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うちのぺんぎんが日本政府と交渉している件  作者: むぎちゃ
第4章 小さな奇跡と星への第一歩
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第70話 大国の計算

 ワシントンD.C.の朝は、薄い雲に覆われていた。


 ホワイトハウスの西棟では、まだ始業時刻を迎えていない部署にも明かりが灯り、廊下を行き交う職員たちが書類や端末を手に慌ただしく動いている。その一角に設けられた会議室では、アメリカ合衆国の対日政策に関わる重要な協議が始まろうとしていた。


 長い会議机の中央には、リチャード・ウォーカー大統領が座っている。


 その右側にキャサリン・モーガン国務長官、向かいにはジョナサン・リード国防長官。そして、普段は宇宙開発に関する報告書を持って大統領と会うことの多いNASA長官、アンドリュー・コリンズも同席していた。


 机上には、日本との宇宙開発協力に関する検討資料が並んでいる。


 ただし、そのどれにも具体的な宇宙船の設計図は存在しなかった。推進方式も、必要な設備も、実現可能な航行速度さえ分からない。日本が保有する技術について、アメリカ側が把握しているのは公表された性能と運用実績の一部にすぎず、宇宙開発への応用可能性は推測の域を出ていなかった。


 それでも、会議に出席した誰もが理解していることが一つある。


 もし日本の技術を宇宙開発に利用できるなら、人類の宇宙進出は従来の予測を大きく超えて加速するかもしれない。


 問題は、その可能性をどのような条件で現実に変えるかだった。


「では、始めよう」


 ウォーカーが資料を閉じ、出席者を見渡した。


「今日は訪日そのものの是非を議論するつもりはない。日本側との日程調整は進めている。ここで決めたいのは、我々が何を提案し、どこまで要求し、何を持ち帰るべきかだ」


 モーガンが頷いた。


「国務省としては、最初に交渉の順序を整理する必要があると考えています。共同宇宙開発の構想と、核心技術へのアクセス要求を同時に前面へ出すことには慎重であるべきです」


「理由は?」


「日本政府にとって、技術の管理権限は譲れない問題である可能性が高いからです。そこから話を始めれば、宇宙開発の協力自体が進まなくなるおそれがあります」


 リードが手元の資料に目を落とした。


「だが、アクセスの問題を後回しにしすぎるのも危険だ。我々が何を利用できるのか分からなければ、協力の範囲も判断できない」


「利用条件の確認と、内部技術の開示要求は別の話です」


「安全保障の観点では、そう簡単に切り分けられない」


 二人の意見がぶつかったところで、ウォーカーはコリンズへ視線を移した。


「NASAはどう見る?」


 コリンズは少し身を乗り出した。


「率直に申し上げれば、宇宙開発の立場からは、まず日本がどのような協力を検討できるのかを知りたいと考えています。内部構造の説明がなければ、何も設計できないというわけではありません」


「具体的には?」


「完成した装置を、定められた条件で利用できるなら、宇宙船全体の設計を進める方法はあります。もちろん制約は大きいでしょう。しかし、装置がどのような入力を受け、どのような出力を返し、異常時にどう振る舞うのかを確認できれば、周辺の設備は我々の技術でも設計できます」


 リードが眉を寄せる。


「つまり、原理を知らないまま宇宙飛行士を乗せるつもりか?」


「いいえ。原理が不明であることと、安全性を確認できないことは同義ではありません」


 コリンズの返答には迷いがなかった。


「我々が求めるべきなのは、検証可能な運用条件です。実際の性能を測定し、故障時の挙動を確認し、想定外の事態に対応する手順を整える。内部が解析できない装置であっても、それらを十分に検証できるかどうかは別に判断できます」


「検証できなかった場合は?」


「有人飛行には使いません」


 短い答えだった。


 コリンズは続けた。


「NASAが宇宙飛行士の命を賭ける条件は、政治的な期待だけでは決められません。日本の技術がどれほど優れていようと、試験と審査を省略するつもりはありません」


 ウォーカーは小さく頷いた。


 日本の技術を手に入れたいという期待は、会議の出席者全員に共通している。しかし、その期待が向かう先は立場によって異なっていた。


 NASAにとって重要なのは、これまで不可能だった宇宙探査を実現することだ。国防総省は、その技術が国家間の力関係を変える可能性を無視できない。そして国務省は、アメリカが何を要求するかだけでなく、その要求を受けた日本がどう反応するかを考えなければならなかった。


