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うちのぺんぎんが日本政府と交渉している件  作者: むぎちゃ
第3章 小さな奇跡と大国の思惑
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第63話 アイリスの警告

 日本がレアアースの本格輸出を開始してから、国内の研究機関や関連企業には、海外からの問い合わせが以前にも増して寄せられるようになっていた。


 新たな供給元との取引を希望する企業、品質評価のために資料を求める研究者、採掘設備の性能を知りたがる専門誌の記者。問い合わせの目的も内容もさまざまであり、その大半は正当な関心に基づくものだった。


 しかし、政府が公表していない情報を繰り返し求める相手も、少しずつ目立ち始めていた。


 核融合炉と深海採掘装置の開発には、どの研究機関が関わったのか。設計責任者は誰なのか。技術提供者と直接連絡を取る方法はないのか。


 日本政府はすでに、こうした問い合わせの増加を把握していた。ただし、それだけで外国の情報機関による活動と判断することはできない。公開情報の不足に不満を抱く研究者もいれば、単に取材の仕方が強引な記者もいる。


 問題は、それらをどう区別するかだった。


 そして、公開情報の中に紛れた小さな違和感に、誰よりも早く気づいたのはアイリスだった。


     ◇


 午後の穏やかな日差しが差し込むリビングで、紬はソファに腰掛け、膝の上にボスを乗せながら本を読んでいた。


 ボスは小さな翼を身体の横に収め、紬の腕にもたれている。先ほどまで自分のゲーム機で遊んでいたのだが、区切りのよいところで切り上げて戻ってきたらしい。


 その向かいでは、銀白色の髪を持つアイリスがホログラムの姿で資料を確認していた。


 彼女の前には複数の情報画面が浮かんでいる。表示されているのは政府から共有された問い合わせの概要と、一般公開されている研究発表、企業情報、報道記事などだった。


 政府からの連絡を受けて以降、アイリスは必要な範囲で情報の整理を続けていた。紬に関する情報保護とは別に、政府側が抱える問題を理解するための作業である。


 やがて、一つの画面を見つめたまま、アイリスの指が止まった。


「……少々、気になる点があります」


 紬は本から顔を上げた。


「……何かあった?」


「現時点で危険が発生したという報告ではありません。ただ、政府に共有する価値のある情報を見つけました」


 ボスが顔を向ける。


「例の、開発者を探してる連中か?」


「関連する可能性があります。マスター、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」


「……うん」


 アイリスは画面を整理し、三人から見やすい位置に一枚の資料を表示した。


 そこには、ある民間研究機関が公開した技術交流会の案内が映っていた。内容自体は珍しいものではない。日本の新しい資源供給体制について、企業や研究者が意見を交換する催しである。


「こちらは来週開催される技術交流会です。参加申し込みの受付は一般に公開されており、海外からの参加も認められています」


「普通じゃねえか」


「はい。交流会そのものに問題はありません」


 アイリスは参加希望者の所属先に関する公開情報を示した。


「ただ、参加を希望している複数の団体について、気になる共通点があります。法人登記上は別々の組織ですが、公開されている代表連絡先や過去の活動記録に、いくつかの重なりが見られます」


 ボスは画面を見上げた。


「同じ会社が名前を変えて申し込んでるってことか?」


「そこまでは断定できません。共通の事務代行業者を利用している可能性もありますし、関連企業が共同で参加すること自体も不自然ではありません」


「じゃあ、何が引っかかったんだ?」


「申し込み時の質問です」


 アイリスが別の資料を表示すると、そこには主催者側が受け取った質問のうち、政府に共有されたものが並んでいた。


 技術交流会では、採掘装置の一般的な性能や、精製されたレアアースの品質について説明が行われる予定だった。


 ところが、問題の団体が求めていたのは、それらとは少し違う情報だった。


 研究成果の公表前に誰が確認するのか。技術提供者から研究機関への連絡は、どのような経路を通るのか。政府の担当部署と研究施設の間で、日常的に連絡を取っている職員は誰なのか。


「……人のことばっかり聞いてる」


 紬が小さく呟いた。


「そのとおりです、マスター。設備の性能ではなく、情報がどの人物を経由して動くのかに関心が集中しています」


 ボスの表情が険しくなる。


「そいつら、紬を探すつもりじゃねえだろうな」


「その可能性を排除することはできません。ただし、質問だけでは目的を確定できません。政府の担当者に接触したい営業関係者や、研究体制を調べる記者でも似た質問をする場合があります」


