↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
うちのぺんぎんが日本政府と交渉している件  作者: むぎちゃ
第3章 小さな奇跡と大国の思惑
49/80

第51話 灯りが消える日

 十四日という時間は、外交交渉の期限としては短く、発電設備の運用計画を組み直すにはさらに短い。まして、すでに世界中の注目を集めている核融合炉をめぐる問題であれば、関係者の誰もが、その十四日間を同じ長さで感じていたわけではなかった。


 日本政府にとっては、協定に基づく措置を実施する前に、中国側が判断を改めるための最後の期間だった。中国政府にとっては、返還を拒み続けたまま、国内の電力供給と対外的な説明を整えなければならない時間だった。


 そして中国の発電施設で働く人々にとっては、政治的な決着がつかないまま、毎日少しずつ増えていく仕事を片づける十四日間でもあった。


 期限当日の朝、北京の国務院庁舎では、王志強が電力当局から提出された報告書を読んでいた。


 机の上には複数の資料が重ねられている。重要施設の非常用発電設備、地域ごとの電力需給予測、予備変圧器の調達状況、そして核融合炉二基の現状をまとめた技術報告書。そのどれにも、予定どおりに進んだ項目と、そうでない項目が混在していた。


 王は眼鏡を外し、向かいに座る担当者へ視線を向けた。


「病院と水道施設については、どうなっている」


「指定された主要施設の非常用電源は、点検と燃料補充をおおむね終えています。ただし、一部の地方施設では予備機の修理が完了しておらず、別系統からの供給を維持する必要があります」


「日本側が求めているのは、単に発電機があるという報告ではない。実際に切り替えられることを確認したのか」


「主要施設では実負荷試験を実施しました。地方の小規模施設については、書面確認にとどまる場所があります」


 王は報告書の端を指で押さえた。


 中国へ輸出された二基の『ぺんぎんぽかぽか炉』のうち、一基目はすでに停止している。軍事施設へ無断で運ばれた際に装置自身の保護機能が作動し、その後、民生施設へ戻されても発電できない状態が続いていた。


 二基目は、当初の予定どおり民生用の発電施設に設置されていたものの、商用運転に入る前の段階で日本との対立が表面化している。したがって、今この瞬間に日本が両方の炉を停止させたとしても、それまで送られていた電力が突然二十メガワット失われるわけではない。


 問題は、その先にあった。


 最初の炉が停止したあと、現地の電力事業者は既存の発電所から電力を融通していた。二基目が予定どおり稼働すれば、その分の負担を軽減できると考えていたため、古い設備の整備や一部の発電機の運転計画を先送りしていた地域がある。


 日本が新規稼働を認めない方針を示してから、その計画は慌てて修正された。しかし、十四日間で老朽設備の部品がすべて届くわけでも、追加の発電能力が生まれるわけでもなかった。


「つまり、二基が停止したから停電するのではない。二基に期待していた供給力を、別の手段で確保できていない地域があるということだな」


「そのとおりです。現在の供給量そのものは維持していますが、需要が増える時間帯には余裕がありません。送電設備の点検や発電機の故障が重なれば、局地的な供給制限が必要になる可能性があります」


「可能性、か」


 王はその言葉を繰り返した。


 報告書に書かれた数字は、国家の威信とは無関係だった。政府がどれほど強い言葉で日本を非難しても、発電機の修理が早まるわけではない。


「日本への提出資料は?」


「電力供給への影響については説明文書を準備しています。ただし、施設別の運用状況と予備電源の詳細については、安全保障上の懸念から提出範囲を限定する方針です」


「向こうがそれで納得すると考えているのか」


 担当者は答えなかった。


 王も、それ以上は追及しなかった。日本が求めているのは、中国政府が電力対策を指示したという説明ではなく、実際に民間施設を守れる状態にあるかを判断できる情報だ。そこに大きな隔たりがあることは、誰よりも王自身が理解していた。


