第08話 私だけの秘密基地
小鳥遊紬が自宅の間取りを真剣に見直そうと思ったのは、実験用の透明な球体を収納箱から取り出そうとして、うっかりボスの移動用チェアを押しのけてしまったからだった。
幸い、チェアには衝突を避ける機能があるため、床の上を少し滑っただけで済んだ。しかし、そこに座っていたボスは突然の移動に驚き、手にしていたゲームの攻略メモを落としてしまった。
「おい、紬。俺の駐車場を勝手に動かすんじゃねえよ」
「……ごめん。ここに置いてあるの、忘れてた」
「忘れるほど部屋が狭くなってんだろ。昨日も何か増やしてたじゃねえか」
紬は反論しかけて、やめた。ボスの指摘はもっともだった。
掃除や洗濯を自動化した頃は、部屋が広くなったように感じていた。床に物を散らかさなくなり、家事のために動き回る必要も減ったからだ。ところが、万物創造の実験を重ねるうちに、棚には用途の異なる試作品が並び、壁際には装置が増え、テーブルの一角は実験記録の置き場所になっている。
しかも、紬が創造するものは必ずしも小さいとは限らない。重力を調整する板や衝撃を隔離する実験台など、部屋の中で使うには場所を選ぶ装置もあった。
白い収納箱へ片づければ、物の数だけならいくらでも減らせる。けれど、実験のたびに取り出して設置し、終わったら戻すのでは、結局その作業が面倒になる。何より、生活する場所と危険な試験を行う場所が同じというのは、あまり良い状態ではなかった。
「……やっぱり、実験する部屋が欲しい」
「前から言ってたやつか?」
「うん。あと、ボスが遊ぶところも」
「そっちは大歓迎だな。今の家も悪くねえけど、俺が思い切り走り回れる場所は少ねえし」
「ボス、走るの?」
「走れるぞ。速いとは言ってねえ」
そう言って胸を張るボスの短い足を見て、紬は笑いをこらえた。彼はその表情に気づいたらしく、じろりと睨んでくる。
「何がおかしい」
「……何でもない」
「絶対何か考えただろ」
紬は返事の代わりにボスを抱き上げ、ソファへ腰を下ろした。膝の上で落ち着いた彼を撫でながら、昨日作った多機能端末を目の前に浮かべる。
画面には、自宅の間取りが立体的に表示された。
現在の部屋の広さ、家具の位置、壁や床の構造、配線や配管の経路まで確認できる。万物創造で必要な情報を取得する機能を持たせた端末だからこそできることだったが、こうして眺めると、普段何気なく暮らしている家が思いのほか複雑な構造をしていることがわかった。
「……この壁、なくしたら広くなるかな」
「待て待て。壁って、そんな簡単に取っ払っていいもんなのか?」
「普通はだめなこともあるけど、支える仕組みを変えれば大丈夫だと思う」
「思う、じゃ困るぞ。寝てる間に天井が落ちてきたら笑えねえ」
「ちゃんと確認するよ」
紬は壁を取り除いた場合の荷重の変化を画面に表示した。建物全体を支える部分に負担が集中しないよう、補強構造を新たに作ることは難しくない。問題は、その作業を外から見られずに行えるかという点だった。
紬は窓の外を眺めた。
今の家は、外見だけならどこにでもある普通の住居だ。近所の人が見ても、内部に物理法則を無視したような装置が並んでいるとは思わないだろう。彼女自身、その普通さを気に入っていた。
壁を壊して増築したり、庭に巨大な建物を出現させたりすれば、いくら何でも目立ちすぎる。
「……外からは変わらないほうがいいな」
「じゃあ、中だけ広くすりゃいいんじゃねえのか?」
ボスは何でもないことのように言った。
紬は彼の顔を見たあと、部屋の隅に置かれた白い収納箱へ視線を移した。
その箱は、外見よりもはるかに広い空間へ物を保管できる。すでに何度も使っているため、紬にとっては特別珍しいものではなくなっていたが、考えてみれば、あれも普通の建築では絶対に実現できない構造だった。
「……中だけ広くする」
「何だよ。できねえのか?」
「ううん。できると思う」
紬は端末の画面を切り替え、現在の間取りの横に新しい空間を描き始めた。
既存の建物を大きく改造するのではなく、室内に設けた入口から、別に創造した広い空間へ入れるようにする。外から見える家の大きさは変えず、必要な部屋だけを追加する方法だ。
