第64話 消えた資料の行方
東京都内にある警察庁の庁舎では、朝から複数の部署の担当者が集められていた。
会議室の中央に置かれた長机には、政府から共有された資料の写しと、関係機関が独自に確認した情報が並んでいる。壁際の大型画面には、技術交流会の参加団体や、国内の研究機関に寄せられた問い合わせの経緯が時系列で表示されていた。
資料の大半は、単独で見れば不自然なものではなかった。研究交流を希望する海外企業が日本の技術開発体制に関心を持つことも、大学や研究機関に担当者を尋ねることも珍しくない。
しかし、それぞれの問い合わせを別々に調べていた担当者たちは、ひとつの事実に行き当たっていた。
「こちらの三件ですが、問い合わせに使用された会社名は異なります。ところが、連絡を受けた国内企業から提出された記録を確認すると、実際に面談へ出席した人物が一部重複しています」
報告したのは、警察庁で外国からの情報収集活動に関する分析を担当する警視正、黒崎慎吾だった。
四十代半ばの黒崎は、机上の資料を指で示しながら説明を続けた。
「最初の面談では通訳として同席し、二件目では技術顧問、三件目では別の企業の代理人として紹介されています。いずれも公開された技術情報を尋ねる範囲にとどまっていますが、肩書の使い分けには確認の必要があります」
「同一人物であることは確かですか」
向かい側に座る捜査員が尋ねる。
「面談先が保存していた来訪者記録と、本人が提出した名刺の写しから確認しています。ただし、異なる企業の業務を兼ねること自体は違法ではありません」
黒崎はそこを強調した。
この調査の出発点は、アイリスが発見した複数の問い合わせの共通点だった。しかし、警察が扱うのは、あくまで自分たちの権限で確認した事実である。高度な人工知能が不審だと判断したからといって、それだけで誰かを犯罪者として扱うわけにはいかない。
さらに重要なのは、現在の日本では、核融合炉と深海資源採掘技術が国際的な注目を集めているという事情だった。
企業や研究者がその開発者を知りたがることは、ある意味では当然の反応でもある。
「交流会の主催者には、参加申し込みの手続きに関する確認を依頼しています。大学側にも、通常の研究交流を妨げない範囲で協力してもらっています」
黒崎は資料を一枚めくった。
「問題は、公開情報を求める活動と、公開されていない情報を得ようとする活動の境界です。そこを間違えれば、正当な研究交流にまで疑いをかけることになります」
会議室の誰もが、その言葉の意味を理解していた。
やがて別の担当者が、追加の資料を差し出した。
「黒崎警視正。昨日、ある民間企業から相談が入りました。先ほどの面談とは別件ですが、確認していただきたい内容があります」
「何があった」
「深海資源関連の装置について、非公開の資料を提供してほしいと依頼されたそうです」
黒崎の指が止まった。
「資料の内容は?」
「企業が保有する装置の運用記録です。ただし、先方が求めたのは、一般に公開されている性能資料ではありませんでした」
担当者は一呼吸置いた。
「設備の保守作業に関する内部資料と、関係する技術者の連絡先です」
会議室の空気が変わった。
技術者の連絡先という言葉は、それまで調べてきた問い合わせの内容と重なっていた。
もっとも、それだけで違法な情報収集が成立するわけではない。企業間の正当な取引でも、守秘義務を伴う資料の開示を求めることはある。
「企業側は、どう対応した」
「担当者が社内規程に従って断っています。その後、相手から改めて連絡があり、資料の提供に対する謝礼を提示されたとのことです」
「金額は」
「まだ正式な書面を確認できていません。相談者の説明では、個人に対して相当額を支払うという話だったようです」
黒崎は腕を組んだ。
これまでの問い合わせは、少なくとも表面上は研究交流の形式を保っていた。しかし、会社の正式な窓口を通さず、担当者個人に金銭を渡して内部資料を入手しようとしたのであれば、事情は異なってくる。