 会議室の扉が開き、陳文博が入ってきた。


 十四日間、陳は現地の技術者たちと連絡を取りながら、停止中の第一炉と稼働前の第二炉の管理状況を確認していた。どちらも外部設備との接続状態は維持されているが、発電の再開や開始を求める操作は行われていない。


「二基の状態に変化はあるか」


 王の問いに、陳は手元の資料を開いた。


「第一炉は保護停止を維持しています。第二炉についても出力供給は始まっていません。現場には現状維持を徹底させています」


「日本が正式な停止措置を実施した場合、設備はどうなる」


「通常の起動操作を受け付けない状態になると考えられます。ただし、具体的な制御機構は日本側から開示されていません。私たちが確実に言えるのは、どちらの炉も現在は電力を供給していないということです」


「停止措置があっても、すぐには停電しないわけだな」


「直接の供給喪失はありません。しかし、第二炉を稼働させられるという期待が完全になくなれば、電力事業者は今後の需給計画をさらに修正する必要があります。現時点でも予備設備の余裕が小さい地域がありますから、現場への負担は続きます」


 王は黙って報告書を閉じた。


「陳君。技術者として聞く。二基を返還すれば、この問題は終わると思うか」


「核融合炉をめぐる協定違反については、少なくとも解決へ向かうはずです。ただし、失われた信用と、すでに変更された電力計画は、返還しただけでは元に戻りません」


「国家主席は返還を認めていない」


「承知しています」


 陳の声には、反抗的な響きも、諦めたような響きもなかった。


「それでも、発電設備の運用に関する判断は、政治的な希望とは分けて考える必要があります。現場には、起動できない装置を起動できると仮定して計画を立てないよう伝えています」


 王はしばらく陳を見つめていたが、やがて小さくうなずいた。


「その指示は続けてくれ」


 同じ日の午前、東京の首相官邸では、中国側から届いた最後の回答が高瀬隆一の前に置かれていた。


 文書には、日本の措置に対する抗議と、二基の核融合炉について中国が正当な運用権限を持つという主張が記されていた。一方、返還手続きに着手する意思も、引き渡し日程も示されていない。


 さらに、中国政府が代替電源の確保に努めていることは書かれていたものの、重要施設ごとの運用状況を確認できる資料は十分ではなかった。


 三浦誠司は文書の内容を説明し終えると、机の上にもう一枚の報告書を置いた。


「こちらは、期限直前までに確認できた中国側の電力供給状況です。現地の公表資料、電力事業者の運用情報、外交ルートで得た説明を照合しています。非公開施設の詳細までは確認できませんが、少なくとも、直ちに全国規模の電力不足が起きる状況ではありません」


「局地的な問題は残っているんだね」


「はい。第一炉が停止したあとの代替供給が長期化し、予備設備に余裕のない地域があります。第二炉の商用運転が見込めなくなったことも、今後の計画に影響しています」


 白石理沙が、二基の装置の状態を示す資料を指した。


「技術面から申し上げます。第一炉は軍事用途の起動要求を受けた際、装置内部の保護機能によって停止しています。今回の措置で新たに発電を失うわけではありません。第二炉も商用運転前ですから、現時点の電力供給量を減らすことにはなりません」


「ただし、どちらも再稼働や新規稼働の可能性を正式に閉ざすことになる」


「そのとおりです。協定違反に対する日本政府の停止措置として、二基を通常運転へ移行できない状態にします。最初の炉で起きた自動保護停止とは、理由も手続きも別です」


 高瀬は窓の外に目を向けた。


 中国政府には、返還に応じる機会があった。民生施設を守るための猶予も設け、必要な情報の提出も求めた。日本側がすべての危険を把握できているわけではないが、確認できない部分があるからといって、協定違反を無期限に放置することもできない。


「停止を実施しなければ、どうなる」


 高瀬の問いに、三浦が答えた。


「中国側は、返還に応じなくても運用権限を維持できると受け止めるでしょう。他の輸入国との共通協定にも影響します。安全条件が実際には守られないという前例を作ることになります」


