第06話 常識はどこまで通用する?
小鳥遊紬がその日の最初の実験を始めたのは、朝食を終えてから一時間ほど経った頃だった。
もっとも、本人は最初から何かを実験するつもりだったわけではない。お気に入りの大きなクッションに身体を預け、読みかけの本を開いたまま、床の上を歩き回る一羽のペンギンを眺めていただけである。
黒に近い濃い灰色の背中、ふっくらした白いお腹、短い翼に黄色い足。身長四十センチほどの丸っこい身体を左右に揺らしながら歩く姿は、何度見ても飽きなかった。
そのペンギン――ボスは、昨日のゲームで負けたことが相当悔しかったらしく、朝から専用のゲーム機に向かっていた。現在は休憩中で、部屋の隅に置かれた玉座風の椅子まで歩いているところだった。
紬は本から視線を外し、ボスの後ろ姿をじっと見つめた。
丸い。
とても丸い。
しかも、あの羽毛は触ると驚くほど柔らかい。昨日、水遊びを終えたボスを専用のタオルで乾かしたときも、ふわふわした手触りが妙に気持ちよかったことを覚えている。
もう一度触りたい。
できれば、もう少し長く。
「……ボス」
「あん? なんだ?」
「こっち、来て」
「今から休憩するところなんだが……まあいいか」
ボスが方向を変え、ぺたぺたと足音を立てながら近づいてくる。紬はその姿を最後まで見守ると、目の前まで来たところで両手を伸ばした。
「……抱っこしていい?」
「は?」
「抱っこ」
「聞こえてる。なんでそうなるんだよ」
「……ふわふわだから」
「理由になってねえだろ、それ」
文句を言いながらも逃げる様子はなかったため、紬は一応もう一度確認してから、ボスの身体を両手で持ち上げた。
想像していた以上に軽い。
体重が一・五キログラムしかないことは創造した本人なので知っているが、実際に腕の中へ収めてみると、その軽さと身体の大きさが妙に釣り合っていなかった。
胸元へ引き寄せると、柔らかな羽毛がパーカーの生地に触れる。腕の中にすっぽり収まったボスは、短い翼を少し広げて不満そうな顔をした。
「おい、紬。俺はぬいぐるみじゃねえぞ」
「……うん」
「自分で歩けるんだからな?」
「……知ってる」
「じゃあ降ろせよ」
「……もうちょっと」
「お前なあ……」
紬は返事の代わりに、ボスの頭を指先で撫でた。丸い頭から背中へ手を滑らせると、羽毛が指の動きに合わせて柔らかく沈み、離したところから元の形に戻っていく。
気持ちいい。
しかも温かい。
これまで万物創造で作った快適な寝具やクッションとは違い、腕の中のボスは自分で身体を動かし、こちらを見上げ、ときには遠慮なく文句まで言ってくる。
それが、なんだか嬉しかった。
「……ボス、あったかい」
「そりゃ生きてるからな。冷たかったら逆に問題だろ」
「……ふふ」
「何がおかしいんだよ」
「……なんでもない」
紬が小さく笑うと、ボスはそれ以上抗議するのをやめた。代わりに腕の中で身体の向きを変え、落ち着ける場所を探すように足を動かす。
「ちょっと腕を下げろ。足の置き場がねえ」
「……こう?」
「そうそう。そこならいい」
紬が片腕を少し下げると、ボスはその上に足を乗せ、もう片方の腕に背中を預けた。どうやら自分なりに居心地のよい姿勢を見つけたらしい。
紬は本を閉じ、空いた手で白いお腹を撫でた。
「……可愛い」
「だから俺はボスだって言ってんだろ。もっと威厳のある扱いをしろ」
「……ボス、可愛い」
「名前を付けりゃいいってもんじゃねえ!」
もっとも、そう言い返すボスの身体は、すでに紬の腕の中で落ち着いていた。
しばらくすると、紬はふと以前から気になっていたことを思い出した。
ボスの羽毛は、見た目も触り心地も普通の生き物と変わらない。けれど、その身体は万物創造によって生み出されたものであり、紬自身は創造した際に、その構造を理解している。
では、普通の物質ではあり得ない性質を持たせたらどうなるのだろう。
すでに壊れにくい球体や、外見より内部が広い収納箱は作っている。それでも、物理法則そのものに反するような性質を、どこまで自由に指定できるのかは確かめていなかった。
「……ボス」
「今度はなんだ?」
「ちょっと、実験したい」
「またか。今度は何を作るんだよ」
「……まだ考え中」
「考えてから呼べよ」
紬はボスを抱えたまま机へ向かった。
「おい、歩くなら前を見ろよ。俺ばっかり見てると転ぶぞ」
「……大丈夫」