「まず相談者から詳しく話を聞く。メールや書面が残っているなら、任意で提出してもらってくれ。記憶だけで判断しないように」
「承知しました」
「それから、先ほどの交流会の件と安易に結びつけるな。同じ人物や組織が関係しているかどうかは、これから確認することだ」
担当者が席を立つと、黒崎は画面に並んだ企業名を見つめた。
これまで輪郭の曖昧だった調査に、初めて具体的な行為を伴う相談が加わった。
だが、その行為の背後に誰がいるのか、まだ何も確定していなかった。
◇
同じ日の午後。
東京都内の小さな貸事務所で、一人の男がノートパソコンを閉じた。
男の名前は劉健明。三十代後半で、日本国内では海外企業の技術交流を支援するコンサルタントとして活動している。
事務所には机が二つと書類棚が一つあるだけで、窓際には観葉植物が置かれていた。外から見れば、ごく普通の小規模な事業所である。
劉は携帯電話を取り出し、登録された番号へ発信した。
「先方から返答がありました。内部資料の提供はできないそうです」
相手はしばらく黙っていた。
『理由は?』
「社内規程に反するとのことです。担当者個人に話を持ちかけましたが、応じるつもりはないようです」
『それ以上の接触は控えろ』
短い指示が返ってきた。
「承知しました。ただ、技術者の所属については、別の経路で確認できる可能性があります」
『その件も、今は進めるな』
劉は眉をひそめた。
「何か問題でも?」
『問い合わせが目立ち始めている。日本側が警戒している可能性がある』
「公開されている情報を集めるだけなら、問題はないはずですが」
『問題がないかどうかを決めるのは、お前ではない』
電話の向こうの声は冷たかった。
劉はそれ以上反論せず、通話を終えた。
机の上には、複数の企業のパンフレットと技術交流会の案内が重ねられている。彼が日本で活動を始めてから、さまざまな研究者や企業関係者と接点を持ってきた。今回の仕事も、その延長にあると考えていた。
しかし、ここ数日で状況は変わりつつあった。
日本政府が発表した核融合炉は、既存の研究開発の常識から大きく外れた性能を持っている。南鳥島周辺の深海からレアアースを採掘し、精製まで行う装置も同様だった。
中国国内の関係者が知りたがっているのは、装置そのものの仕様だけではない。
誰が開発したのか。
どの組織が研究を主導したのか。
次に何を作る能力があるのか。
そうした情報だった。
劉は当初、日本の大学や大手企業の研究部門を調べれば、何らかの痕跡が見つかるだろうと考えていた。ところが、実際には公開情報をいくら集めても、技術の中心にいる人物へたどり着けなかった。
日本政府が協力者の身元を秘匿していることは公表されている。
それでも、これほど巨大な技術開発に関係者の名前がまったく現れないのは、劉にとって不可解だった。
「……本当に、研究所が存在しないとでもいうのか」
思わず漏れた独り言に、答える者はいない。
彼は机の引き出しから薄い封筒を取り出した。
中には、先日ある協力者から受け取った資料が入っていた。日本国内の民間企業が保有する、深海資源関連設備の保守記録の一部だった。
ただし、それは核となる採掘・精製装置の設計図ではない。
政府が管理する主要設備に付随する、周辺機器の点検記録である。劉が期待した開発者の名前も、製造技術の詳細も記載されていなかった。
それでも、一般には公開されていない社内文書であることに変わりはない。
劉は資料の端に記された管理番号を眺めた。
協力者は、この書類を見せることに問題はないと説明していた。だが、その言葉を裏づける正式な許可書は受け取っていない。
彼は封筒を閉じ、引き出しの奥へ戻した。
その資料が、すでに別の場所で問題になり始めていることを、劉はまだ知らなかった。
◇
翌日、警察の担当者は、相談を寄せた企業の会議室を訪れていた。
相手は設備保守を請け負う中堅企業の管理職と、情報管理を担当する社員だった。
企業側の説明によれば、数日前、社内の共有フォルダに保存されていた点検記録の一部について、通常と異なる閲覧履歴が確認されたという。
