第78話 常識外れの設計図
JAXAの共同開発準備室に、藤堂健一が作成した宇宙船の初期設計図が映し出されていた。
壁一面を占める大型ディスプレイには、細長い船体を中心に、居住区画、貨物室、機関区画、着陸装置などが色分けされている。全長百二十メートルを基準とした船体は、従来の宇宙船というより、地球上の大型船舶に近い規模だった。
ただし、船舶と決定的に異なるのは、その巨大な構造物が地球から離陸し、宇宙空間を航行した後、月面へ直接着陸することまで要求されている点である。
藤堂は机に置いたタブレットを操作し、船体の断面図を拡大した。
「これが、現時点で私たちが考えている基本配置です。前方に操縦区画と観測設備、中央に居住区画と生命維持設備、後方に機関区画を置きます。貨物室は船体下部を中心に配置し、月面での荷役を考慮して地上からのアクセスを確保する構想です」
説明を聞いていた桐生雅彦は、図面の中央付近に目を留めた。
「医療区画が居住区画から離れているな」
「貨物搬入口から負傷者を搬送する場合を考えました。ただ、通常の船内生活では動線が長くなります。まだ配置を比較している段階です」
「宇宙船は病院でもある。緊急時の搬送だけでなく、長期航行中の診察や隔離にも使う。居住区画との関係をもう一度考えてくれ」
「承知しました」
藤堂が医療区画の位置に修正候補の印を付けると、画面の右側に参加者一覧が表示された。
NASAとの合同技術会議が始まる時間だった。
通信が接続され、ワシントンの会議室が画面に映る。NASA長官アンドリュー・コリンズの隣には、船体構造、有人運用、推進、安全審査を担当する技術者たちが並んでいた。
簡単な挨拶を終えたコリンズは、画面に表示された船体を見て口を開いた。
「昨日送っていただいた初期案を確認しました。まず申し上げたいのは、これが普通の宇宙船ではないということです」
「その点については、こちらも同じ認識です」
桐生が答えると、コリンズは少し笑った。
「ただし、我々が驚いているのは速度の数字だけではありません。従来ならば設計の最初に決めなければならないことが、今回は最後まで決められない可能性があるのです」
彼の言葉に、藤堂は頷いた。
一般的な宇宙船であれば、推進方式や必要な燃料量が船体構造を大きく左右する。巨大な燃料タンクをどこへ置くか、エンジンの推力をどのように船体へ伝えるか、熱をどこへ逃がすか。そうした条件を積み上げることで、ようやく全体の形が見えてくる。
ところが、今回の宇宙船では事情が逆転していた。
推進や慣性負荷の軽減を担う特殊装置が存在することを前提に、従来の科学では成立しない性能が要求されている。それでいて、装置の内部構造を知ることはできない。
技術者に渡されているのは、達成すべき目標と、今後調整する予定の外部接続条件だけだった。
「例えば、推進装置です」
NASAの推進担当者が発言し、別の資料を画面に表示した。
「最大加速度百Gという要求を、従来のロケットエンジンで考えることはできません。仮に船体全体へ推力を伝達する方式なら、構造荷重は極めて大きくなります。一方、特殊装置が船体全体に直接作用するのであれば、必要な補強はまったく違ってくるでしょう」
藤堂は用意していた回答を示した。
「そのため、日本側でも二つの設計を比較しています。推力を特定の支持構造で受ける案と、装置の作用が船体全体に分布することを想定した案です。ただし、後者を採用できるという保証はまだありません」
「正しい判断です。未知の技術に都合のよい性質があると仮定して、乗員の命を預けるわけにはいきません」
コリンズの発言を受け、桐生が補足した。
「特殊装置の内部原理を開示しないという条件は、基本協定で合意されています。しかし、外部から確認できる性能や、安全停止の条件まで秘匿するという意味ではありません。必要な項目を整理し、日本政府を通じて提供者側へ照会します」
「それならば、まず確認したいことがあります」
NASAの船体構造担当者が、画面上の宇宙船を回転させた。
「百Gで加速できることと、百Gの荷重に船体が耐えられることは別問題です。慣性負荷を軽減する装置が正常に動いている間だけ成立する設計では、装置が故障した瞬間に船体が破壊される可能性があります」
藤堂はその指摘を予想していた。
「私たちも同じ懸念を持っています。加速度の上限値と、通常運航で許可する加速度を分けるべきだと考えています」
