第79話 技術者たちの挑戦
宇宙船の設計という仕事には、普通なら最初に決めなければならないことがある。どれほどの質量を、どこまで、どのような方法で運ぶのか。そして、それを実現するために、どれだけの燃料と設備が必要になるのか。
ところが、日米共同宇宙開発計画に参加した技術者たちは、その最も基本的な計算を後回しにせざるを得なかった。
推進装置は存在する予定だが、まだ実物がない。性能の要求値は示されているものの、質量も外形も、消費電力さえ決まっていない。慣性負荷を軽減する装置に至っては、現在の物理学では説明できない働きをすることが前提になっている。
そんな条件で全長約百二十メートルの有人宇宙船を設計しろと言われれば、普通の技術者なら仕事の依頼主を疑うだろう。
しかし、JAXAの藤堂健一は、目の前の図面を見つめながら別のことを考えていた。
未知の装置を理由に、自分たちが知っている技術まで曖昧にしてはいけない。
共同設計会議から一週間。JAXAの開発準備室には、当初の配置図とは比べものにならないほど細かな線が引かれた船体模型が表示されていた。藤堂の机には冷めたコーヒーが置かれ、その隣には何度も修正された設計資料が積み重なっている。
「藤堂さん、昨日の構造解析、結果が出ました」
若い技術者が差し出した端末には、船体中央部を赤く染めた解析画像が表示されていた。色が濃い部分ほど負荷が集中することを示しており、その赤色は、交換式機器区画を設けた周辺に偏っている。
「やっぱり、ここか」
「はい。機器区画を大きく取った影響で、縦方向の補強材が途中で切れています。通常の運用荷重を想定した解析でも、着陸脚からの荷重がこの部分に集中する条件がありました」
藤堂は画像を拡大した。
前回の会議で提案した交換式機器区画は、未知の特殊装置を後から搭載できるようにするためのものだった。装置の寸法が変わっても対応できるよう、ある程度の余裕を持たせている。
だが、宇宙船の内部に大きな空間を確保するということは、船体を支える構造材を減らすことでもあった。
特に問題となったのは、月面への着陸時に生じる荷重だった。特殊な推進装置がどれほど優秀でも、着陸脚と地面が接触する瞬間に発生する力を、船体のどこで受け止めるかは別の問題である。
「補強材を増やせば重量が増える。機器区画を小さくすれば、今度は装置の寸法が決まったときに対応できなくなる」
「それなら、機器区画を後方に移すのはどうでしょう。中央部の骨格を連続させられます」
「後方には機関区画がある。そこを詰めると整備通路が消えるし、質量が後ろに偏る。別の問題を作るだけだ」
藤堂は椅子から立ち上がり、壁面の大型ディスプレイに船体の断面図を映した。
百二十メートルという全長は、巨大な船を自由に設計できるほどの余裕を意味しない。三十人から五十人の乗員が長期間生活する設備に加え、医療室、食料、予備部品、貨物区画、着陸機構まで収める必要がある。どの部署も、自分たちの設備に必要な空間を少しでも多く確保したがっていた。
藤堂が構造材を一本追加すると、隣の区画にある配管の経路が変わり、その配管を避けるために電力ケーブルの位置まで修正しなければならなくなる。
図面上では数センチの変更でも、実際には複数の部署が数日かけて検討した内容をやり直すことになるのだ。
「……一度、機器区画を船体の一部として考えるのをやめよう」
「どういう意味ですか?」
「装置を取り付けるための空間と、船体を支える骨格を分ける。機器区画の周囲に独立した支持構造を設けて、着陸荷重はその外側を通すんだ。装置の取り付け位置は調整できるようにしておけばいい」
藤堂は画面に線を引きながら、船体の左右と上下をつなぐ骨格を描き足した。機器区画を取り囲むように補強材を配置し、装置そのものには船体の主要な荷重を負担させない構造である。
「これなら、装置の質量が確定するまで取り付け架台を交換できる。船体側の強度設計も、ある程度先に進められるはずだ」
「でも、かなり重くなりませんか?」
「なる。だから、全体を一律に厚くするんじゃなくて、荷重が流れる場所だけを補強する。最初から正解だとは思っていない。まず比較案を作ろう」
若い技術者はうなずき、修正内容を端末に記録した。
設計の正しさを証明するには、まだ多くの計算が必要だった。それでも、何も決められない状態から一歩進んだことは確かだった。
