第72話 大統領、来日
羽田空港の一角では、普段なら航空機の運航を支えるために使われる通路や待機場所が、この日だけは別の目的のために整えられていた。立ち入りを許された人間は限られ、空港職員であっても担当区域を越えるには確認が必要となる。警察官と警護担当者がそれぞれの持ち場を確認し、関係者の胸元には識別証が下げられていた。
アメリカ合衆国大統領、リチャード・ウォーカーの来日が、数時間後に迫っていた。
今回の訪日は、日本政府とアメリカ政府が日程や議題を調整したうえで正式に発表したものだった。表向きの目的は、日米同盟の確認と、経済、安全保障、科学技術分野における協力の深化である。日本が近年実用化した先進技術についても意見交換する予定とされていたが、宇宙開発を含む具体的な協力内容は、まだ公表されていない。
もっとも、世界の報道機関が注目しているのは、むしろその公表されていない部分だった。
日本は、超小型核融合炉、革新的ながん治療技術、深海資源の採掘技術と、短期間のうちに世界の常識を塗り替える成果を次々と示している。それらの技術がどこから生まれたのか、海外の政府も企業も核心には近づけていない。そんな状況でアメリカ大統領が日本を訪れるとなれば、両国が何らかの新しい合意を目指していると考えるのは自然なことだった。
午前中、首相官邸では三浦誠司官房長官が、受け入れ準備の最終報告に目を通していた。
机の上には、空港到着から官邸での歓迎行事、公式会談、共同記者発表までの予定が時系列でまとめられている。警護上の細部は別の資料で管理されていたが、各行事の担当者や移動に必要な余裕時間だけでも、かなりの分量になっていた。
担当者からの説明が終わると、三浦は予定表の一箇所を指で押さえた。
「大統領一行の移動に遅れが出た場合、歓迎行事の時間は調整できますね」
「はい。会談開始時刻についても、双方の連絡担当者が直接調整する手順を確認しています。ただし、共同記者発表の予定を大きく動かす場合は、報道各社への連絡が必要になります」
「分かりました。時間を守ることは重要ですが、警護を犠牲にしてまで急がせる必要はありません。その点は徹底してください」
担当者が退出したあと、三浦は椅子の背にもたれ、眼鏡を外して目頭を押さえた。
大統領の訪日そのものは、日本にとって珍しい出来事ではない。日米首脳が直接会い、同盟関係や国際情勢について話し合うことも、外交上の通常の営みだ。
しかし、今回ほど会談の結果を予測しにくい訪日は、三浦の記憶にはなかった。
日本側には、アメリカとの宇宙開発協力を検討する意思がある。高瀬首相も、両国が互いの強みを持ち寄ることで、人類の活動領域を広げられるなら歓迎すべきだと考えていた。
問題は、アメリカが何を協力の条件として求めてくるかだった。
これまでの事前調整では、共同研究や技術的な意見交換といった大枠の話題は示されている。しかし、日本の核心技術に関して、どこまで踏み込んだ要求が出てくるかは、実際に会談が始まらなければ分からない。
三浦は机上の別の書類に視線を移した。日本側が内部で整理した交渉方針が記されている。
提供者の身元を明かさないこと。本人の意思に反して協力を約束しないこと。核心技術の管理権限を一方的に移さないこと。
いずれも、前回の協議で確認した事項だった。
ここで再び条件を議論する必要はない。必要なのは、それらを守ったまま、世界最大級の影響力を持つ同盟国と実際に向き合うことだった。
机の電話が鳴った。
「三浦です」
『総理が、到着前に一度お話ししたいとのことです』
「承知しました。すぐに伺います」
受話器を置き、三浦は資料をまとめて立ち上がった。
廊下では、職員たちが普段と変わらない足取りで行き交っている。だが、すれ違う人間が抱える書類や、電話口で交わされる短い確認の一つひとつに、今日という日の重みが表れていた。
総理執務室に入ると、高瀬隆一は窓際に立っていた。手には、アメリカ側から届いた訪日代表団の最終名簿がある。