「その返事が一番信用ならねえんだよな」
ボスの忠告に従って前を向きながら、紬は机の前の椅子に腰を下ろした。ボスを膝に乗せ、実験記録を開く。
最初のページには、能力に目覚めた日に書いた文字が残っていた。
『万物創造 実験記録』
その下には、スマートフォンが二台になったことや、朝食を作ったことなどが記されている。ページをめくると、収納箱や家事を自動化する装置についての記録が続き、さらに先には丸いペンギンの絵が描かれていた。
紬はその絵と膝の上のボスを見比べる。
「なんだよ」
「……絵より、本物のほうが丸い」
「お前がそう作ったんだろうが」
まったくそのとおりだった。
紬は笑いをこらえながら新しいページを開き、今日の日付を書く代わりに、大きく『物質の性質について』と記した。
「……まず、重さ」
「重さ?」
「見た目は普通なのに、すごく軽いもの」
「俺みたいなもんか?」
「……ボスは、ちゃんと重いよ」
「一・五キロしかねえけどな」
紬は机の上に、一辺が十センチほどの銀色の立方体を創造した。金属らしい光沢があり、表面には継ぎ目も傷もない。
手に取ると、ほとんど重さを感じなかった。
それでも指先には確かな接触感があり、机へ戻せば小さな音を立てる。
「……できた」
「何が?」
「これ、見た目は金属だけど、すごく軽いの」
「へえ。貸してみろ」
紬が立方体を膝の上へ近づけると、ボスは翼を伸ばして受け取ろうとした。しかし、翼の形ではうまく保持できず、結局紬が下から支えることになった。
「おお、確かに軽いな。中身が空っぽなんじゃねえのか?」
「……違うよ。ちゃんと詰まってる」
「じゃあ何で軽いんだ?」
紬は立方体を見つめた。
創造と同時に得られた知識によれば、内部は普通の金属とは異なる構造を持ち、物質としての強度や外見を維持しながら、極端に小さな質量を実現している。
ただし、その説明をボスに理解してもらうには、かなり長い話になりそうだった。
「……普通じゃないから」
「説明が雑すぎんだろ」
「……難しいんだもん」
「作った本人がそれ言うのかよ」
ボスは呆れたように首を振ったものの、立方体そのものには興味があるらしい。紬が机の上に戻すと、身を乗り出して眺めていた。
紬は次に、同じ大きさで、外見もまったく変わらない立方体をもう一つ作った。
ただし、こちらには極端に大きな質量を持たせてある。
机が壊れたり床が抜けたりしないよう、立方体の下には荷重を隔離するための専用台も用意した。以前の実験で、創造したものが周囲へ与える影響まで考える必要があると学んだからだ。
「……こっちは、すごく重い」
「どのくらいだ?」
「……千トン」
「は?」
「……千トン」
「いや、聞こえたけどよ。こんな小せえ塊が?」
ボスは机の上の立方体と紬の顔を交互に見た。
「それ、下に置いたら床が抜けるんじゃねえか?」
「……だから、台も作った」
「そういう問題なのか……?」
紬は立方体と台の構造を確認しながら、慎重に実験を進めた。通常の計量器では扱えないため、専用の測定装置を創造し、数値を確認する。
表示された値は、指定した質量と一致していた。
同じ体積、同じ外見。それなのに、一方は羽毛より軽く、もう一方は巨大な建造物に匹敵する質量を持っている。
紬は二つの立方体を見比べ、実験記録に結果を書き込んだ。
「……重さって、自由に決められるんだ」
「お前、今さら何言ってんだ。最初から何でも作れるんだろ?」
「……でも、どこまでできるか、ちゃんと知りたい」
「まあ、それはそうか」
ボスは納得したように頷いた。
「ただし、家を壊すような実験はやめとけよ。俺まで巻き込まれる」
「……うん。気をつける」
紬は重い立方体を専用の収納設備へ移し、軽いほうだけを机に残した。
そして、次の実験を考える。
重さを変えられるなら、硬さはどうだろう。
以前作った透明な球体は非常に頑丈だったが、今度はそれとは逆に、柔らかいのに壊れない物質を試してみたい。
紬は手のひらほどの大きさの透明な球を創造した。
見た目はガラス玉に近いが、指で押すと柔らかなゴムのようにへこみ、手を離せば元の球形へ戻る。さらに力を加えても裂けず、表面には傷一つ残らない。
「……ぷにぷに」
「なんだそりゃ」
「……触ってみる?」
「おう」
紬が球を差し出すと、ボスはくちばしで軽くつついた。
透明な表面がへこみ、すぐに元へ戻る。