収納箱と似た発想ではあるが、人が長時間過ごす場所となれば、考えるべきことは増える。空気の循環、温度、湿度、照明、非常時の脱出経路。実験で生じた熱や衝撃を生活空間へ伝えない仕組みも必要だった。
もっとも、それらを実現する技術を一から研究しなければならないわけではない。紬は完成した機能を指定して創造できるし、創造と同時にその仕組みを理解できる。
難しいのは、何を備えれば自分たちが安心して暮らせるのかを考えることだった。
「……ボス、秘密基地って聞いたら、何が欲しい?」
「秘密基地?」
「うん。私たちだけが使える、すごく広い場所」
ボスはしばらく考え、真っ先に答えた。
「でっけえプール」
「やっぱり」
「当たり前だろ。今の水遊び場も悪くねえけど、思い切り泳ぐにはちょっと物足りねえんだ」
「じゃあ、プールは決定」
「あと、滑り台みてえなのも欲しいな。水に飛び込めるやつ」
「……楽しそう」
「お前もやるか?」
「私は、見てるだけでいいかな」
「もったいねえなあ」
紬は画面にプールを追加し、その横へ休憩場所を設けた。ボスが泳いでいる間、自分は柔らかな椅子に座って本を読めるようにする。彼が疲れたらすぐ上がれる浅い場所も必要だろう。
さらに、床を滑りにくくし、水温をボスの身体に適した状態に保つ機能を指定する。
そこまで考えたところで、紬はふと手を止めた。
「……これ、秘密基地というより、ボスの遊園地になってる」
「いいじゃねえか。俺は困らねえぞ」
「私の実験室も作らなきゃ」
「そっちが本題だったな」
二人は画面を覗き込みながら、必要な部屋を一つずつ決めていった。
紬の実験室は、十分な広さがあり、床や壁がどんな試験にも簡単には傷つかない構造にする。万一、創造した物体が予想外の挙動をしても、影響が外へ漏れないようにしたい。
ただし、何でも無条件に安全だと決めつけるのは危険だった。紬は以前、丈夫な球体を試した際にも、実際に確かめた範囲と、まだ試していない条件を区別して記録している。
今回も、設備を作っただけで安心するのではなく、段階的に機能を確認することにした。
そのほか、道具を保管する倉庫、記録を整理する作業室、二人でくつろげる休憩室も追加する。
ボスはゲーム専用の部屋を欲しがったが、紬が「今の部屋でも遊べるよ」と言うと、しばらく不服そうにしていた。
「せっかく何でも作れるんだからよ、でっけえ画面で遊べる場所くらいあってもいいだろ」
「……それは、ちょっと欲しいかも」
「だろ?」
「でも、先に安全な実験室」
「へいへい。そこは譲るよ」
紬はゲーム室を予定欄に残し、まずは実験室とプールを備えた最初の区画を完成させることにした。
入口に選んだのは、生活スペースの壁際だった。以前は棚が置かれていた場所で、そこからならソファにも台所にも近い。
紬が棚を少し移動させ、壁に手をかざす。
白い壁面に、縦長の扉が現れた。
装飾のない、ごく普通の室内扉だ。色も周囲の壁と揃えてあるため、事情を知らなければ、最初からそこにあったものだと思うだろう。
「……できた」
「おお、早えな」
「まだ入口だけだよ」
「中は?」
「今から」
紬は扉の向こうに、設計した空間を創造した。
その瞬間、頭の中へ膨大な情報が流れ込んでくる。空間を安定して維持する構造、外部との接続、空気と熱の管理、照明の仕組み。通常の建築では考えられない技術が、まるで以前から知っていた知識のように理解できた。
以前なら、その異常さに長い時間驚いていただろう。
今は、必要な情報を一つずつ確認することに集中できる。
「……よし。入口の接続も大丈夫そう」
「開けていいのか?」
「うん。でも、最初は私が先に入るね」
紬はボスを抱え直し、扉の取っ手に手をかけた。
向こう側に広がっていたのは、白い壁と柔らかな照明に包まれた、驚くほど大きな空間だった。
天井は高く、床は遠くまで続いている。正面には広い通路が伸び、左右にはいくつもの扉が並んでいた。通路の先には、紬が設計した実験室へ続く大きな入口が見える。
自宅の壁一枚を隔てた場所に、これほどの空間があるとは到底思えなかった。
「……わあ」
「おいおい、こりゃすげえな」
ボスが腕の中から身を乗り出す。
「外から見たら、あの壁の向こうってすぐ隣の部屋だろ? 何でこんなに広いんだよ」
