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うちのぺんぎんが日本政府と交渉している件  作者: むぎちゃ
第4章 小さな奇跡と星への第一歩
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第73話 同盟国の交渉

 ウォーカー大統領の訪日二日目。首相官邸の会議室では、前日とは異なる緊張が漂っていた。


 長机の上に並べられた資料には、両国の国旗も、歓迎の言葉もない。記されているのは、有人宇宙開発における役割分担、特殊技術の提供条件、運用上の責任、そして情報管理に関する論点だった。


 前日の首脳会談で、日米両国は宇宙開発への協力意欲を確認している。しかし、それはあくまで出発点にすぎない。実際に宇宙船を造り、人間を乗せ、地球から遠く離れた場所へ送り出すのであれば、友好関係という言葉だけでは済まされない問題がいくつも存在する。


 とりわけ今回の協議には、通常の国際共同開発とは決定的に異なる事情があった。


 日本が保有する超高度技術の一部は、現代の科学では原理を説明できない。しかも、それらを提供している人物は日本政府の職員でも、国内企業の研究者でもなく、国家の命令によって動く存在でもなかった。


 日本政府は、その人物の協力を取り付けることはできても、自由に技術を差し出す権限までは持っていない。


 一方、アメリカには世界最大級の宇宙開発基盤がある。NASAが積み重ねてきた有人飛行の経験、宇宙飛行士の訓練、地上管制、生命維持設備の開発、長期間の宇宙滞在で得られた膨大な知見は、日本側にとっても大きな価値を持つものだった。


 互いに必要としているものがあるからこそ、交渉は難しくなる。


 午前の協議開始を前に、高瀬隆一首相は机上の資料を閉じ、隣に座る三浦誠司官房長官へ視線を向けた。


「米側から追加された論点は?」


「昨夜遅く、運用上の安全確認に関する質問が数項目届いております。想定内の内容ですが、特殊装置に不具合が生じた場合の対応権限について、かなり踏み込んだ確認を求めています」


「装置の内部に手を入れられなければ、事故に対応できないと考えているわけか」


「その懸念があるのでしょう。ただ、こちらも安全に関する情報まで一切渡さないつもりではありません。問題は、運用に必要な情報と、内部技術そのものをどこで区切るかです」


 高瀬は小さく頷いた。


 それは、日本側がすでに検討を重ねてきた問題でもある。装置の中身を秘密にすることと、搭乗者の命を守るための情報を隠すことは同じではない。両者を混同すれば、協力そのものが成立しなくなる。


「今日は相手の要求を退けるだけの会談にはしたくない。こちらが何を提供できるのかも、明確に伝えよう」


「承知しております」


 三浦が答えたところで、会議室の扉が開いた。


 入室してきたリチャード・ウォーカー大統領は、前日の歓迎行事で見せた穏やかな表情を残しながらも、その目には仕事に臨む政治家の鋭さがあった。後ろにはキャサリン・モーガン国務長官とジョナサン・リード国防長官が続き、さらに双方の実務担当者が席につく。


 挨拶が交わされ、必要な確認を終えると、会談はすぐに本題へ移った。


「高瀬首相。昨日は未来について語ることができた。今日は、その未来をどう実現するか話したい」


 ウォーカーの言葉に、高瀬は微笑んだ。


「私も同じ考えです。実現可能な計画にするためには、互いの強みだけでなく、責任も理解する必要があります」


「そのとおりだ」


 ウォーカーは手元の資料を開いた。


「まず、我々の考えている協力の基本像を説明しよう。アメリカは、有人宇宙飛行に関する経験と設備を提供できる。宇宙飛行士の訓練、船内の生命維持、地上管制、長期任務における健康管理。宇宙船の設計と建造についても、NASAを中心とした技術者たちが大きく貢献できるはずだ」