「具体的には?」
「通常航行では、乗員と船体の双方に無理のない加速度を使います。高加速は特別な条件を満たした場合だけ許可し、慣性負荷軽減装置の診断結果と連動させる。異常があれば、推進側が自動的に出力を落とす仕組みが必要です」
「装置同士が独立している場合、どうやって連動させますか」
「そこが最初の課題です」
藤堂は図面の右側に、新しい模式図を表示した。
六つの特殊装置を示す長方形が並び、その周囲に通常の電子機器や制御装置が配置されている。ただし、特殊装置の内部は何も描かれていない。
代わりに記されているのは、電源、状態表示、指令入力、緊急停止、故障通知といった外部との接続項目だった。
「装置の中身が分からなくても、正常か異常か、どの運転状態にあるか、何を指示できるかは把握する必要があります。私たちは、内部構造ではなく境界面を設計します」
「ブラックボックスを一つの機械として扱うわけですね」
「ええ。ただし、単に電源をつないで動かすという話ではありません。例えば慣性負荷軽減装置が機能を失ったとき、推進装置に停止命令が届くまで何秒かかるのか。その間に船体や乗員へどの程度の負荷が発生するのか。そこまで確認できなければ、高加速運転を許可するべきではありません」
コリンズは手元の資料に何かを書き込み、顔を上げた。
「故障を検知してから止めるだけでは不十分な場合もあります。負荷軽減機能が失われる前に、推進側が危険な状態へ移行しない設計が望ましい。両装置の協調動作について、提供者側へ質問をまとめましょう」
「同意します」
桐生はすぐに答えた。
議論が進むにつれ、画面上の設計図には修正箇所を示す印が増えていった。
やがて、NASAの有人運用担当者が船内の断面図を拡大した。
「次は人工重力についてです。居住区画に地球と同程度の重力を与えられるなら、長期航行の環境は大きく変わります。しかし、それを船内全域に適用するのでしょうか」
藤堂は首を横に振った。
「まだ決めていません。少なくとも、貨物室や整備区画まで一律に同じ重力を与えることが最適とは限りません」
「そのとおりです。無重量を利用した方が作業しやすい場所もありますし、月面で荷物を扱うときには別の条件が必要になります」
NASA側から、宇宙飛行士が船内を移動する際の問題が挙げられた。
重力のある区画とない区画が隣接している場合、その境界を通過する人間は突然身体の支えを失うかもしれない。逆に、無重量の場所から重力のある場所へ入れば、予想しない方向へ転倒する危険がある。
藤堂は居住区画と整備区画の間にある通路を指した。
「ここを重力切替区画として使う案があります。乗員が手すりや固定具を利用できるようにし、切替状態を視覚と音声で確認できるようにする。ただし、重力の方向や作用範囲をどこまで指定できるのかは、装置側への確認が必要です」
「船内の床と天井を決めるのも、簡単ではありませんね」
NASAの技術者が言うと、藤堂は苦笑した。
「通常の船なら当然のことなんですが」
船内に人工重力があるというだけで、設計の自由度は飛躍的に増す。しかし、その自由度は同時に、新しい危険を生み出していた。
居住区画の床はどちらを向くのか。着陸時には船体の姿勢と重力の向きをどう調整するのか。人工重力装置が停止した場合、食器や工具、医療機器はどうなるのか。
これまでの宇宙開発では考える必要のなかった問題が、次々に現れていた。
「地球上の建築基準を、そのまま宇宙船へ持ち込むこともできませんね」
コリンズが言った。
「はい。ですが、無重量環境だけを前提にした従来の宇宙船とも違います。両方の条件で安全に使える設備が必要です」
桐生は画面に映る居住区画を見ながら答えた。
それは、人間が宇宙で暮らすための設計を、根本から考え直す仕事でもあった。
会議開始から二時間が経過した頃、議題は船体外部の防護へ移った。
画面には、宇宙空間を航行する船体の周囲に、半透明の球体を重ねた概念図が表示されている。
もちろん、実際にそのような形の障壁が発生するかどうかは分かっていない。あくまで防護装置が船体の周囲へ作用する可能性を示した図だった。
「仮に、微小な宇宙ごみや高速粒子から船体を守れるとしても、何でも防げると考えるべきではありません」
NASAの安全担当者は、最初にそう断った。