最初は内部監査で見つかった小さな不一致だった。
業務上必要のない部署の社員が、深海資源関連設備の資料を閲覧していたのである。
閲覧そのものは、社内のアクセス権限の範囲内だった。しかし、その社員は担当業務と関係のない資料を繰り返し開いていた。
「本人には確認したんですか」
捜査員が尋ねた。
「はい。最初は業務の参考にしたと説明していました。ただ、詳しく聞くと、外部の知人から頼まれて内容を確認したと話し始めまして……」
管理職は困ったように手元の書類を見た。
「その知人というのは?」
「海外企業の技術交流を手伝っている人物だそうです。社員は以前、展示会で知り合ったと説明しています」
「資料を外部へ渡したかどうかは確認できていますか」
「本人は、印刷した資料を一度見せたと認めています。コピーを渡したかどうかについては、説明が変わっていて……。社内でも確認を続けています」
捜査員はその言葉を記録した。
この段階では、企業側の内部調査結果と社員の説明があるだけだった。資料の持ち出しがどのような形で行われたのか、守秘義務違反に当たるのか、外部の人物がどこまで事情を知っていたのかについては、さらに確認が必要だった。
それでも、調査は新たな段階へ進んでいた。
単に開発者を尋ねる問い合わせがあったという話ではない。
非公開資料が、正式な手続きを経ずに社外の人物へ示された可能性が出てきたのである。
「社員の方には、改めて任意でお話を聞きたいと思います。会社として保管しているアクセス記録や、資料の管理規程についても確認させてください」
「協力します。ただ……」
管理職は言いよどんだ。
「うちが扱っているのは、あくまで周辺設備です。ニュースに出ているような、あの新しい採掘装置の中身なんて、私たちも知りません」
「その点は理解しています」
捜査員はうなずいた。
「今回確認しているのは、装置の秘密そのものではなく、会社が管理する情報がどう扱われたかです」
聞き取りを終えた担当者が庁舎へ戻る頃には、関係資料の整理がさらに進んでいた。
そして、企業から提出された名刺の写しに記されていた名前が、技術交流会の参加記録にも存在することが確認された。
劉健明。
複数の問い合わせに関わっていた人物と、社内資料を閲覧した社員の外部の知人として名前が挙がった人物が、一致したのである。
黒崎は報告書を読み終えると、静かに顔を上げた。
「これで、調べるべき人物は具体的になったな」
「はい。ただし、資料を見せた経緯については、まだ双方の説明を照合できていません」
「当然だ。本人に確認する前から結論を出すな」
黒崎は報告書を閉じた。
「関係する記録の保全を優先する。必要な法的手続きは、事実関係に応じて判断することになる」
誰かを逮捕するために調査を進めるのではない。
何が起きたのかを明らかにし、その結果として法律上の問題が認められるかを判断する。
黒崎は部下たちに、その原則を徹底させた。
◇
その日の夕方、首相官邸にも調査の進展が報告された。
三浦誠司は、関係当局から共有可能な範囲で受け取った内容を整理し、高瀬隆一の執務室へ向かっていた。
高瀬は机の上の書類から顔を上げた。
「進展があったそうだな」
「はい。民間企業の内部資料が、正式な手続きを経ずに外部へ示された可能性が確認されました。複数の問い合わせに関係した人物との接点も見つかっています」
「それは、我々が提供を受けた装置の設計情報なのか」
「いいえ。現時点で問題になっているのは、周辺設備の保守記録です。装置の中核技術や、協力者の個人情報が含まれていたという報告はありません」
高瀬はわずかに表情を緩めたが、すぐに問いを重ねた。
「違法行為として立証できる段階か」
「まだです。企業内の規程、資料を示した社員の説明、外部の人物の認識など、確認すべき点が残っています。警察は独立して調査を進めています」
「中国側との関係は」
「過去の所属や公開活動については確認が進んでいます。ただ、今回の資料の件について、中国政府の指示があったと示す証拠は、現時点では確認されていません」
