第02話 できないことが見つからない
机の上に並んだ二台のスマートフォンを前に、小鳥遊紬は腕を組んでいた。今朝まで一台しかなかったはずの端末が、現在は二台ある。しかも片方は、自分が頭の中で思い描いただけで現れたものだ。最初こそ驚いたものの、こうして落ち着いて眺めていると、別の問題が気になってくる。
「……これ、どうしよう」
どちらも正常に動いているし、保存されている写真やアプリの配置まで一致している。だが、同じ情報を持つスマートフォンが二台存在している状況は、どう考えても普通ではない。通信契約や端末の識別情報がどう扱われるのかも気になるし、何より同じ通知が二回届くのは面倒だった。
紬は二台目を手に取り、試しに消えてほしいと願ってみた。次に、最初から存在しなかった状態を想像する。しかし、端末は何事もなかったように手の中に残っていた。どうやら、物を作ることと消すことは、少なくとも今の自分にとって同じ感覚ではないらしい。
「……うーん」
紬は眉を寄せ、少し考えた。できないと決めつけるには早い。朝、床に落ちていたスマートフォンが手元へ現れたときも、意図的に再現しようとして失敗したのだ。あの現象が移動だったのか、別の何かだったのかさえ分かっていないのだから、今の結果だけで能力の限界を判断するのは危険だろう。
そこで紬は、考え方を変えてみることにした。消せないのなら、しまえばいい。必要なときだけ取り出せて、普段は邪魔にならない場所へ保管できれば、それで十分ではないだろうか。
紬が思い浮かべたのは、手のひらに収まるほどの小さな収納箱だった。ただし、普通の箱では意味がない。スマートフォンだけでなく、もっと大きなものも入れられて、取り出したいときにはすぐに取り出せる。そんな都合のよい道具が欲しい。
次の瞬間、机の上に白い箱が現れた。角の丸い、飾り気のない箱で、表面には蓋も継ぎ目も見当たらない。見た目だけなら、何かの小物入れと言われても不思議ではなかった。
「……できた」
紬は箱を持ち上げ、上下左右から眺めた。重さは見た目相応で、触り心地も滑らかだ。しかし、作った瞬間に頭へ流れ込んできた知識によれば、この箱の内部には外見からは想像できないほど広い収納空間が存在しているらしい。
正確には、箱の内側が物理的に広がっているわけではない。通常の空間とは異なる領域に物体を保持し、使用者が必要とするものを指定した場所へ取り出せる仕組みになっている。難解な理論を知らなくても完成品を作れるうえ、その仕組みまで理解できるという万物創造の性質は、今回も変わらず働いていた。
もっとも、理解できることと、すぐに実感できることは別である。紬はしばらく箱を眺めていたが、結局、実際に使ってみるのが一番早いと判断した。
「……入って」
二台目のスマートフォンを手に持ち、箱へ収納することを意識する。すると、端末は音もなく手の中から消えた。箱の外見には何の変化もなく、重さが増えた様子もない。
紬は一瞬だけ驚いたものの、すぐに箱の内部へ意識を向けた。そこには確かにスマートフォンが保管されているという感覚がある。どこにあるのかと聞かれれば説明に困るが、少なくとも失われたわけではないと分かった。
「……出てきて」
机の上に端末が現れた。画面を点灯させると、先ほどまで開いていたアプリがそのまま表示される。外観にも異常はなく、保存されていた情報も変わっていなかった。
紬は同じ操作を何度か繰り返し、問題がないことを確認してから、改めてスマートフォンを収納した。これなら二台目を安全に保管できるし、必要になったときだけ取り出せばいい。
ただし、通信や識別情報の問題が解決したわけではない。収納している間に外部との通信がどう扱われるのかについても、まだ詳しく調べていなかった。紬はその点を実験記録に書き加え、ひとまず端末を保管しておくことにした。
『収納箱を作った。見た目よりずっと広い。スマホの出し入れは成功。通信については後で確認』
