第71話 日本の譲れない一線
首相官邸の会議室には、いつもの閣議とは少し違う緊張感が漂っていた。
長机の上に並んでいるのは、アメリカ政府から外交ルートを通じて送られてきた協議事項の概要と、日本側が独自にまとめた検討資料だった。どちらもまだ正式な交渉文書ではなく、訪日を実現させるための事前調整にすぎない。しかし、そこに記された項目の一つひとつが、今後の日本の立場を大きく左右する可能性を持っていた。
高瀬隆一首相は資料の最後のページまで目を通すと、眼鏡を外して机に置いた。
「宇宙開発協力、技術評価、安全保障上の情報共有、運用体制の整備……。予想していたことではあるが、ずいぶん広い範囲を議題にしたいようだね」
向かいに座る三浦誠司官房長官が頷いた。
「はい。ただし、現段階で具体的な技術移転を正式に要求しているわけではありません。アメリカ側も、まずは何を協議できるのか探っている段階だと思われます」
「つまり、こちらがどこまで話に応じるかによって、向こうの要求も変わる」
「その可能性は高いでしょう」
三浦は手元の資料を開き、いくつかの項目に印をつけた。
アメリカの宇宙開発能力は、世界でも屈指の水準にある。有人宇宙飛行の経験、長年にわたって蓄積された運用技術、膨大な研究施設と人材。そのどれもが、日本だけで短期間に用意できるものではない。
一方、日本には、従来の科学技術では説明のつかない装置が存在していた。
すでに社会に大きな変化をもたらし始めている超小型核融合炉をはじめ、日本政府が扱ういくつかの技術は、既存の工学的な常識をはるかに超えている。その事実を知っているアメリカが、宇宙開発という新たな分野で協力を求めてくること自体は不思議ではなかった。
むしろ、高瀬には今回の訪日打診が遅かったくらいに思える。
「宇宙開発そのものは、悪い話ではない」
高瀬がそう言うと、三浦は顔を上げた。
「私も同意見です。日本には優れた研究者や技術者がいますが、大規模な有人宇宙開発となれば、アメリカとの協力によって得られるものは大きいでしょう」
「ただし、協力することと、何でも差し出すことは違う」
「はい。そこを曖昧にしたまま交渉に入るわけにはいきません」
高瀬は資料の一枚を取り上げた。
そこには、政府内で検討した技術協力の分類案が記されている。
一般的な研究成果の共有。日本とアメリカが共同で設計・製造する設備の情報交換。日本が提供する完成品の運用に必要な仕様の開示。そして、提供者が管理する核心部分へのアクセス。
ひと口に技術協力といっても、その中身はまったく異なっていた。
「この分類は使えそうだね。共同開発だからといって、すべてを共同所有にする必要はない。通常の技術については双方が協力し、特殊な装置については完成品の利用条件を個別に定める。少なくとも、議論の出発点にはなる」
「問題は、アメリカ側がその区分を受け入れるかどうかです」
「受け入れられないなら、別の方法を考えてもらうしかない」
高瀬の返答は静かだったが、迷いはなかった。
三浦はその言葉を聞きながら、以前の出来事を思い出していた。
政府が一度、技術提供者との約束を破り、本人の身元を調べようとしたことがある。結果として調査は失敗し、高瀬自身が謝罪する事態になった。
あの一件以降、日本政府と提供者との関係は続いているものの、それは無条件の信頼を取り戻したからではない。政府が守るべき約束を理解し、相手の意思を尊重するという積み重ねの上に成り立っている。
その関係を、外国との交渉のために再び危険にさらすわけにはいかなかった。
「総理、もう一つ確認しておきたいことがあります」
「何だね」
「仮にアメリカ側が、核心技術の内部情報を開示することを協力の前提条件とした場合です。宇宙開発以外の分野で外交上の不利益が生じる可能性もあります」
高瀬はすぐには答えなかった。
日米同盟は、日本の安全保障にとって重要な基盤だ。経済、外交、技術、人的交流に至るまで、両国の関係は複雑に結びついている。宇宙開発に関する一つの要求を拒否したからといって、すべてが壊れるわけではない。しかし、交渉の仕方を誤れば、別の分野にまで影響が及ぶ可能性はある。
「その場合でも、我々が持っていない権限を約束することはできないよ」
やがて高瀬は答えた。
「提供者の技術を、政府の所有物であるかのように扱うことはできない。日本が管理している設備であっても、その核心部分まで自由に処分できるわけではないからね」