「おっ、面白えな」
今度は少し強くつつく。球は大きく変形したものの、割れる気配はなかった。
「これ、どんだけ押しても壊れねえのか?」
「……今の設定だと、かなり丈夫」
「じゃあ踏んでみるか」
「……ボスが?」
「他に誰がいるんだよ」
紬は球を床に置き、ボスを降ろした。
ボスは短い足で球の上に乗ろうとしたが、表面が柔らかく変形するため、なかなか安定しない。
「お、おい。これ滑るぞ」
「……気をつけて」
「分かってるって……うおっ!」
ボスの身体が横へ傾いた瞬間、紬は両手を伸ばして受け止めた。
丸い身体が腕の中へ転がり込んでくる。
「……危なかった」
「危ねえのは分かってたなら先に言えよ!」
「……ごめん」
「ったく。実験台にするなら、もうちょっと安全なもんにしろ」
紬はボスを胸元に抱き直し、球を机の上へ戻した。
怪我をさせずに済んだことに安堵しながら、今度は球の表面を指で押してみる。
柔らかさと丈夫さは、必ずしも反対の性質ではないらしい。
普通の材料では両立が難しい条件も、万物創造なら完成品として指定できる。しかも、その仕組みまで理解できるのだから、知識を得る手段としても非常に便利だった。
もっとも、知識が増えたからといって、実験中の不注意まで防げるわけではない。
「……ボス、もう危ないことさせない」
「当たり前だ。俺はお前の相棒であって、実験用の重りじゃねえからな」
「……うん」
紬は頷き、ボスの頭を撫でた。
するとボスは、少し考えるように首を傾げた。
「そういや、お前が作るものって、最初から何でもできるんだよな?」
「……たぶん」
「だったら、わざわざ一個ずつ試す必要あるのか?」
紬は返答に迷った。
確かに、望んだものを完成した状態で創造できる以上、実験しなくても目的の品物は手に入る。
それでも、実際に触ったり動かしたりすると、作る前には考えていなかった疑問が次々と生まれてくるのだ。
「……楽しいから、かな」
「楽しい?」
「……うん。知らないことが分かるの、面白い」
「なるほどな。じゃあ、別に役に立つものじゃなくてもいいわけだ」
「……そうだね」
「だったら、もっと変なの作ってみろよ」
ボスの提案に、紬は興味を引かれた。
「……変なの?」
「例えば、絶対に濡れねえ水とか」
「……それ、水なの?」
「知らねえよ。だから面白いんだろ」
紬はしばらく考え、実験記録に『水なのに濡れない?』と書き加えた。
確かに、そういう発想もある。
物理法則に従う物質を改良するだけでなく、普通なら矛盾しているように見える性質を組み合わせることも、試す価値がありそうだった。
紬は透明な小皿を創造し、その中に少量の液体を出現させた。
見た目は普通の水と変わらない。
ただし、接触した物体へ水分を移さず、表面に付着することもないという性質を持たせてある。
指先を浸してみると、冷たい感触はあるのに、引き上げた指には水滴が残っていなかった。
「……できた」
「マジかよ」
「……触ってみる?」
「今度は危なくねえだろうな?」
「……大丈夫。ちゃんと確認した」
紬が皿を近づけると、ボスは翼の先を液体へ入れた。
水面が小さく揺れる。
翼を引き上げても、羽毛はまったく濡れていなかった。
「おお、本当だ。なんだこれ、気持ち悪いな」
「……ふふ」
「褒めてんだぞ、一応」
「……ありがとう」
紬は液体の性質を調べ、普通の水とは異なる特殊な構造によって、接触時の振る舞いが制御されていることを理解した。
つまり、これは一般的な意味での水そのものではない。
けれど、見た目や流動性、温度などを水に近づけながら、濡らすという性質だけを取り除くことには成功している。
紬は実験記録へ結果を記入した。
『水みたいだけど濡れない液体。ボスの案。成功』
「おい、俺の名前まで書いたのか?」
「……共同研究」
「へえ。悪くねえ響きだな」
ボスは満足そうに胸を張った。
その姿があまりにも得意げだったので、紬はまた抱き締めたくなったが、今は実験の途中である。
代わりに頭を一度撫で、次のページを開いた。
重さ、硬さ、液体の性質。
どれも常識から外れている。
それなら、今度は目に見える現象そのものを変えてみたい。
紬が思いついたのは、光だった。
部屋の照明はすでに快適な明るさへ自動調整されているが、光がどのように進むかを意識して操作したことはない。
例えば、光が曲がる透明な板。