「一つ、確認したい」


 リードがコリンズへ問いかけた。


「仮に日本が、内部を一切開示しない完成装置だけを提供するとしよう。その装置が宇宙船の推進や航行を担う場合、我々は日本の協力なしに運用を続けられるのか?」


「それは契約と装置の仕様によります。現時点では答えられません」


「そこが問題だ」


 リードは机の上で指を組んだ。


「宇宙船を共同で建造しても、重要な部分が日本にしか扱えないなら、運用上の主導権まで日本に依存することになる。平時は問題なくても、外交関係が変化した場合はどうする?」


 モーガンが口を開く。


「その懸念は理解します。ただし、依存を完全に排除することを交渉の前提にすれば、そもそも協力は成立しません。日本にとっても、アメリカへ核心技術を渡すことには同じ種類の懸念があるはずです」


「日本と我々は同盟国だ」


「同盟国だからこそ、互いに守るべきものがあるということです」


 モーガンの声は穏やかだったが、言葉には明確な重みがあった。


「日本が自国の判断で管理している技術を、我々の都合で引き渡させようとすれば、協力相手としての信頼を損ないます。まして、彼らがその技術を自由に提供できる立場にあるかどうかも、こちらには分かっていません」


 ウォーカーはその一言に反応した。


「自由に提供できる立場、か」


「はい。日本政府は、過去の技術公表でも開発主体や提供者に関する情報を限定してきました。国家が管理していることと、国家がすべてを自由に処分できることは別です」


「日本政府の背後に、独立した技術提供者がいる可能性を考えているわけだな」


「可能性としては。ただし、組織なのか個人なのか、あるいはまったく異なる仕組みなのか、確かな情報はありません。現段階で特定の前提に立つべきではないでしょう」


 会議室に短い沈黙が落ちた。


 日本がこれまで発表した超小型核融合炉や新たながん治療技術は、既存の科学技術の延長線上では説明しきれない成果だった。それだけに、アメリカの政策担当者たちは、日本政府が公表していない何かがあると考えている。


 だが、何かがあると考えることと、その正体を知っていることはまったく違う。


 現実には、アメリカ政府は核心技術の製造方法を知らず、それを提供する存在についても確証を持っていなかった。


「推測を積み上げても、交渉の材料にはならん」


 ウォーカーが言った。


「日本側に確認できることと、確認できないことを分けよう。まずは宇宙開発の話だ。コリンズ、何を最優先に提案したい?」


 NASA長官は資料の一枚を前に出した。


「共同での有人月探査計画です」


 リードが顔を上げた。


「月か。火星ではなく?」


「最初から火星を目標にするのは、政治的には魅力的でしょう。しかし、共同開発の実績がない段階で遠距離の有人探査を掲げるのは危険です。月なら、地球との距離が比較的近く、通信や救援の計画も立てやすい。何より、両国が協力して運用するための手順を一つずつ確立できます」


「月面着陸だけなら、人類はすでに達成している」


「着陸そのものが目的ではありません。継続して月へ行き、活動し、帰還する能力を確立することです」


 コリンズは月の画像を表示した。


 南極付近を含む複数の地域に印が付けられている。ただし、どれも候補としての調査対象であり、基地の建設地点を決めたものではない。


「長期的には月面での研究拠点も考えられます。地質調査、天文学、宇宙環境での材料実験、生命維持技術の検証。月面でしか得られない知見は多い。ですが、そこへ至るには輸送能力が必要です」


「従来のロケットでは費用がかかりすぎる」


 ウォーカーの言葉に、コリンズは頷いた。


「費用だけではありません。輸送できる物資の量、打ち上げ準備に必要な期間、帰還機の確保。いずれも制約になります。日本の技術がその一部でも改善できるなら、計画の前提は大きく変わります」


「どの技術が使えると思う?」


「断定はできません。公表済みの核融合装置が宇宙機の電源として利用できるかどうかさえ、宇宙環境での適合性を確認する必要があります。ただ、日本がほかにも高度な技術を持っているなら、推進や船内環境の分野で協力できる可能性があります」


 コリンズはそこで言葉を区切った。


「大切なのは、存在するかも分からない装置を前提に宇宙船の仕様を決めないことです。日本から提供可能な技術の範囲が示された段階で、初めて現実的な設計を始められます」


 ウォーカーはその説明を聞きながら、机上の月面画像を見つめた。


 大統領に就任して以来、彼は国内産業の再生や国際秩序の維持に多くの時間を費やしてきた。宇宙開発も重要な政策ではあったが、限られた予算の中では常にほかの課題と競い合っていた。


