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うちのぺんぎんが日本政府と交渉している件  作者: むぎちゃ
第3章 小さな奇跡と大国の思惑
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第52話 消えた核融合炉

 中国に輸出された二基の核融合炉が正式に運用停止となった翌朝、日本の首相官邸には、通常の外交案件とは異なる緊張が漂っていた。


 停止措置そのものは、予定されていた手順に従って完了している。中国側の第一炉は軍事転用を試みた際に作動した保護機能によって以前から停止しており、第二炉も商用運転を始める前に起動許可を失った。どちらも発電していない以上、今回の措置によって稼働中の電源が突然失われたわけではない。


 しかし、問題は解決していなかった。


 中国政府は依然として二基の返還を拒み、設備の引き渡しに向けた協議にも応じていない。運転できなくなったとはいえ、核融合炉そのものは中国国内に残されており、協定に違反した国家が日本の技術を保有し続けている状況に変わりはなかった。


 高瀬隆一首相は、机に置かれた報告書を読み終えると、向かいに座る三浦誠司官房長官へ視線を向けた。


「停止後の中国側の動きは?」


「外交部は昨日の抗議声明を維持しています。返還に関しては、新たな回答がありません。一方、現地の管理施設では、二基とも外部からの操作を受け付けない状態が続いています」


「装置に手を加えようとする動きは確認されているのか」


「現時点で確実な情報はありません。現地の技術者が通常の保守範囲で点検していることは把握していますが、それ以上については中国側の情報提供が途絶えています」


 高瀬は報告書を閉じた。中国の対応に期待できないことは、十四日間の猶予が過ぎた時点で明らかだった。返還を拒み続けるのであれば、次に検討すべきことは限られてくる。


「白石さん。技術的な観点から聞きたい。停止したままの二基を中国国内に残しておくことには、どの程度の危険がある?」


 技術顧問の白石理沙は、手元の資料を開いた。


「通常の手段で再起動できないことは確認されています。第一炉には軍事用途を検知した際の保護状態が残り、第二炉は運用許可が停止されています。ただし、装置の内部構造が完全に解明されていないとしても、長期間にわたって解析や破壊的な調査を試みられる可能性は否定できません」


「それによって技術が盗まれる可能性もある、と」


「はい。成功するかどうかは別として、試みる時間を与えることになります。それに、二基を占有し続けること自体が、協定上の返還義務に反しています」


 三浦が別の資料を差し出した。中国国内の二つの施設について、衛星画像や公開されている設備図面、日本側が設置時に取得した記録をまとめたものだった。


「返還を実現する手段として、現地での引き渡しを待つ方法のほかに、設備の回収を検討する必要があります。ただし、通常の輸送手段では中国政府の協力が不可欠です」


 高瀬は、三浦が言葉を選んでいる理由を理解していた。


「つまり、ボス君たちに相談するということだな」


「はい。ただし、今回はこちらからお願いする内容が、これまでとは異なります」


 紬が作り出した技術を日本政府が受け取り、国外へ提供する。これまでの協力は、基本的にその方向で進められてきた。


 だが今回は、他国の領域内に存在する設備を、相手国の同意なしに回収することになる。たとえ協定上の返還義務が明白であっても、実行すれば外交問題にとどまらない反発を招く可能性があった。


「相手が約束を破ったからといって、こちらが何をしてもいいわけではない」


 高瀬の言葉に、三浦が頷いた。


「そのとおりです。実施するならば、協定上の根拠を再確認し、返還要求の経緯を記録したうえで、政府として責任を負う必要があります。方法を明らかにできない場合でも、何を回収し、なぜ回収したのかについては説明しなければなりません」


「中国国内の人間を危険にさらすことも避けたい」


「白石顧問には、回収時に考えられる設備上の問題を整理してもらっています」


 白石は画面を切り替え、核融合炉と外部設備の接続部分を示した。


「本体は冷蔵庫ほどの大きさですが、現地では送電設備、冷却系統、制御装置などに接続されています。停止中であっても、外部の配管やケーブルがそのまま残されています。本体だけを突然取り除けば、接続部の損傷や設備の転倒など、予期しない事故につながるおそれがあります」