「承知しました」
「それに、相手がアメリカだからこそ、最初から正確に伝える必要がある。曖昧な期待を持たせて、交渉の最後になって不可能だと言うほうが、よほど信頼を損なうだろう」
三浦は資料の余白に短いメモを書き加えた。
政府として守るべき条件は整理できつつある。
しかし、この協議には、もう一人――正確には、もう一羽――の意見が欠かせなかった。
「それでは、ボスさんにお話を伺いましょう」
高瀬が頷くと、三浦は机の端に置かれた専用の通信端末へ視線を向けた。
連絡の予定は、あらかじめ先方と調整してある。
相手の都合を確認せず、突然呼び出すようなことは、今ではしなくなっていた。
◇
通信がつながると、画面の向こうには見慣れた小さなペンギンの姿が映し出された。
ボスは柔らかそうなクッションの上に座り、その隣では紬が膝を抱えている。少し離れた場所には、銀白色の髪を持つアイリスのホログラムが立っていた。
「よう、総理。今日はずいぶん真面目な顔してんな」
「君と話すときは、いつも真面目なつもりなんだがね」
「そうか? 前に俺の名前聞いて笑いそうになってただろ」
「それは否定しないよ」
高瀬が小さく笑うと、三浦は咳払いをした。
「ボスさん、本日はアメリカ大統領の訪日に向けて、日本側が守るべき条件を確認させていただきたいと思っています」
「おう。そっちの考えを聞かせてくれ」
ボスは短い翼を身体の脇に収め、画面に向き直った。
紬はその様子を見てから、そっと手を伸ばしてボスを抱き上げた。腕の中に収まった丸い身体を落ち着く位置に整えると、自分も画面を見る。
人間の政治家と話すことには、いまだに慣れない。
けれど、今日は自分に関係する大切な相談だと分かっていた。
「まず、日本政府としては、アメリカとの宇宙開発協力を前向きに検討する方針です」
三浦が説明を始めた。
「ただし、現時点で紬さんに新しい技術の提供をお願いすることが決まっているわけではありません。アメリカ側からも、具体的な装置の仕様や提供数量について正式な提案は届いていません」
「分かってる。話が始まる前から、紬に何か作れって言われても困るからな」
「はい。その点は政府としても認識しています」
三浦は続けて、先ほど高瀬と確認した技術協力の区分を説明した。
日本とアメリカの研究者が共同で開発する一般的な設備については、双方の合意に基づいて情報を共有する。一方、紬が提供する特殊な装置については、内部構造を開示せず、完成品として利用することを基本とする。
装置を使うために必要な操作方法や、安全に運用できる条件は、利用者に伝えなければならない。しかし、装置の中身を調べたり、複製したり、独自に改造したりする権限まで認めるものではない。
説明を聞き終えたボスは、すぐに答えず、紬を見上げた。
「どうだ、紬」
「……うん。それなら、いいと思う」
紬は少し考えてから言った。
「使い方を教えるのは、必要だと思う。でも、中まで全部教えなきゃ使えないって言われると……それは、違う気がする」
「そうだな。車を買ったからって、メーカーの工場ごと寄越せとは言わねえだろ」
「厳密には異なる部分もありますが、考え方としては近いですね」
アイリスが穏やかに補足した。
「重要なのは、利用者が安全性を確認できることと、内部の製造原理を知ることを分けて考える点です。両者は必ずしも同じではありません」
三浦は頷いた。
「アメリカ側も、有人宇宙開発であれば安全性の検証を重視するはずです。そこについては、我々も同じ立場です」
「そりゃ当然だ。宇宙で故障したら、近くの修理屋に持ち込むわけにもいかねえからな」
「ええ。ですから、何が起きたときに装置がどう振る舞うのか、誰が運転を止められるのか、異常が発生した場合に乗員をどう守るのか。そうした事項は、共同で検討する必要があります」
高瀬が言葉を引き取った。
「私たちが考えているのは、内部の秘密を守りながら、実際に使う人たちには十分な情報を渡すという形だ。どちらか一方だけでは、有人宇宙開発は成立しないだろう」
ボスは高瀬の顔をしばらく見つめてから、納得したように頷いた。
「いいじゃねえか。俺も、そこは手を抜くつもりねえよ」
その言葉に、紬も小さく頷いた。
