第62話 見えない手が伸びる
中国の首都、北京。
冬の冷たい風が吹きつける官庁街では、街路樹の枝が灰色の空に細い影を伸ばしていた。窓の外を行き交う車の列を背に、王志強は机の上に置かれた報告書を読み終えると、最後のページを閉じた。
報告書の表紙には、日本のレアアース輸出事業に関する最新の市場分析と記されている。内容は決して明るいものではなかった。日本が南鳥島沖の深海底から採掘した資源を精製し、海外市場へ供給し始めてから、対象となる一部の製品では価格競争が予想以上の速さで進んでいる。
中国の生産量が急減したわけではない。長年にわたって築き上げてきた採掘、分離、精製、加工の産業基盤も、依然として世界有数の規模を誇っている。しかし、それまで中国の供給能力を前提に組み立てられていた各国の調達計画に、日本という新たな選択肢が加わった意味は大きかった。
買い手が複数の供給元を選べるようになれば、価格だけでなく契約条件や納期についても交渉の余地が生まれる。たとえ中国が市場の大きな部分を維持していても、以前と同じ条件を当然のように受け入れてもらえるとは限らない。
王は報告書を脇へ寄せ、向かいに座る趙建国へ視線を向けた。
「日本の供給能力について、何か新しい情報はあるか」
「公開資料の範囲では、運転実績が積み上がっていること以外に目立った変化はありません。ただ、複数の海外企業が日本産の精製品を長期契約の候補に加えています。実際の契約数量はまだ限定的なものもありますが、今後の市場に影響するでしょう」
「装置そのものについては?」
「相変わらず、詳細は公開されていません」
趙は手元の端末を操作し、日本政府が公表した資料の一覧を表示した。
深海底資源採掘・精製統合システム。一般向けの発表では『ぺんぎんほりほり』という奇妙な名称で知られているが、技術資料に記載された内容は意外なほど慎重だった。採掘対象となる海域、環境監視の考え方、製品の品質管理、運用上の安全対策については一定の説明がある一方、装置内部の構造や製造工程の詳細には踏み込んでいない。
「特許情報はどうなっている」
「関連する周辺技術の出願は確認できます。しかし、肝心の統合システムを再現できるような資料は見つかっていません。公開されている情報だけで同等の設備を開発するのは困難です」
王は腕を組んだ。
「核融合炉のときも、似たような状況だったな」
その一言で、室内の空気がわずかに重くなる。
日本から導入した核融合炉をめぐる一連の騒動は、中国政府にとって今なお扱いの難しい問題だった。協定に反する運用を行った結果、日本との対立が深まり、最終的には中国に提供されていた装置が回収された。国内向けにはさまざまな説明がなされていたものの、関係部局では、その経緯が外交上の失敗として記憶されている。
趙は慎重に言葉を選んだ。
「二つの技術には、共通する特徴があります。既存の技術水準から考えると、実用化までに相当の時間が必要と見られていたものが、日本では極めて短期間で実現していることです」
「同じ研究機関が関与していると?」
「その可能性はあります。ただし、現時点では推測です。核融合炉と深海採掘設備では必要な専門分野が異なりますし、同一の組織が開発したという証拠もありません」
「開発者の名前は?」
「不明です」
王は眉を寄せた。
「研究機関も、責任者も、主要な技術者も不明。それでいて装置は完成し、商業運転まで始まっている。日本政府は何を隠しているんだ」
「技術保護という説明自体は不自然ではありません。特に、これほどの競争力を持つ設備であれば、開発体制を非公開にする理由はあります」
「それは理解している」
王は椅子の背もたれに身体を預けた。
「問題は、我々が何も知らないまま、次の技術まで登場するかもしれないということだ」
趙はすぐには答えなかった。
中国の技術力が低いわけではない。国内には優秀な研究者が数多く存在し、国家規模の研究開発投資も続けられている。それでも、日本が公表した二つの技術には、既存の研究成果を積み重ねるだけでは説明しにくい部分があった。
その理由を知りたいという欲求は、研究者としても政策担当者としても自然なものだった。
だが、王が求めているのは純粋な学術的理解だけではない。