「逆に、停止した場合は?」


「中国政府は強く反発するはずです。装置の返還にも、さらに抵抗する可能性があります」


 高瀬は白石へ視線を移した。


「安全性について、最後に確認したい。停止措置そのものが設備を損傷させたり、周辺へ危険を及ぼしたりする可能性は?」


「確認済みの保護仕様では、ありません。装置は安全な停止状態へ移行し、発電を行わないまま保持されます。ただし、中国側の外部設備や地域の電力運用まで保証できるものではありません」


「分かった」


 高瀬は回答文書を手に取った。中国側の署名と日付を確認し、机へ戻す。


「返還手続きに着手するという回答は、最後までなかった。期限も過ぎている。協定に基づき、中国へ輸出した二基の核融合炉について、正式な停止措置を実施する」


 三浦は姿勢を正した。


「承知しました」


「実施時刻を中国側へ最終通知し、同時に各国の協定担当窓口にも説明する。停止の対象は中国の二基に限ること、他国の装置には影響しないことを明確にしてほしい。それから、民生施設への影響については停止後も情報収集を続ける。必要な人道支援の協議まで閉ざすつもりはない」


「がん治療製剤の輸出も、従来の方針どおり継続します」


「ああ。核融合炉の協定違反と、治療を待つ患者は別の問題だ」


 白石は資料をまとめながら、高瀬の言葉を聞いていた。


 装置の安全機能は、人間が誤った使い方をしたときに危険を防ぐために設けられている。だが、国家間の信頼が壊れたときに何をすべきかまでは、装置が判断してくれるわけではない。


 そこから先は、政治の責任だった。


 日本政府の最終通知が北京へ届いたのは、現地時間の午前中だった。


 停止措置の実施時刻は明示されており、返還義務が消えるわけではないことも記されていた。中国側は直ちに国家主席の趙建国へ報告し、王志強と外交部の担当者を交えた緊急協議を開いた。


「日本は本当に実行するつもりか」


 趙の問いに、王は慎重に答えた。


「正式な通知です。現時点で撤回の兆候はありません」


「我々の設備に対して、国外から一方的に運用を制限する。そんなことを認めれば、今後の技術導入で国家の自主性を失う」


「協定上は、重大な違反が確認された場合の停止措置が定められています。日本はその条項に基づいていると説明しています」


 趙は不快そうに眉を寄せた。


「その協定の解釈自体に異議がある」


 会議に同席していた劉振宇が口を開いた。


「主席、これは日本による技術的な圧力です。二基の装置が国内に存在している以上、運用権限を取り戻すための調査を続けるべきです」


「調査で何が分かった」


 趙が問い返すと、劉はわずかに言葉を詰まらせた。


「内部制御については、まだ十分な情報がありません。しかし、外部からの停止指示が可能であるなら――」


「可能性の話はもう聞いた」


 趙の声が低くなった。


「日本が何をできるかではない。我々が何をできるかを聞いている」


 劉は黙った。


 王が机の上に電力報告書を広げる。


「現状、二基とも発電していません。第一炉はすでに保護停止状態、第二炉は商用運転前です。停止措置によって既存の供給電力が直接失われることはありません。ただし、地方の一部で予備電源の整備が遅れており、今後の需給運用には注意が必要です」


「ならば、国民生活への影響は限定的だな」


「直接的な影響は限定的です。しかし、予備設備の故障や需要の変動が重なれば、停電の危険があります。現場には、核融合炉の再稼働を前提にしない計画へ変更するよう指示しています」