あるいは、物体の向こう側を見通せるような装置。
紬は机の上に薄い透明板を創造し、背後へ小さな置物を置いた。
板を正面から見ると、置物は通常どおり見えている。
しかし、紬が板の機能を切り替えると、置物の位置が少し横へずれて見えた。
「……あ」
「今度は何だ?」
「……向こうのものが、違う場所に見える」
ボスは机の上を覗き込み、置物と透明板を見比べた。
「確かに変だな。あの置物、動いてねえよな?」
「……うん。光の通り方を変えてるの」
「ふうん。じゃあ、それをもっとすごくしたら、ものを見えなくできるんじゃねえか?」
紬は手を止めた。
見えなくする。
それは、かなり面白い。
光を適切に制御して、物体の背後から届くはずの光景を観察者へ届ければ、そこに何もないように見せることができる。
原理を指定して創造する必要はないが、完成した装置の仕組みを理解すれば、どういう条件で見えなくなるのかも分かる。
「……やってみる」
紬は置物を覆う小さな透明のケースを創造した。
外見は普通の展示ケースに近い。
しかし、内部には周囲の光を精密に制御する機構が組み込まれている。
紬が機能を有効にすると、ケースの中に置かれた置物が視界から消えた。
「おいおい……」
ボスが身を乗り出す。
「本当に消えたぞ」
「……見えなくなっただけ」
「分かってるって。触ればあるんだろ?」
紬はケースの一部を開き、置物へ指を伸ばした。
確かな感触がある。
そこに存在しているのに、目では確認できない。
紬は手を引っ込め、別の角度から観察した。正面だけでなく、斜めから見ても置物の姿は現れない。
装置は周囲の状況を読み取り、観察する方向に合わせて光の経路を調整していた。
「……透明人間みたい」
「それ、人間にも使えるのか?」
「……装置を作れば、たぶん」
「へえ。面白そうじゃねえか」
ボスは少し考えてから、悪戯を思いついたような顔をした。
「それで俺が見えなくなったら、お前の目の前で勝手にゲームできるな」
「……音で分かるよ」
「じゃあ音も消せばいい」
「……画面が動くから分かる」
「お前、夢がねえな!」
紬は声を上げて笑った。
自分でも意外なほど自然に笑えたことに気づき、少しだけ頬が熱くなる。
以前なら、面白いことを思いついても、それを誰かに話そうとは考えなかった。
けれど今は、何かを試すたびにボスの反応が気になる。
自分一人では思いつかなかった実験まで提案してくれるのだから、相棒という呼び方は案外ぴったりなのかもしれない。
紬は透明ケースを机の端へ移し、実験記録に新しい項目を書き込んだ。
『光の制御。見えないものを作れる』
その下に、少し迷ってから小さく付け足す。
『ボスと実験すると楽しい』
「おい、今度は何書いてんだ?」
「……秘密」
「研究記録に秘密も何もあるかよ」
「……見せない」
「ますます怪しいな」
ボスが膝の上から覗き込もうとしたため、紬はノートを閉じた。
そして、そろそろ休憩しようと考えたところで、もう一つだけ試したいことを思いつく。
今度は、実験というよりも生活に役立つものだった。
紬は机の上に、小さな白い板を創造した。
厚さは数ミリほどで、手のひらに収まる大きさしかない。
「……これ、何だと思う?」
「ただの板にしか見えねえな」
「……重力を調整する装置」
「またとんでもねえもん作ったな」
紬は板の上へ軽い立方体を置き、装置の機能を有効にした。
すると立方体は板から数センチ浮き上がり、その場に留まった。
さらに設定を変更すると、立方体は上下へ移動し、最後には指定した高さで安定する。
「……浮いた」
「そりゃ見りゃ分かる。これ、どこまで浮かせられるんだ?」
「……まだ試してない」
「じゃあ俺も浮けるのか?」
紬はボスを見た。
ボスも紬を見上げる。
数秒の沈黙の後、紬は首を横に振った。
「……今日は、やめとこう」
「なんでだよ」
「……さっき転びそうになったから」
「いつまでも根に持つなよ。あれは球が滑っただけだろ」
「……でも、危ない」
紬はボスの身体を支え直した。
重力を調整する装置を使えば、重い物を運ぶことも、高い場所へ物を移動させることも簡単になるだろう。
ただし、生き物を浮かせるなら、姿勢や加速度、周囲との衝突まで考えなければならない。
作ること自体は難しくなくても、安全に使うには別の配慮が必要だった。
「……ボスは、実験しなくていい」