そして、その日の午後、藤堂たちはさらに厄介な問題に直面することになった。
発端は、貨物区画の担当者が提出した一枚の図面だった。
「このままでは、月面で荷物を降ろせません」
会議室に集まった技術者たちの前で、担当者は船体下部の断面を拡大した。
「貨物室の床は地面からかなり高い位置にあります。地球上の港なら大型の搬送設備を使えますが、月面には何もありません。最初の着陸では、船が自分で貨物を降ろす必要があります」
画面には、月面に着陸した宇宙船と、その腹部から地面へ伸びる長い昇降装置の想像図が表示されていた。
全長百二十メートル級の船体は、月面では建物に近い大きさになる。船内の貨物を外へ運ぶだけでも、専用の設備が必要だった。
「大型貨物を下ろすための昇降台を設けたいんですが、着陸脚の配置と干渉しています」
「着陸脚の間隔を広げれば?」
「月面の地形によっては接地条件が悪くなります。船体を支える構造も変更しなければなりません」
「だったら、船体の側面から搬出する方式はどうだ?」
「今度は長い搬送アームが必要です。故障したとき、船内から修理できる構造にしないといけません」
議論が進むにつれ、画面上の船体には新しい装置が次々と追加されていった。
昇降台、搬送アーム、貨物固定具、予備の駆動機構、点検用の足場。どれも必要な設備だったが、それらを追加するたびに重量と複雑さが増していく。
藤堂はしばらく議論を聞いていたが、やがて貨物室の図面を別の角度から表示させた。
「そもそも、貨物室を今の位置に固定する必要があるのか?」
担当者が顔を上げる。
「下部配置は、月面での搬出を考えて決めた案です」
「それは分かっている。でも、荷物を下ろしやすくするために船体全体を複雑にしているなら、本末転倒だ。貨物室の床を一段下げる案と、船体側面に搬出経路を設ける案を比較しよう」
「居住区との間の配管が通らなくなりますよ」
「そこは別経路を考える。配管のために月面作業を危険にするわけにはいかない」
言い終えた藤堂の前に、別の技術者が手を挙げた。
「藤堂さん、その変更だと医療室の下に貨物搬送路が来ます。搬送中の振動と騒音、それから隔壁の配置が問題になります」
「……そうか」
藤堂は天井を見上げた。
設計を一つ直せば、別の場所から問題が出てくる。
しかも、今回の宇宙船には既存の宇宙機にはない条件が加わっている。月面基地を建設するための大量の資材を運ぶ一方で、乗員を安全に地球へ帰還させなければならない。貨物船としての使いやすさと、有人船としての安全性を、同じ船体で成立させる必要があった。
「医療室の位置は動かさない。緊急時に遠回りになる配置は避けたい。搬送路のほうを変更する」
「そうすると、貨物室の有効容積が減ります」
「減る分を数字で出してくれ。どちらがましなのか、比較できなきゃ決められない」
藤堂の言葉に、担当者たちはそれぞれの端末へ向き直った。
全員が自分の担当設備を守ろうとするのは、決して身勝手だからではない。生命維持の担当者にとっては空気と水が最優先であり、構造担当者にとっては船体が壊れないことが絶対条件になる。貨物担当者は、月面で必要な資材を降ろせなければ基地建設そのものが始まらないと知っていた。
どの主張にも理由がある。
だからこそ、全員が納得する設計を作るのは難しかった。
その日の会議は予定を大幅に超過し、結論が出たのは夕方になってからだった。
貨物室は下部配置を基本としながら、船体側面からも一部の貨物を搬出できるよう検討する。大型資材用の昇降設備は、着陸脚の配置を妨げない範囲で折り畳み式とし、故障時には船内側から主要部を点検できる構造を目指す。
ただし、これらはまだ採用候補であって、最終設計ではない。
藤堂は決定事項を確認しながら、設計資料の表紙に新しい版番号を記入した。
わずかな変更の積み重ねだったが、最初の配置図にはなかった具体性が生まれ始めていた。
翌週、JAXAの試験施設では、さらに一歩踏み込んだ作業が始まっていた。
大きな作業台の上に置かれているのは、宇宙船そのものではない。交換式機器区画を模した、金属製の試験構造体だった。
未知の特殊装置を実際に取り付けることはまだできないため、寸法と質量を仮定した模擬荷重を使い、取り付け部と周辺骨格の変形を調べるのである。
試験構造体の中央には四角い空間が設けられ、その周囲を複数の補強材が囲んでいた。内部に固定された重りは、将来搭載する装置の代わりだった。