高瀬は椅子に深く座り直した。
日本の技術を巡る国際的な関心が高まることは、ある程度予想できていた。しかし、実際に企業の内部資料を巡る問題が生じたとなれば、政府としても慎重な対応が必要になる。
ただし、外交上の疑念と刑事上の事実は別のものだった。
「国籍や過去の所属だけで判断することは避けなければならないな」
「その方針は関係当局にも共有されています」
「それと、関係企業の通常業務に必要以上の影響が出ないようにしてほしい。こちらが騒ぎを大きくすれば、協力者を探している者たちに、かえって余計な手掛かりを与えかねない」
三浦はうなずいた。
高瀬が言う協力者とは、もちろん小鳥遊紬のことだった。
彼女は国家の研究機関に所属する科学者でもなければ、巨大企業の経営者でもない。ごく普通の生活を望む二十一歳の女性である。
その事実を知っている人間は、政府内でも限られていた。
高瀬はしばらく考えたあと、口を開いた。
「ボスには、状況が一段階進んだことだけ伝えてくれ。詳しい捜査情報まで共有する必要はない。彼らが知るべきなのは、身元に関わる情報が漏れていないか、生活に影響する事態が起きているかという点だ」
「承知しました」
「それから、白石さんにも確認を頼みたい。企業側の資料に技術的に重要な情報が含まれていなかったか、公開可能な範囲で評価してもらう」
「すでに依頼しています。白石さんからは、装置の核心に迫る内容ではないとする暫定的な見解が届いています」
「そうか」
高瀬は窓の外に目を向けた。
国を動かすほどの技術が、たった一人の若い女性の手から生み出されている。
それを知らない人々が、巨大な研究施設や秘密の開発組織を探し続けている。
政府はその事実を守る立場にあるが、同時に、社会で実際に起きた問題には通常の制度と手続きで対応しなければならない。
「技術を守ることと、法を守ることは、別々に考えるべきではないな」
高瀬の言葉に、三浦は短く応じた。
「はい。どちらも必要です」
◇
一方、その頃の紬の自宅では、ボスが珍しく真剣な顔で画面を見つめていた。
もっとも、そこに映っているのは政府からの報告ではない。
釣りゲームの大会画面だった。
「おい紬、今の見たか? あと三秒で逃げられるところだったぞ!」
「……見た。すごいね」
「すごいね、じゃねえ。もっとこう、歴史的快挙を目撃したときの反応があるだろ!」
ソファに座った紬は、手元のコントローラーを置いて笑った。
画面には、ボスが釣り上げた巨大な魚の記録が表示されている。小さな翼でも操作できる専用コントローラーを使い、ボスは自分の力で釣り上げたのだ。
「おめでとう、ボス」
「よし。それだ。次はもっとでかいのを狙う」
ボスが胸を張ったところで、隣に立っていたアイリスが口を開いた。
「なお、現在の記録は大会参加者全体で二百十八位です」
「……お前、今それ言う必要あったか?」
「記録の正確性は重要ですので」
「俺の喜びを正確に減らすな!」
紬が声を立てて笑うと、アイリスの口元にも小さな笑みが浮かんだ。
その直後、アイリスの視線がわずかに動いた。
「マスター。三浦様から連絡が届いています」
紬の笑顔が少しだけ引き締まった。
「……あの件?」
「はい。ただし、現時点でマスターの身元や居住地に関する情報が外部へ伝わった事実は確認されていません」
「そっか……」
ボスはコントローラーを置き、紬の方へ体を向けた。
「読んでくれ、アイリス」
「承知しました」
アイリスは、政府から共有された要点を簡潔に説明した。
民間企業の非公開資料が外部へ示された可能性があり、関係当局が事実確認を進めていること。問題の資料は周辺設備の保守記録であり、紬の身元につながる情報は確認されていないこと。そして、現段階で誰かの犯罪が立証されたわけではないこと。
説明を聞き終えたボスは、しばらく黙っていた。
「……なるほどな。向こうは、まだ開発した奴を探してるってわけか」
「その可能性はあります。ただし、今回の資料の件が誰の指示によるものかは確定していません」