 ところが今、日本の技術によって、その計算が変わろうとしている。


 かつてなら数十年先の目標として語られたことが、政治的な決断と技術的な協力次第で、現実の事業になり得る。


 それは大統領として無視できない機会だった。


「国務長官。共同計画を提案するなら、日本側に何を約束できる?」


 モーガンは用意していた資料を開いた。


「第一に、共同での計画策定です。日本を単なる装置の供給国として扱わず、探査目標、開発体制、運用方針の決定に参加してもらう。第二に、NASAが蓄積してきた有人宇宙飛行の経験を提供します。乗員訓練、地上管制、宇宙医学、緊急時対応など、アメリカが貢献できる分野は多くあります」


「資金は?」


「共同計画の規模が定まれば、予算措置について議会との調整が必要です。大統領の意向だけで確約できるものではありません」


「当然だな」


「また、研究成果の取り扱いも重要です。共同研究で得られた科学的成果は、可能な限り両国が利用できるようにする。一方で、日本が独自に保有する技術の権利まで共同研究の成果に含めることは避けるべきです」


 リードが資料を指で叩いた。


「そこは曖昧にしてはいけない。共同開発した部分と、日本が提供する完成装置を分離するということか?」


「基本的にはそうです。共同開発した宇宙船の船体や通常設備については双方が役割に応じて関与し、核心技術については別の利用条件を協議する。そのほうが、合意可能な範囲を見つけやすいでしょう」


「だが、それではアメリカの技術者が触れられない領域が残る」


「最初からすべてに触れられることを要求して、何も始められなくなるよりはいいと考えます」


 リードはすぐには反論しなかった。


 彼自身、共同計画の意義を否定しているわけではない。むしろ、日本の技術が宇宙開発に革命を起こす可能性を認めているからこそ、慎重になっていた。


 未知の技術が一国に集中することは、同盟関係の中であっても戦略的な意味を持つ。


 宇宙空間への輸送能力が飛躍的に向上すれば、科学研究だけでなく、通信、観測、産業活動のあり方も変わる。アメリカがその変化に参加できなければ、長年築いてきた宇宙分野での優位性が揺らぐ可能性があった。


 しかし、参加するために相手の信頼を失っては本末転倒でもある。


「私は、日本を敵視しているわけではない」


 リードが言った。


「だからこそ、依存関係を曖昧にしたまま共同事業を始めたくない。何か問題が起きたとき、どちらが責任を負うのか。装置を停止する権限は誰にあるのか。整備や交換を拒まれた場合、乗員をどう守るのか。そうした点を事前に決めておく必要がある」


 コリンズが頷いた。


「その点には同意します。NASAとしても、運用上の権限と責任の所在が不明なまま有人飛行を実施することはできません」


「ならば、我々が求めるべき条件は整理できる」


 リードは指を一本立てた。


「安全性を検証するための情報。次に、緊急時に必要な操作権限。そして、長期運用を維持するための供給保証だ」


「内部構造の全面開示を最初の条件にはしないのですか?」


 モーガンが尋ねた。


「要求する価値はある。しかし、それを絶対条件にするかどうかは別だ」


 リードはそう答えた。


「日本が核心技術を渡さないとしても、代わりにどのような保証を示せるのかは確認できる。重要なのは、こちらが受け入れるリスクを正確に把握することだ」


 モーガンはその発言を聞き、資料に短い書き込みを加えた。


 会議が始まったとき、国防長官の要求は技術へのアクセスそのものに重心があった。だが、議論が進むにつれ、実際に必要な条件と、戦略的に望ましい条件が分けられ始めていた。


 両者は似ているようで違う。


 すべてを手に入れることができなくても、国家として受け入れられる協力の形はあるかもしれない。


 その可能性を見極めることが、交渉の仕事だった。


「では、NASAに一つ課題を出そう」


 ウォーカーが言った。


「日本から核心技術の内部情報が提供されない場合でも成立し得る共同開発案を作ってくれ。同時に、内部情報がなければ安全性を評価できない項目も洗い出す。推測で埋めてはいけない」