「日本もJAXAや国内企業の技術を投入できます。すべてをアメリカ側に任せるつもりはありません」


「もちろんだ。これは共同事業であるべきだと考えている」


 ウォーカーはそこで一度言葉を区切り、正面の高瀬を見た。


「ただし、従来の技術だけでは、我々が思い描く計画に到達するまで相当な時間がかかる。日本が保有する特殊技術が加われば、その時間を大幅に短縮できる可能性がある」


 会議室にいる全員が、その意味を理解していた。


 現在のロケット技術では、地球と月を往復するだけでも膨大な準備が必要になる。月面に恒久的な施設を建設し、そこへ人員や物資を継続的に運ぶとなれば、打ち上げ能力、輸送費、安全性、運用頻度のすべてが課題になる。


 しかし、日本が保有する未知の技術によって、それらの前提が変わる可能性がある。


 ウォーカーは続けた。


「我々が求めているのは、単なる新型宇宙船ではない。月面で人類が継続的に活動できる仕組みだ。将来的には、その経験をさらに遠い宇宙への探査につなげたい」


「目標としては理解できます。ただし、現段階では実現できる性能も、必要な装置も確定していません」


「承知している。だからこそ、共同で可能性を検討したい」


 高瀬は、その返答に一定の手応えを感じた。


 ウォーカーは、まだ存在しない宇宙船の性能を保証するよう求めてはいない。最初から成果を約束させるのではなく、研究開発の枠組みを作ることを優先している。


 問題は、その先だった。


 モーガン国務長官が資料の一ページを示す。


「具体的な協力体制について、アメリカ側から提案があります。両国の宇宙機関を中心とする共同開発組織を設け、設計、試験、運用について共同で意思決定する方式です。費用や人員については、それぞれの貢献に応じた分担を検討したいと考えています」


 三浦が応じた。


「共同開発組織の設置については、日本側も前向きです。ただし、重要な決定を一方の国だけで行える仕組みにはできません」


「我々も、その必要性は理解しています」


「また、特殊装置の提供可否については、通常の開発組織とは別の承認が必要になります」


 モーガンは顔を上げた。


「日本政府による承認ですか?」


「それだけではありません」


 三浦は落ち着いた声で答えた。


「装置を提供する協力者本人の承諾が必要です。日本政府が共同開発に参加すると決定しても、それだけで特殊装置の提供が保証されるわけではありません」


 リード国防長官の眉がわずかに動いた。


「つまり、計画の途中で必要な装置が提供されない可能性もあるということですか」


「可能性としてはあります。だからこそ、提供範囲と条件を事前に整理し、本人に確認する必要があるのです」


「国家間の事業としては、不安定な要素ですな」


 リードの指摘には、もっともな部分があった。


 通常の共同開発なら、契約を結んだ企業や研究機関に一定の義務を負わせることができる。しかし、今回の技術提供者は、そのような枠組みの外側にいる。日本政府が本人の意思を尊重する以上、アメリカ側は国家間の約束だけで必要な装置を確保できない。


 高瀬はリードの方を向いた。


「ご懸念は理解します。ですが、協力者の自主性は、我々がこれまで技術提供を受けてきた前提でもあります。本人の意思を無視して供給を約束することは、結果として計画全体の信頼性を損ないます」


「では、長期運用に必要な交換品や予備装置についても、個別の承諾が必要になる?」


「供給条件をあらかじめ合意することは検討できます。ただし、まだ装置の種類も数量も決まっていません。今ここで無制限の供給を約束することはできません」


 リードは返答を急がなかった。


 軍事部門を預かる彼にとって、未知の技術に依存する輸送手段は魅力的であると同時に、極めて扱いにくい存在だった。性能が優れていればいるほど、供給者に依存する範囲も大きくなる。