「準備できました。まずは設計上の通常荷重を模擬した条件から始めます」
藤堂は防護窓の向こうにある試験体を見つめた。
「頼む」
油圧装置が作動すると、試験構造体に少しずつ力が加わっていった。各部に取り付けられたセンサーが変形量を測定し、隣の画面に数値が表示される。
最初の条件では、解析結果に近い変形が確認された。続いて荷重の方向を変え、月面着陸時に想定される偏った接地条件を模擬する。
すると、ある接合部の数値が予想より大きくなった。
「停止してください」
担当者の指示で試験装置が止まり、藤堂たちは記録を確認した。
「計算より変形が大きいな」
「接合部の剛性を高く見積もりすぎていたようです。ボルトの締結部分で微小なずれが出ています」
「破損は?」
「目視ではありません。ただし、分解して確認します」
藤堂は試験体を見ながら、腕を組んだ。
未知の推進装置を搭載する宇宙船を作ろうとしているのに、今問題になっているのは、ごく普通の金属部品の接合だった。
だが、それを軽視する者は一人もいなかった。
宇宙船は、どれほど高度な装置を搭載していても、最後には無数の部品の組み合わせでできている。小さな接合部が設計どおりに働かなければ、巨大な船体を支えることはできない。
「補強材を増やす前に、接合方式を見直そう」
藤堂が言うと、若い技術者が不思議そうな顔をした。
「もっと丈夫な材料に変えるんじゃないんですか?」
「材料だけ強くしても、力の逃げ道が悪ければ別の場所が壊れる。まず荷重の流れを整える。それでも足りなければ材料を変える」
「なるほど……」
「それに、特殊装置の質量が確定していない以上、余裕を全部使い切るわけにはいかないからな」
試験は失敗ではなかった。
図面の中では見えなかった弱点が、実際の部品によって明らかになったのである。
数日後、接合部の形状を変更した二つ目の試験体が用意された。補強材の配置も調整し、荷重をより広い範囲に分散させる構造に改めている。
同じ条件で試験すると、問題となっていた部分の変形量は明らかに小さくなった。
画面に並んだ二つの測定結果を見て、藤堂はようやく表情を緩めた。
「これなら、次の解析へ進める」
隣にいた技術者が小さく拳を握る。
「やりましたね」
「まだ試験体一つだ。実際の船体では、もっと複雑な荷重がかかる」
「分かってます。でも、今日は少しくらい喜んでもいいでしょう?」
藤堂は苦笑した。
「……そうだな。今日はいい結果だ」
その成果は、すぐにNASA側の技術者たちへ共有された。
日米の共同作業は、会議室で意見を交換する段階から、具体的な試験結果を持ち寄る段階へ移りつつあった。
NASA側では、居住設備と緊急安全系の検討が進められていた。
地上の試験施設に用意されたのは、宇宙船の居住区の一部を実物大で再現した模型だった。壁や床は仮設のものだが、通路の幅、扉の位置、寝台、収納設備などは設計案に合わせて配置されている。
その内部を、宇宙飛行士のダニエル・フォスターが歩いていた。
「ここで止まってください」
担当技術者の声に従い、フォスターは通路の途中で立ち止まった。
前方には、医療室へ続く扉がある。通常なら数歩で通り抜けられる場所だった。
「次は、右腕が使えない状態を想定します。負傷した乗員を二人で搬送してください」
フォスターは隣の訓練参加者と協力し、担架を持ち上げた。
ところが、曲がり角に差しかかったところで、担架の端が壁に接触した。
「待ってくれ。これじゃ回れない」
角度を変えても、通路に設けられた収納設備が邪魔になる。担架を持ち上げれば通れそうだったが、負傷者を不安定な姿勢にすることになるため、訓練条件では認められなかった。
担当技術者が記録を取る。
「収納設備を移動させれば通れます」
「それだけじゃない。扉が内側へ開くから、担架を持ったままでは操作しにくい」
フォスターは担架を下ろし、扉の取っ手を指さした。
「普段なら気にならない。でも、片手が使えない乗員が一人で移動することだってある。緊急時に何をするか、もう少し考えたほうがいい」
訓練は続けられた。
今度は居住区の一部が使用不能になった想定で、乗員が別の区画へ移動する。通常照明を落とし、非常灯だけで避難経路を確認する条件だった。
通路は通れる。
しかし、途中の扉を閉じると、別の区画にある非常用品の収納庫へ行けなくなることが分かった。