「収納箱と似た仕組みなんだけど、もっと大きくして、人が暮らせるようにしてあるの」
「つまり、あの扉一枚で別の場所につながってるってことか」
「うん。入口を通って移動する仕組みだよ」
紬は一度振り返った。
開いた扉の向こうには、見慣れたソファとローテーブルがある。自宅の生活スペースから数歩進んだだけなのに、こちら側には広大な施設が存在していた。
扉を閉め、もう一度開く。
そこには変わらず自宅が見えた。
「……ちゃんと戻れる」
「そこは最初に確かめとけよ」
「今、確かめたから大丈夫」
「順番の問題だって言ってんだよ」
紬は少し反省し、出入口の安全機能を改めて確認した。
接続に異常があれば扉は開かず、内部に人がいる状態で入口が使えなくなった場合にも、別の安全な退避経路を確保できる構造になっている。さらに、内部の空気や温度は独立した設備で維持されるため、扉を閉じたままでも長時間過ごせる。
そうした機能を確かめるため、紬は端末から各設備の状態を表示させた。
数値は正常だったが、表示されているだけでは十分ではない。紬は試験用の小さな装置を創造し、空気の流れや圧力、出入口の動作を確認した。
ボスはその間、床へ下りて通路を歩き回っていた。
「おーい、紬! こっちの床、歩きやすいぞ!」
「……よかった」
「滑らねえし、足も冷たくねえ。これなら俺でも移動しやすいな」
紬は彼の足元を見た。
床材は、人間が歩きやすいだけでなく、ボスの小さな足でも安定して進めるように調整されている。自宅では家具の高さや段差に合わせて専用の道具を作ってきたが、ここでは最初から二人が使うことを前提に設計できた。
その違いが、紬には嬉しかった。
「……じゃあ、実験室を見に行こうか」
「おう。俺も見たい」
ボスはそう答えると、紬の足元まで戻ってきた。抱き上げられるのを待つように両翼を少し広げる。
紬が腕を差し出すと、彼は当然のように収まった。
「……今日は素直だね」
「広い場所で迷子になるよりマシだろ」
「ボスなら迷子になっても見つけられるよ」
「そういう問題じゃねえんだよ」
紬は笑いながら通路を進み、実験室の扉を開けた。
そこは、今まで自宅で行ってきた実験とは比較にならないほど広い場所だった。
床は平らで、壁には余計な装飾がない。天井には照明と観測用の設備が整然と並び、室内の一角には衝撃を隔離する試験区画が設けられている。
中央には、以前作った実験台よりはるかに大きな装置を置ける余裕があった。
紬はボスを安全な観察席へ下ろし、まず小さな試験から始めた。
以前創造した高耐久の透明球体を取り出し、試験区画の中へ置く。続いて、一定の力を加える装置を作り、球体へ軽い衝撃を与えた。
乾いた音が響く。
しかし、観察席にいたボスの足元には振動が伝わらなかった。
「お、何も揺れねえな」
「うん。衝撃が外に出ないようにしてあるから」
「だったら、もうちょっと強くやってみろよ」
「少しずつね」
紬は加える力を段階的に増やし、球体の状態と周囲への影響を記録した。
結果は良好だった。少なくとも今回の条件では、試験区画の外に危険な影響は見られない。壁や床にも異常はなく、観測装置はすべて正常に動いている。
ただし、これであらゆる実験が安全になったと証明されたわけではない。
紬は端末に『確認した条件以外は未検証』と記録し、危険度の高い試験を行う場合は、別途安全策を考えることにした。
「……これなら、家の中で物を壊しそうになる心配は減るかな」
「今までのほうがおかしかったんだよ。あんなもん、普通の部屋で試すなって」
「……それは、そうかも」
「まあ、ちゃんと場所を作ったんだからいいけどな」
ボスは観察席から実験室を見渡し、満足そうに頷いた。
「それにしても広いな。ここなら、でっけえものも作れそうじゃねえか」
「うん。今までは大きさを気にしてたから」
「何か作ってみるか?」
紬は考えた末、試験区画の中央に巨大な金属の輪を創造した。
人間の背丈を何倍も超える輪は、複雑な支持構造を備え、表面には細かな模様が刻まれている。実用的な目的があるわけではない。ただ、以前から一度作ってみたかった、大きくて精密な構造物だった。