 その考えを察したのか、ウォーカーが口を開いた。


「まずは、実現可能な共同事業を成立させることが先だ。供給に関する詳細は、必要な装置が具体化してから詰めるべきだろう」


 リードは頷き、資料に視線を戻した。


 最初の論点について、双方の立場は明らかになった。共同開発そのものには前向きだが、特殊技術の供給は日本政府の判断だけでは決められない。


 続いて議題に上がったのは、装置の内部情報だった。


「ここからは、我々にとって特に重要な問題になる」


 ウォーカーの声が少し低くなった。


「有人宇宙船には、人命がかかっている。推進装置であれ、船内環境を維持する装置であれ、故障したときに何が起こるか分からないまま搭乗者を送り出すことはできない」


 高瀬は頷いた。


「その点には同意します」


「しかし、日本側は特殊装置の内部構造を公開できないという。安全性を確認するための情報と、公開できない情報をどう区別するのか、具体的に聞きたい」


 高瀬は三浦に目配せした。


 三浦は用意していた資料を開き、回答した。


「日本側が想定しているのは、特殊装置を完成品として提供し、通常の宇宙船設備との接続条件や運用手順を共有する方式です。装置の内部を解析する権限は提供できませんが、正常な運転範囲、異常時の挙動、停止条件、外部から確認できる状態情報などは、搭乗者の安全に必要な範囲で整理することが可能だと考えています」


「それだけで十分だと?」


 リードが尋ねる。


「十分かどうかは、専門家による評価が必要です。現段階で断言するつもりはありません」


 三浦はそこで言葉を切り、資料の次の項目を指した。


「たとえば、宇宙船の推進に関わる装置が停止した場合、乗員がどのような情報を確認できるのか。再起動を試みてよい条件は何か。復旧できない場合に船内の安全をどう確保するか。こうした点は、内部の製造技術を知らなくても、運用上の手順として定める必要があります」


 モーガンが尋ねた。


「つまり、日本側はブラックボックス方式そのものを交渉対象にはしないが、外部の安全情報については共同で検討する用意がある、という理解でよろしいですか」


「そのとおりです」


 ウォーカーは資料を眺めながら考え込んだ。


 技術を持つ側が、内部構造を渡したがらないことは珍しくない。軍事技術であればなおさらだ。だが今回は、特許や企業秘密の問題とは性質が違う。


 日本政府自身が、その技術の核心を自由に扱えるわけではない。


「仮に、アメリカの技術者が重大な欠陥を疑ったとしよう。そのとき内部を調べられないのであれば、誰が安全を保証する?」


 ウォーカーの問いに、高瀬は即答しなかった。


 安全性を保証するという言葉は簡単だ。しかし、宇宙開発の歴史は、設計上の想定を超える事故が起こり得ることを示している。どれほど優れた装置でも、運用全体を含めた無条件の安全を約束することはできない。


「保証という言葉を、慎重に扱う必要があると思います」


 高瀬は答えた。


「特殊装置そのものについては、提供者の協力を得ながら必要な検証を進めることになります。一方で、宇宙船全体の設計、整備、乗員訓練、任務判断については、共同開発組織が責任を負うべきでしょう。未知の技術があるからといって、通常の安全管理を省略してよい理由にはなりません」


 ウォーカーは高瀬を見つめた。


「事故が起きた場合、責任を互いに押し付け合うことは避けたい」


「同感です。だからこそ、装置の提供責任と、宇宙船の運用責任を分けて考える必要があります」


「なるほど」


 ウォーカーは椅子の背にもたれた。


「アメリカとしては、内部へのアクセスを最初から完全に放棄することに抵抗がある。安全上、必要になる場面があるかもしれないからだ」


「日本としては、内部構造や製造技術を提供することはできません。ただし、想定される故障や緊急事態に対応できるよう、外部からの診断機能や交換手順を設けることについては、協力者に相談する余地があります」


「それでも解決できない問題が出たら?」


「その場合は、装置を採用しないという判断も必要になるでしょう」


 会議室の空気が変わった。


 高瀬の返答は、技術の優位性を盾にしてアメリカ側へ受け入れを迫るものではなかった。必要な安全性を確保できなければ、計画を進めない。それは宇宙開発を本気で考えるからこその姿勢でもあった。


 ウォーカーは、しばらくしてから頷いた。


「その考え方なら理解できる。だが、我々の技術者が納得するには、具体的な評価方法が必要だ」


「それについては、双方の専門家に検討させましょう」


 高瀬の提案に、モーガンが資料へ書き込みを加えた。


 対立していた論点に、ひとまず検討の道筋が生まれた。


 ただし、核心技術へのアクセスについて両国が合意したわけではない。アメリカ側は安全上の必要性を理由に、より広い情報提供の可能性を探り続けている。日本側は、それに代わる運用情報と検証方法を提示しようとしていた。