「俺だって何でもかんでも試したいわけじゃねえよ」
「……うん」
「でも、面白そうなもんがあったら教えろよ。見てるだけでも結構楽しいからな」
紬はその言葉を聞いて、嬉しくなった。
能力を得てから、便利なものはたくさん作った。
掃除も洗濯も料理も、ほとんど自分でしなくてよくなったし、欲しいものを買いに出かける必要さえ減っている。
それでも、ボスが生まれるまでは、何かを完成させた喜びを分け合う相手がいなかった。
今は違う。
目の前の小さなペンギンが、自分の作ったものに驚き、笑い、時には文句を言ってくれる。
それだけで、実験の楽しさがずいぶん変わった気がした。
「……ボス」
「ん?」
「……ありがと」
「何がだよ」
「……一緒にいてくれて」
ボスは少しだけ黙った。
それから、わざとらしく胸を張る。
「当たり前だろ。俺はお前の相棒なんだからな」
紬は返事をせず、ボスを胸元へ引き寄せた。
「おい、また抱っこかよ」
「……うん」
「まあ、いいけどよ。苦しくならねえようにしろよ」
「……分かってる」
紬は腕の位置を調整し、ボスが楽に呼吸できる姿勢を確かめた。
そのままクッションへ戻ると、身体を預け、膝の上にボスを乗せる。
ボスは最初こそ落ち着かない様子だったが、やがて紬のお腹に背中を預け、短い翼を身体の横へ収めた。
「……気持ちいい?」
「まあ、悪くねえな」
「……そっか」
「お前の服、柔らかいしな。ここならテレビも見やすい」
紬は嬉しそうに頷き、ボスの背中を撫で始めた。
しばらくすると、ボスのほうから少し身体を動かし、紬の手が届きやすい位置へ寄ってくる。
「……もっと撫でてほしい?」
「別にそういうわけじゃねえけど……やめる理由もねえだろ」
「……ふふ」
「笑うなって」
紬はそのまま、ボスの羽毛を丁寧に撫で続けた。
実験はまだまだできる。
重さも硬さも、光の進み方も、普通なら変えられないはずの性質を自由に設計できると分かった。
これまでの常識は、万物創造の前ではほとんど意味を持たないのかもしれない。
ただし、すべてを知ったわけではなかった。
実験で確かめたのは、あくまでも自分が作ったものの一部の性質にすぎない。まだ試していない現象は数え切れないほどあるし、想像すらしていない使い方も存在するだろう。
紬は天井を眺めながら、次に何を試そうかと考えた。
空を飛ぶ道具。
どんな温度でも快適に過ごせる服。
外からは見えない部屋。
思いつくものを一つずつ試していけば、毎日が退屈しなくて済みそうだった。
そんなことを考えているうちに、膝の上から声が聞こえた。
「なあ、紬」
「……なに?」
「お前、今日はもう実験しねえのか?」
「……ちょっと休憩」
「じゃあゲームでもするか?」
紬はボスを見下ろした。
「……昨日の続き?」
「そうだ。昨日の負けは今日取り返す」
「……負けたら?」
「今度こそ勝つまでやる」
「……それ、終わらないかも」
「言ったな? 後で泣いても知らねえぞ」
紬はくすくす笑いながら、ボスを抱えたまま立ち上がった。
ゲーム機の前まで運んでから床へ降ろすと、ボスは自分の足で専用の椅子へ向かい、慣れた様子で操作装置の前に座る。
紬も隣へ腰を下ろし、ゲームを起動した。
画面には、昨日と同じ対戦ゲームのタイトルが表示される。
「今日は手加減しねえからな」
「……昨日も、してなかったよね」
「うるせえ。今日は作戦があるんだよ」
「……楽しみ」
紬はコントローラーを握り、ボスの準備が整うのを待った。
開始の合図が鳴ると、二人は揃って画面へ集中する。
実験記録は机の上に開かれたままだった。
そこには、今日試した非常識な物質や装置についての記録が並んでいる。
けれど紬にとって、今日一番嬉しかった発見は、そのどれでもなかった。
ボスを抱き締めると、とても温かいこと。
そして、最初は文句を言っていたボスが、最後には自分から身体を預けてくれたこと。
そんな出来事のほうが、どんな不思議な物質よりも、今の紬には大切に思えた。
ゲーム画面の中で、ボスの操作するキャラクターが勢いよく飛び出した。
「よっしゃ! 今日は俺の勝ちだ!」
「……まだ始まったばっかりだよ」
「勝負は最初が肝心なんだよ!」
紬は笑いながら操作を続けた。
万物創造で何でも作れるようになっても、相棒との勝負だけは、思いどおりに決まるとは限らない。
それが今は、たまらなく楽しかった。