設計図の上では、どちらも独立した安全設備だった。だが、緊急時に同時に使うことを考えると、配置に矛盾があったのである。
「これは直す必要があるな」
フォスターの言葉に、担当者もうなずいた。
安全装置を増やせば、それだけで安全になるわけではない。必要なときに使える位置にあり、故障や事故によって利用できなくならないことが重要だった。
その日の訓練結果を受け、NASA側は居住区の配置を修正した。医療室へ続く通路の一部を広げ、収納設備を移動し、非常用品を複数の区画へ分散させる。隔壁の閉鎖状態でも避難できる経路を確保するため、扉の位置も変更することになった。
当然ながら、変更は船体の重量と設備配置に影響する。
その修正案がJAXAへ届いたのは、日本時間の翌朝だった。
「また通路が広がってる……」
藤堂は画面を見て、思わず額を押さえた。
前日にまとめたばかりの配管配置と、NASA側の新しい避難経路が重なっている。
「向こうも大変なんでしょうね」
隣の技術者が言った。
「それは分かる。分かるんだが、こっちは昨日、その通路を避けて配管を引き直したばかりなんだぞ」
「もう一度やり直しですね」
「……楽しそうに言うな」
そう言いながらも、藤堂は修正案を却下しなかった。
添付された訓練映像には、担架が曲がり角を通れず、乗員が動きを止める様子が映っていた。設計図だけでは気づきにくい問題が、実物大の模型でははっきり表れている。
藤堂は映像を最後まで確認し、配管担当者へ連絡した。
「居住区の避難経路を優先する。配管は別の場所へ回そう。ただし、点検できなくなるような配置は駄目だ。整備担当とも一緒に考えてくれ」
こうして日米の技術者たちは、互いの成果によって自分たちの仕事が増えるという、奇妙な協力関係を築いていった。
だが、設計が進むほど、彼らには一つの共通した不安が大きくなっていた。
特殊装置が、まだ存在しないことだった。
機器区画の試験体を作り、船内の配置を修正し、貨物の搬出方式を検討することはできる。しかし、最後にその区画へ何を収めるのかが分からなければ、設計を確定することはできない。
装置が船体にどのような力を伝えるのか。故障した場合、どの範囲が影響を受けるのか。どのような電源や冷却設備が必要なのか。
外部から操作できる条件さえ決まれば、設計は大きく前進するはずだった。
JAXAの会議室で、桐生雅彦は各部署から提出された進捗報告を確認していた。
構造試験では有望な結果が得られ、貨物搬送設備には比較案が用意された。NASA側の居住区模型からは複数の改善点が見つかり、緊急時の避難計画も具体化し始めている。
成果は確かに積み上がっていた。
その一方で、報告書の各所には同じ言葉が残っていた。
『特殊装置の仕様確定後、再評価』
桐生は資料を閉じ、向かいに座る藤堂へ視線を向けた。
「現時点で、どこまで進められる?」
「船体の基本骨格と、居住区の一部は検討を進められます。貨物搬送設備も試作段階へ移せるでしょう。ただ、機器区画の最終寸法と重量配分は、これ以上仮定を増やすと危険です」
「推進装置の情報が必要か」
「推進だけではありません。慣性負荷を軽減する装置が、船体のどの範囲に作用するのかも重要です。仮に乗員だけを守る仕組みなら、船体構造には別の対策が必要になります」
藤堂は端末を操作し、質問項目をまとめた資料を表示した。
「日米で照会内容を整理しました。内部構造を教えてほしいわけではありません。取り付け方法、質量の範囲、電源条件、操作信号、異常時の動作。それから、安全上、絶対に守るべき制約です」
「提供者が回答できるとは限らないぞ」
「承知しています。ですから、必要な理由も書きました。例えば、この寸法が決まらないと船体の骨格を確定できない、といった具合です」
桐生は資料を読み進めた。
質問は以前の会議で作成した一覧よりも具体的になっていた。単に「装置の重量を教えてほしい」と尋ねるのではなく、どの範囲まで重量が変わっても設計を維持できるか、その許容値まで示されている。
技術者たちは、答えを待つだけの姿勢から抜け出しつつあった。
「よくまとめたな」
「NASA側にも助けられました。向こうは有人運用の経験が豊富です。こちらが構造上の問題を考えている間に、乗員が装置をどう扱うかという視点を加えてくれました」
「意見の衝突もあったと聞いたが」
「ありましたよ。かなり」