 双方とも、まだ譲れない部分を残していた。


 協議はその後、宇宙船の運用体制へ移った。


「仮に日米共同の宇宙船が完成した場合、船長の権限はどうなるのでしょうか」


 三浦の問いに、モーガンが答える。


「国籍によって指揮権が変わる方式は避けるべきだと考えています。任務ごとに責任者を任命し、緊急時の権限を事前に定めることを提案します」


「地上管制については?」


「両国の施設を活用し、任務に応じて分担する方法が考えられます。ただし、通信が途絶えた場合に乗員が自律的に判断できる体制は不可欠でしょう」


 その説明に、高瀬は関心を示した。


 宇宙船がどれほど高性能になっても、地上からの指示を待たなければ動けないのでは危険が残る。とりわけ未知の推進技術を使用するなら、既存の運用方式をそのまま当てはめることはできない。


 リードが口を挟んだ。


「安全保障上の緊急事態も考慮する必要があります。共同開発した宇宙船が、他国の衛星や宇宙施設に接近する場合などです」


「それは重要な問題です」


 高瀬は認めたうえで、続けた。


「ただし、日本が想定している協力は、平和的な宇宙開発を目的とするものです。軍事任務への転用を前提とした計画には参加できません」


「宇宙空間での活動には、民生と安全保障の境界が曖昧なものもある」


「承知しています。だからこそ、任務の目的を事前に明確にしなければなりません」


 リードは腕を組んだ。


「たとえば、危険な宇宙ごみが人工衛星に接近している場合、それを除去する作業は認められるのでしょうか」


「そのような安全確保の活動を、すべて軍事利用とみなすつもりはありません」


「では、他国の衛星を移動させる必要が生じた場合は?」


「対象の権利関係や国際的な手続きも含め、個別に判断することになります。少なくとも、共同宇宙船を一方の国の判断だけで軍事的に使用することは認められません」


 リードはそれ以上追及せず、資料に目を落とした。


 アメリカ側も、宇宙開発と安全保障が無関係ではないことを理解してほしかったのであって、この場で軍事利用の承認を取り付けられるとは考えていなかった。


 ウォーカーが会話を引き取った。


「我々は、平和的な宇宙開発という目的を共有できる。問題は、具体的な活動がその範囲に入るかどうかを、誰が判断するかだろう」


「共同で判断する仕組みが必要です」


「では、任務の承認手続きと、緊急時の例外について専門家に案を作らせよう」


 高瀬は頷いた。


 ここでも、最終的な答えが出たわけではない。だが、双方の意見の違いは、交渉を打ち切る理由ではなく、制度を作るための課題として整理されつつあった。


 昼を挟んだ協議では、費用負担と技術開発の分担が話題になった。


 NASAが提供できる既存設備や人的資源、日本側の研究機関と企業が担う部分、試験施設の利用、搭乗者の選抜、共同で得られた研究成果の扱い。どれも実際の事業を始める前に決めなければならないことばかりだった。


 そのなかで、モーガンが一つの懸念を示した。


「アメリカ側が宇宙船の通常部分を広く担当し、日本側が特殊装置を提供する形になった場合、実際の貢献度をどう評価するかが難しくなります」


「確かに、技術の価値を単純な開発費だけで測ることはできません」


 三浦が答えた。


「ただ、日本側も特殊装置を提供するだけで、ほかの設計をすべて任せるつもりはありません。日本の技術者も共同開発に参加し、設計と運用に責任を持つ形を考えています」


「その点は歓迎します。問題は、意思決定権をどのように配分するかです」


 ウォーカーが口を開いた。


「私は、両国が同じ数の議席を持つだけでは不十分だと思っている。責任を負う者に、それに見合った権限がなければならない」


「同意します」


 高瀬は答えた。


「ただし、一方が主要な設備を提供したからといって、事業全体を支配できる仕組みにはすべきではありません」


「それは我々も望んでいない」


 ウォーカーは、机上に置かれた宇宙開発の概念資料を指先で押さえた。


「アメリカがすべてを決め、日本が技術だけを渡す。それでは共同事業とは呼べないだろう。逆に、日本が特殊技術を保有しているという理由だけで、我々の技術者が従属的な立場になるのも困る」