「準備はどうだね」
「大きな問題はありません。空港、警察、外務省、官邸の各担当が予定を確認しています。大統領一行の到着時刻も、現時点では変更なしです」
「そうか。君もここ数日は休めていないだろう」
「大統領の訪日が終われば、多少は落ち着くかと」
高瀬は小さく笑った。
「会談が終わってからのほうが忙しくなるかもしれないよ」
「……その可能性は、考えないようにしておりました」
三浦の返答に、高瀬は手元の名簿を閉じた。
今回の訪日に同行する主要閣僚には、キャサリン・モーガン国務長官とジョナサン・リード国防長官が含まれている。科学技術分野の関係者も随行しているが、訪日代表団の構成だけでアメリカの最終的な要求を判断することはできない。
「ウォーカー大統領とは、これまでも国際会議で話したことがある。率直な人だが、相手の反応をよく見ている。こちらが曖昧に答えれば、その曖昧さを交渉の余地として受け取るだろう」
「日本側の説明は、担当者間で統一しています。公開できる技術情報と、個別の承諾が必要な事項も区別してあります」
「それでいい。ただ、今日はまず彼を迎える日だ。交渉を始める前から、相手を疑うことばかり考えていては話が進まない」
高瀬は窓の外に広がる東京の街並みを見た。
「アメリカにも、日本と協力したい理由がある。我々にも、協力することで得られるものがある。そこは忘れずにいたいね」
三浦は頷いた。
高瀬が警戒していないわけではない。むしろ、相手が強大な国家であることを理解しているからこそ、最初から対立を前提にしたくないのだろう。
「本日の公式日程では、宇宙開発についても概要に触れる予定ですが、具体的な技術条件は明日以降の協議に回します」
「うん。今日のうちに何かを決めようとする必要はない。まずは、お互いが何を目指しているのかを確かめよう」
高瀬はそう言って、机の上に名簿を置いた。
「それにしても、宇宙か。少し前まで、我々の議題は国内の電力供給と医療制度だったのにね」
「深海資源の問題もございました」
「ああ、そうだった。次々に新しい課題が増えるものだから、順番を間違えそうになる」
「総理、そのようなことを公の場でおっしゃらないでください」
「分かっているよ」
高瀬は穏やかな表情を浮かべたが、三浦にはその言葉が単なる冗談には聞こえなかった。
日本が手にした技術は、これまでにない機会を生み出している。一方で、その機会をどう扱うかという判断は、いつも政府に委ねられている。
そして今回、その判断の一部は、海の向こうから訪れる大統領との会話にかかっていた。
午後、羽田空港の上空に、大統領専用機が姿を現した。
機体は管制の指示に従って滑走路へ進入し、着陸後、あらかじめ指定された場所へと移動した。地上では警護担当者が周辺の状況を確認し、迎え入れを担当する日本側関係者が所定の位置につく。
報道用に認められた区域では、国内外の記者たちがカメラを構えていた。中継車のスタッフが音声を確認し、海外向けの放送では、大統領の訪日が持つ意味について解説が続いている。
やがて機体の扉が開き、タラップの上にリチャード・ウォーカー大統領が現れた。
六十二歳の大統領は、濃い色のスーツに身を包み、眼下の出迎えの列を見渡してから軽く手を上げた。強い風に上着の裾が揺れたものの、足取りは落ち着いている。
ウォーカーに続いて随行員が姿を見せ、機体の周囲では到着後の手順が滞りなく進められた。
日本側の出迎え代表と握手を交わしたウォーカーは、短い挨拶のなかで今回の訪日への期待を述べた。
「日本を再び訪れることができ、嬉しく思います。両国は長い歴史を持つ同盟国です。今回の訪問が、これからの世代にとっても意味のあるものになることを期待しています」
通訳を介して言葉が伝えられ、周囲から控えめな拍手が起こった。
ウォーカーはカメラの方向へ一度顔を向けたあと、案内に従って車両へ向かった。