「重要なのは、防護可能な対象と限界です。質量、相対速度、衝突角度、連続して飛来する物体への対応。さらに放射線防護が含まれるかどうかも、別に確認する必要があります」
藤堂は頷いた。
「こちらも、船体そのものの防護をなくすつもりはありません。圧力隔壁、区画分離、漏洩検知、緊急閉鎖といった対策は残します」
「それを聞いて安心しました。特殊装置が正常なときだけ安全な船では困りますから」
防護装置が存在すれば、船体を極端に軽くできるかもしれない。従来必要だった一部の遮蔽材を減らせる可能性もある。
だが、そのような軽量化は実際の性能を確認してからでなければ認められない。
何より、宇宙空間では小さな破片であっても、相対速度によっては重大な危険になる。最高速度として提示された光速の一割という数字を考えれば、船の進行方向に存在する微小な物体の問題は、通常の宇宙船とは比較にならない。
「速度が上がれば上がるほど、防護と航法は切り離せなくなります」
藤堂は船首付近を拡大した。
「進路上に危険な物体がある場合、避けるのか、防護装置で対処するのか。それを判断するには、探知能力と航路計算が必要です」
「そして、探知できなかった場合の対応も必要です」
NASAの航法担当者が続けた。
「光速の一割というのは、船が出せるとされる最大性能であって、どこでも使ってよい速度ではありません。地球や月の周辺では厳しい速度制限を設けるべきです。そもそも、その速度で安全に航行できる空域や条件が存在するかどうかも、今後の検証次第でしょう」
「同感です」
桐生が応じた。
「最高性能を達成することと、有人宇宙船として運用できることは違います。最初から限界性能を使う計画にはしません」
コリンズはそのやり取りを聞き、資料の一箇所を指した。
「もう一つ、船を止める方法を確認したい。加速能力ばかりが注目されていますが、宇宙船は目的地へ到着する前に減速しなければなりません。地球や月へ直接着陸するのであれば、なおさらです」
藤堂は推進装置の位置を示す模型を回転させた。
「現段階では、装置が推力方向をどこまで自由に変更できるか分かりません。反転噴射が必要なのか、船体の姿勢変更だけで対応できるのか、それによって配置が変わります」
「つまり、船の後ろに装置を取り付ければ終わりではない」
「ええ。推進方式が分からない以上、後部に固定することさえ確定ではありません」
藤堂がそう答えると、NASA側の技術者たちの間で小さなどよめきが起こった。
推進装置をどこに配置するかという、宇宙船設計の根本に関わる問題だった。
桐生は議論が広がりすぎる前に口を開いた。
「ここで一つ、設計方針を明確にしておきたいと思います。私たちは、特殊装置の原理を推測して宇宙船を作るのではありません。必要な性能と外部条件を整理し、それに適合する装置が提供可能か確認したうえで、船体を設計します」
コリンズは頷いた。
「その順番を守りましょう。未知の技術に頼る部分を曖昧にしたまま、通常技術の設計を進めるべきではありません」
会議は一度休憩に入った。
藤堂は席を立ち、窓際に置かれた給水機から紙コップへ水を注いだ。頭の中には、先ほどまで画面に映っていた図面が残っている。
技術者としての経験が、今回ほど役に立つと同時に、通用しないと感じたことはなかった。
従来の宇宙開発では、厳しい制約の中から実現可能な設計を探し出す。燃料を減らせば航続能力が落ち、装甲を厚くすれば重量が増える。設備を増やせば電力と冷却が必要になり、乗員を増やせば生命維持装置の負担が大きくなる。
その制約の一部が、今回の計画では取り払われるかもしれない。
だが、取り払われる範囲が分からない。
藤堂にとって、それは無限の自由というより、境界の見えない設計空間だった。
「難しい顔をしているな」
隣へ来た桐生が声をかけた。
「考えることが多すぎまして」
「最初から全部を解決しようとするな。今日は、分からないことを分かる形にするだけでも十分な進歩だ」
「そうは言っても、推進装置の取り付け位置さえ決められないのは、なかなか堪えます」
「従来なら、エンジンの性能に合わせて船を設計していただろう。今回は船に必要な性能から、装置へ要求を出せる。順番が違うだけだ」
「その要求に、本当に応えてもらえるんでしょうか」
藤堂の問いに、桐生は少し考えてから答えた。