輪が完成すると、ボスが口を開けたまま見上げた。
「……何だこりゃ」
「大きい輪っか」
「見りゃわかるわ! 何に使うんだよ!」
「……特に決めてない」
「決めてねえのかよ!」
紬は少し笑った。
大きなものを作るだけなら、能力そのものに難しさは感じない。けれど、周囲に何があるかを気にせず創造できる場所があるというのは、それだけで気分が違った。
輪を観察しながら、紬は表面の構造を少し変え、内部の支持機構を調整した。創造したものの仕組みを理解できるおかげで、どこを変えれば何が起きるかも自然とわかる。
ただし、既存の物体を自由に改変できるかという能力の細かな仕様は、まだ十分に調べていない。今回の変更は、新しい部品を創造して組み込む方法で行った。
作業を終えると、巨大な輪は最初よりも複雑な姿になっていた。
「……こういうの、楽しい」
「お前、案外こういうの好きなんだな」
「うん。作る前はどんな形になるかわからないところもあるし、完成するとちょっと嬉しい」
「何でもできるからって、つまらなくなるわけじゃねえんだな」
その言葉に、紬は頷いた。
能力を使えば、欲しいものはほとんど何でも手に入る。けれど、何を作るか考える時間や、完成したものを誰かと眺める楽しさまでなくなるわけではない。
むしろ、できることが増えるほど、試したいことも増えていく。
紬は巨大な輪を倉庫へ移し、実験室の床を元の状態に戻した。
「……次は、ボスのプール」
「待ってました!」
ボスの返事は、今日一番元気だった。
プールのある区画は、実験室とは別の扉の向こうに設けてあった。紬が扉を開けると、澄んだ水をたたえた大きなプールが現れる。
天井には青空に似た柔らかな光が広がり、水面には穏やかな波が揺れていた。周囲には滑りにくい床と休憩用の椅子があり、ボスが自分で水から上がれるよう、緩やかな傾斜もついている。
奥には、彼が希望していた滑り台があった。
「うおおっ! でけえ!」
ボスは紬の腕から飛び降りると、短い足を懸命に動かして水辺へ向かった。
その後ろ姿を見て、紬は思わず頬を緩める。
「……転ばないでね」
「わかってるって!」
ボスは水際で一度立ち止まり、翼の先で水温を確かめた。それから勢いよく飛び込む。
小さな身体が水中を滑るように進み、白いお腹が一瞬だけ水面に見えた。
陸上では丸くて歩幅の小さな彼も、水の中では別の生き物のように軽やかだった。方向を変え、潜り、浮かび上がる。その動きには迷いがなく、広い場所を得た喜びが全身から伝わってくる。
「紬! 見てろよ!」
ボスはプールの端まで泳ぐと、滑り台の上へ続く専用の通路を登った。
そこから勢いよく滑り降り、水面へ飛び込む。
大きな水しぶきが上がった。
「……すごい!」
「どうだ! 最高だろ!」
「うん。すごく楽しそう」
ボスは得意げに胸を張り、もう一度滑り台へ向かった。
紬は休憩用の椅子に腰を下ろし、彼の様子を眺めた。水の音が心地よく響き、空調は濡れた身体が冷えすぎないよう調整されている。
ここには外の景色がない。
それでも、紬が創造した照明は自然な昼間の明るさを再現し、長く過ごしても窮屈さを感じさせない。必要なら夜の雰囲気に変えることもできるし、雨音だけを流すこともできる。
もちろん、本物の屋外へ出たわけではない。
けれど、誰にも見られずにボスが自由に泳げる場所としては、十分すぎるほどだった。
しばらくして、ボスが水から上がってきた。
「ふう。こりゃいい運動になるな」
「……疲れた?」
「ちょっとな。でも、まだまだ遊べるぞ」
紬は専用のタオルを差し出し、彼が身体を乾かすのを手伝った。
ボスは羽毛を整えながら、満足そうにプールを振り返る。
「ありがとな、紬。これ、かなり気に入った」
「……よかった」
「お前の実験室もできたし、俺の遊び場もできた。なかなかいい基地じゃねえか」
「うん。でも、まだ完成じゃないよ」
「まだ何か作るのか?」
「休憩する部屋とか、道具を置くところとか。それに、安全な仕組みも、もっと確認したい」
紬は端末に表示された施設の全体図を見た。
実験室とプールは完成したが、ほかの区画にはまだ空きがある。今後、必要になったものを追加できるよう、最初から余裕を持たせて設計していた。