「分かってる。決めつけるつもりはねえよ」
紬は膝の上で両手を重ねた。
「……資料を見せちゃった人、どうなるんだろう」
ボスは少し意外そうに紬を見た。
「そっちが気になるのか?」
「うん。もちろん、勝手に見せるのはよくないと思うけど……。何か事情があったのかもしれないし」
紬は言葉を探しながら続けた。
「……悪いことをしたなら、ちゃんと調べないといけないと思う。でも、まだ分からないのに、最初から悪い人って決めちゃうのは……」
「嫌なんだな」
「……うん」
ボスは小さくうなずいた。
「だったら、それでいいんじゃねえか。調べるのは警察の仕事だ。俺たちが勝手に犯人を決める必要はねえ」
アイリスも静かに続ける。
「マスターのお考えは、現在の政府の対応方針とも矛盾しません。確認された事実と、まだ確定していない推測は区別されています」
「……よかった」
紬の表情が少し和らいだ。
ボスはその様子を確かめると、再び画面へ向き直った。
「よし。じゃあ俺は、目の前の問題を片づける」
「……目の前の問題?」
「二百十八位だ」
アイリスが即座に答えた。
「現在の順位を百位以内へ上げるには、少なくとも記録の大幅な更新が必要です」
「分かってるって! だから今からやるんだろ!」
「ちなみに、マスターの最高順位は四十二位です」
ボスがゆっくりと振り返った。
「……紬」
「な、なに?」
「お前、いつの間にそんなに釣ってたんだ?」
「……昨日、ちょっとだけ」
「ちょっとだけで四十二位になるか!」
紬は困ったように笑いながら、コントローラーを持ち直した。
アイリスは二人のやり取りを眺めつつ、政府への返信を送信した。
必要な情報を受領したこと、身元に関する新たな異常は確認されていないこと、今後も事実が確定した範囲での共有を希望すること。
それ以上の介入は求めなかった。
紬にとって大切なのは、誰かを追い詰めることではない。
今までと変わらず、ボスとアイリスと一緒に暮らしていけることだった。
◇
翌朝。
警察庁では、黒崎の机に新しい報告が届いていた。
資料を閲覧した企業の社員が、外部の人物との面会について追加の説明を行ったという。
その内容は、これまでの話を一段階進めるものだった。
社員は、知人から頼まれて保守記録を印刷し、都内の喫茶店で見せたことを認めた。
そして、その場で相手が資料の一部を撮影していたと話したのである。
撮影について明確に許可した記憶はなく、社内で認められた行為でもなかったという。
さらに、面会のあとで謝礼として現金を渡されたことも説明した。
金額は数万円。
社員は当初、相談に乗ったことへの礼だと考えて受け取ったが、社内調査が始まってから問題になる可能性を感じ、会社へ申し出たのだという。
黒崎は報告書を読み進めた。
「撮影した人物は?」
「劉健明です。社員が提出したメッセージの履歴にも、面会日時と資料の話題が残っています」
「現金について裏づけは」
「現時点では本人の説明が中心です。関連する記録を確認中です」
黒崎は静かにうなずいた。
これで、非公開資料が外部の人物に示され、その一部が撮影されたという具体的な供述が得られた。
しかし、資料の機密性、社員の守秘義務、相手の認識、金銭の趣旨など、法律上の評価にはまだ調べるべき点が多い。
何より、劉本人から事情を聞いていない。
「任意の事情聴取を検討する。関係資料の保全も進めてくれ」
「はい」
「それと、相手が外国政府のために動いていたかどうかは、この件だけでは判断できない。そこを混同しないように」
部下が退出すると、黒崎は窓の外へ目を向けた。
冬の空はよく晴れていた。
街では普段どおりに人が行き交い、企業では新しい一日の仕事が始まっている。
その何気ない日常の裏側で、ひとつの資料を巡る事実関係が、少しずつ明らかになろうとしていた。
そして、当事者の一人である劉健明のもとにも、警察から事情を聞きたいという連絡が届くことになる。
彼がその連絡をどう受け止め、何を語るのか。
それによって、調査の行方は大きく変わるかもしれなかった。