自分が作るものなら、安全な装置にできるという自信はある。しかし、それを使う人たちが何も知らないままでよいとは思っていない。宇宙という遠い場所で生活するなら、装置だけでなく、そこにいる人たち自身が判断できることも大切なのだろう。
「……もし、作ることになったら」
紬が口を開くと、三浦は姿勢を正した。
「はい」
「乗る人たちが、ちゃんと分かるようにしたいです。危ないときに何をすればいいかとか、そういうの……」
「ありがとうございます。具体的な計画が進んだ際には、研究者や運用担当者と相談する機会を設けられるよう調整します」
「……はい」
返事を終えた紬は、少し安心したようにボスの頭を撫でた。
高瀬はその様子を見守りながら、次の話題へ移った。
「もう一つ、共同事業の運営について確認したい」
「運営?」
「仮に日本とアメリカが一緒に宇宙船を開発し、その船で宇宙へ向かうとしよう。そうなれば、船の運用や研究の方針を誰が決めるのかという問題が出てくる」
ボスは首を傾げた。
「一緒に作るなら、一緒に決めりゃいいんじゃねえのか?」
「基本的にはそのとおりだ。ただ、実際には簡単ではない。人員、予算、設備、研究目的、それぞれの国が負担するものは異なるだろう。何か問題が起きたときに、最終的な判断を誰が下すのかも決めておかなければならない」
「なるほどな。船長が二人いて、片方が右に行け、もう片方が左に行けって言ったら困るわけか」
「そういうことだね」
高瀬は微笑んだ。
「日本としては、共同開発をする以上、アメリカの下請けになるつもりはない。研究の成果も、運用上の責任も、双方が納得できる形で分担したいと考えている」
「そりゃそうだろ。日本だけが特別な道具を出して、使い道は全部アメリカが決めるってんじゃ、共同開発とは言えねえ」
「私もそう思う」
高瀬は短く答えた。
ただし、ここで日本の発言権を確保することと、紬の提供する装置の管理権限を政府が自由に扱えることは別の問題だった。
その違いを、高瀬はあえて言葉にした。
「共同事業の運営方針は、日本政府がアメリカと交渉する。しかし、紬さんから提供してもらう装置の利用条件については、まず本人の了承が必要だ。政府同士で決めたからといって、その条件を勝手に変更することはしない」
「おう。そこが一番大事だな」
ボスの返答には、先ほどまでの軽さがなかった。
「俺たちは日本に協力してる。けど、何でも好きに使っていいって渡してるわけじゃねえ。まして、知らねえうちに別の国へ持っていかれるなんてのは論外だ」
「理解しているよ」
「それと、用途だ」
ボスは続けた。
「宇宙を調べるとか、人が安全に行き来できるようにするとか、そういう話なら紬も興味あるだろう。だが、軍事目的で使うための道具を作れって話なら、最初から断る」
リード国防長官がアメリカ国内でどのような議論をしているか、ボスたちは知らない。
しかし、国家が新しい技術を手にしたとき、安全保障上の利用を考えること自体は想像できた。
だからこそ、用途の区分は事前に確認しておく必要がある。
「そこについては、日本政府としても慎重に扱う考えです」
三浦が答えた。
「宇宙開発には、通信や観測など、民生と安全保障の双方に関わる技術もあります。すべてを単純に分類できるわけではありませんが、少なくとも提供者の意向に反する軍事転用を認めることはありません」
「その言い方なら分かる。何でもかんでも軍事だって騒ぐつもりはねえよ。だけど、用途を隠して後から違うことに使うのは駄目だ」
「ええ。計画の目的、利用者、運用の範囲を確認したうえで判断する必要があります」
紬は腕の中のボスを見下ろした。
「……私、宇宙に行く人が、安心して帰ってこられるようなものなら作りたい」
その声は小さかったが、通信を通してはっきり届いた。
「でも……誰かを攻撃するために使われるのは、嫌です」
高瀬は頷いた。
「その考えを、私たちは交渉の前提として扱うよ」
紬は「ありがとうございます」と答え、それ以上は何も言わなかった。
自分の気持ちを政治の言葉に置き換えることは難しい。それでも、ボスが隣にいてくれるなら、伝えたいことを少しずつ伝えられる。
そんな紬の様子を、三浦は急かさずに待っていた。
やがてアイリスが口を開いた。
「一点、運用責任に関して確認をお願いしてもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