 趙はしばらく考え込んだ。


 返還を認めれば、日本の要求に屈したと受け取られる。拒み続ければ、装置を使えないまま保管し、外交的な対立を長引かせることになる。


 どちらの選択にも代償があった。


「返還方針は変更しない」


 趙は最終的にそう告げた。


「日本の停止措置には正式に抗議する。国内の電力供給については、必要な予備設備を優先して確保しろ。特に病院と水道施設を止めることは許されない」


 王はうなずいたものの、その命令だけで不足している設備が届くわけではないことを理解していた。


 会議の終了後、陳文博のもとにも正式停止の通知が届いた。


 彼が滞在していた民生発電施設では、第一炉の管理画面に以前から表示されている保護状態が確認され、第二炉についても運転開始の準備作業が中断されたままになっていた。


 現場の技術者が陳に尋ねた。


「正式停止が実施されたら、表示は変わるのでしょうか」


「通常運転の許可状態が変更されるはずだ。だが、第一炉の保護停止が解除されるわけではない。装置を動かそうとせず、状態を記録しておいてくれ」


「分かりました」


 技術者は画面を見つめたあと、少し迷ってから口を開いた。


「私たちは、ただ電気を作る設備だと思っていたんです。こんなことになるとは……」


 陳はすぐには答えなかった。


 研究者として、あの小さな装置が初めて正常に発電したときの興奮を覚えている。巨大な設備を必要とせず、燃料や環境負荷の問題にも新しい可能性を示す技術だった。


 その装置を軍事施設へ運ぶよう命じたのは、現場の技術者ではない。


 停止後に虚偽の報告を作らせようとしたのも、彼らではなかった。


「君たちの仕事が間違っていたわけじゃない」


 陳は画面から目を離さずに言った。


「ただ、装置を正しく扱うことと、正しく扱わせることは別なんだろう。私も、その違いをもっと早く考えるべきだった」


 技術者は返事をせず、運転記録の保存作業へ戻った。


 日本側が指定した時刻が近づくにつれ、官邸の会議室には余計な会話がなくなっていった。


 三浦は中国側への通知が受領されたことを確認し、白石は技術担当者から届く装置状態の報告を待っていた。高瀬は席を立たず、机の上に置かれた時刻表示を見ている。


 停止措置を実行するための技術的な手順は、すでに準備されていた。日本政府が正式に発動を決定したことを確認したうえで、協定に定められた対象装置の運用許可を停止する。具体的な認証方式や保護機構の詳細は、政府内でも限られた担当者しか扱わない。


 今回、紬が自ら能力を使って中国の装置へ干渉する必要はなかった。装置には、協定に基づく停止措置を安全に受け付けるための機能が、提供時から備えられていたからだ。


 定刻になった。


 白石の手元の端末に、担当部署から短い報告が入る。


「二基とも、協定に基づく運用停止状態への移行が確認されました。第一炉は従来の保護停止を維持したまま、運用許可も停止。第二炉も起動許可を失い、安全な待機状態を保持しています」


 三浦は息を吐いた。


「……実施されたんですね」


「はい。装置側に異常な出力変動や危険を示す情報はありません」


 高瀬はうなずいたが、安堵の表情は浮かべなかった。


「中国側へ実施完了を通知してくれ。装置の安全確認と民生への影響調査も継続する」


 それだけを告げると、再び机上の報告書へ目を落とした。


 停止措置は、技術的には数行の報告で完了した。しかし、その判断が国際社会に与える影響は、これから時間をかけて現れてくる。


 中国の二つの発電施設では、ほぼ同じ時刻に管理画面の状態が更新された。


 第一炉の画面には、それまでの保護停止表示に加えて、協定上の運用許可が停止されたことを示す項目が現れた。第二炉でも起動操作が受け付けられない状態となり、現場の担当者が定められた手順に従って表示内容を記録した。


 どちらの施設でも爆発や異常な振動は起きず、周囲の送電設備にも急激な変化はなかった。


 その事実は、少なくとも装置そのものが危険な形で停止したわけではないことを示していた。


 だが、問題が何も起きなかったわけではない。


 夕方、中国東部のある地方都市では、電力事業者が予定していた予備発電機の復旧作業を終えられずにいた。


 古い火力発電設備の補助機器に不具合が見つかり、交換部品の到着が翌日になると判明したのだ。これまで不足分を補っていた隣接地域からの融通電力も、夕方の需要増加によって余裕が小さくなっていた。