「人が作業している可能性もあるな」


「はい。現場の状況を確認せずに回収することは勧められません」


 高瀬はしばらく考え、結論を出した。


「まずはボス君たちに、実現可能な方法と安全条件を確認しよう。政府としての判断は、その説明を受けてから行う。技術があるから使うのではなく、使うべきかどうかを決めるのが我々の仕事だ」


 三浦は頷き、専用の連絡経路へ相談文を送った。


 ほどなくして、会議室のスピーカーから聞き慣れた声が響いた。


『おう。話は読んだぜ。ようやく返してもらう気になったってわけか』


「ボス君、早い対応に感謝します」


『礼はいい。それより先に聞いとくが、回収するってのは政府として決めた話か? それとも、できるかどうかを聞いてる段階か?』


 高瀬は椅子に座り直した。


「現時点では後者だ。実行するかどうかは、君たちの説明を受けたうえで判断する」


『なら話が早い。アイリス、頼む』


『承知しました』


 続いて、落ち着いた女性の声が会議室に流れた。


『まず、対象の二基については、いずれも現在発電していません。そのため、本体の回収が運転中の電力供給を直接遮断することはありません。ただし、外部設備との接続状態や周辺人員の位置は、回収直前に確認する必要があります』


「確認できるのですか」


 白石が尋ねると、アイリスは即答せず、確認可能な範囲を説明した。


『設置時の構造記録と、装置側から取得できる限定的な状態情報は利用できます。しかし、現地の全設備や作業員の動きを常時把握しているわけではありません。安全に回収するためには、対象周辺の状況をその時点で把握する工程が必要です』


『要するに、紬がいきなり持ってくりゃいいって話じゃねえんだよ』


 ボスが補足すると、白石は小さく息をついた。


「そこを慎重に考えていただけるなら、技術側としては助かります」


『当然だろ。炉を取り返すために誰かが怪我したら、紬が一番気にするからな』


 高瀬は、その言葉に表情を引き締めた。


「紬さん本人は、どう考えている?」


 少しの間があった。通信の向こうで相談しているらしく、小さな声が混じる。


『……えっと、回収すること自体は、できます』


 控えめな声だったが、答えは明確だった。


『でも、そこにいる人が怪我をしたり、ほかの設備が壊れたりするのは嫌です。安全にできるなら……私は、協力してもいいと思っています』


「ありがとう。政府としても、そこを最優先に考える」


『あと……中国の人たちに、私がやったって分からないようにしてほしいです』


 紬の声には、先ほどよりもはっきりした緊張があった。


 高瀬は頷いた。


「君の身元は、これまでどおり守る。回収方法についても公表しない。ただし、政府が責任を負うという事実は隠さないつもりだ」


『……はい。それなら、大丈夫です』


 通信はそこで一度区切られた。


 高瀬は三浦と白石を見た。


「協定の確認と、安全条件の整理を進めよう。中国側には返還義務を履行する最後の機会を与えた。その期限も過ぎている。これ以上、装置を相手の判断に委ね続けることが適切なのか、政府として結論を出す」


 数時間後、関係省庁との協議を終えた高瀬は、回収の実施を正式に承認した。


 決定文書には、中国向け核融合炉二基の返還義務が履行されていないこと、両装置が運転停止済みであること、現地の人員と周辺設備の安全確保を実施条件とすること、そして回収に伴う外交上の責任を日本政府が負うことが記された。


