↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
うちのぺんぎんが日本政府と交渉している件  作者: むぎちゃ
第1章 何でもできる私の、何でもない日常
13/80

第14話 いつもどおりの休日

 休日の朝、小鳥遊紬は目覚まし時計を止める必要もなく、布団の中でのんびりと目を覚ました。


 カーテンの隙間から差し込む光は柔らかく、部屋の温度もちょうどいい。寝具には身体を支える機能が備わっているため、長時間眠っていても肩や腰が痛くなることはなかった。家事のほとんどを自動化して以来、朝から何かに追われるような感覚もなくなっている。


 それなのに、今日は妙に落ち着かなかった。


 理由は、腕の中にいるはずのボスがいないことだった。


 普段なら、紬が目を覚ますころには温かな羽毛の感触があり、少し身体を動かせば黄色いくちばしが視界に入る。ところが今朝は、隣に小さなくぼみが残っているだけで、本人の姿が見当たらない。


「……ボス?」


 呼びかけても返事はない。


 紬は枕元の端末に手を伸ばしかけ、そこで思いとどまった。居場所を調べようと思えば簡単に分かるが、家の中にいるのなら、わざわざ調べるほどのことでもない。


 それでも少し寂しくなって、布団を胸元まで引き寄せる。


「……早起きしたのかな」


 そう呟いたところで、寝室の扉の向こうから何かを引きずる音が聞こえた。


 続いて、聞き慣れた声がする。


「だから、そっちじゃねえって。もうちょい右だ、右!」


「ボス様。現在の位置であれば、扉の開閉には支障ありません」


「そういう問題じゃねえんだよ。見た目の話をしてんの!」


 どうやらアイリスと何かをしているらしい。


 紬は布団の中で首を傾げた。


 普段のボスなら、朝食の時間になれば遠慮なく寝室へ入ってくる。自分が起きていることに気づいていないのか、それとも何か事情があるのか。


 少し考えているうちに、扉の向こうが静かになった。


「……アイリス?」


 小声で呼ぶと、寝室の壁際に淡い光が集まり、銀白色の髪を持つ女性の姿が現れた。


「おはようございます、マスター」


「おはよう。……ボス、何してるの?」


「現在、リビングで作業中です」


「作業?」


「はい。ただし、内容についてはボス様から口止めされています」


 紬は瞬きをした。


「……アイリスも、秘密にするんだ」


「私も約束は守りますので」


 少し得意そうに微笑むアイリスを見て、紬はそれ以上尋ねるのをやめた。二人が自分に隠れて何かを準備しているという状況は珍しく、何となく嬉しくもある。


 ただ、気になるものは気になる。


「……いつ行ってもいい?」


「あと十分ほどお待ちください。ボス様が最終確認をされています」


「分かった」


 紬は素直に頷き、もう一度布団に潜り込んだ。


 十分钟という時間は、普段ならあっという間に過ぎてしまう。けれど、何かを待っていると妙に長く感じられるものだ。紬は天井を眺めたり、枕の位置を直したりしながら、リビングで起きていることを想像した。


 新しいゲームだろうか。それとも、昨日の海に関係するものだろうか。


 もっとも、ボスが自分から何かを準備するのであれば、魚が関係している可能性も十分にある。


 そんなことを考えていると、扉が勢いよく開いた。


「おい紬! もう起きてんだろ!」


「……うん」


「だったら来い。準備できたぞ!」


 入り口に立っていたボスは、なぜか胸を張っていた。


 紬がベッドから降りると、彼は先頭に立って廊下へ向かう。いつもなら抱っこを求める紬も、今日はその後ろ姿についていくことにした。


 リビングへ入った途端、紬は足を止めた。


 テーブルの上には、色とりどりの紙で作られた飾りが並んでいた。窓際には小さな旗が張られ、ソファの前には丸いクッションが三つ用意されている。普段使っている家具の配置も少し変わり、部屋全体がどこか催し物の会場のようになっていた。