「応えてもらえるかどうかは、聞いてみなければ分からない。ただ、提供される装置がどれほど優秀でも、我々が作る船の責任まで引き受けてもらうわけにはいかない」
藤堂は紙コップを持ったまま、会議室のディスプレイへ視線を戻した。
「船を作るのは、私たちですからね」
「ああ。そこは変わらない」
短い休憩が終わり、合同会議は午後の議題へ移った。
次に取り上げられたのは、乗員の生活を支える設備だった。
NASA側の有人運用担当者が、居住区画の必要条件をまとめた資料を提示する。
「特殊な推進技術があっても、人間が呼吸し、食事をし、眠るという事実は変わりません。三十人から五十人が生活する船であれば、酸素と水の再生、二酸化炭素の除去、温湿度管理、食料保管、廃棄物処理が必要です」
藤堂は図面の中央にある設備区画を示した。
「生命維持装置はNASAとJAXAが共同で設計し、通常技術で構成する方針です。特殊装置が使えるからといって、生命維持まで未知の機構へ依存する必要はありません」
「その判断を支持します。故障時に乗員自身が修理できることも重要です」
「予備設備と交換部品の保管場所も確保しています。ただ、必要な備蓄量は任務期間によって変わります」
NASAの担当者は、船体下部の貨物区画に注目した。
「将来、月面の研究拠点へ資材を運ぶのであれば、貨物の量と乗員の生活空間を両立させなければなりません。最初から最大人数を乗せる設計にすると、貨物輸送能力が不足する可能性があります」
「そこで、乗員数を固定せず、任務に応じて運用人数を変える案を考えています」
藤堂は別の配置図へ切り替えた。
中央の居住区画には複数の個室が並び、その一部が共用設備や保管区画へ変更できるようになっている。
「基本的な居住設備は一定数を確保しますが、全員が常に乗船するわけではありません。貨物輸送を重視する任務と、研究者を多く乗せる任務では構成を変えます。ただし、船体の構造を毎回大きく変更することは避けたいので、内部設備の交換で対応する考えです」
「良い方向性です。しかし、個室の数だけでは足りません。長期航行では、騒音、照明、睡眠時間、プライバシーも重要になります」
コリンズが口を挟んだ。
「宇宙船は機械である前に、人間が暮らす場所です。高性能な推進装置があっても、乗員が疲弊するようでは意味がありません」
桐生は、その言葉を聞いて頷いた。
「同じ考えです。技術的に可能だからといって、無理な運用を前提にはしません」
藤堂は居住区画の配置を見直し、機関区画との間に設けていた整備通路を拡張する案を加えた。
装置の性能が未知である以上、騒音や振動の程度も分からない。たとえ特殊な推進方式によって振動がほとんど発生しないとしても、通常設備のポンプや空調機器、貨物の固定装置は動き続ける。
船内を快適にするための仕事は、依然として人間の技術者に残されていた。
やがて話題は、地球と月への直接離着陸に移った。
藤堂が船体下部の図面を拡大すると、左右に張り出した複数の着陸脚が表示された。
「着陸時には船体を垂直に近い姿勢で保持する案と、水平に近い姿勢で着陸する案を比較しています。月面で貨物を降ろすことを考えると、水平着陸の方が荷役設備を簡単にできる可能性があります」
NASA側の技術者が質問した。
「地球での着陸はどうしますか。大気圏への突入方式が決まらない限り、熱防護や空力形状を確定できません」
「そのとおりです。特殊装置によって減速や姿勢制御が可能だとしても、大気との相互作用がどうなるかは確認が必要です。現段階では地球への帰還方式を複数残しています」
「月面と地球では、着陸時に必要な条件が大きく異なります。月にはほとんど大気がありませんし、地表の状態も違う。着陸脚の荷重、接地面積、砂の巻き上がりも考慮しなければなりません」
藤堂は着陸脚の配置を変更した別案を表示した。
「特に月面での貨物搬出を考えると、着陸後の船体高さを抑えたいところです。百二十メートル級の船を高い位置で支える構造にしてしまうと、資材を降ろすだけで大がかりな設備が必要になります」
「月面基地を作るための資材を運んだのに、その資材を降ろすための設備が先に必要になるわけですね」
NASAの担当者の言葉に、会議室から笑いが漏れた。
しかし、問題そのものは深刻だった。