 同時に、中国政府へは、返還義務の不履行が継続しているため日本が対象装置の回収措置に移る旨が、外交経路を通じて通知された。


 ただし、実施時刻も具体的な方法も伝えられなかった。


 中国側から返ってきたのは、強い抗議と、引き続き返還には応じないという回答だった。


 その報告を受けた高瀬は、決裁書の最後の一枚に署名した。


「実施してくれ。安全が確認できなければ中止する。その条件は絶対に変えない」


 日本政府からの正式な依頼が、ボスへ送信された。


     ◇


 同じ日の午後、紬は自宅のリビングで、アイリスが表示した二つの施設図面を眺めていた。


 片方は、かつて軍事施設へ運び込まれた第一炉が戻されている民生施設。もう片方は、第二炉が設置されたままになっている別の民生施設だった。


 どちらも中国側の管理下にあり、施設の周辺には配電設備や作業用通路が設けられている。


「……本当に、ここから持ってきていいんだよね?」


 紬は画面を見つめたまま尋ねた。


 膝の上に座っていたボスが、くちばしを上げる。


「政府の正式な依頼だ。お前が勝手に外国のもんを盗ってくるわけじゃねえ。それに、元々は返す約束で渡したもんだろ」


「それは、分かってるんだけど……」


「まだ気になるか?」


「うん。向こうの人からしたら、いきなりなくなるんだよね」


 ボスはすぐに返事をしなかった。


 紬が気にしているのは、装置の所有権でも、政府同士の面子でもない。自分が力を使ったことで、事情を知らない人が驚き、怖い思いをするかもしれないということだった。


『マスター。作業手順を説明してもよろしいでしょうか』


「うん、お願い」


 アイリスが図面の一部を拡大する。


『今回の回収は、本体だけを対象にします。中国側が設置した送電設備、配管、架台、監視装置などは原則として現地に残します。接続部分については、設備の安全状態を確認したうえで分離し、必要な箇所は損傷や漏出が起きない状態に整えます』


「それなら、急に配管が外れたりしない?」


『接続部の状態を指定してから本体を移動させます。ですが、図面だけでは現地の変更箇所を把握できません。回収直前に確認を行い、想定と異なる状況があれば作業を中断します』


「……作業してる人が近くにいたら?」


『接触する可能性がある場合は実行しません。作業員が離れ、安全な状態になったことを確認してから行います』


 紬は頷いたが、すぐには能力を使おうとしなかった。


「私、あそこに行ったことないけど……」


『転移先の位置と対象の同一性は、設置時の記録と装置固有の情報を照合して指定できます。ただし、実際の周辺状況については、マスターの能力で確認可能な範囲を段階的に確かめてください。私の情報だけを根拠に実行することは避けましょう』


 紬は画面の二基を交互に見た。


 万物創造によって物体を離れた場所へ移すこと自体は、難しいことではない。かつて自分やボスを瞬間転移させたときも、移動先と移動後の状態を具体的に思い描くことで実現できた。


 けれど、今回は自宅の実験室に置いた小物を動かすのとは違う。対象は外国の施設に設置された大型の機械であり、その周囲には事情を知らない人間がいる。


 自分にとって簡単なことでも、相手にとって安全とは限らない。


「……最初に、見てみるね」


 紬はボスをソファへ下ろし、目を閉じた。


 アイリスが示した位置情報を手がかりに、第一炉が置かれている空間を意識する。遠く離れた施設の内部を把握しようとすると、頭の中に設備の配置が少しずつ形を持ち始めた。


 金属製の床、規則正しく並ぶ配管、装置を固定する架台。周囲の温度や物体の位置関係を確かめ、図面との違いを探していく。


 第一炉の外側には、設置当初の記録にはない仮設の計測器が増えていた。


「……アイリス。横に、何か置いてある」


『設置時の図面にはない機器ですね。形状と接続状態を確認できますか』


「うん。炉には触ってないけど、すぐ近くにある。あと、ケーブルが一本増えてる」


『承知しました。回収時に接触しないよう、対象から除外します』


 紬は慎重に周囲を探った。装置の前には作業台があり、工具がいくつか置かれている。近くに人の姿はなく、出入口の向こうにも、直ちに作業区域へ入ろうとしている人はいなかった。