「仮に装置が正常に動作していても、運用者の判断や、装置以外の設備の不具合によって事故が発生する可能性はあります。その場合、原因の調査と責任の所在を明確にする仕組みが必要です」
三浦は表情を引き締めた。
「おっしゃるとおりです」
「また、装置の安全機能を理由として、他の設備の点検や訓練を省略することは避けていただきたいと思います。マスターが提供する技術の性能と、事業全体の安全性は同一ではありません」
「その点は、アメリカ側との協議でも重要になるでしょう」
高瀬が答えた。
「どれほど優れた装置があっても、人間の側の責任がなくなるわけではない。共同事業として成立させる以上、我々も運用に責任を持たなければならない」
「ありがとうございます」
アイリスは静かに一礼した。
紬はその説明を聞きながら、少しだけ考え込んでいた。
万物創造なら、必要な装置を完成した状態で用意できる。
けれど、宇宙船に乗る人が何を研究したいのか、どんな生活を送りたいのか、どのような手順で仕事を進めるのかまで、自分が決める必要はない。
むしろ、そうした部分は専門家たちに任せたいと思っていた。
「……あの」
紬が遠慮がちに声を出した。
「はい、紬さん」
「私、宇宙船を全部作るっていうより……必要なところだけ、手伝うほうがいいです」
高瀬と三浦は顔を見合わせた。
紬は続けた。
「宇宙船の形とか、中で使うものとか、そういうのは、作りたい人たちが考えたほうが楽しいと思うので……。私が全部決めちゃうと、研究することがなくなっちゃいそうです」
言い終えると、少し恥ずかしくなったのか、紬はボスの頭に頬を寄せた。
ボスはそんな紬を見上げて、満足そうにくちばしを開いた。
「いいじゃねえか。必要な道具は貸すけど、船を作る楽しみまで取らねえってことだろ」
「……うん」
「それなら、アメリカにも日本にも仕事がたっぷり残るな」
高瀬は思わず笑みを浮かべた。
「実にありがたい話だ。研究者たちも、きっと喜ぶだろうね」
もっとも、現実の開発現場では、必要な装置が用意されるだけで解決する問題ばかりではない。船体の設計、乗員の生活環境、地上設備との接続、訓練、事故対応など、膨大な検討が必要になる。
それでも、すべてを未知の技術に依存するのではなく、既存の専門家たちが主体的に開発するという方針は、共同事業を成立させるうえで大きな意味を持つ。
三浦はその発言を、今回の協議で最も重要な事項の一つとして記録した。
「では、紬さんのご意向として、特殊な技術の提供は必要な部分に限定し、それ以外の設計や運用は日米の専門家が担うことを基本に考えます。ただし、具体的な範囲は計画が固まってから改めて相談する、ということでよろしいでしょうか」
「……はい。それがいいです」
「承知しました」
高瀬は資料を閉じた。
これで、政府が交渉に持ち込むべき基本的な考え方は整理できた。
しかし、最後に一つだけ、どうしても確認しておかなければならないことが残っていた。
「ボス君、紬さん。もう一つ、少し難しい話をしてもいいかな」
「何だ?」
「アメリカ側が、技術を提供している人物と直接話したいと言ってくる可能性がある」
紬の腕が、ほんの少しだけ強くなった。
ボスはそれに気づいたが、すぐには口を挟まなかった。
「もちろん、今のところ、そのような正式な要求が届いているわけではない。ただ、相手が国家の首脳である以上、そうした希望が出てくる可能性は考えておくべきだと思っている」
三浦が補足した。
「その場合でも、日本政府が紬さんとの面会を約束することはありません。相手にお伝えできるのは、提供者の意思を確認する必要があるということだけです」
紬は画面から視線を落とした。
知らない外国の人と会う。
しかも、その相手がアメリカの大統領かもしれない。
そう考えただけで、胸の奥が少し落ち着かなくなる。
ボスは紬の手に、自分の短い翼をそっと重ねた。
「今決める必要はねえだろ」
「そのとおりだ」
高瀬は即座に答えた。
「もし実際に要望があれば、そのとき改めて相談する。断っても構わないし、返事を保留してもいい。こちらから会うように求めるつもりはないよ」
「なら、それでいい。紬が嫌だって言ったら、そこで終わりだ」
「理解している」
紬は少しだけ顔を上げた。
「……ありがとうございます」
その言葉を聞いて、高瀬は穏やかに頷いた。