藤堂は疲れたように笑った。
「ただ、意見が違うのは悪いことばかりじゃありません。相手の要求を聞くたびに、自分たちが見落としていた条件が見つかります」
桐生は小さくうなずいた。
国も組織も異なる技術者たちが、一隻の宇宙船を作るために同じ図面を見ている。そこには外交上の思惑も予算上の制約も存在するが、現場で働く人間の関心はもっと具体的だった。
どうすれば壊れないか。
どうすれば修理できるか。
そして、どうすれば乗員を無事に帰せるか。
どれほど非常識な性能を持つ宇宙船であっても、その問いだけは変わらなかった。
「では、この資料を正式な照会案として政府の窓口へ送ろう」
桐生の言葉に、藤堂が顔を上げる。
「よろしいんですか?」
「もちろん、日米双方の確認と必要な手続きを経てからだ。提供者には独立した判断権がある。こちらの都合で回答や装置の製作を要求することはできない」
「はい」
「ただし、何が必要で、なぜ必要なのかは、きちんと伝えなければならない。向こうが協力を選ぶためにもな」
藤堂は資料を保存し、日米共同の確認用フォルダーへ登録した。
送付する内容には、技術的な質問だけでなく、これまでに得られた試験結果の概要も添えられていた。
未知の装置を待っている間、自分たちが何もしていなかったわけではない。
そのことを示すためでもあった。
数日後、日米の開発チームには、新しい比較設計案が共有された。
交換式機器区画の周囲に独立した荷重支持構造を設ける案。月面での貨物搬出を考慮して下部貨物室と側面搬送路を組み合わせる案。負傷者の搬送と隔壁閉鎖時の避難を実物大模型で確認した居住区案。
どれも完成形ではなかったが、以前のように「未知の技術が来れば何とかなる」と考えるだけの図面ではなくなっていた。
人間の技術者が、自分たちの知識と経験で作り上げた部分が、少しずつ増えている。
夕方、藤堂は開発準備室の照明が落とされ始めたころになっても、まだ自分の席に残っていた。
画面には、修正された船体の立体模型が表示されている。
全長百二十メートルという数字は、まだ検討基準にすぎない。特殊装置の仕様によっては、船体の形も大きさも変わるかもしれない。
それでも、最初に見たときには現実味のなかった図面が、今では少し違って見えた。
ここには人が暮らす。
ここから月面へ資材を降ろす。
ここを通って、負傷した乗員を医療室へ運ぶ。
そして、この船に乗った人々が地球へ帰ってくる。
そんな具体的な光景が、図面の線の向こうに見え始めていた。
「まだ帰らないのか」
背後から声をかけられ、藤堂が振り返ると、桐生が立っていた。
「もう少しだけ。今日の修正を確認してから帰ります」
「その言葉、昨日も聞いたぞ」
「昨日は本当にもう少しだったんです」
「結果は?」
「二時間かかりました」
桐生は呆れたように笑い、藤堂の机に置かれた空のコーヒーカップを見た。
「宇宙船が完成する前に、設計者が倒れては困る。今日は切り上げろ」
「……分かりました」
藤堂は端末の保存操作を行った。
その直後、画面の隅に新しい通知が表示された。政府側の連絡窓口から、照会資料の受領確認が届いたのである。
資料は正式な手順に従って受け付けられ、提供者側への確認が進められることになった。ただし、回答の時期も内容も保証されていない。
藤堂は通知を読み、椅子の背にもたれた。
「ようやく、こちらから具体的な質問を渡せましたね」
「そうだな」
桐生は画面の宇宙船を見た。
「次に必要なのは、相手が何を提供できるかを知ることだ。そして、その答えを受け取ったとき、我々がきちんと設計に反映できるようにしておくことだろう」
藤堂はうなずいた。
世界の常識を超える技術が、どこからやって来るのか。どのような人物が、それを提供しようとしているのか。
彼らは知らない。
ただ、その見えない協力者がいなければ、目の前の宇宙船は実現しないことだけは分かっていた。
藤堂は最後にもう一度、立体模型を眺めた。
未知の装置を収めるための空間が、船体の各所に残されている。
まだ何も入っていないその場所は、完成していない設計の弱点であると同時に、人類がこれから手にするかもしれない新しい可能性のために用意された場所でもあった。
技術者たちは、そこに何が届くのかを待っている。
そして、その問いが、これまで姿を見せることのなかった技術提供者へと向けられようとしていた。