宇宙船が月面へ到着できても、運んだ資材を安全に取り出せなければ輸送手段として成立しない。将来の研究拠点に必要な大型モジュールを搭載するなら、搬入口の寸法、貨物の固定方法、重心の変化まで設計へ反映させる必要がある。
「船体の中央下部に大型搬入口を設ける案は維持します。ただし、着陸装置との干渉があるため、船体構造を見直す必要があります」
藤堂が説明すると、コリンズは別の問題を指摘した。
「月面で貨物を降ろした後、船の重心が大きく変わる可能性があります。帰還時の姿勢制御にも影響するでしょう」
「はい。貨物の積み下ろしを想定した重心範囲を定め、許容範囲を超える場合には出発できない仕組みを考えています」
「良いですね。操縦士の判断を支える情報が必要です」
そこで議論は、自動航行装置へと移った。
藤堂は操縦区画の模式図を表示し、中央に配置した操縦席と、周囲に並ぶ表示装置を説明した。
「航法用の特殊装置には自動運転能力が想定されています。ただし、船の運航責任をすべて機械に委ねる設計にはしません。乗員が航行状態を把握し、必要に応じて手動操縦へ移行できることを要求します」
NASAの有人運用担当者が頷いた。
「自動操縦は有用ですが、人間が介入できるというだけでは不十分です。介入したときに、操縦士が何を操作できるのかが重要になります」
「例えば?」
「進路変更を指示できても、推進装置がその指示を受け付ける条件が分からなければ意味がありません。自動航行装置が危険と判断して操作を拒否する場合、その理由を乗員が理解できる必要があります」
藤堂は表示画面に新しい項目を追加した。
「操作権限、拒否理由、航路変更の予測結果、装置状態の表示……。操縦士へ提供すべき情報を整理します」
「もう一つあります」
コリンズが発言した。
「操縦士が間違える可能性も考えてください。人間の判断を尊重することと、危険な操作を無条件に実行することは違います」
「承知しています。危険な指令を防ぐ仕組みと、緊急時に人間が選択できる範囲を、日米で合意した運用規則に結びつけます」
桐生は、操縦席の図面を眺めながら口を開いた。
「この船は、これまでの宇宙船とは違う速度で動く可能性があります。だからこそ、操縦士が状況を理解できないまま操作することは避けなければなりません」
NASA側の参加者たちも異論を唱えなかった。
自動航行装置がどれほど優秀であっても、乗員の生命と船の運航を預かる責任は消えない。人間が判断すべき場面を明確にすることも、設計の一部だった。
その後、通信装置の議題へ進むと、議論は少し違った方向へ広がった。
通常通信には、NASAとJAXAが扱うレーザー通信や中継設備を利用する。特殊な通信装置は、遠距離での緊急連絡や重要情報の伝達を想定しているが、その利用条件はまだ確定していない。
「超光速通信が可能だとしても、通常通信をすべて置き換える必要はありません」
NASAの通信担当者は、資料を示しながら説明した。
「通信量、利用可能な距離、接続先の条件、障害時の挙動などが分からない以上、既存方式を主系統として残すべきです」
「日本側も同じ方針です。特殊通信装置は、緊急時や重要連絡のための独立した手段として検討しています」
「ただし、地上側の受信設備が必要になるなら、その管理方法も決めなければなりません」
藤堂はその指摘を書き留めた。
装置を船へ取り付けるだけで通信が成立するとは限らない。地上との接続、通信相手の認証、誤送信の防止、非常時の優先順位など、確認すべき項目は多かった。
そして、それらの課題は特殊装置の内部を開示しなくても、運用上の条件として整理できるものだった。
午後の会議が終盤に差しかかった頃、コリンズは議題一覧を見ながら言った。
「ここまで議論して、私には一つのことがはっきりしました」
桐生が顔を上げる。
「何でしょうか」
「この計画で最も危険なのは、特殊装置の性能が足りないことではないかもしれません。我々が、その性能を理解したつもりになることです」
画面越しの会議室が、少しだけ静かになった。
「非常に高い加速能力があると聞けば、船体は軽くできると考える。防護装置があると聞けば、通常の安全設備を減らせると考える。人工重力があると聞けば、地上と同じように暮らせると思ってしまう。しかし、どれも検証されるまでは仮定にすぎません」
藤堂は、自分の前に広がる設計図へ目を落とした。
図面には、まだ多くの空白が残されている。