専用車に乗り込むと、車外のざわめきは厚い扉の向こうへ遠ざかった。車内には、ウォーカーのほかにモーガン国務長官が同乗している。リード国防長官は別の車両で移動する予定だった。
「到着の映像は、もう世界中に流れているだろうな」
ウォーカーが窓の外を見ながら言った。
「はい。日本側も主要な歓迎行事を公開する予定です。今回の訪問については、科学技術分野の協力に関心が集中しています」
「核融合炉、医療、資源開発。日本はこのところ、ニュースの主役を独占している」
「それだけの成果を示してきたということでしょう」
モーガンは手元の資料を閉じた。車内で新たな会議を始めるつもりはなかったが、大統領の関心がどこに向いているかは分かっていた。
「高瀬首相は、簡単な相手ではありません」
「知っている。国際会議では、あまり大きな声を出さない男だった。だが、譲れないところでは動かない」
「今回も、その姿勢は変わらないでしょう」
「それなら、こちらも何を望んでいるのか、きちんと伝える必要があるな」
ウォーカーは膝の上で指を組んだ。
大統領が日本との宇宙開発協力を重視していることは、訪日に先立つ国内協議で明らかになっていた。アメリカは長年にわたり、有人宇宙飛行、探査機の運用、宇宙飛行士の訓練、深宇宙通信などに多額の資金と人材を投じてきた。
日本が持つ未知の技術と、アメリカが積み重ねてきた宇宙開発の経験が組み合わされば、これまで構想にとどまっていた計画を前進させられるかもしれない。
ただし、未知の技術があるからといって、すべての問題が解決するわけではない。
どれほど高性能な装置でも、人を乗せて運用する以上、故障時の対応、乗員の安全、責任の所在を曖昧にはできない。NASAのコリンズ長官が強調していたのも、その点だった。
ウォーカーは、技術への好奇心と、国家を率いる者としての慎重さを両立させる必要があると理解していた。
「モーガン。日本側は、我々が到着しただけで何かを譲るとは思っていないだろうな」
「もちろんです。むしろ、大統領が直接訪れることで、協力への本気度を測ろうとしているはずです」
「それなら期待に応えよう。大統領が飛行機に乗ってきた価値くらいは示さないとな」
「価値を示すことと、初日から結論を急ぐことは別です」
モーガンの返答に、ウォーカーは口元を緩めた。
「君は私が急ぎすぎると思っているのか」
「急ぐべき時には急がれる方です。ただ、今回は時間をかける価値のある案件だと申し上げています」
「分かった。今日は歓迎を受け、明日から仕事をする。それでいい」
車列が動き始めた。
窓の外には、整然とした道路と東京の建物が流れていく。沿道の一部では、警察官の誘導のもと、人々が車列の通過を見守っていた。
ウォーカーはその光景に目を向けながら、ふと尋ねた。
「日本の人々は、今回の訪問をどう受け止めている?」
「歓迎する声は多い一方で、日本の技術がアメリカに渡るのではないかと警戒する意見もあります。国内の報道では、共同開発と技術移転を区別すべきだという議論が見られます」
「当然だな。立場が逆なら、我々の国民も同じことを言う」
大統領はそれ以上、何も付け加えなかった。
技術を持つ側と、それを必要とする側。現在の日米関係を単純にそう表現することはできないが、少なくとも今回の議題では、従来とは異なる力関係が生まれている。
アメリカが日本に協力を求める。
その事実を、ウォーカーは屈辱とは考えていなかった。国家の利益になるのであれば、相手の優れたものを認め、対等な条件で協力することは合理的な判断だ。
しかし、協力によって何を得るかについては、最後まで交渉するつもりだった。
車列は東京の中心部へ向かい、沿道の景色は次第に官庁街の落ち着いた街並みへと変わっていった。
首相官邸では、到着予定時刻が近づくにつれて、職員たちの動きが一段と慌ただしくなっていた。
玄関前には日本側の出迎え関係者が並び、警護担当者が周囲を確認している。報道陣には撮影位置が指定され、カメラの向こうでは世界各国の視聴者が、これから行われる日米首脳の対面を待っていた。