 アイリスはそこで一度言葉を切った。


「重要なのは、これらの質問が、先日政府から共有された別の問い合わせと、非常によく似た順序で行われていることです」


 画面が切り替わり、複数の問い合わせの内容が時系列で並べられた。


 最初は研究機関の確認。次に責任者の所属。回答が得られなければ、技術提供者と接点のある職員を尋ねる。


 相手の窓口は違っても、質問の進め方には一定の共通性があった。


「偶然かもしれませんが、複数の組織が同じ情報へ段階的に近づこうとしているようにも見えます」


「なるほどな。正面から聞いて駄目なら、別のところから聞き直すわけか」


「その解釈は成立します。ただし、まだ仮説です」


 紬はしばらく画面を見つめていた。


 知らない誰かが、自分に近づく方法を探しているかもしれない。


 そう考えると落ち着かない気持ちにはなるが、今の段階で誰かが自分の存在を知っているわけではないことも理解していた。


「……これ、政府の人に教えた方がいいよね」


「はい。私はそのように考えています」


「だったら連絡しようぜ。判断する材料は多い方がいいだろ」


 ボスは紬の膝から立ち上がろうとしたが、途中で一度振り返った。


「紬、お前はどうする?」


「……一緒に聞く。話すのは、ボスにお願いしたいけど」


「おう。任せとけ」


 アイリスは政府との連絡用に確保されている通信経路を開いた。


 ただし、送信する資料は慎重に選んだ。


 公開情報の比較結果、問い合わせの共通点、確認が必要な事項。そこに、相手の正体を断定する文章は含めなかった。


 情報の分析と、事実の認定は別の仕事である。


 アイリスはその区別を、誰よりもよく理解していた。


     ◇


 首相官邸では、三浦誠司が午後の予定を確認していた。


 レアアース輸出に関する国際調整に加え、核融合炉の供給契約、医療製剤の海外提供など、扱う案件は増える一方だった。どれも従来の行政の枠組みでは想定されていなかった規模と速度で進んでいる。


 机上の資料に目を通していた三浦のもとへ、担当職員から連絡が入った。


「官房長官、協力者側から新しい情報提供の申し出が来ています」


 三浦はすぐに資料を受け取った。


 内容を読み進めるにつれ、表情が引き締まっていく。


「……技術交流会の参加団体ですか」


 これまで問題となっていたのは、各機関へ個別に寄せられた問い合わせだった。今回の資料は、それらとは異なる経路から集まった情報を比較し、共通点を示している。


 もっとも、情報のつながりがあることと、不法な活動が行われていることは同じではない。


 三浦は担当職員に指示した。


「関係する原資料の所在を確認してください。主催者から正式に提供された記録と、一般公開情報を分けて整理するように。協力者側の分析結果だけを根拠に、相手方へ不利益な措置を取ることは避けます」


「承知しました」


「それと、白石さんにも連絡を。研究交流の実態を踏まえた意見が必要です」


 ほどなくして、白石理沙が映像通信に参加した。


 資料を読み終えた彼女は、すぐに結論を出さなかった。


「質問の内容は、確かに技術交流会としては少し変ですね。ただ、研究者の立場から言わせてもらえば、誰が研究責任者なのか知りたいという希望自体は普通です」


「私もそう考えています」


「問題は、回答できないと伝えられた後の動きでしょうね。技術の話をするために参加するなら、公開可能な研究内容について質問すればいい。でも、担当者の個人名や内部の連絡経路ばかり聞き続けるとなると、目的を確認する必要があります」