 それでも紬は、しばらく待った。


「……今なら、大丈夫そう」


『対象の識別情報が一致しました。停止状態も維持されています。周辺設備への干渉を避けるため、接続部分を安全に分離し、残置設備を安定した状態にしてください』


「うん」


 紬は第一炉の位置を固定して考えた。


 装置に接続された外部設備を残し、本体側の接続部を適切な状態に整える。架台やケーブルに余計な力がかからず、何も倒れず、誰にも触れない。


 移動先は、自宅の秘密基地にある隔離実験室だった。アイリスが事前に受け入れ用の区画を確保している。


 紬が意識を集中させると、目の前の空間に小さな変化が生じた。


 床の上に、白い箱形の装置が現れる。


 大きさは家庭用冷蔵庫ほど。輸出前に見慣れていた『ぺんぎんぽかぽか炉』が、何の音も立てずに帰ってきた。


「……あ」


 紬は思わず声を漏らした。


 ボスがソファから身を乗り出す。


「おお、来たな!」


『第一炉の回収を確認しました。装置固有の識別情報、封印状態、停止状態が一致しています。現地側についても、確認可能な範囲では外部設備の急激な変化や損傷は認められません』


 アイリスの報告を聞き、紬はようやく息を吐いた。


「……よかった」


「一基目は成功だな。あと一基だ」


「うん。でも、もうちょっと確認してから」


「おう。急ぐ必要はねえ」


 紬は続いて、第二炉が置かれた施設へ意識を向けた。


 こちらは商用運転前の装置で、第一炉のような軍事転用の履歴はない。設置された場所も、協定に登録された民生施設のままだった。


 しかし、回収の条件が同じとは限らない。


 周囲の設備を確認すると、第二炉の近くには作業員が二人いた。片方が端末を操作し、もう片方が配線を指さしながら説明している。


「……人がいる」


『では、作業を待ちましょう』


 アイリスは即座に答えた。


 紬は頷き、二人がその場を離れるまで待つことにした。


 待っている間、ボスはソファから降り、秘密基地の実験室に現れた第一炉を見に行った。小さな身体で装置の周囲を一周し、正面の表示部を見上げる。


「こいつがあっちで散々騒ぎを起こしたやつか」


『正確には、装置そのものが騒動を起こしたわけではありません。運用者による協定違反が発端です』


「分かってるよ。言い方ってもんがあんだろ」


『承知しました。では、苦労して帰国した装置、と表現しましょうか』


「そっちの方が余計に変だろ」


 紬は二人のやり取りを聞いて、少しだけ笑った。


 緊張していた肩の力が抜ける。けれど意識は第二炉の周辺から離さず、作業員の動きを確かめ続けた。


 やがて二人は端末を片づけ、通路の向こうへ歩いていった。扉が閉まり、装置の周囲から人の気配がなくなる。


「……離れたよ」


『確認しました。接続部と周辺設備の状態を再確認してください』


 紬は第一炉のときと同じように、対象とそれ以外を慎重に区別した。第二炉は外部の送電設備へ接続されていたが、発電はしていない。起動許可も停止されており、現在の状態を維持したまま移動させることができる。


 架台を残し、外部設備に負荷を与えず、接続部分を安全に分離する。


 紬がその状態を明確に思い描くと、第一炉の隣にもう一つの白い装置が現れた。


 二基が並ぶ光景を見て、ボスは満足そうに胸を張った。


「よし。二基とも回収完了だな」


『第二炉の識別情報も一致しました。外観と封印に異常は認められません。詳細な点検は、国内の専門技術者へ引き継ぐ必要があります』


「……終わったんだ」


 紬は二基を見つめた。


 外国へ送り出したときには、世界中の人たちの暮らしを少しでも良くするものになればと思っていた。小さな装置が大きな電力を生み出し、病院や工場、街の生活を支える。その可能性を信じていたからこそ、政府からの輸出相談にも応じたのだ。


 けれど、戻ってきた二基は一度も望んだ形で役目を終えることができなかった。


「……何だか、残念だね」


 紬が呟くと、ボスは彼女を見上げた。


「そうだな。けど、全部が駄目になったわけじゃねえ。アメリカとヨーロッパじゃ、ちゃんと使ってるんだろ」


「うん」


「だったら、こいつらをどうするかは後で考えりゃいい。今は、誰も怪我させずに持って帰れた。それで十分だ」


 紬はしゃがみ込み、ボスを抱き上げた。


 柔らかな羽毛に顔を寄せると、胸の奥に残っていた緊張が少しずつほどけていった。


『マスター。日本政府への回収完了報告を送信してもよろしいでしょうか』


「うん。安全にできたことも、伝えて」


『承知しました』


 数秒後、官邸の専用回線に報告が届いた。


 高瀬たちは、二基の回収が完了したことを確認すると、直ちに国内の受け入れ体制を動かした。装置は紬の管理下にある安全な場所で一時保管し、その後、政府の管理する施設へ引き渡すことになった。