 そして、テーブルの中央には大きな紙が一枚置かれている。


『本日は何もしない日』


 太い文字でそう書かれていた。


「……何もしない日?」


「おう。今日は俺が決めた」


 ボスは得意げに頷いた。


「昨日までいろいろ作ったり考えたりしてただろ。だから今日は実験禁止。仕事も研究もなし。好きなことして遊ぶ日だ」


 紬は看板とボスを交互に見た。


「……でも、好きなことって、いつもしてるよ?」


「それが問題なんだよ。お前、遊んでるつもりで新しいもん作り始めるだろ」


「……そうかな」


「そうだろ。昨日だって、プールを広くする話が大陸まで増えたじゃねえか」


 紬は反論できなかった。


 アイリスが横から補足する。


「本日の企画はボス様の発案です。私は飾りつけと進行の補助を担当しました」


「……二人で準備してくれたの?」


「おう。お前が寝てる間にな」


 紬はもう一度、部屋を見渡した。


 旗の形は少しずつ違い、紙飾りにはペンギンや魚の絵が描かれている。中には不格好なものもあるが、それがかえって可愛らしい。


 特に、看板の隅に描かれた丸いペンギンは、ボス本人が描いたものらしかった。短い翼を大きく広げ、頭には王冠まで載っている。


「……これ、ボスが描いたの?」


「おう。どうだ、似てるだろ」


「うん。すごく可愛い」


「格好いいって言え!」


 紬が笑うと、ボスも満足そうにくちばしを上げた。


 いつもなら、自分が何かを思いつき、ボスとアイリスに相談することが多い。ところが今日は、二人が自分のために予定を考えてくれている。


 そのことが、紬には何より嬉しかった。


「……ありがとう。すごく楽しそう」


「まだ始まってもいねえぞ。礼は全部終わってからにしろ」


「はい」


 紬は笑顔のまま頷いた。


 こうして、三人だけの少し変わった休日が始まった。


 最初にボスが取り出したのは、何枚かのカードだった。


「まずはこれだ」


「……カード?」


「今日やることを決めるんだよ。俺が考えた候補が入ってる」


 カードには『おやつ』『映画』『お昼寝』『工作』『料理』『おしゃべり』と書かれていた。


 紬は最後の一枚を見て、少し首を傾げる。


「……おしゃべりも、予定に入ってるの?」


「何となく話してるうちに時間が過ぎるのもいいだろ。別に立派なこと話す必要はねえし」


 確かに、それはそうだった。


 紬は普段、ボスと何でもない話をしている。好きな食べ物のこと、ゲームのこと、テレビで見かけたもののこと。人間相手なら何を話せばいいのか迷ってしまうのに、ボスとなら沈黙があっても気にならない。


「……じゃあ、全部やる?」


「全部やったら何もしない日じゃなくなるだろ!」


「でも、楽しそうだし……」


 ボスはカードを見下ろし、少し考えた。


「まあ、時間はたっぷりあるからな。気が向いたやつからやりゃいいか」


「ボス様。企画開始から五分で、予定の自由度が大幅に上がりましたね」


「うるせえ。臨機応変ってやつだ」


 アイリスは楽しそうに微笑んだ。


 紬はカードを一枚選んだ。


『料理』


「……これ、やってみたい」


 ボスは意外そうな顔をした。


「料理か? いつもの機械に任せりゃいいだろ」


「ううん。自分で作ってみたい」


 家事を自動化してから、紬はほとんど台所に立っていない。料理が嫌いだったわけではないが、手間がかかることも確かで、便利な装置を作ってからはすっかり任せきりになっていた。