「まったく同感です」


 高瀬の返答には、先ほどまでより明確な親しみがあった。


 国家の規模も、宇宙開発に投じてきた予算も異なる。それでも、今回の計画は片方だけでは成立しない。ウォーカーがその事実を正面から認めたことは、高瀬にとって重要だった。


 もっとも、政治家同士の理解と、実際の協定文書をまとめることは別の仕事である。


 誰が何を担当し、費用をどう分け、事故が起きたときにどこまで責任を負うのか。曖昧な部分を残したまま協力を始めれば、いずれ対立の原因になる。


 両国の担当者たちは、首脳の発言を踏まえながら、未決事項を次々と記録していった。


 午後の協議が進むにつれ、ウォーカーは日本側の対応について一つの確信を強めていた。


 高瀬は、技術の秘密を守ることだけを目的としているわけではない。


 協力を実現したいという意思は本物だ。安全性についても、アメリカ側の懸念を軽視していない。共同開発に必要な負担を引き受ける覚悟もある。


 それでも、特殊技術の内部構造と提供者の権限については、一歩も譲ろうとしない。


 その理由が、ウォーカーには気になっていた。


 国家にとって極めて重要な技術でありながら、日本政府はその提供者に対して強い制約を課していないように見える。


 通常なら、これほどの技術を持つ人物や組織は、政府の厳重な管理下に置かれていても不思議ではない。少なくとも国家安全保障上の理由から、何らかの契約や監督体制が設けられているはずだ。


 しかし、日本側の説明から受ける印象は違った。


 むしろ政府の方が、提供者との関係を慎重に維持している。


 ウォーカーは、机上の資料を閉じた。


「高瀬首相。一つ、率直に尋ねてもよろしいかな」


「もちろんです」


「日本がこの技術を大切に扱っていることは、今日の議論でよく理解できた。だが、私にはまだ分からないことがある」


 ウォーカーは周囲を見渡してから、再び高瀬へ向き直った。


「技術提供者は、今回の宇宙開発について、どの程度の協力意思を持っているのだろうか」


 高瀬は、その質問が来ることを予想していた。


「宇宙開発そのものには関心を示しています。ただし、具体的な協力範囲については、計画の内容を確認したうえで判断する意向です」


「なるほど。では、協力する可能性はあるが、まだ約束はしていないわけだ」


「そのとおりです」


「我々が提示する条件を、本人に直接説明することはできないのだろうか」


 会議室にいた三浦が、手元のペンを止めた。


 ウォーカーの口調は穏やかだったが、質問の意味は明白だった。


 これまでの協議は、すべて日本政府を通じて行われている。アメリカ側が知っているのは、技術提供者が存在し、日本政府へ協力しているという事実だけだ。その人物がどのような立場にあり、何を考え、どこまで交渉できるのかは分からない。


 ウォーカーは、そこに直接触れようとしていた。


「それは、本人との面会をご希望という意味でしょうか」


 高瀬が確認すると、ウォーカーは頷いた。


「そうだ。可能であれば、私自身が話をしてみたい」


 モーガンは大統領の方へ視線を向けたものの、口を挟まなかった。


 リードも同様だった。


 技術提供者への直接接触は、アメリカ政府にとって極めて大きな意味を持つ。技術的な疑問を解消する機会になるかもしれないし、今後の協力関係を日本政府以外にも広げるきっかけになる可能性がある。


 しかし、ウォーカーはその場で技術移転を要求したわけではなかった。


「もちろん、技術の秘密を聞き出すためだけではない」


 大統領は続けた。


「我々が何を目指し、どのような責任を負うつもりなのか、本人に伝えたいのだ。国家間の約束だけでは不十分だというのであれば、協力を決める当事者の考えを聞くことにも意味があるだろう」