 回収された二基の状態と識別情報については、政府側の技術者が改めて確認する。中国側が後から別の装置だったと主張できないよう、輸出時の記録との照合も行う方針だった。


 高瀬は報告を聞き終えると、静かに頷いた。


「紬さんたちに感謝を伝えてくれ。これで返還義務の履行という問題については、実物を確保できた」


「承知しました」


 三浦が答える。


「ただし、ここからは外交上の対応が必要になります。中国側は、装置が消えたことを把握すれば、相当な反発を示すでしょう」


「当然だろうな」


 高瀬は窓の外へ目を向けた。


「だが、我々が回収したのは協定に基づいて返還を求め続けていた二基だ。相手が返還を拒んだ経緯も、停止措置に至る手順も、すべて記録に残っている。説明すべきことは説明する」


「回収方法については?」


「公表しない。紬さんたちの安全に関わる。技術的な詳細を明かす義務があるわけでもない」


 高瀬は少し間を置き、続けた。


「ただし、何も知らないと嘘をつくつもりはない。政府が回収したという事実は認める。それが我々の責任だ」


     ◇


 中国の第一炉が設置されていた施設では、異変が発覚するまでに、それほど時間はかからなかった。


 定期点検のため設備室へ入った技術者は、最初、自分が部屋を間違えたのかと思った。


 あるはずの場所に、核融合炉がなかった。


 架台も外部の配管も残っている。床に傷はなく、周囲の工具や計測器も動かされていない。装置だけが、そこからきれいに取り除かれていた。


 技術者はしばらく立ち尽くしたあと、慌てて管理室へ駆け込んだ。


 最初の報告を受けた責任者は、盗難を疑った。


 だが、監視映像を確認した職員たちは、さらに不可解な事実を知ることになる。


 記録には、設備室へ侵入した人物も、装置を運び出す車両も映っていなかった。


 映像のある時点まで、核融合炉は確かにそこに存在していた。次の瞬間には、空になった架台だけが残っている。


 画面を何度再生しても、装置が移動する途中の様子は確認できなかった。


「……どういうことだ?」


 責任者は映像を止め、拡大表示した。


 装置の輪郭が見えていた場所には、何もない。


 その事実を受け入れるより先に、別の施設から緊急連絡が入った。


 第二炉も、消えていた。


 二つの施設で、ほぼ同じ時間帯に、同じような現象が起きていたのである。


 北京へ報告が届いたとき、王志強副首相は最初、情報の誤りを疑った。


「二基とも、ないというのか?」


「はい。現地からの報告では、本体のみが消失しています。周辺設備に大きな損傷は確認されていません」


「輸送記録は?」


「ありません。搬出を許可した部署も存在しません」


「では、誰が運び出した?」


 報告官は答えられなかった。


 王は手元の資料を見つめ、すぐに陳文博を呼ぶよう指示した。


 ほどなくして会議室に現れた陳は、現地から送られた映像を見て、表情を強張らせた。


「これは……」


「技術的に説明できるか」


 王の問いに、陳は慎重に答えた。


「少なくとも、通常の搬出ではありません。装置は架台に固定され、外部設備へ接続されていました。あの大きさの機械を、周囲の物を動かさずに運び出すことはできません」


「日本側の技術によるものだと思うか」


「可能性はあります。しかし、映像だけでは仕組みを判断できません」


 王は椅子の背にもたれた。


 日本政府は返還を求め続け、期限が過ぎると二基の運用を停止させた。その翌日、装置そのものが消えた。


 偶然と考えるには、あまりにも出来すぎている。


 ただし、どうやって回収したのかという疑問は残った。装置を運び出した痕跡がなく、周囲の設備もほとんど変化していない。通常の輸送技術では説明できない現象だった。


「日本が回収したとすれば、我々が知らない手段を持っていることになる」


 王が低く呟く。


 陳は映像から目を離さなかった。