 けれど、今日は何かを効率よく終わらせる必要がない。


 だったら、時間をかけて料理をするのも面白そうだった。


「……三人で作れるものがいいな」


「私は物理的な調理作業には参加できませんが、手順の案内や計量の補助は可能です」


「それで十分だよ」


「俺は何すりゃいいんだ?」


 紬は少し考えた。


 ボスは背が低く、人間用の包丁やコンロを使うには身体の大きさが合わない。それに、無理をして危ない作業をさせる必要もない。


「……混ぜる係とか?」


「いいじゃねえか。俺に任せろ」


 紬が選んだのは、ホットケーキだった。


 朝食には少し遅く、お昼にはまだ早い時間だったが、休日なのだから気にしなくてもいい。紬は材料を台所に並べ、ボスが使いやすいよう低い作業台を用意した。


 卵、牛乳、小麦粉、砂糖、ベーキングパウダー。必要なものは揃っているが、普段の調理装置のように、材料を入れれば完成するわけではない。


 紬はアイリスに手順を確認しながら、まず卵を割ることにした。


「……久しぶりだから、ちょっと緊張する」


「卵割るだけだろ。大げさだな」


「ボス、やってみる?」


「……いや、俺は混ぜる係だからな」


 紬は小さく笑い、卵をボウルの縁に当てた。


 力加減が少し強かったらしく、殻に大きなひびが入る。慌てて両手で開くと、中身は無事にボウルへ落ちたものの、小さな殻の欠片まで一緒に入ってしまった。


「……あ」


「おい、殻入ったぞ」


「分かってる……」


 紬はスプーンで欠片を取り除いた。


 アイリスは横から手順を説明してくれるが、実際に手を動かすのは紬とボスだ。粉を量り、牛乳を加え、生地を混ぜる。簡単な料理のはずなのに、思っていたよりも気を使うことが多かった。