高瀬首相は、玄関の近くで三浦から最後の報告を受けていた。
「大統領一行は予定どおり向かっています。到着まで、あと数分です」
「ありがとう。君も少し肩の力を抜きなさい」
「抜いております」
「そうは見えないがね」
三浦は反論しかけたものの、ちょうど通信機を通じて新たな連絡が入ったため、口を閉じた。
高瀬はその様子を見て、表情を和らげた。
長年、政治の世界に身を置いてきた彼にとって、首脳同士の握手や写真撮影は決して珍しいものではない。むしろ、そうした場面が外交の成果そのものではないことを、誰よりも理解していた。
握手は数秒で終わる。記念写真も、撮影が済めば報道機関へ送られていく。
しかし、その数秒の表情や態度が、これから始まる会談の雰囲気を左右することもある。
やがて、先導車両に続いて大統領の車が官邸へ到着した。
車両が停止し、警護担当者が周囲を確認したあと、扉が開かれる。
ウォーカーが姿を現すと、高瀬は数歩進み出た。
「ウォーカー大統領。ようこそ日本へ」
「高瀬首相。お招きいただき、ありがとうございます」
二人は固く握手を交わした。
カメラのシャッター音が一斉に響くなか、ウォーカーは高瀬の顔を見て笑みを浮かべた。
「前にお会いしたときより、お忙しそうですね」
「おかげさまで、退屈する暇がありません」
「その理由については、私もよく存じています」
互いに短く笑い合い、周囲の空気がわずかに和らいだ。
続いてモーガン国務長官、リード国防長官らとの挨拶が交わされ、日本側の関係者が紹介された。三浦もウォーカーと握手を交わし、歓迎の言葉を述べる。
「官房長官。今回の訪問では、お世話になります」
「こちらこそ、大統領。実りある訪問となるよう努めてまいります」
形式的な挨拶ではあったが、三浦はウォーカーの視線が相手の顔から離れないことに気づいた。
大統領は、一人ひとりの反応を確かめるように言葉を交わしている。華やかな場に慣れた政治家の振る舞いであると同時に、相手を観察する交渉者の態度でもあった。
歓迎行事は予定に沿って進み、両首脳は報道陣の前で並んで写真撮影に応じた。
その後、限られた関係者を伴って官邸内部へ移動する。
廊下を歩きながら、ウォーカーは壁に飾られた写真に目を向けた。過去の日米首脳会談や国際会議の記録が並んでいる。
「こうして見ると、我々の国はずいぶん長い間、一緒に仕事をしてきましたね」
「ええ。意見が一致することばかりではありませんでしたが、その都度、話し合いを重ねてきました」
「今回もそうなるでしょう」
「そう願っています」
高瀬の返答を聞き、ウォーカーは頷いた。
会談室へ通されると、両首脳は所定の席についた。テーブルにはそれぞれの国旗が置かれ、通訳や必要な補佐官が控えている。
まず行われるのは、訪日の歓迎と、日米関係についての一般的な意見交換だった。詳細な技術条件や具体的な協定案を扱う協議は、翌日以降に予定されている。
高瀬が口を開いた。
「大統領、改めて日本へのご訪問を歓迎します。両国には安全保障、経済、科学技術をはじめ、多くの協力分野があります。今回の訪問を通じて、将来を見据えた関係をさらに深められればと思っています」
「ありがとうございます、首相。私も同じ考えです。アメリカと日本は、互いに重要な役割を果たしてきました。そして今、我々の前には新しい可能性が開かれています」
ウォーカーは言葉を選びながら続けた。
「日本が近年達成した科学技術上の成果には、世界中が注目しています。私はそれを、競争の結果として見るだけではなく、両国が新しい分野で協力する機会として捉えています」
「日本としても、技術がより多くの人々の役に立つことを望んでいます。協力できる分野については、前向きに検討したいと考えています」
「心強いお言葉です」
そこでウォーカーは一度言葉を切り、窓の外へ視線を向けた。
「私は若い頃、宇宙飛行士たちが地球を離れていく映像を何度も見ました。技術が進歩すれば、いつか人類は月を訪れるだけでなく、そこで長い時間を過ごせるようになる。そうした未来を信じていたものです」