以前の政府であれば、国家の利益という理由を掲げて、本人の意思を後回しにしていたかもしれない。
だが、それがどのような結果を招くか、高瀬たちはすでに経験している。
相手の力が大きいから配慮するのではない。
協力が自主的なものである以上、本人が断る権利もまた、最初から認めなければならないのだ。
「では、今日の確認事項を整理しよう」
高瀬は三浦に目を向けた。
「提供者の身元と私生活に関する情報は開示しない。核心技術の内部構造や製造方法について、日本政府が独断で開示を約束することはない。新たな装置の提供には、本人の明確な了承を必要とする」
三浦が一つずつ記録していく。
「共同事業は対等な協力を基本とし、通常の開発・運用については日米双方の専門家が責任を分担する。特殊な装置については、必要な操作情報と安全上の条件を共有するが、内部への無制限のアクセスは認めない」
「そして、用途は平和的な宇宙開発を基本とする。軍事転用や目的外利用は認めず、運用上の責任と事故調査の仕組みを別途検討する」
高瀬はそこで一度言葉を切り、画面の向こうを見た。
「この方針で、交渉の準備を進めたい。どうだろうか」
ボスは紬を見上げた。
「紬、いいか?」
「……うん」
紬は頷いた。
「ちゃんと、私に聞いてくれるなら……大丈夫」
「よし」
ボスは画面に向き直った。
「俺たちからはそれでいい。ただし、まだ宇宙船を作るって約束したわけじゃねえからな。どんな計画なのか聞いて、紬が納得してからだ」
「もちろんだよ」
高瀬は答えた。
「我々も、アメリカ側の提案を聞かずに判断するつもりはない。まずは互いに何を目指しているのか、そこから話し合うことになる」
通信を終える前に、三浦が一つだけ確認した。
「ボスさん、今後アメリカ側との調整が進んだ場合、具体的な計画をお伝えするため、再度お時間をいただくことになると思います」
「おう。話がまとまってから教えてくれりゃいい。途中の細かい駆け引きまで、俺たちに全部持ってくる必要はねえぞ」
「助かります」
「その代わり、紬に関係することは勝手に決めんなよ」
「はい。必ず確認します」
通信が終了すると、会議室には静けさが戻った。
三浦は画面が消えたことを確認し、ようやく椅子の背もたれに身体を預けた。
「……ひとまず、確認できましたね」
「ああ」
高瀬は机に残された資料を見た。
日本政府として守るべき条件は明確になった。だが、それをアメリカがどのように受け止めるかは、まだ分からない。
「総理。アメリカ側が、共同開発の実現を重視していることは確かだと思います。ただ、核心技術へのアクセスを簡単に諦めるとも考えられません」
「そうだろうね」
「交渉は難しくなるかもしれません」
「難しくても、避けるわけにはいかないよ」
高瀬は資料を手に取り、先ほど確認した条件が記されたページを開いた。
「大切なのは、すべての要求を拒むことではない。協力できる部分を探しながら、守るべきものを守ることだ」
三浦は頷いた。
アメリカにはアメリカの事情があり、日本には日本の事情がある。その違いを埋めるためにこそ、外交交渉は存在する。
ただし、今回の日本には、通常の外交交渉とは決定的に異なる事情があった。
政府が扱っている技術の一部は、国家の命令によって生まれたものではない。
その技術を提供するかどうかを決めるのは、首相でも、大臣でも、まして外国の大統領でもなかった。
「三浦君、訪日の日程については、先方と引き続き調整を進めてくれたまえ」
「承知しました。議題の整理と、関係省庁への説明も進めます」
「ただし、今日確認した条件は変えない。それを前提として、交渉に臨む」
「はい」
三浦は資料を揃え、立ち上がった。
窓の外には、いつもと変わらない東京の街並みが広がっている。
その街で暮らす一人の若い女性が、世界の宇宙開発の行方を左右するかもしれない。そんな事実を知る者は、ごくわずかだった。
高瀬は窓の向こうを見ながら、静かに息を吐いた。
これから日本が向き合うのは、世界最大級の影響力を持つ同盟国の大統領だ。
協力によって得られる未来は大きい。だからこそ、その入口で譲ってはならないものがある。
高瀬は手元の資料に目を戻した。
そこには、交渉に向けた日本側の基本方針が、簡潔な言葉で記されていた。
技術提供者の意思を尊重し、核心技術と個人の秘密を守る。
それは、日本が新しい宇宙開発へ踏み出すための、最初の条件だった。