 ボスは自分用の泡立て器を握り、作業台の上で一生懸命に生地を混ぜていた。


「どうだ、俺の腕前は」


「……上手だよ」


「だろ? こういうのは勢いが大事なんだよ」


「ボス様。勢いを重視しすぎると、生地が容器の外へ飛び散ります」


「分かってるって」


 そう答えた直後、ボスが泡立て器を持ち上げた拍子に、生地が一滴、作業台へ落ちた。


 三人の視線がそこに集まる。


「……今のは事故だ」


「ふふっ」


 紬は笑いをこらえながら布巾を取った。


 生地が完成すると、今度は焼く作業だ。紬はフライパンを温め、適量の生地を流し込む。丸く広がった表面に小さな泡が現れ、甘い香りが漂い始めた。


 最初の一枚は、ひっくり返すタイミングを逃して少し焼き色が濃くなった。


 二枚目は慌てて返したせいで形が崩れ、三枚目になってようやく、見本のような丸いホットケーキができた。


「……できた!」


「おお、いいじゃねえか!」


「きれいな焼き色です、マスター」


 紬は嬉しくなって、皿に載せたホットケーキを眺めた。


 万物創造を使えば、もっと見た目が整っていて、味も完璧なものを一瞬で用意できるだろう。実際、普段の食事はそうした便利さに支えられている。


 けれど、自分で焼いた一枚には、それとは違う満足感があった。


「……なんだか、すごくおいしそう」


「食ってみりゃ分かるだろ」


 ボスは待ちきれない様子で、自分の皿を見つめている。


 紬は彼の身体に合わせた大きさに切り分け、三枚のホットケーキをテーブルへ運んだ。アイリスは食べられないため、代わりに二人の様子を見ながら感想を記録することにした。


 紬が一口食べると、ほんのり甘い生地が口の中でほどけた。


「……おいしい」


「おう! 俺が混ぜたからな!」


「焼いたのは私だけど……」


「二人の合作ってことだろ」


 その言い方が気に入って、紬は頷いた。


 少し形の崩れたものも、焼き色が濃いものも、全部自分たちで作ったホットケーキだ。ボスは最初の一枚を気に入ったらしく、むしろ香ばしいところがおいしいと言っている。


 アイリスが写真を撮影してもよいか尋ねると、紬は喜んで了承した。


「……あとで見返したいな」


「では、本日の記録として保存しておきます」


「失敗したやつも撮るのか?」


「もちろんです、ボス様。そちらも大切な思い出ですので」


 ボスは少し不服そうだったが、結局は何も言わず、残りのホットケーキを平らげた。


 食後、紬は食器を片づけながら、次のカードを選ぶことにした。


 今度は『工作』だった。


「……何を作ろうかな」


「今日は万物創造なしだぞ」


「分かってるよ。手で作るんでしょ?」


「おう。普通の工作だ」


 紬は棚から色紙や厚紙、はさみ、のりを取り出した。


 ボスの身体に合った道具も用意してあるが、今日は新しく創造したものではない。以前から家に置いてあった、小さな手でも扱える工作用品だ。


 最初に作るものを決めたのはボスだった。


「俺、船作る」


「船?」


「昨日の海で浮かべるんだよ。でっけえ海なんだから、船くらいあってもいいだろ」


「……紙の船だと、濡れちゃうよ?」


「じゃあ、濡れねえようにすりゃいい」


 紬は少し考え、透明な防水フィルムを使うことを提案した。工作用の材料として家にあったものを使えば、紙の船でもしばらく水に浮かべられるはずだ。


 ボスは大いに乗り気になり、厚紙を切って船体を作り始めた。


 紬はその隣で、小さな家を作ることにした。


 色紙を折り、屋根を載せ、窓を描く。大きさは手のひらに収まる程度で、特別な機能もない。ただ、少しずつ形になっていく様子が楽しかった。


 アイリスは二人の作業を眺めながら、必要なときだけ助言する。


「マスター。その屋根は、接着面を少し広くすると安定すると思います」


「……ほんとだ。ありがとう」


「ボス様。船首と船尾の幅が異なっていますが、意図的な設計でしょうか」


「当たり前だろ。こっちが前なんだから尖ってるほうが速そうじゃねえか」


「なるほど。速度を重視した意匠なのですね」


「そういうことだ」


 実際に速く進むかどうかは別として、ボスは自分の船を気に入っているようだった。


 やがて、テーブルの上には小さな紙の家と、王冠の印が描かれた船が並んだ。


 紬は家の窓を覗き込み、ふと思いついたように言った。


「……この家、ボスが入れそう」


「俺にはちっさすぎるだろ」


「ううん。ボスじゃなくて、ボスの人形」


 紬は余った紙で、小さなペンギンを折った。


 黒と白の紙を重ね、黄色いくちばしをつける。出来上がったものは本物のボスとは少し違っていたが、丸いお腹と短い翼のおかげで、それらしく見えた。


 ボスは人形を眺め、しばらくしてから頷いた。


「まあ、悪くねえな」


「……気に入った?」


「おう。俺の家来にしてやる」


「家来なんだ……」


 紬は笑いながら、紙のペンギンを家の前に置いた。


 アイリスがその様子を撮影し、完成した作品を記録する。


「マスター。こちらの作品にも名前をつけますか?」


「……名前?」


「はい。保存する際に、作品名があると分かりやすいかと思いまして」


 紬は小さな家を見つめた。


 何となく作り始めただけで、特別な名前は考えていない。けれど、こうして形になると、何か呼び名が欲しくなる。


「……小さなおうち、かな」


「そのまんまだな」


「じゃあ、ボスの船は?」


「無敵艦隊ボス一号だ!」


「……長い」


「格好いいだろ!」


 紬は吹き出してしまった。


 ボスは真剣だったが、紙で作られた小さな船に『無敵艦隊』という名前がついているのが、どうにもおかしかった。


 アイリスは二つの作品名を記録し、写真に添えた。


 紬は完成した工作を眺めながら、何となく懐かしい気持ちになった。