今のところ、この場所は紬とボスだけのものだ。
外から見える家の姿は変わらず、玄関を開ければいつもどおりの生活が続いている。その奥に、こんな広い空間が隠れているとは誰も思わないだろう。
紬は、その秘密が少し嬉しかった。
「……ここなら、いろんなこと試せそう」
「ただし、無茶すんなよ。広いからって何やってもいいわけじゃねえんだからな」
「わかってる」
「本当か?」
「……たぶん」
「そこは言い切れよ」
二人は顔を見合わせ、笑った。
夕方が近づく頃、紬は最後の確認として、各区画の設備が正常に動いているかを調べた。空気の循環、温度管理、出入口の接続、非常時の退避経路。実験室の隔離機能も、試した条件の範囲では問題がなかった。
それらを端末へ記録し、未検証の項目には印をつける。
すべてを一日で確かめる必要はない。これから何度も使いながら、少しずつ改善していけばいい。
紬はプールの明かりを落とし、ボスを抱き上げた。
「……そろそろ戻ろうか」
「おう。腹も減ったしな」
「今日はいっぱい泳いだもんね」
「明日も来ていいんだろ?」
「もちろん。ボスのプールだよ」
その答えに、ボスは満足そうに頷いた。
二人は通路を戻り、自宅へ続く扉の前に立った。
扉を開ければ、そこには見慣れた生活スペースが広がっている。ソファも、ローテーブルも、昨日作った道具も、出かける前と何一つ変わっていなかった。
紬は境目をまたぎ、ボスを抱えたまま部屋へ戻った。
背後の扉を閉めると、秘密基地の広大な空間は、外からは想像もできない場所へ隠れる。
紬はしばらく扉を眺め、それからソファへ腰を下ろした。
「……なんか、不思議」
「何がだ?」
「さっきまで、あんなに広いところにいたのに、今はいつもの部屋にいる」
「扉を通ったんだから当たり前だろ」
「うん。でも、普通ならあんな場所、ここにはないから」
ボスは少し考え、紬の胸元から扉を見た。
「まあ、そうだな。あの扉の向こうがどこにつながってんのか、俺にはさっぱりわかんねえ」
「私も、作った仕組みはわかるけど……まだ試してないことはいっぱいあるよ」
「だったら、これから調べりゃいいじゃねえか。せっかく場所もできたんだし」
紬は頷いた。
大きなものを創造するために、広い場所を作った。
そのために使った技術は、今までの収納箱を発展させたものだった。入口を通じて別の空間へ移動するという仕組みも、彼女自身が創造した装置によって実現している。
それだけでも十分に便利だ。
けれど、紬の頭には新しい疑問が浮かんでいた。
そもそも、どうして空間をつなぐために、わざわざ扉や装置を作っているのだろう。
もちろん、扉があれば行き先がわかりやすく、ボスも自分で出入りできる。日常生活では、そうした形のある道具が役に立つ。
ただ、万物創造で実現できる現象が、必ず何かの装置を通さなければならないものなのかどうかは、まだ確かめていなかった。
紬は端末を取り寄せ、実験記録に短い一文を書き加えた。
『装置を使わずに、同じことはできる?』
「おい、紬。何か思いついた顔してるぞ」
「……ちょっとだけ」
「その顔は、ちょっとじゃ済まねえやつだろ」
「今日はもう実験しないよ」
「ならいいけどな」
ボスは紬の腕の中で身体を落ち着かせ、夕食のことを考え始めたらしい。魚をどう調理してもらうか、あれこれ注文を並べている。
紬はそれに相槌を打ちながら、閉じた扉へもう一度だけ目を向けた。
昨日まで、この家の広さは決まっていた。
今日は、その当たり前が変わった。
ならば、まだ当然だと思い込んでいることの中にも、実は必要のない手順が隠れているのかもしれない。
そんな考えが頭の片隅に残ったものの、今はボスとの夕食が先だった。
「……ボス、今日はお魚を二種類にしようか」
「おっ、いいのか?」
「うん。秘密基地の完成祝い」
「そいつはいいな! じゃあ、でっけえの頼むぜ」
「ボスのお腹に入るくらいね」
「そこは夢を見させろよ」
紬は笑いながら調理装置へ夕食を頼み、ボスの柔らかな羽毛に頬を寄せた。
いつもの家に、誰にも知られない広い世界が一つ増えた。
明日からは、そこでどんな実験をしよう。
考え始めると、夕食ができるまでの時間さえ、少し待ち遠しく感じられた。