 高瀬はウォーカーの言葉を最後まで聞いてから、答えた。


「大統領のお考えは理解しました。ただし、私の判断だけで面会をお約束することはできません」


「本人の承諾が必要だということか」


「はい」


「面会の条件についても?」


「それも本人の意思を確認する必要があります」


 ウォーカーは、少し考えてから尋ねた。


「私は、相手が個人なのか、研究機関の代表なのかさえ知らない。それについても教えてもらえないのだろうか」


「申し訳ありませんが、提供者の情報については、本人の許可なくお答えできません」


「国籍も、所属も?」


「同様です」


 ウォーカーは高瀬を見つめた。


 日本の首相が、アメリカ大統領からの質問に対してここまで明確に回答を控えることは、少なくとも今回の会談では初めてだった。


 ただし、ウォーカーは不快感を表に出さなかった。


「分かった。そこまで徹底しているのであれば、無理に尋ねるべきではないだろう」


 高瀬は軽く頭を下げた。


「ご理解いただき、感謝します」


「だが、面会を希望していることだけは、正式に伝えてほしい」


「承りました」


 ウォーカーはさらに言葉を続けた。


「必要であれば、面会の事実を公表しないことも受け入れる。場所や時間についても、日本側と本人の希望を尊重しよう。相手が望まないのであれば、技術的な質問を控えることもできる」


 三浦はその発言を記録した。


 条件を柔軟にすることで、相手が面会を拒む理由を減らそうとしている。ウォーカーの提案には、交渉相手としての配慮と、政治家としての計算が同時に存在していた。


 高瀬も、それを理解していた。


「大統領。仮に面会が認められたとしても、その場で技術提供を約束してもらえるとは限りません」


「承知している」


「また、面会によって知り得た情報の扱いについても、厳格な条件が設けられる可能性があります」


「それも理解しているつもりだ」


 ウォーカーはそこで、わずかに笑みを浮かべた。


「高瀬首相。私は今日、あなた方がどれほど慎重にこの協力関係を扱っているかを見た。だからこそ、その技術を提供している相手にも興味を持ったのだ」


 高瀬は、その言葉にすぐには返答しなかった。


 ウォーカーが想像している相手は、おそらく経験豊富な科学者か、巨大な研究組織を率いる人物だろう。あるいは、政府と特別な契約を結んだ企業の代表者かもしれない。


 まさか、人間との会話が苦手な二十一歳の女性と、彼女に抱かれた小さなペンギンが交渉の中心にいるとは、考えてもいないはずだった。


 もっとも、高瀬にとっては、それを説明すること自体が問題なのではない。


 紬が望まない相手に会わせないこと。それが、政府として守るべき約束だった。


「ご希望は、責任を持ってお伝えします」


 高瀬はそう答えた。


 ウォーカーは頷き、それ以上の追及を控えた。


 その後、協議は実務的な論点の確認に戻った。共同開発組織の構成、安全評価の手順、運用権限の整理など、双方の担当者が検討すべき項目は数多く残されている。


 会談の終了時点で、日米宇宙開発協定が成立したわけではなかった。


 ただし、両国の立場は前日よりはるかに明確になっていた。


 アメリカは、特殊技術の内部情報に対する関心を維持しながらも、まず共同開発を成立させる道を探る。日本は、提供者の権利と技術の秘匿を守りつつ、安全性や運用責任について具体的な協議を進める。


 そして、技術提供者との面会希望が、アメリカ大統領本人から正式に示された。


 それが、この日の交渉で生まれた最も大きな変化だった。


 会談を終えたウォーカーは、モーガンとリードを伴って控室へ戻った。


 扉が閉じると、リードが先に口を開いた。


「大統領。日本側は、核心技術について想像以上に厳しい姿勢です」


「そうだな」


「我々が装置の内部を理解できないまま、共同開発を進めることになるかもしれません」


「その可能性はある」


 ウォーカーは椅子に腰を下ろした。


「だが、今日の交渉で一つ分かったことがある。日本は技術を独占するために我々を排除しようとしているわけではない。共同で宇宙開発を進める意思はある」


「それでも、重要な部分は日本側に依存することになります」


 リードの言葉に、モーガンが応じた。


「だからこそ、依存する部分を限定し、通常の設計や運用では双方が十分な能力を持つ体制にする必要があります。装置の内部を知ることだけが、リスクを減らす方法ではありません」


