに必要な時間を考慮した物資の余裕です」
『それでも、船そのものが修理不能になったら?』
「その場合、一隻だけでは救援できません」
藤堂は言葉を濁さなかった。
「だから、私たちは長期滞在を開始する時点で、救援能力が十分かどうかを判断しなければならない。必要なら、基地の運用開始を延期することになります」
『月面基地を作れるのに、人を住まわせられない可能性がある』
「あります」
フォスターは椅子の背にもたれ、しばらく考え込んだ。
『船が完成すれば、すぐ月に住めるようになると思っていましたよ』
「私も最初は、もう少し簡単に考えていました」
藤堂は苦笑した。
「でも、船が一隻しかない以上、月に人を残すという判断は、その人たちの帰り道を一時的に地球へ持ち帰ることでもあるんです」
その表現に、フォスターはゆっくりとうなずいた。
宇宙船は輸送機であると同時に、月面で働く人間にとって唯一の帰還手段でもある。船が地球へ戻るたび、月に残る者はその帰還手段を失う。
それは、輸送効率の数字だけでは測れない重みを持っていた。
会議がいったん休憩に入ると、桐生は藤堂を呼び止めた。
「少し外へ出よう」
二人が廊下の休憩スペースへ移動すると、窓の外にはいつもどおりの街並みが広がっていた。道路を車が走り、遠くでは工事用のクレーンが動いている。
藤堂は自動販売機で缶コーヒーを買い、窓際に立った。
「月面基地の話をしていると、たまに感覚がおかしくなりますね」
「どういう意味だ?」
「宇宙船一隻で月まで往復する計画を立てているのに、悩んでいることは地上の物流会社とあまり変わらないんです。荷物をいつ積むか、整備をどこでやるか、遅れたら誰が困るか」
「輸送とはそういうものだろう」
「ええ。ただ、荷物を届ける先にコンビニも病院もないというだけで、難易度が跳ね上がります」
桐生は缶コーヒーのふたを開けた。
「だからこそ、宇宙船を作る人間と、月面基地を作る人間が別々に計画を進めるわけにはいかない」
「そうですね。船の都合だけで考えれば、貨物を満載して一度に運ぶのが効率的です。でも、月面でその貨物を安全に降ろせなければ意味がない。逆に基地側が欲しい順番だけで輸送すると、船の整備予定が破綻するかもしれません」
「そして両方の都合を満たしても、乗員が無理をする計画なら失敗だ」
藤堂は缶を持ったまま、窓の外へ視線を向けた。
「正直に言うと、私は最初、あの特殊装置があれば大抵の問題は解決できると思っていました」
「今は?」
「便利な装置があるほど、人間が考えなくなる危険があると思っています」
藤堂の声には、技術者としての実感がこもっていた。
未知の推進装置が移動時間を短くするなら、地球と月の距離はこれまでとは違う意味を持つようになる。しかし、距離が短く感じられることと、危険がなくなることは同じではない。
船が故障すれば動けなくなる。乗員が病気になれば治療が必要になる。必要な部品が足りなければ、修理はできない。
どれほど優れた技術が加わっても、宇宙船を運用するのは人間だった。
「桐生さん、一つ提案があります」
「聞こう」
「輸送計画を、便ごとの予定表だけで管理するのをやめませんか」
「というと?」
「月面側がどの状態になれば次の段階へ進めるか、条件で区切るんです。最初の便が終わったから二便目、ではなく、次の便を受け入れる設備が確認できたら二便目。生命維持の試験が終わったら有人作業の範囲を広げる。予備品の備蓄が基準を満たしたら滞在期間を延ばす」
桐生は藤堂の言葉を聞き終えると、窓際の小さなテーブルに缶を置いた。
「工程表ではなく、段階ごとの達成条件か」
「はい。輸送が遅れても、無理に予定を取り戻そうとして危険な工程を前倒ししないようにしたいんです」
「悪くない。ただし、達成条件を決めるなら、誰が確認するかも必要だ」
「日米双方の運用担当と、安全審査担当が共同で判断する仕組みを考えています」
「なら、午後の会議で出してみろ」
藤堂は少し意外そうに桐生を見た。
「まだ資料がありませんけど」
「今から作ればいい」
「休憩時間が終わるまで、あと十五分ですよ」
「十五分あれば、考え方を一枚にまとめることはできるだろう」
「……やっぱり慰めるという選択肢はないんですね」
「さっきより仕事が増えたな」
桐生はそう言って会議室へ戻っていった。
藤堂はその背中を見送り、缶コーヒーを一口飲んだあと、急いでノートパソコンを開いた。
午後の会議では、藤堂の提案をもとに新しい運用案が検討された。
それまでの工程表は、宇宙船が何月何日に出発し、いつ帰還するかという予定を中心に組み立てられていた。新しい案では、その予定の前に、各段階で満たすべき条件が置かれる。
第一段階は、月面への無人設備輸送と着陸地点の確認。
第二段階は、短期有人作業による荷役設備や保管設備の整備。
第三段階は、生命維持設備と電力設備を含む居住基盤の設置と、無人での継続運転試験。
第四段階は、必要な安全条件を満たした場合に限る、短期間の月面滞在。
そして長期滞在については、輸送手段が一隻しかない状況で認められるかどうかを、別途判断することになった。
各段階の内容はまだ暫定であり、船体や装置の性能、月面基地の具体的な構成が決まれば修正される。それでも、輸送計画を日付だけで進めないという方針には、日米双方から支持が集まった。
『これなら、宇宙船の整備が延びても、月面の作業員を無理に待たせずに済みますね』
NASA側の運用担当者が言った。
『ただ、初期段階では基地建設の進み方が遅くなるでしょう』
「その可能性はあります」