「副首相。いま確認すべきなのは、装置の行方だけではありません」


「何だ?」


「周辺設備に異常がないか、作業員に負傷者がいないかです。第一炉も第二炉も、外部の電力系統に接続されていました。装置だけがなくなったとしても、接続部の状態によっては危険が残ります」


 王はすぐに現地へ安全確認を指示した。


 ほどなく、両施設から追加報告が届く。装置があった場所には安全な状態で処理された接続部が残り、周囲の設備に大きな損傷はなかった。負傷者も確認されていない。


 陳は報告書を読み終え、深く息を吐いた。


「……少なくとも、人が傷つくような回収ではなかったようです」


 その言葉が終わる前に、会議室の扉が開いた。


 趙建国主席からの緊急招集だった。


 趙は、二基の消失に関する報告を聞き終えると、長い沈黙のあとで口を開いた。


「日本からの連絡は?」


「外交経路で、返還義務の不履行に対する回収措置を実施したとの通知が届いています。対象は中国へ輸出された二基すべて。回収は完了し、日本政府の責任で管理するとしています」


「方法は」


「明らかにしていません」


 趙は机を指で軽く叩いた。


「我々が返還を拒んだ装置を、我々の施設から持ち去ったということか」


 王は頷いた。


「はい。日本は協定上の権利を根拠としています」


 劉振宇が口を開いた。


「これは主権への重大な侵害です。日本が中国国内の設備を自由に移動させられるとすれば、国家安全保障上、看過できません」


 趙は劉を見た。


「その問題を生んだ最初の軍事転用について、君の責任が消えたわけではない」


 劉は口を閉じた。


「今回の措置に抗議することと、我々が協定を守らなかった事実は別の問題だ」


 趙の声には、怒りだけでなく苦さが混じっていた。


 返還を拒み続けた結果、装置を保有することさえできなくなった。しかも、その方法は中国側の技術者にも説明できない。


 国際社会に向けて日本を非難することはできる。だが、核融合炉が二基とも現実に消えてしまった以上、交渉材料として保有し続けるという選択肢は失われていた。


「外交部には正式な抗議を準備させろ。回収方法と実施経緯の説明を要求する。ただし、確認できていないことを断定して発表するな」


「承知しました」


 王が答える。


「それから、両施設の映像と設備記録は保全しろ。事実関係を調べる必要がある」


 趙は一度言葉を切り、陳へ視線を向けた。


「陳博士。技術者として、この現象をどう見る?」


 陳は少し考えてから答えた。


「私たちの知っている輸送方法では説明できません。ただ、二基の装置が存在していたことと、いまは存在しないことは確かです。もし日本側が回収したのであれば、我々が把握していた技術の範囲を超えた手段を持っていることになります」


「解析できるか」


「映像と残された設備だけでは、難しいと思います」


 趙は目を伏せた。


 日本の核融合炉を手に入れたとき、中国はその技術が自国の産業と電力供給を変える可能性を見ていた。だが、軍事利用を試みたことで装置は停止し、協定違反を隠そうとしたことで国際的な信用を失い、最後には二基そのものを失った。


 趙は、目の前の空になった架台の写真を見つめた。


「……装置は、もうないのだな」


 誰も答えなかった。


 答えるまでもない事実だった。


     ◇


 その日の夕方、日本政府は短い声明を発表した。


 中国に輸出された『ぺんぎんぽかぽか炉』二基について、協定に基づく返還要求が履行されなかったため、日本政府の責任において回収措置を実施し、二基とも確保したという内容だった。


 回収の具体的な方法は、安全保障上および技術保護上の理由から明らかにしないとした。


 また、二基は回収前から発電しておらず、今回の回収によって稼働中の電力供給が直接失われた事実はないこと、現地の作業員や周辺設備への安全配慮を行ったことも説明された。