「公開情報の分析だけでは限界があります」
趙がそう告げると、王は机上の別の書類に手を伸ばした。
「だからこそ、調べ方を変える必要がある」
書類の表紙には、対日技術情報収集体制の再検討という文字が並んでいた。
趙はその題名を見て、表情を引き締めた。
「どこまで進めるおつもりですか」
「まずは関係機関に検討させる。日本の研究開発体制、政府との協力関係、関連企業の動向を整理する。必要なら、現地で得られる情報も集める」
「通常の経済調査の範囲を超える可能性があります」
「承知している」
王は書類を開いた。
「だからこそ、正式な判断が必要なんだ」
そこには、技術情報を扱う複数の部門から寄せられた提案がまとめられていた。日本国内で公表されている研究発表や企業情報を分析する案もあれば、研究者との接触を通じて非公開の開発体制を探ることを示唆する案もある。
もっとも、どの提案にも決定的な手掛かりはなかった。
日本の新技術がどこで、誰によって生み出されたのか。
その最初の問いにすら、答えが見つかっていないのである。
「情報が足りないからといって、無理な手段を取れば、核融合炉の件と同じ失敗を繰り返しかねません」
趙の忠告に、王は短く息を吐いた。
「失敗を避けるためにも、まず相手を知らなければならない。日本が公開している情報だけを眺めていても、状況は変わらん」
王は書類を閉じ、机の端へ置いた。
「関係部門を集めろ。技術の取得ではなく、まず開発体制の把握を目的とする。何を調べるのか、誰が責任を持つのか、曖昧なまま動かすな」
「承知しました」
趙が席を立とうとしたところで、王はもう一度声をかけた。
「それから、日本側に察知された場合の影響も評価させろ。今の状況で新たな外交問題を起こす余裕はない」
趙は小さく頷いた。
王の言葉には慎重さがあった。しかし、慎重に進めることと、危険な領域へ足を踏み入れないことは、必ずしも同じではない。
会議室を出た趙は、廊下の窓から冬の北京を見下ろした。
中国が長年にわたって強みとしてきた資源分野で、日本が急速に存在感を増している。その変化への焦りは、政策の議論を少しずつ別の方向へ押し流し始めていた。
誰もが最初から違法な行為を望んでいるわけではない。
それでも、得たい情報が手に入らないとき、人はしばしば手段の正当性より、結果の重要性を先に考えてしまう。
趙は端末に届いた会議調整の依頼を確認し、歩き出した。
その日、中国側で始まった検討は、まだ日本政府に知られていなかった。
◇
数日後、東京。
日本政府の関係機関では、海外から寄せられる問い合わせの内容に、以前とは少し異なる傾向が現れていた。
南鳥島沖の資源開発事業が国際的な注目を集めるようになって以来、研究機関や企業、報道機関からの質問は増え続けている。その大半は正当な関心に基づくものであり、技術の概要や環境影響、供給計画について尋ねること自体に問題はない。
しかし、複数の窓口に届いた問い合わせを照合すると、製品や設備の性能ではなく、開発に関わった人物や組織の特定に重点を置いた質問が散見されるようになっていた。
内閣官房の会議室で、三浦誠司は担当者から提出された資料に目を通していた。
「同じ内容の問い合わせが、別々の窓口に届いているということか」
「はい。ただし、送信者が同一人物であると確認されたわけではありません。質問の内容や時期に共通点があるという段階です」
担当者は画面に整理された記録を示した。
大学の共同研究に関する照会。関連企業の技術者採用についての問い合わせ。国際会議への登壇者紹介を求める依頼。どれも単独で見れば珍しいものではないが、その一部には、公開されていない開発責任者の氏名や所属を尋ねる内容が含まれていた。
「問い合わせ先は?」
「研究機関、関連企業、行政窓口などです。具体的な企業名については、確認中のものもあります」
「海外からのものが多いのか」
「国内からの照会もあります。外国の研究者や企業を名乗るものも確認されていますが、現時点で特定の国や組織による活動と断定できる根拠はありません」
三浦は資料を置いた。
新しい技術が登場すれば、開発者を知りたいと考える人間が現れるのは当然だった。研究者であれば共同研究の機会を探すだろうし、企業であれば採用や提携の可能性を検討する。取材目的で責任者を探す記者もいるはずだ。