そこまで書いたところで、紬はふと気づいた。今、自分は何気なく、普通なら存在しない道具を作ってしまったのではないだろうか。スマートフォンを複製したときも十分に異常だったが、今回はそれ以上に現実離れしている。
箱の内部に別の空間を持たせるなど、少なくとも紬が知る限り、一般的な技術では実現できない。ところが万物創造は、そんな事情をまったく気にしていないようだった。
「……何でもありなの?」
問いかけに答える人はいない。紬は箱を机の端へ置き、しばらく考え込んだ。これまで作ったものは、スマートフォンや食べ物、文房具など、元になる実物が存在するものばかりだった。インクの切れないペンは少し特殊だが、少なくともペンという道具自体は珍しくない。
しかし、今回の収納箱は違う。紬が欲しい機能を考え、それを実現するための仕組みを知らないまま作り出したものだ。つまり、既存の製品を再現するだけでなく、現実には存在しない機能を持った道具も作れる可能性がある。
それなら、次は物の性質そのものを変えてみたらどうだろう。紬は机の上を片づけ、小さな透明の球体を思い浮かべた。見た目は普通のガラス玉だが、どれほど強い衝撃を受けても割れず、傷もつかない。そんな、少し都合のよすぎる物体である。
透明な球が机の上に現れたのは、その直後だった。大きさはピンポン玉ほどで、窓から差し込む光を受けて小さく輝いている。紬はそれをつまみ上げ、指先で転がした。表面は滑らかで、重さも特に不自然ではない。
「……普通のガラス玉に見える」
しかし、内部構造はまったく普通ではなかった。構成する物質の結びつきや、外部から受けた力を処理する仕組みは、一般的なガラスとは大きく異なっている。紬にはその違いが理解できたものの、実際にどれほど丈夫なのかは試してみなければ分からない。
まずは机の上から落としてみた。球体は床に当たり、軽い音を立てて跳ねたが、傷一つついていない。続いて少し高い位置から落としてみても、結果は同じだった。
紬は球体を拾い上げ、光に透かして確認した。内部にひびが入った様子もなく、表面にも変化は見られない。少なくとも、普通のガラス玉よりはずっと丈夫らしい。
「……これ、ハンマーで叩いても平気なのかな」
そう口にしてから、紬は部屋の中を見回した。机も床も、もちろん壁も、壊れてしまえば修理が必要になる。自分が作った球体は無事でも、周囲の家具がどうなるかは分からない。
それなら、周囲に影響が出ない場所で試せばいい。そう考えた紬は、机の上に小さな実験用の台を作った。透明な板のような見た目だが、内部には衝撃を吸収し、外部へ伝えないための仕組みが組み込まれている。
さらに、球体へ一定の力を加える装置を作り、実験台の上へ設置した。装置は小型で、動作音もほとんどしない。紬は使い方を理解しているため、複雑な説明書を読む必要もなかった。
「……これなら大丈夫、かな」
紬は球体を装置の中央へ置き、弱い力から試験を始めた。最初は軽く押す程度だったが、徐々に加える力を強くしていく。装置の表示には数値が並び、通常のガラスなら破損してもおかしくない条件に達しても、球体は変化しなかった。
さらに力を加えても、表面には傷がつかない。紬は途中で試験を止め、装置の記録を確認した。少なくとも今回試した範囲では、想像した性質が正しく実現しているらしい。
もちろん、これだけで絶対に壊れないと証明できたわけではない。どれほど丈夫なものでも、試験できる条件には限りがある。ただ、万物創造が通常の材料では考えられない性質を持つ物体まで生み出せることは、十分に確かめられた。
紬は透明な球を手のひらに載せ、しばらく眺めた。たったこれだけのものでも、専門家が見れば大騒ぎになるのかもしれない。そう考えると、誰にも見せずに自分の部屋で実験している状況が、少しおかしく思えてきた。
「……知られたら面倒そう」
研究者に見せれば、きっと詳しく調べたがるだろう。どうやって作ったのか、どんな材料を使ったのか、同じものをもう一つ作れるのか。質問は尽きないはずだ。