 三浦は頷いた。


「現時点では、交流会の主催者に通常の情報管理を徹底してもらうことに留めます。参加者を一律に排除する理由にはなりません」


「それがいいと思います。外国の研究者が来ること自体を問題にしたら、まともな研究交流まで止まってしまいますから」


 白石は少し考えてから、別の懸念を口にした。


「ただ、研究施設の職員は気をつけた方がいいかもしれません。公表していない技術を知っていると思われて、個人的に質問される可能性があります」


「施設側へは、業務上の問い合わせを正式な窓口に集約するよう伝えます。職員個人に対応を押しつけない形にしましょう」


「お願いします。研究者って、興味のある話を振られると、つい長く喋ってしまう人もいますから」


 白石はそこで、自分も例外ではないと思い当たったのか、わずかに苦笑した。


「……私も気をつけます」


 三浦は短く頷き、資料を閉じた。


 今回の情報だけでは、何者かが組織的に動いているとまでは言えない。


 しかし、放置してよいとも思えなかった。


 問題は、疑いを持った相手を監視することではない。実際に何が起きているのかを、適切な手続きで確かめることだった。


 そのためには、政府の技術担当部門だけで判断するべきではない。


 三浦は高瀬首相への報告を手配した。


     ◇


 高瀬隆一は、三浦から渡された資料を最後まで読み、しばらく考え込んでいた。


「質問内容の類似だけでは、偶然の可能性を否定できないね」


「はい。アイリスさんも、その点を明確に留保しています」


「では、今の段階で何が必要だと思う?」


「まず、関係機関に通常の情報管理を徹底させます。そのうえで、必要な範囲の情報を関係当局へ共有し、独立した立場で評価してもらうべきかと」


 高瀬は頷いた。


「そうしよう。ただし、協力者側からの情報だけで、外国政府の関与を決めつけることはしない。外交上の問題にするには、なおさら慎重であるべきだ」


「承知しています」


「それから、調査の目的を間違えないようにしてほしい」


 三浦が顔を上げる。


「目的、ですか」


「我々が守るべきなのは、特定の技術だけではない。適法な研究活動も、民間企業の取引も、職員個人の生活も守らなければならない。疑わしいというだけで誰かの自由を制限するなら、それ自体が問題になる」


 高瀬の声は穏やかだったが、言葉には明確な重みがあった。


 日本は現在、世界中から注目される技術を扱っている。


 だからこそ、秘密を守るためなら何をしてもよいという姿勢を取るわけにはいかなかった。


「警察庁を含む関係当局へ、必要な情報を正式に共有してください。違法行為を示す具体的な事実があるかどうか、通常の権限と手続きに従って確認してもらう。捜査に進むかどうかは、当局が独自に判断することです」