したがって、質問が重なっているという理由だけで、すべてを不審な活動として扱うわけにはいかない。
それでも、今回に限っては事情が違っていた。
日本政府が公表していないのは、単なる研究者の氏名ではない。
核融合炉と深海採掘設備の開発には、政府の限られた関係者しか知らない協力者が存在する。そして、その協力者について調べられることは、技術流出だけでなく、一人の若い女性の平穏な生活を脅かす可能性につながっていた。
「白石さんには?」
「技術部門に関係する照会の傾向を共有しています。開発協力者に関する情報は、引き続き非公開として対応する方針です」
「わかった。通常の問い合わせと、情報収集を目的とする可能性があるものを区別して整理してほしい。正当な研究交流を妨げないようにすることも重要だ」
「承知しました」
担当者が退室すると、三浦はしばらく資料を見つめた。
日本が世界に先駆けて実用化した技術を守る必要がある。それは当然のことだが、政府の立場から見れば、技術そのもの以上に扱いの難しい秘密が存在していた。
小鳥遊紬。
政府の一部関係者は、彼女が常識では説明できない能力を持ち、その力によって数々の技術が生み出されたことを知っている。だが、その存在は国民にも外国政府にも公表されていない。
紬が望んでいるのは、国際政治の中心に立つことではなかった。
彼女は自分の暮らしを大切にしながら、必要だと思ったときに力を貸してくれている。その協力を当然のものとして扱うべきではないと、高瀬首相も繰り返し口にしていた。
三浦は机の電話を取り、白石理沙へ連絡を入れた。
「先ほどの資料を確認しました。技術面から見て、開発者の特定につながる情報が公開資料に含まれている可能性はありますか」
『現時点では、直接的につながるものは確認していません。公表資料は運用上必要な範囲に絞っていますし、装置の内部構造や開発過程も伏せています。ただ、関係者への質問を積み重ねれば、何らかの推測が生まれる可能性までは否定できません』
「そうですね。今の段階で過剰な対応をするつもりはありませんが、窓口ごとに判断が分かれるのは避けたい」
『技術関連の問い合わせについては、回答範囲を再確認します。研究機関や企業にも、必要な注意事項を伝えておきます』
「お願いします。ただし、協力者の存在を説明するような形にはしないでください」
『もちろんです』
通話を終えた三浦は、次に高瀬首相への報告資料を開いた。
記載するのは、あくまで確認できた事実だけだった。
問い合わせが増えていること。開発体制を探る内容が含まれていること。現時点では組織的な活動と断定できないこと。そして、情報管理を改めて徹底する必要があること。
それ以上の推測を書き加えるつもりはなかった。
数時間後、報告を受けた高瀬は、資料を読みながら静かに尋ねた。
「紬さんには伝えるべきだと思うか」
三浦は少し考えた。
「現時点では、彼女個人に危険が迫っていると判断できる情報はありません。ただ、開発体制への関心が高まっていることは、ボスさんを通じて共有しておいた方がよいと思います」
「そうだな。後になって政府だけが知っていたという状況は避けたい」
高瀬は資料を閉じた。
「ただし、不安を煽るような伝え方はしないでくれ。まだ何が起きていると決まったわけでもない。彼女の生活を守るための情報共有だということを忘れないように」
「承知しました」
高瀬は窓の外へ目を向けた。
日本が新たな技術を世界へ送り出すたびに、国際社会からの関心は大きくなる。それ自体は歓迎すべきことであり、国家としての責任も増していく。
しかし、技術を持つ国への関心が、やがて技術を生み出した個人へ向かうこともある。
そのことを、高瀬は決して軽く考えていなかった。
◇
同じ日の夕方。
紬の自宅では、ボスがソファの上に置かれた小さなクッションを相手に、妙に真剣な表情で格闘していた。
「おい、紬。こいつ、さっきから俺の場所を占領してやがる」
「……それ、ボスが自分で置いたんだよ?」
「置いたときは問題なかったんだよ。今は邪魔なんだ」
紬は読んでいた本から顔を上げ、ボスとクッションを見比べた。