 核融合炉の停止措置が実施されたからといって、その都市に送られていた電力が突然消えたわけではない。


 しかし、第二炉の稼働を当て込んで先送りされていた設備整備の遅れが、ここに来て表面化していた。


 電力事業者は工場への一時的な使用制限を要請し、公共施設の一部で消費電力を抑える措置を取った。それでも需要を賄いきれず、住宅地の一角で短時間の計画的な供給停止が実施されることになった。


 街灯が消え、商店の看板から光が失われた。


 集合住宅の一室では、夕食の支度をしていた女性が突然暗くなった台所で手を止めた。隣の部屋から、小学生くらいの息子が顔を出す。


「お母さん、停電?」


「そうみたい。スマートフォンの明かり、つけてくれる?」


「いつ戻るの?」


「お知らせでは一時間くらいって書いてあるけど……」


 女性は鍋の火を止め、冷蔵庫の扉を開けないよう息子に言った。


 廊下では誰かが階段を上がる足音がしている。エレベーターが止まったため、買い物袋を抱えた住民が歩いて戻ってきたのだろう。


 息子は窓の外を眺めた。


「向こうの建物は明るいよ」


「電気の来ている場所が違うんだと思う」


 遠くの大通りには車のライトが流れ、病院の建物にも明かりが残っていた。病院は優先供給系統と非常用設備を使っており、少なくともこの停電の間、診療に必要な電力を維持できていた。


 それでも、女性は安心しきれなかった。


 隣室に住む高齢の男性が、暑さを避けるために普段から冷房を使っていることを思い出したからだ。


「ちょっと、お隣を見てくるね」


 息子に懐中電灯を渡し、女性は廊下へ出た。


 同じころ、地域の電力指令所では、担当者たちが復旧時刻を少しでも早めようと送電経路を調整していた。大規模な事故ではない。設備の故障と供給余力の不足が重なった、限られた範囲の停電だった。


 それでも、画面に表示される停電区域の向こうには、何千人もの生活がある。


 担当者の一人が、復旧予定時刻を確認しながらつぶやいた。


「二週間あったんだ。もう少し早く予備設備の整備が進んでいれば……」


 隣の職員は、返事の代わりに別の送電経路の負荷を確認した。


 誰も、目の前の作業を止める余裕はなかった。


 停電の情報は、やがて中国国内の報道にも取り上げられた。


 政府系の報道機関は、日本による核融合炉の運用停止措置を大きく伝え、中国政府が不当な技術的圧力に抗議していると報じた。一方、地方の電力当局は、今回の停電が予備発電設備の故障と電力需給の逼迫によるものであり、停止した二基の炉から電力が直接失われたためではないと説明した。


 その違いは、海外の報道でも注目された。


 日本政府は、停止措置の実施を正式に発表するとともに、二基が実施前から発電していなかった事実を示した。停電については中国側の電力運用上の事情が関係していると説明しつつ、確認できていない地域事情まで断定することは避けた。


 記者から、民間人への被害について責任を感じないのかと問われた三浦は、慎重に言葉を選んだ。


「電力供給に支障が生じ、生活に影響を受けている方々がいることを重く受け止めています。日本政府は、事前に十分な猶予を設け、重要施設の代替電源確保を繰り返し求めてきました。今回の措置によって、稼働中の発電設備から供給されていた電力を遮断した事実はありません。ただし、現地の方々が直面している不便や不安が、それによってなくなるわけではないと考えています」


「中国政府は、停止措置の撤回を要求しています。応じる可能性はありますか」


「協定に基づく返還義務は、引き続き履行される必要があります。日本政府としては、中国側に具体的な返還手続きと安全な引き渡しへの協力を求めていきます」


 会見を終えた三浦のもとには、各国政府からの照会が相次いだ。


 米国と欧州の協定担当者は、中国向け二基だけが対象であることと、自国の装置が正常運転を継続していることを確認した。共通協定の条件が実際に適用されたという事実を評価する声がある一方、将来の運用停止が政治的な圧力に使われるのではないかと懸念する意見もあった。