だが、その空白を埋めるために必要な質問は、朝よりもはるかに具体的になっていた。
「私も同感です」
桐生は答えた。
「だからこそ、今日の会議は意味がありました。できることを想像するだけではなく、何を確かめなければならないかを整理できた」
「そのとおりです」
コリンズは頷いた。
「次の会議では、我々が責任を持って設計できる部分をさらに具体化しましょう。未知の装置を待っている間にも、進められる仕事は数多くあります」
合同会議は、外部接続条件の照会項目を日米で統合すること、船体の複数案を並行して比較すること、有人運用に関わる安全条件を優先して整理することを確認して終了した。
通信が切れると、準備室には空調の音だけが残った。
藤堂は椅子の背もたれに身体を預け、長く息を吐いた。
「一日で、設計図がずいぶん汚くなりましたね」
大型ディスプレイには、朝にはなかった修正記号や注意書きが幾重にも重なっていた。赤い印は未解決の問題、黄色い印は確認待ちの条件、青い印は通常技術で設計を進められる部分を示している。
桐生は、その図面を見て満足そうに頷いた。
「悪くない。きれいな図面より、問題が見える図面の方が今は役に立つ」
「ただ、赤い印が多すぎませんか」
「それを減らすのが、これからの仕事だ」
藤堂は苦笑しながらタブレットを操作し、会議の結果を反映した新しい図面を開いた。
船体中央には、居住区画と生命維持設備が整理され、貨物区画の位置には複数の候補が残されている。後方に置かれていた推進装置の表示は、特定の位置から外され、船体全体との接続条件を示す枠へ変更されていた。
特殊装置をどこに取り付けるのか。
どれほどの重量になるのか。
電力や排熱の条件はどうなるのか。
異常が発生したとき、どの機能を停止させ、何を維持しなければならないのか。
答えが得られていない項目は多い。
それでも、藤堂には朝とは違う手応えがあった。
不可能に思えた宇宙船が、少しずつ設計上の課題へと姿を変え始めていたからだ。
「桐生さん、一つ提案があります」
「何だ?」
「特殊装置の搭載位置を先に決めるのではなく、船体側に交換可能な機器区画を設けませんか。もちろん、寸法や荷重の条件が分かるまでは仮設計ですが、取り付け方法が変わっても船全体を作り直さずに済むようにしたいんです」
桐生は画面へ近づいた。
「具体的には?」
「機関区画の一部を共通の搭載区画として確保します。装置ごとに必要な支持構造や電源、冷却系を交換できるようにする。外部接続の仕様が確定してから専用架台を設計すれば、船体の基本構造を大きく変えずに対応できる可能性があります」
「なるほど。ただし、どの装置も同じ区画に収められるとは限らないぞ」
「はい。人工重力や防護のように、作用範囲が重要な装置は別の配置になるかもしれません。ですから、共通化できる部分だけを先に決めます」
桐生はしばらく図面を眺めていたが、やがて頷いた。
「いいだろう。次の検討案に入れてくれ。ただし、交換作業そのものが安全にできるかも考えておけ。装置を外すために船体を大きく解体するようでは困る」
「分かりました」
藤堂は新しい設計案を保存した。
画面の隅に、船名の内部候補が表示されている。
――ぺんぎんすいすい。
初めてその名称を資料で見たとき、藤堂は思わず確認し直した。だが、今はもう、名前の印象を気にしている余裕などなかった。
この船が本当に完成すれば、人類はこれまで想像するしかなかった距離を、現実の航路として考えられるようになるかもしれない。
その可能性を支えるのは、未知の装置だけではない。
居住区画の一本の配管も、操縦席の一つの表示も、貨物を固定する金具も、乗員の命を守るために必要なものだった。
「藤堂」
桐生が声をかけた。
「次回までに、通常技術で設計できる部分を先に進めよう。特殊装置の回答が届くまで、何もできないわけじゃない」
「ええ。むしろ、やることは山ほどあります」
藤堂は設計図を拡大し、船体中央の居住区画を選択した。
医療室の配置を修正し、避難経路を引き直し、生命維持設備の整備通路を広げる。画面の上では、小さな変更が次々と積み重なっていった。
やがて、最後まで空白のままだった船体の一角にも、新しい線が一本引かれた。
人類がまだ手にしていない技術を前提とする宇宙船は、その日、初めて人間の技術者たちの手によって、実際に作るための設計図へと近づき始めていた。