ボスの身体に合わせて作られたクッションは、彼が座りやすいように少し窪んだ形をしている。ところが、その上に別の小さなクッションを重ねたせいで、肝心の座る場所がなくなってしまったらしい。
「……取ればいいのに」
「くちばしで引っ張ると、端っこが変な形になるんだよ」
「じゃあ、私が取る?」
「頼む」
紬が小さなクッションを持ち上げると、ボスは満足そうに元の場所へ腰を下ろした。丸い身体が柔らかな布地に沈み込み、落ち着いたところで、ようやく彼は紬を見上げる。
「ありがとな」
「……どういたしまして」
そのやり取りを見ていたアイリスが、穏やかな声で口を開いた。
「ボス様。次回からは、座る場所を確保してから装飾されることをおすすめします」
「装飾じゃねえよ。ちょっと置いただけだ」
「承知しました。では、偶発的な座席占有事案として記録しておきます」
「そんなもん記録すんな!」
紬が笑いをこらえていると、アイリスの表情がわずかに変わった。
「マスター。政府から連絡が届いています。三浦官房長官からボス様宛てです」
「……お仕事?」
「緊急対応を求める内容ではありません。情報共有の依頼です」
ボスはクッションから身体を起こした。
「読んでくれ」
アイリスが空中に文書を表示する。
そこには、日本の新技術に対する海外からの関心が高まる中で、開発体制や関係者を尋ねる問い合わせが増えていることが記されていた。政府は情報管理を改めて確認しているものの、現時点で特定の組織による不正な活動を確認したわけではなく、紬個人への直接的な危険も把握していないという。
紬は文書を読み終えると、少しだけ首を傾げた。
「……開発した人を、知りたいってこと?」
「そういうことだろうな」
ボスは画面を眺めながら答えた。
「核融合炉も深海の装置も、普通に考えりゃ誰が作ったのか気になるだろ。俺だって、知らない技術が突然出てきたら開発者に話を聞きたくなる」
「……でも、私の名前は出てないよね?」
「出てねえ。政府もそこは守ってる」
アイリスが補足する。
「現在公開されている情報から、マスターの氏名や住所に直接到達できる経路は確認されていません。ただし、開発体制を探る問い合わせが増えていること自体は事実です。今後も状況を確認する価値はあります」
「……そっか」
紬は本を閉じ、膝の上に置いた。
これまで政府と関わってきた中で、秘密を守るための対策は何度も話し合っている。アイリスによる情報保護もあり、一般的な調査で紬の身元が判明することはない。
それでも、誰かが自分を探そうとしているかもしれないと聞けば、気持ちのよいものではなかった。
「……何か、した方がいいのかな」
「今のところは、いつもどおりでいいと思うぜ」
ボスはそう言ってから、少し真面目な顔になった。
「ただ、気になることがあったら俺かアイリスに言え。政府への連絡は俺がやる。お前が知らねえ相手と無理に話す必要はねえよ」
「……うん」
「それと、政府にも確認しとこう。向こうがどこまで調べてて、何を警戒してるのか。こっちが知らないまま話が進むのは嫌だからな」
アイリスが頷く。
「適切な対応だと思います。政府からの情報提供を受けつつ、こちらでも公開情報の範囲で関連する動向を整理できます。ただし、問い合わせの存在だけを根拠に、特定の国や組織を疑うことは避けるべきでしょう」
「わかってるよ。まだ誰が何してるかもわかんねえんだろ」
「はい」
紬はボスを抱き上げ、自分の膝に乗せた。
温かな羽毛に指を沈めると、先ほどまで少し強張っていた気持ちが和らぐ。
「……私、何か悪いことしたわけじゃないのにね」
「当たり前だろ」
ボスは即座に答えた。
「お前は頼まれて、できることを手伝っただけだ。作った技術をどう運用するかは、政府や現場の人間が考えて決めてる。興味を持たれるのは仕方ねえが、だからってお前の生活まで勝手に覗いていい理由にはならねえ」
紬は小さく頷いた。
政府に協力したことを後悔しているわけではない。実際に国内の工場が動き始め、海外の企業にも資源が届いたと知ったときは嬉しかったし、自分の力が誰かの役に立ったことを実感できた。
ただ、その成果と引き換えに、見知らぬ人々から注目される暮らしを望んでいるわけでもなかった。
「……ボス、もし変な人が来たら、どうする?」
「俺が追い返す」
「……身長、四十センチなのに?」