 日本側は、停止措置が重大な協定違反と返還拒否、事前通告を経た結果であることを説明し、通常の民生運用を妨げるためのものではないと改めて伝えた。


 その夜、紬の自宅でも、中国の停電を伝えるニュースが流れていた。


 ソファに座った紬は、膝の上のボスを両腕で抱えながら、画面に映る暗い住宅街を見つめていた。隣ではアイリスのホログラムが、報道された地域の電力事情を整理している。


「……停電、起きちゃったんだね」


 紬が小さく言うと、ボスは画面へ目を向けたまま答えた。


「ああ。日本が止めた二基は元から発電してねえけど、だからって現地の連中が困ってねえわけじゃないからな」


「うん……」


 紬はボスの背中を撫でた。


 ニュースでは、停電した集合住宅で住民同士が声をかけ合う様子が紹介されていた。懐中電灯を持った女性が高齢者の部屋を訪ね、復旧まで一緒に過ごすことにしたという。


 大きな国家同士の争いの中で、あの人たちは何も決めていない。


 核融合炉を軍事施設へ運んだわけでも、返還を拒否したわけでもない。それでも、暗くなった家で電気が戻るのを待たなければならない。


「アイリス。病院とかは、大丈夫なの?」


「現在確認できる情報では、停電が報告された地域の主要病院は電力供給を維持しています。ただし、地方の小規模施設を含むすべての状況を確認できているわけではありません」


「そっか……」


「日本政府も情報収集を続けています。必要な人道的支援については、協議の余地を残しています」


 紬は少し考え、ボスを抱く腕に力を込めた。


「……困ってる人を助けられるなら、助けたい。でも、勝手に何かしたら、また大変なことになるよね」


「そうだな。お前が全部背負う必要はねえし、政府が何を頼んでくるかもまだ分からねえ。できることがあるなら、そのとき考えりゃいい」


「……うん」


 ボスは紬を見上げた。


「それに、今回の件を起こした連中と、停電で困ってる連中は別だ。そこをごっちゃにしねえのが大事だろ」


 紬は小さくうなずいた。


 アイリスがニュース画面の音量を少し下げる。


「マスター。中国側の停電区域について、復旧作業が進んでいるとの発表がありました。予定より早く送電を再開できる可能性があるそうです」


「ほんと?」


「はい。ただし、正式な復旧確認はまだです」


「……早く戻るといいな」


 紬はそう言って、もう一度画面を見た。


 やがて、暗かった住宅街の一角に光が戻ったという速報が流れた。すべての地域が復旧したわけではないが、画面の向こうでは窓に明かりがともり、人々がほっとした表情を浮かべていた。


 紬もようやく少しだけ肩の力を抜いた。


 しかし、北京ではそのころ、日本政府から届いた停止完了通知が、趙建国の執務机に置かれていた。


 返還期限は過ぎ、二基の核融合炉は正式に運用を禁じられた。それでも中国政府は返還を拒み続けている。


 王志強は、停止後の国内電力報告を説明し終えると、趙の次の指示を待った。


「二基とも、もう使えないのだな」


「現状では、そのとおりです」


「日本は返還を求め続けるだろう」


「はい。停止措置だけで協定上の問題が解決したとは考えていません」


 趙は椅子の背にもたれ、窓の外へ視線を向けた。


 北京の夜景は明るかった。道路には車のライトが連なり、高層ビルの窓には無数の光がともっている。


 その光景を眺めながら、趙は静かに告げた。


「返還は認めない。装置は中国国内で管理を続ける」


 王はその言葉を聞き、返答までにわずかな間を置いた。


「承知しました。ただし、日本が次の措置を検討する可能性はあります」


「次の措置?」


「停止した装置の返還を実現するための措置です」


 趙は答えなかった。


 机の上には、二基の核融合炉の写真があった。家庭用冷蔵庫ほどの大きさしかないその装置は、すでに中国の電力を一ワットも生み出していない。


 それでも、国家主席は手放すことを拒んでいた。


 窓の外の明かりは変わらず輝いている。


 だが、その夜の中国政府には、二基の炉を国内に置いておくことが、いつまで自分たちの意思だけで決められるのかを知る者はいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。