「承知しました」


「国防総省は、その案に対する安全保障上の懸念を整理する。ただし、存在も確認できていない技術を軍事利用できる前提で評価するな」


「了解しました」


「国務省は、日本に提示する協力の枠組みをまとめる。相手の権限を尊重しつつ、アメリカが対等な参加国として責任を負える内容にしてほしい」


「承知しました」


 ウォーカーは一度言葉を止めた。


「そして、もう一つ。日本側が回答できない質問をしたとき、我々はその沈黙をどう扱うべきか、考えておく必要がある」


 モーガンが顔を上げた。


「技術提供者に関する質問でしょうか」


「それも含む。日本政府が何かを隠していると感じたからといって、すべてを敵対的な意図だと決めつけるべきではない。しかし、重要な事実を知らないまま国家的な事業を始めることにも限界がある」


 ウォーカーは静かに続けた。


「相手が答えられない理由を理解する努力と、こちらが知る必要のある事実を求める姿勢。その両方を持たなければ、まともな交渉にはならん」


 会議室にいた三人は、それぞれ異なる表情で頷いた。


 誰も、これから始まる交渉が簡単なものになるとは考えていなかった。


 日本はすでに、核融合と医療の分野で世界を驚かせている。その国が次に宇宙へ進出するとしたら、アメリカは傍観者でいるつもりはない。


 だが、日本にも自国の利益と守るべき事情がある。


 世界最大級の政治的・軍事的影響力を持つ国家であっても、相手が自発的に協力しなければ得られないものは存在する。


 ウォーカーはその事実を認めたうえで、なお交渉を成功させようとしていた。


 それが、大統領としての彼の計算だった。


     ◇


 同じ日の午後、NASA本部の会議室では、コリンズが幹部職員たちを集めていた。


 壁面の大型画面には、従来の有人月探査に必要な工程が表示されている。打ち上げ機、軌道上での運用、月への移動、着陸、地表活動、そして帰還。どの工程にも膨大な技術と資金が必要であり、一つの失敗が計画全体を停止させる可能性を持っていた。


 コリンズは、その図をしばらく眺めてから口を開いた。


「日本との協力を検討するにあたり、最初に守ってほしいことがある」


 出席者たちが顔を上げる。


「日本の技術について、我々が知っていることは少ない。だからといって、都合のよい性能を想像して計画を作ってはいけない。実現可能性を評価する段階で、希望と事実を混同しないことだ」


 技術担当者の一人が頷いた。


「現在公表されている核融合装置の出力を前提に、宇宙船の電力供給への応用可能性を検討しています。ただ、装置が宇宙空間の真空や温度変化、打ち上げ時の振動に対応できるかは不明です」


「そのまま不明と記載してくれ」


「推進系については、現時点で検討可能な情報がありません」


「それも同じだ。日本側から提案がなければ、我々の既存技術を基準に設計する」


 別の担当者が資料をめくった。


「もし日本が新しい推進技術を提供できるなら、宇宙船の設計思想そのものが変わる可能性があります。従来の推進剤タンクやエンジン配置を前提にした構造が不要になるかもしれません」


「可能性としてはそうだろう。しかし、それを期待して現在の計画を止めるわけにはいかない」


 コリンズは画面を切り替えた。


 そこには、共同開発でアメリカが提供できる技術分野が整理されていた。


 船体構造、環境制御、生命維持、乗員訓練、航行管制、宇宙医学、通信設備、地上支援。どれも、長年の研究と失敗の積み重ねによって育てられてきた分野だった。


「我々には、我々の強みがある」


 コリンズは言った。


「日本の未知の技術がどれほど優れていても、宇宙船を安全に運用するための仕事がなくなるわけではない。人間が宇宙で暮らすには、空気も水も食事も必要だ。故障に備えた手順も、訓練を受けた乗員も必要になる」