「それは理解している。しかし、万一の事態に備えた選択肢は多い方がいい」


 ウォーカーは二人の意見を聞きながら、窓の外へ目を向けた。


「君たちの懸念は正しい。NASAの技術者たちも、同じ問題を指摘するだろう。だが、我々にはもう一つ考えるべきことがある」


「何でしょうか」


 モーガンが尋ねる。


「この技術を提供している相手は、我々との協力を望んでいるのか。それとも、日本政府に頼まれたから検討しているだけなのか。その違いは大きい」


 リードは少し考えた。


「面会が実現すれば、本人の意思を確かめられると?」


「少なくとも、何を重視しているのかは分かるかもしれない」


「日本側が面会を認める保証はありません」


「もちろんだ。だが、私は希望を伝えた。あとは返事を待つしかない」


 ウォーカーは机に置かれた資料を手に取った。


 そこには、日米共同宇宙開発構想という文字が記されている。


 まだ宇宙船の設計図はなく、必要な装置も確定していない。協定も結ばれておらず、計画が実現する保証はどこにもない。


 それでも、昨日まで外交上の構想にすぎなかったものが、具体的な交渉の対象になり始めていた。


 ウォーカーは資料を閉じた。


「モーガン。日本側には、面会が難しい場合でも協議を継続する意思があると伝えておいてくれ」


「承知しました」


「技術提供者に圧力をかけるつもりはない。まずは話を聞いてみたい。それだけだ」


 リードはその言葉に頷いたものの、なお慎重な表情を崩さなかった。


 アメリカ大統領が直接会いたいと申し出るほどの人物が、どのような存在なのか。


 その疑問に答えられる者は、この部屋には一人もいなかった。


 同じ頃、首相官邸の別室では、高瀬と三浦が会談の記録を確認していた。


「正式に来ましたね」


 三浦が言った。


「ああ。想定していたよりも、丁寧な申し出だった」


「面会を認めるかどうか、判断を仰ぐ必要があります」


「まずは事実をそのまま伝えよう。大統領が何を希望しているのか、どこまで条件を受け入れる意思があるのか。それを聞いたうえで、協力者自身に決めてもらう」


 三浦は頷いた。


「先方には、回答時期を約束しておりません。本人が拒否された場合は、その意思を尊重するということでよろしいですね」


「もちろんだ」


 高瀬は、机上の会談記録へ目を落とした。


 ウォーカーが面会を希望した理由には、純粋な関心も、技術への期待も、国家の利益を考えた計算もあるだろう。大国の指導者としては自然なことだ。


 だが、面会を求められる側にとって、相手がアメリカ大統領であることは、必ずしも魅力になるとは限らない。


 むしろ、余計な負担に感じる可能性の方が高い。


「三浦君」


「はい」


「連絡するときは、相手が大統領だからといって、断りにくい言い方をしないようにしてほしい」


「承知しております」


「会う必要はないと判断すれば、それで構わない。こちらは、その返答をアメリカに伝えるだけだ」


 三浦は会談記録を閉じた。


 紬がどのような反応をするか、正確には分からない。


 世界最大級の権力を持つ人物から面会を求められたと聞いて、興味を示すかもしれない。逆に、知らない人と話すことを負担に感じ、すぐに断る可能性もある。


 ただ、一つだけ確かなことがあった。


 どちらを選ぶにしても、彼女が一人でその返事を考える必要はない。


 あの小さなペンギンが、きっと隣にいる。


「では、いつもの窓口へ連絡を入れます」


 三浦の言葉に、高瀬は頷いた。


「頼む」


 机上の電話に手を伸ばした三浦は、用意された連絡手順を確認した。


 日本とアメリカの首脳が長時間にわたって交渉し、ようやく次の段階へ進むための道筋を見つけた。その先にいる相手へ、これから一つの申し出が届けられる。


 ただし、その相手が何者なのかを、ウォーカー大統領はまだ知らなかった。

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