高瀬は、その話に関心を示した。
「私も、宇宙開発には特別な魅力があると思います。地球上では国境を意識せざるを得ない我々ですが、宇宙から見れば、同じ一つの星に暮らしているわけですから」
「まさに、そのとおりです」
ウォーカーは身を乗り出すことなく、しかし先ほどより力を込めて言った。
「人類が次の段階へ進むために、アメリカと日本が協力できることは多いはずです。私は今回の訪問を、その出発点にしたいと考えています」
それは、具体的な技術提供を求める発言ではなかった。宇宙船の性能も、開発費用も、役割分担も示されていない。
それでも高瀬には、ウォーカーがこの分野に強い意欲を持っていることが伝わった。
「その可能性について、ぜひ意見を交わしましょう。ただし、大きな計画ほど、実現までに多くの人の知恵と努力が必要になります。互いの強みを尊重しながら進めることが重要でしょう」
「同感です。私も、長く続く協力関係を望んでいます」
通訳の声が会談室に響き、補佐官たちがそれぞれ必要な記録を取っていく。
両首脳の言葉は友好的だった。少なくとも、この場で対立が表面化することはなかった。
しかし、三浦は高瀬の発言に含まれた意味を理解していた。
互いの強みを尊重すること。
その一言には、日本が独自に管理している技術を、同盟国だからという理由だけで自由に扱わせるつもりはないという姿勢が込められている。
一方のモーガンも、ウォーカーの発言を注意深く聞いていた。
大統領は、日本が示してきた技術の価値を認め、協力の可能性を語った。しかし、技術の内部構造や管理権限については、まだ何も要求していない。
今日の段階では、それでよかった。
初日の会談で相手を追い詰めるより、まず協力の必要性を双方が認めることのほうが、今後の交渉には役立つ。
短い意見交換が終わる頃、ウォーカーは高瀬に尋ねた。
「首相は、日本とアメリカが十年後、どのような関係にあることを望みますか」
予定された発言から少し外れた質問だった。
高瀬は答えを急がず、目の前の大統領を見た。
「十年後ですか。難しい質問ですね。十年もあれば、今は想像できない技術が生まれるかもしれません」
「最近の日本を見ていると、十分あり得る話です」
「ただ、技術がどれほど変わっても、互いを信頼できる関係でありたいと思います。相手の立場を理解し、意見が違うときにも対話を続けられる。そのような同盟であってほしいですね」
ウォーカーはしばらく高瀬を見つめ、それから満足そうに頷いた。
「良い答えです。私も、そのような関係を残したい」
会談室の空気は、最初の緊張を少しずつ失っていた。
ただし、互いに好意的な言葉を交わしたからといって、これからの交渉が容易になるとは限らない。むしろ、友好的な関係を維持したまま、どこまで互いの要求を受け入れられるかが問われることになる。
会談後、両首脳は予定された歓迎行事に臨み、報道陣の前で短い発言を行った。
高瀬は、日米が幅広い分野で協力を深めていく方針を確認したと説明した。ウォーカーも、日本の歓迎に感謝を述べ、将来の科学技術協力について建設的な意見交換ができたと語った。
記者からは、宇宙開発に関する新しい共同計画が合意されたのかという質問が出た。
高瀬は、具体的な協力内容については今後の協議で検討すると答え、現段階で決定した計画はないことを明確にした。
ウォーカーも、その説明を否定しなかった。
「重要な計画には、十分な議論が必要です。我々は可能性を探るためにここへ来ました。成果を急いで約束するより、実現できる協力を見つけることが大切だと考えています」
その言葉が通訳されると、記者たちは一斉にメモを取り、カメラの向きを変えた。
公式行事を終えた頃には、東京の空は夕暮れの色に染まり始めていた。
官邸の一室では、ウォーカーが短い休憩を取っていた。モーガンとリードも同席しているが、ここでは随行員の人数が絞られていた。