「日本の技術が、そうした問題まで解決する可能性は?」


「あるかもしれない。だが、解決してくれると決めつける理由はない」


 コリンズは少し笑った。


「便利な装置が一つ現れたからといって、宇宙飛行士が食事をしなくなるわけではないだろう」


 室内に控えめな笑いが広がった。


 それは緊張を和らげるための冗談でもあったが、同時に彼の考えをよく表していた。


 どれほど高度な技術が登場しても、それを使って何を実現するのかは人間が決める。そして、人間が乗る以上、安全に対する責任も消えることはない。


「共同計画が実現した場合、主導権はどうなりますか?」


 若い職員が尋ねた。


「日本が核心装置を提供し、アメリカが有人運用の技術を担当するなら、どちらが計画を指揮することになるのでしょう」


「まだ決まっていない。だからこそ交渉が必要なんだ」


 コリンズは答えた。


「私は、どちらか一方がすべてを決める形では長続きしないと思っている。技術を持つ国と、運用経験を持つ国が協力するなら、双方が責任を持てる仕組みを作るべきだ」


「それには時間がかかりますね」


「かかるだろう。だが、宇宙船の完成を急いで、運用開始後に指揮権でもめるよりはずっといい」


 コリンズは画面に表示された月の画像を見つめた。


 月面に長期間滞在できる研究拠点を建設する。


 それは、NASAにとって決して新しい夢ではなかった。過去にも数多くの計画が立てられ、技術的な課題や予算の制約によって、何度も形を変えてきた目標である。


 だが今回は、従来とは異なる可能性が目の前にあった。


 未知の技術を持つ日本と協力することで、人類が月へ向かうための条件そのものが変わるかもしれない。


 その期待を抱かない研究者はいないだろう。


 しかし、コリンズは期待だけで計画を進めるつもりはなかった。


「まずは、我々が何を提供できるかを明確にしよう」


 彼は職員たちに向き直った。


「日本が何を持っているかを知ることも重要だが、共同開発の相手に対して、アメリカが何を持ち寄れるのかを示すことも同じくらい重要だ」


 その言葉を受け、職員たちは資料の修正を始めた。


 一方、ホワイトハウスでは、国務省と国防総省から提出される予定の検討項目が大統領の机に集まりつつあった。


 国務省が重視したのは、日本に対して共同事業の利益と対等な立場を示すこと。国防総省が求めたのは、未知の装置に依存する場合のリスクを見極め、運用上の安全と継続性を確保すること。そしてNASAが目指すのは、その両者の条件を満たしながら、実際に人間を宇宙へ送り出せる計画を作ることだった。


 目指すものは同じでも、そこへ至る道筋は異なる。


 ウォーカーは夕方、三つの機関から寄せられた最初の整理資料に目を通した。


 そこには、交渉で求める事項が二つに分けられていた。


 一つは、共同宇宙開発を成立させるために必要な条件。


 もう一つは、アメリカが可能であれば獲得したい追加的な権限や情報。


 前者には、共同運用の責任分担、安全性の検証、緊急時の対応、装置の供給と保守に関する取り決めが並んでいる。


 後者には、核心装置に関する情報へのアクセス拡大や、アメリカ側による独立した運用能力の確保といった項目が記されていた。


 ウォーカーは、その区分をしばらく眺めていた。


 最初から最大限の要求を突きつければ、日本は警戒するだろう。反対に、協力を急ぐあまり何も求めなければ、アメリカが負う責任に見合う権限を得られないかもしれない。


 どちらも避ける必要がある。


 彼はペンを取り、資料の余白に短い言葉を書き込んだ。


『協力の成立を最優先。ただし、交渉の余地は残す』


 続いて、国務省へ送る指示書に目を移す。


 日本側へ伝える最初の提案は、共同での有人宇宙開発に関する協議を始めたいというものだった。具体的な技術の提供や権限の移転を、事前に約束するよう求める内容にはしていない。


 その一方で、会談の場では装置の利用条件や安全性の検証方法について、可能な限り具体的な説明を求める方針が記されている。


 ウォーカーは文面を読み終えると、最後の一行だけを修正した。


 日本側が提示する条件を聞いたうえで、双方の利益にかなう協力の形を探る。


 外交文書としては、ごく穏当な表現だった。


 だが、その裏には、アメリカが簡単には譲れない要求と、日本が容易には明かさないであろう秘密が存在している。


 どれほど強大な国家であっても、知らない技術を力ずくで理解することはできない。まして、その技術を持つ相手が協力を拒めば、優れた研究者も豊富な資金も、ただちに問題を解決してくれるわけではなかった。


 ウォーカーは書類を閉じ、窓の外へ視線を向けた。


 夕暮れのワシントンには、いつものように車の列が続いている。人々はそれぞれの仕事を終え、家路を急いでいた。


 その日常の上空には、まだ誰も知らない未来が広がっている。


 人類が月へ行くことは、すでに夢物語ではない。


 しかし、月へ行くことと、月で暮らせるようになることの間には、長い距離がある。


 日本との協力が実現すれば、その距離を縮められるかもしれない。


 そして、その協力を成立させるためには、アメリカ自身も従来の考え方を変える必要があるかもしれなかった。


 ウォーカーは机上の訪日準備資料を手元へ引き寄せた。


 日本側との調整は、これから本格化する。


 大国がどれほど綿密に計算を重ねても、最後には相手の答えを聞かなければならない。


 その答えが何になるのか、今の彼にはまだ分からなかった。

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