紬は、その光景を想像しただけで疲れてしまった。知らない人たちに囲まれて説明を求められるなど、できれば一生経験したくない。たとえ相手が親切であっても、会話が苦手な自分には負担が大きすぎる。
だからこそ、今は秘密にしておくのが一番だ。少なくとも、自分の生活を守る方法が分かるまでは、能力の存在を他人に知らせるつもりはなかった。
紬は球体と実験装置を収納箱へ片づけ、実験記録に結果を書き込んだ。続いて、今までの項目を見返してみる。スマートフォンの複製、飲み物や食事の創造、特殊な文房具、収納箱、そして普通では考えられないほど丈夫な球体。
並べてみると、改めて奇妙な記録だった。昨日までの自分がこれを読んだら、きっと誰かの創作だと思ったに違いない。
けれど、実際に起きたことなのだから仕方がない。紬はペンを置き、椅子の背もたれに身体を預けた。
ここまで試してみて、一つ気になることがあった。万物創造を使うたびに、普通なら必要になるはずの材料や道具が何も消費されていないのだ。スマートフォンを作るための金属も、朝食を作るための食材も、どこかから持ってきた覚えはない。
それなのに、完成品は確かに存在している。しかも、創造したものの内部構造は理解できるのに、能力そのものが何をしているのかについては、まだ十分に説明できなかった。
紬は少し考えた末、メモ用紙の余白に疑問を書き加えた。
『材料はどこから来ている?』
続けて、もう一つ。
『何を作れるか、まだ分からない』
自分の能力なのに、分からないことばかりだった。それでも、今のところ大きな問題は起きていない。少なくとも、物を作ること自体で身体に負担を感じたことはなかった。
紬は机の上を見回し、次に何を試すか考えた。小さなものは十分に作れた。複雑な機械も、特殊な性質を持つ物体も問題なさそうだ。ならば、今度は少し大きなものを作ってみたい。
ただし、部屋の広さには限りがある。自動車のようなものを突然出してしまえば、家具を押しつぶしてしまうかもしれない。かといって、外で実験するのも避けたい。
「……広い場所が欲しいな」
紬は何気なく呟き、机の上の収納箱へ視線を向けた。あの箱の中には、見た目よりもずっと広い空間が存在している。物を収納するためだけに使っているが、仕組みを応用すれば、人が入れるような場所を作ることもできるのではないだろうか。
もちろん、いきなり自分が入って試すのは少し怖い。だが、作ったものの構造や安全性を理解できるなら、危険を避ける方法も考えられるはずだ。
紬はしばらく考え込み、実験記録に新しい項目を追加した。
『広い実験場所を作る。できれば誰にも見られないところ』
書き終えてから、紬は少し笑った。まるで秘密基地を作る計画のようだ。子どもの頃、押し入れの中にぬいぐるみを持ち込んで遊んだことを思い出す。あのときは狭い空間が楽しかったが、今なら本当に自分だけの場所を作れるかもしれない。
ただ、今日はそこまで試すつもりはなかった。能力に目覚めたばかりなのだから、焦らず少しずつ調べていけばいい。何より、これから先も自由に使える力なら、一日ですべてを確かめる必要などないのだ。
紬は実験記録を机の端へ寄せ、軽く背伸びをした。朝からずっと頭を使っていたせいか、少し疲れた気がする。身体に異常はないが、考えることが多すぎて、気持ちのほうが追いついていなかった。
「……休憩しよ」
そう呟いてから、紬はふと思いついた。せっかく万物創造が使えるのだから、休憩するための道具も自分で作ればいい。
紬が思い浮かべたのは、大きくて柔らかいクッションだった。身体を預けると自然に形が変わり、どんな姿勢でも楽に過ごせる。長時間使ってもへたらず、汚れもつかない。そんな、理想的なクッションが欲しい。
次の瞬間、床の上に淡いクリーム色の大きなクッションが現れた。表面は柔らかな生地に覆われており、指で押すとゆっくり沈み込む。紬は少し嬉しくなり、椅子から立ち上がって腰を下ろした。
「……わあ」