「身長は関係ねえだろ。口なら負けねえぞ」
「ボス様の交渉能力は高く評価できますが、相手が会話に応じるとは限りません」
「お前は一言余計なんだよ」
「その場合は、私が安全確保を優先します。マスターにもボス様にも、不必要な危険を負っていただくつもりはありません」
アイリスの落ち着いた声に、紬は少し安心したように微笑んだ。
「……ありがとう」
ボスは紬の腕の中で身体を動かし、いつものように収まりのよい位置を探した。
「ま、何かあってから考えるんじゃ遅いこともある。政府には俺から返事しとく。向こうも何か新しいことがわかったら教えろってな」
「……お願い」
アイリスが返信文の下書きを表示し、ボスが内容を確認する。紬も目を通したうえで了承すると、文書は政府の窓口へ送信された。
その後、三人は普段どおり夕食の相談を始めた。
ボスが魚料理を希望し、紬が別の料理を提案すると、アイリスは両方を用意する方法を示した。話題はいつの間にか、食後に遊ぶゲームの順番へ移っていく。
外の世界では、日本が生み出した技術をめぐって、さまざまな思惑が交錯していた。
けれど紬にとって、今いちばん大切なのは、膝の上で偉そうに献立へ注文をつける小さなペンギンと、穏やかな声でそれをたしなめるアイリスがいる、この何気ない時間だった。
◇
北京では、その日の夜になっても、関係部門の会議が続いていた。
大きな机の上には、日本の研究機関、資源関連企業、政府機関に関する公開資料が並べられている。出席者の一人が説明を終えると、会議を取りまとめる男性は、資料の中から一枚を抜き出した。
「つまり、開発責任者の所属先すら特定できていないということか」
「はい。公開されている研究成果と、実際に発表された装置の性能を照合しても、直接つながる研究開発計画が見つかっていません」
「日本政府が関係者を秘匿している可能性は?」
「高いと考えられます。ただし、政府内部で開発された技術なのか、民間の協力者がいるのかについては判断できません」
男性は資料を戻した。
「では、調査対象を広げる必要がある」
別の出席者が尋ねる。
「どの範囲まででしょうか」
「まずは、技術発表の前後に日本政府と接点を持った研究機関や企業を整理する。公開されている契約情報、研究協力、設備調達、学会発表を確認し、関係がありそうな組織を絞り込む」
「すでに相当数の組織を確認していますが、成果は限定的です」
「だから、資料を眺めるだけでは足りないと言っている」
男性の声が少し強くなった。
「現地の事情を知る人間から話を聞く方法も検討しろ。もちろん、対象と目的は明確にする。独断で動くことは認めない」
会議室の端で記録を取っていた担当者が、手を止めた。
「接触の対象となる人物については、事前の審査が必要ですね」
「当然だ。誰でもいいわけではない」
男性は頷いた。
「我々が知りたいのは、装置の設計図だけではない。誰が開発を主導し、どのような体制で技術を実用化したのかということだ。そこがわかれば、次に調べるべきことも見えてくる」
その発言に異論を唱える者はいなかった。
もっとも、会議で決まったのは調査方針の整理までであり、具体的な接触対象も実行計画もまだ承認されていない。日本国内で何らかの活動が始まったわけでもなかった。
それでも、議論の方向は明らかに変わりつつあった。
日本が何を作ったのかを調べる段階から、それを作った人間を探す段階へ。
会議が終わる頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。
出席者たちは資料を回収し、それぞれの部署へ戻っていく。最後に残った男性は、机の上に置かれた日本の技術発表資料をもう一度開いた。
そこには、深海底から資源を採掘し、分離と精製までを効率的に行う装置の概要が記されていた。
性能に関する数字も、運用上の説明もある。
しかし、開発者の欄は存在しなかった。
男性はその空白を見つめ、静かに資料を閉じた。
日本が守ろうとしている秘密の正体を、彼らはまだ何も知らない。
そして、その秘密が東京のどこかにある巨大な研究所でも、厳重に警備された軍事施設でもなく、一人の少女と小さなペンギンの暮らしにつながっていることなど、想像すらしていなかった。