「はい」


「そして、協力者側の情報の扱いには十分注意してほしい。彼らの存在を説明する必要はないし、彼らに捜査を代行させるつもりもない」


 三浦は資料の端に短くメモを取った。


 アイリスの分析能力は、政府の専門家にとっても常識を超えたものだった。だからといって、その分析を法的な証拠として無条件に扱うことはできない。


 情報が正しいことと、その情報をどのような方法で取得し、どのような手続きで利用できるかは、別の問題なのである。


「ボスさんたちには、こちらの方針を説明します」


「頼むよ。それと、彼女に何かをしてもらう必要があるなら、必ず本人の意思を確認すること。以前の約束を忘れてはいけない」


 三浦は静かに頷いた。


 政府と紬たちの関係は、命令する側と従う側ではない。


 その基本を守ることが、今回も重要だった。


     ◇


 その日の夕方、紬の自宅に三浦からの返答が届いた。


 紬はリビングの床に座り、ボスが操作しているゲームの画面を眺めていた。画面の中では、小さな船が障害物の間を進んでいる。


「おい、紬。そっちの岩、見えてるか?」


「……見えてるよ」


「なら何で黙ってんだよ。俺がぶつかるところだったじゃねえか」


「……自分で操作してるんでしょ?」


「見張りがいるときは見張りを頼るのが船長ってもんだ」


「……私、見張りになった覚えない」


 紬が笑ったところで、アイリスが通信の到着を知らせた。


「マスター、三浦官房長官から返答が届きました」


 ボスはゲームを一時停止した。


「お、早かったな。どうだって?」


「政府は、私の分析を関係当局に共有する方針を決定したそうです。今後、必要に応じて通常の調査手続きが進められます」


「つまり、向こうが自分たちで調べるってことか」


「はい。私たちの情報提供とは別に、当局が独自に事実関係を確認することになります」


 紬は少し安心したように頷いた。


「……よかった」


 アイリスは続けた。


「また、政府は現時点で特定の国の関与を断定していません。外交上の対応も予定していないとのことです」


「そりゃそうだろ。怪しい質問が来たってだけで、いきなり国同士で喧嘩してたらきりがねえ」


 ボスはそう言ってから、少し真面目な声になった。


「で、アイリス。お前が気づいたことは、全部伝えたのか?」


「公開情報から確認できた共通点と、政府から共有された記録に基づく分析は伝えました。ただし、相手方の所属や意図について、確定していない推測は明確に区別しています」


「よし。それならいい」


 紬は二人の会話を聞きながら、しばらく考えていた。


「……アイリス」


「はい、マスター」


「その人たちが、もし本当に悪いことをしようとしてても……今はまだ、何もしてないかもしれないんだよね」


「その可能性はあります。少なくとも、私が確認した資料だけでは、違法な行為が実際に行われたと証明できません」


「……だったら、間違って決めつけない方がいいよね」


「私も同意します」


 ボスは紬を見上げた。


「まあ、怪しいからって全員悪党扱いするわけにはいかねえよな。でも、何かやらかしてからじゃ遅いこともある。だから今のうちに、できる準備をしとくんだろ」


「……うん」


 アイリスは二人のやり取りを聞き、静かに微笑んだ。


「マスター。私は今後も、必要な情報保護を維持します。ただし、政府機関や民間企業の活動を無制限に監視することはいたしません。今回の件についても、正式に共有された情報と、適法に公開されている資料を中心に分析します」


「……それでいいと思う」


「承知しました」


 紬はボスを抱き上げ、自分の膝の上へ戻した。


 外の世界では、誰かが何かを探しているかもしれない。


 それでも、今この部屋で過ごしている時間まで、知らない相手のために変えてしまう必要はない。


 紬はそう思いながら、ボスの頭を軽く撫でた。


「……ゲーム、続きやる?」


「おう。今度はちゃんと見張ってろよ」


「……だから、見張りじゃないってば」


 アイリスはその会話を聞きながら、政府へ送った資料の記録を整理した。


 そして、別の画面に表示されていた公開情報を、もう一度確認する。


 そこには、先ほどの技術交流会に参加を希望している団体の一つが、数年前に別の国際会議へ参加した際の記録が残されていた。


 記録自体は公開されたものだったが、そこに記載された関係者の一人が、過去に中国の国家安全部と関係の深い組織に所属していたことを示す報道資料が見つかっていた。


 もちろん、それだけで現在の所属や活動目的が分かるわけではない。過去の職歴だけで、今も同じ組織の指示を受けていると判断することもできない。


 それでも、確認すべき点が一つ増えたことは確かだった。


 アイリスは資料の出典と不確実な部分を整理し、追加情報として政府へ送る準備を進めた。


 彼女は紬たちのゲームを邪魔することなく、その作業を終えた。


     ◇


 翌朝、関係当局の担当部署には、官邸から正式な情報共有が行われた。


 そこには技術交流会への参加申し込み、複数の問い合わせの共通点、公開資料から確認できる組織間のつながりなどが整理されていた。


 担当者たちは資料を確認し、最初に一つの方針を共有した。


 提供された分析は、あくまで調査の端緒である。


 関係者が実際にどのような活動を行っているのか、違法な情報取得が試みられているのか、背後に指示を出す組織が存在するのか。それらは、当局自身が確認しなければならない。


 必要な記録は正規の手続きで取得し、証言や資料はそれぞれ独立して検証する。外国との関係を示す情報についても、公開資料だけで結論を出さない。


 そのうえで、具体的な違法行為の疑いが認められる場合には、法律に従って対応を検討する。


 担当者の一人が、資料の最後に記された注意事項を読み上げた。


「情報提供元の詳細は、必要な範囲に限定して管理する。提供元の分析結果を、そのまま事実認定に用いないこと」


 別の担当者が頷いた。


「まずは、こちらで確認できる事実からですね」


 資料の表紙には、特定の国を犯人と決めつけるような言葉は書かれていなかった。


 ただ、複数の問い合わせが、同じ方向へ向かっている可能性が示されている。


 日本の新しい技術そのものではなく、その技術を生み出した人物へ近づくための道筋を探しているのではないか。


 その疑問を確かめるための調査が、静かに始まった。


 この時点で、誰かが逮捕されたわけでも、不法な情報取得が立証されたわけでもない。


 しかし、これまで別々の窓口に届いていた小さな違和感は、初めて一つの調査対象として扱われることになった。


 そして、その調査がどこへつながっていくのかは、まだ誰にも分かっていなかった。

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