身体が優しく包み込まれる。柔らかいのに沈み込みすぎず、背中や腰へかかる負担が自然に分散されていく。姿勢を変えると内部の構造が調整され、まるで自分専用に作られた家具のようだった。
いや、実際に自分専用に作ったのだから、当然なのかもしれない。
紬はそのまま身体を横に倒し、クッションへ頭を預けた。すると、首の角度に合わせて形が変わり、ちょうどよい高さで支えてくれる。普段使っている枕よりも快適で、思わず目を閉じた。
「……これ、最高」
その感想に偽りはなかった。むしろ、快適すぎることが問題だった。
一度身体を預けると、もう立ち上がりたくなくなる。机の上にはまだ調べたいことが山ほど残っているのに、今はこのまま何もせずに過ごしたい気持ちが強かった。
紬はしばらく天井を眺めた後、小さく笑った。とんでもない能力を手に入れたというのに、最初に作りたくなるのが便利な収納箱やクッションなのだから、自分らしいといえば自分らしい。
世界を変えるような発明も、きっと作れるのだろう。だが、それを実際に使うかどうかは別の話だ。少なくとも今の紬にとっては、誰にも邪魔されず、好きなだけくつろげる環境のほうがずっと魅力的だった。
そう考えているうちに、別の可能性が浮かんできた。もし家具を自由に作れるなら、ベッドや椅子を買い替える必要もない。料理も作れるし、収納場所にも困らない。今まで面倒に感じていた家事の多くを、万物創造で解決できるかもしれない。
紬は目を開け、部屋を見回した。机の上には実験記録があり、棚には普段使っている小物が並んでいる。床にはまだ片づけていない服もあった。
昨日までなら、それらを見ても面倒だと思うだけだった。だが今は、どうすれば楽に片づけられるかを考えること自体が少し楽しい。
「……明日は、家事かな」
そう口にしてから、紬は少し考え直した。別に明日まで待つ必要はない。今すぐ試してもいいのだが、せっかく快適なクッションを作ったばかりなのだから、もう少しくつろいでいたい。
結局、紬はそのまま身体を沈め、天井を眺めることにした。何かを作るたびに新しい可能性が見つかり、試したいことが増えていく。これまで退屈に感じることの多かった日常が、急に面白くなったようだった。
机の上の実験記録には、今日の結果がいくつも並んでいる。収納箱も、特殊な球体も、実験装置も、クッションも、すべて想像したとおりに作ることができた。
その事実を思い返しながら、紬は小さく呟いた。
「……できないこと、見つからないな」
もちろん、本当に何でもできると確かめたわけではない。能力の由来も、適用範囲も、まだ分からないことばかりだ。それでも、これまで試したことは、ほとんど思いどおりに実現している。
それが少し不思議で、少し怖くて、何より楽しかった。
紬はクッションの上で寝返りを打ち、窓から差し込む光を眺めた。外の世界は、いつもと変わらず動いている。誰も、自分がこんな力を手に入れたことなど知らない。
それでいい、と紬は思った。
今はまだ、自分だけの秘密にしておきたい。
誰かに説明する必要もなく、誰かの期待に応える必要もない。ただ、好きなことを試し、気に入ったものを作り、少しずつ生活を便利にしていけばいい。
紬は満足そうに目を細めた。
明日は、掃除や洗濯をもっと楽にする方法を考えてみよう。料理の準備も、買い物も、もしかしたら全部まとめて解決できるかもしれない。
そう考えると、これからの日々が楽しみになってくる。
ただし、今はもう少しだけ休憩したかった。
「……あと五分」
今朝、布団の中でも口にした言葉だった。けれど今回は、誰かに起こされる心配もなければ、急いで出かける予定もない。
紬は柔らかなクッションへ身体を預け、心地よい感触を楽しんだ。
万物創造という、常識外れの能力を手に入れた少女。その最初の目標は、世界を救うことでも、歴史に名を残すことでもなかった。
できるだけ面倒なことを減らして、毎日を気楽に過ごすこと。
そのささやかな願いを叶えるために、紬の実験はこれからも続いていく。