 記者からは質問が相次いだ。


「中国側は、国内施設から装置が突然消失したとしています。日本政府は、どのような方法で回収したのでしょうか」


 三浦は落ち着いた声で答えた。


「回収方法の詳細については、お答えを差し控えます。ただし、回収対象は協定に基づいて返還を求めていた二基に限られます。日本政府が実施を判断し、その結果について責任を負います」


「中国側の同意を得ていなかったのではありませんか」


「返還義務の履行を繰り返し求め、期限を設けた通告も行いました。中国側が返還を拒み続けた経緯については、これまで公表してきたとおりです。今回の措置に関する中国側の抗議についても、外交経路で対応します」


「ほかの国に設置された核融合炉も、同じように回収できるということですか」


 三浦は一瞬だけ間を置いた。


「米国および欧州の装置は、今回の措置の対象ではありません。両地域との協定と運用状況に変更はなく、今回の対応を一般化することは適切ではありません」


 その回答で疑問が解消されたわけではなかった。


 むしろ、世界の関心は新たな方向へ向かい始めていた。


 冷蔵庫ほどの大きさで都市の一部を支えられる核融合炉を作り出した日本が、今度は外国の施設からその装置を、運搬の痕跡も残さず回収したというのである。


 中国側が公開した施設の映像は、ほどなく海外の報道機関にも取り上げられた。


 装置があった場所と、空になった架台。


 その二つの映像の間に、何が起きたのか。


 誰もが同じ疑問を抱いていたが、日本政府はそれ以上を語らなかった。


 夜になり、紬はリビングのソファで、ボスを抱えながらニュースを見ていた。


 画面には、中国の施設に残された空の架台が映っている。


「……やっぱり、大騒ぎになっちゃったね」


「そりゃそうだろ。冷蔵庫みてえな機械が二つ、忽然と消えたんだからな」


「私、冷蔵庫は消してないよ?」


「例えだ、例え。お前はそういうところだけ妙に真面目だな」


 紬は小さく笑った。


 アイリスが画面の端に現れる。


『政府から、回収した二基の受け入れ準備が整ったとの連絡がありました。明日以降、国内の管理施設へ移す予定です。現時点で、現地作業員の負傷や周辺設備の重大な損傷を示す報告は確認されていません』


「……よかった」


 紬はボスの背中をゆっくり撫でた。


 中国政府が何を発表するのか、世界の国々が今回の出来事をどう受け止めるのか。これから先のことは、まだ分からない。


 けれど、自分ができる範囲で安全を確かめ、誰も傷つけずに二基を回収できた。そのことだけは、素直に安心してよいと思えた。


「ねえ、ボス」


「あん?」


「もう、こういうことが起きないといいね」


 ボスは少しだけ考えてから答えた。


「そうだな。せっかく便利なもん作ったんだ。ちゃんと使ってもらえる方がいいに決まってる」


「……うん」


「ま、世界中の偉い連中が全員おとなしくなるとは思えねえけどな」


「それは……そうかも」


『残念ながら、その可能性は低いと考えられます』


「アイリスまで言うの?」


『現実的な見通しです、マスター』


 紬は苦笑し、膝の上のボスを抱き直した。


 ニュースでは、二基の消失について専門家たちがさまざまな推測を語り始めていた。どれも確かな答えには至っていない。


 その一方で、当事者である紬の家では、夕食の時間を知らせる柔らかな音が鳴った。


「……ご飯、食べようか」


「おう。今日は魚がいい」


『本日の献立には、すでに魚料理が含まれています』


「さすがだな、アイリス」


『ただし、ボス様の分量を増やす予定はありません』


「そこは融通利かせろよ!」


 ボスの抗議に紬が笑い、アイリスも楽しそうに応じる。


 世界中が消えた核融合炉の謎を追いかけている間、その二基を持ち帰った少女は、いつもどおりの夕食を楽しもうとしていた。


 彼女にとっては、今日もまた、ボスとアイリスと一緒に過ごせることの方が大切だった。

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