藤堂は認めた。
「ですが、事故で計画全体が止まるよりはいい。最初から遅延を織り込んでおけば、現場が無理をして予定を取り戻そうとする危険も減らせます」
『なるほど。予定に遅れないことより、次の段階へ進んでいい状態かどうかを重視するわけですね』
桐生が補足した。
「船の運用と月面設備の整備を、別々の成功として扱わないためでもあります。船が無事に帰ってきても、月面で次の作業ができなければ、その便の目的は十分に達成されていません」
コリンズは資料をしばらく眺めたあと、発言した。
『この考え方を共同運用計画の基礎にしましょう。ただし、救援手段については引き続き検討が必要です。長期滞在を開始する条件を決める際、単に備蓄が多いというだけでは足りません』
「承知しています」
『それから、宇宙船が地球にいる間の整備体制も見直したい。特定の技術者しか扱えない作業が多すぎれば、その人が不在というだけで出発が遅れることになります』
藤堂は新しい項目を資料へ書き加えた。
整備手順の標準化。交換部品の共通化。作業記録の共有。日米双方の技術者による相互訓練。
宇宙船を一隻しか持たないなら、少なくとも、その一隻を支える人間や設備まで一つに限定する必要はない。
特殊装置の内部を扱えなくても、船体側の通常設備や交換可能な部品については、整備できる人員を増やせる。地上で使う検査装置や整備用の治具も、必要な範囲で予備を用意できる。
宇宙船を二隻に増やすことはできなくても、一隻を運用するための準備には、まだ工夫の余地があった。
会議の終盤、フォスターが再び発言した。
『一つ、乗員側からお願いがあります』
「どうぞ」
『地球へ戻る便の予定を、できるだけ早い段階で確定してほしいんです。月面作業の進み具合で帰還日が何度も変わるようでは、乗員の負担が大きい』
藤堂は少し考えた。
「作業が予定より進まなかった場合は、残りを次の便へ回すということでしょうか」
『そうです。地上の工事なら残業で済むかもしれませんが、月では帰還の判断を遅らせること自体が危険になる場合があります。船の状態、乗員の健康、残りの消耗品を見て、帰るべきときに帰る。その判断を、作業の遅れに引っ張られたくありません』
桐生がうなずいた。
「帰還の判断を現場の作業進捗から独立させる。重要な指摘だ」
『もちろん、緊急時の判断は別です。ただ、通常の作業では、あと一つだけ、もう少しだけ、という積み重ねが事故につながります』
「帰還判断の基準を、運用計画に明記しましょう」
藤堂が答えると、フォスターは安心したように笑った。
『ありがとうございます。月で残業するのは、できれば避けたいので』
「地球に帰ってからなら残業してくれるんですか?」
『それもできれば避けたいですね』
今度は日本側からも笑い声が上がった。
会議が終了したのは、予定時刻を少し過ぎたころだった。
画面に残った工程表は、朝のものとは大きく変わっている。
出発日と帰還日を並べただけの計画ではなく、月面側で何を準備し、何を確認できれば次へ進めるのかが整理されていた。船が使えない場合の作業停止条件も追加され、帰還を優先する判断基準や、地上整備のための余裕も盛り込まれている。
もちろん、これで月面基地建設の問題が解決したわけではない。
宇宙船そのものはまだ建造されておらず、特殊装置も完成品として提供されていない。運用時間や整備周期は仮の条件にすぎず、月面で使う設備にも未検証の部分が数多く残っている。
それでも、一隻という制約に対して、具体的な答えの形が見え始めていた。
藤堂が資料を保存していると、桐生が背後から声をかけた。
「どうだ。朝よりは少し楽観的になれたか?」
「むしろ、考えることが増えました」
「そうか」
「ただ、何を考えなければならないかは、前よりはっきりしました」
藤堂は画面の端に表示された宇宙船の概念図を見つめた。
全長およそ百二十メートル。三十人から五十人が乗り込み、地球と月を往復することを目指す一隻の船。
図面の上では、まだ何度でも形を変えられる。設備の配置も、貨物の積み方も、乗員の動線も、修正しようと思えばいくらでも修正できる。
しかし、実際に人を乗せて宇宙へ送り出したあとでは、そうはいかない。
「桐生さん」
「何だ?」
「この船、完成したら相当忙しくなりそうですね」
「完成する前から、我々は十分忙しいがな」
「それもそうですね」
藤堂は笑い、机の上に積まれた資料を整理した。
そのとき、パソコンに新しい通知が届いた。
送信元は、日米共同開発の地上設備担当チームだった。
件名には、『地球側受入れ施設に関する追加検討事項』と書かれている。
添付された資料を開いた藤堂は、最初のページに並んだ項目を見て、思わず椅子へ深く座り直した。
宇宙船の着陸地点。地上での整備施設。大型貨物の搬入経路。乗員の乗降設備。周辺地域の安全確保。
そして、最後の一行。
『全長約百二十メートルの宇宙船を、地球上のどこで受け入れるのか』
藤堂はしばらくその文章を見つめ、それから隣の桐生へ画面を向けた。
「……月へ行く前に、地球で置き場所を探さないといけないみたいです」
桐生は資料を読み、ゆっくりとうなずいた。
「そうだな。船は地球から出発するんだから」
「当たり前のことを、こんなに恐ろしく感じたのは初めてですよ」
窓の外では、夕方の街に少しずつ明かりがともり始めていた。
月までの航路を考えていた技術者たちは、次に、その巨大な宇宙船を地球のどこへ降ろすのかという問題に向き合うことになる。
宇宙へ出るための計画は、まだ地上に山ほど残っていた。