ウォーカーは上着の前を整えながら、昼間の会談を振り返った。
「高瀬首相は、こちらの話をよく聞いていた」
「ええ。ただし、具体的な約束には踏み込んでいません」とモーガンが答えた。
「当然でしょう。まだ初日ですから」
リードは窓際から離れ、二人のほうへ向き直った。
「日本側は、協力の可能性を否定していません。しかし、技術の運用に関する具体的な条件は、これから確認する必要があります」
「分かっている、リード。君が気にしていることも、明日には議題に上がる」
「ありがとうございます、大統領」
ウォーカーは椅子に腰を下ろした。
今回の訪日には、二つの目標がある。日本と協力して新しい宇宙開発計画を実現すること。そして、アメリカにとって有利な技術的・運用上の条件を可能な限り確保することだ。
どちらか一方だけを考えていては、交渉を成功させることはできない。
ウォーカーは高瀬の言葉を思い返した。
互いの強みを尊重する。
それは外交上の礼儀であると同時に、相手が何を守ろうとしているのかを示す言葉でもあった。
「日本は、何かを大切に守っている」
ウォーカーが言うと、モーガンは少し考えてから答えた。
「技術の管理体制と、それを維持するための判断権でしょう。これまでの日本政府の説明とも一致します」
「だろうな。だが、我々にはまだ知らないことが多い」
「はい。だからこそ、明日は推測ではなく、相手の説明を聞く必要があります」
ウォーカーは頷いた。
「協力できるところは協力する。譲れないところがあれば、その理由を聞く。我々の要求についても、必要性を説明する。それだけだ」
言葉にすれば単純な方針だったが、実行するのは容易ではない。
日本が持つ未知の技術は、アメリカの宇宙開発に大きな利益をもたらす可能性がある。その一方で、仕組みを知らない装置に人命を預けることへの懸念も、正当なものだった。
協力を成立させるためには、相手にすべてを明かさせることでも、疑問をすべて飲み込むことでもない、第三の道を探さなければならない。
「明日は、興味深い一日になりそうだ」
ウォーカーはそう言って、立ち上がった。
その頃、官邸の別室では、高瀬と三浦も一日の報告を確認していた。
歓迎行事は予定どおり終了し、報道対応にも大きな混乱はない。アメリカ側から、予定外の技術資料の提出要求や、協議日程の変更要請も出ていなかった。
「まずは、無事にお迎えできましたね」
三浦が言うと、高瀬は頷いた。
「そうだね。ウォーカー大統領は、思っていた以上に宇宙の話をしたがっているようだった」
「NASAの関係者も、明日以降の協議に参加する予定です。科学技術面の議論は、かなり具体的になると思われます」
「それは歓迎すべきことだ。実際に何をしたいのかが分からなければ、こちらも判断できないからね」
三浦は手元の予定表を確認した。
翌日の協議では、宇宙開発の構想や、両国が担える役割について意見を交換する。その後、必要に応じて技術的な条件を整理する予定だった。
まだ、何も決まっていない。
それでも、アメリカ大統領が日本を訪れ、宇宙開発への協力意思を直接表明したという事実は、大きな一歩だった。
「総理。今日の会談を、どのように評価されますか」
高瀬は少し考え、机の上に置かれた日米両国の小さな国旗へ視線を向けた。
「良い始まりだったと思うよ。少なくとも、互いに話を聞く気持ちはあるようだ」
「はい」
「ただし、良い始まりと、良い結末は別の話だ。明日からが本番だね」
三浦は予定表を閉じた。
窓の外では、東京の街に明かりが灯り始めていた。多くの人々にとって、今日はアメリカ大統領が来日したというニュースの一日であり、明日もまた、それぞれの日常が続いていく。
その日常の向こう側で、二つの国は、まだ形のない宇宙開発の未来を巡って向き合おうとしていた。
ウォーカー大統領の訪日は実現した。
だが、彼が本当に知りたいことの多くは、まだ日本政府の説明の向こう側に残されていた。