 子どものころ、紙や箱を使って何かを作ったことがある。上手にできたわけではなかったが、自分の手で少しずつ形にしていく時間は好きだった。


 今は、望んだものを思い描くだけで作れてしまう。


 それは便利で、楽しくて、何より自由だ。


 けれど、手を動かして作る楽しさまで、なくなったわけではないらしい。


「……こういうのも、いいね」


「だろ? 俺は結構好きだぜ」


「うん。私も」


 紬は紙の家をそっと持ち上げ、棚の空いている場所に飾った。


 ボスの船も隣に置くと、二つの作品は不思議とよく似合っていた。


 昼過ぎになると、ボスは次のカードを選ぶ前に、ソファへ飛び乗った。


「ちょっと休憩だ」


「……もう疲れた?」


「工作って意外と集中するんだな。腹もいっぱいだし、眠くなってきた」


 紬はソファに腰を下ろし、ボスを膝の上に迎えた。


 ふわふわした羽毛に指を埋めると、身体の奥まで温かさが伝わってくる。ボスは文句を言うこともなく、紬のお腹にもたれかかった。


 アイリスが室内の照明を少し落とし、窓から入る光を柔らかく調整する。


「お昼寝のカードもありますが、いかがなさいますか?」


「……うん。少しだけ」


「俺も賛成だ」


 紬は背もたれに身体を預けた。


 いつもなら、眠くなればそのままベッドへ移動することもできる。けれど今日は、ソファでボスを抱いたまま過ごす時間が心地よかった。


 アイリスは二人を見守りながら、今日撮影した写真を整理していた。


 しばらくして、紬が目を閉じたまま尋ねる。


「……アイリスは、退屈じゃない?」


「いいえ。お二人が何を楽しむのか観察することも、私にとって興味深い時間です」


「……そっか」


「それに、今日は私も企画に参加していますから」


 紬は薄く目を開けた。


「……アイリスも、何かやりたいことある?」


 少し間があった。


「そうですね。もしよろしければ、午後に一つお願いしたいことがあります」


「……なに?」


「今日の出来事について、マスターとボス様のお二人から感想を聞かせていただきたいのです」


 紬は不思議そうに瞬きをした。


「……感想?」


「はい。同じ出来事でも、お二人がどのように感じたのかは異なるかもしれません。その違いを知りたいと思いました」


 アイリスらしいお願いだった。


 紬は微笑み、頷いた。


「……いいよ。あとで話そうね」


「ありがとうございます」


 その返事を聞いたところで、紬の意識は眠気の中へ沈んでいった。


 目を覚ましたのは、それから一時間ほど経ったころだった。


 膝の上ではボスが丸くなって眠っている。紬が少し姿勢を変えると、彼は片目を開けた。


「……もう起きんのか?」


「……うん。よく寝た」


「そうか。俺もだ」


 ボスは大きく伸びをし、紬の膝からソファへ降りた。


 アイリスが時刻を告げると、二人は思っていた以上に時間が過ぎていることに気づいた。


「……もうこんな時間?」


「おう。何もしない日って、意外と忙しいな」


「……ふふ。そうだね」


 紬は残っているカードを見た。


『おやつ』『映画』『おしゃべり』


 どれも楽しそうだったが、今はアイリスのお願いを聞きたかった。


「……ねえ、さっきの感想、話そうか」


「感想?」


 ボスが首を傾げる。


 紬が事情を説明すると、彼は納得したように頷いた。


「いいぜ。何から話す?」


 アイリスは二人の前に、今日撮影した写真を並べた。


 最初に映し出されたのは、少し焦げたホットケーキだった。


「まず、こちらについてお聞きします。マスターは、完成した料理を召し上がったとき、どのように感じましたか?」


「……おいしかった。あと、嬉しかったかな」


「嬉しかった、ですか」


「うん。自分で作ったから……かな。ちょっと失敗したけど、それも楽しかった」


 アイリスは頷き、今度はボスに尋ねた。


「ボス様はいかがでしたか?」


「俺は普通にうまかったぞ。ちょっと焦げてるところも香ばしかったしな。それに、紬があんなに楽しそうに料理してるのは珍しかったから、そっちも面白かった」


 紬はボスを見た。


「……そんなに楽しそうだった?」


「おう。三枚目がうまく焼けたときなんか、すげえ嬉しそうだったぞ」


「……そうなんだ」


 自分ではそこまで意識していなかった。


 アイリスは二人の返答を聞き、少し考えるような表情を浮かべた。


「興味深いですね。マスターは制作の過程に、ボス様は料理の味とマスターの反応に、それぞれ強く関心を持たれたのですね」


「……うん。そうかも」


 次に表示されたのは、工作をしている二人の写真だった。


 ボスが泡立て器の代わりに小さなはさみを握り、真剣な顔で厚紙を切っている。紬は隣で紙の家の屋根を貼りつけていた。


「こちらの写真では、何が印象に残っていますか?」


「俺は船だな。思ったよりちゃんとできた」


「……私は、ボスがすごく集中してたことかな」


「そりゃ集中するだろ。無敵艦隊なんだからよ」


「……紙だけどね」


「紙でも艦隊は艦隊だ!」


 紬が笑うと、アイリスも口元を緩めた。


 何枚かの写真を見ながら話しているうちに、紬はあることに気づいた。


 同じ時間を一緒に過ごしていても、覚えていることは少しずつ違う。


 自分が楽しいと感じた瞬間を、ボスは別の角度から見ている。アイリスはさらに違うところに興味を持ち、二人の反応を観察している。


 それが、何だか面白かった。


「……アイリスは?」


 紬が尋ねると、アイリスは顔を上げた。


「私、ですか?」


「うん。今日、一番楽しかったこと」


 アイリスはすぐには答えなかった。


 写真を一枚ずつ見つめ、それから穏やかな声で言った。


「私は、準備をしている時間が印象に残っています」


「……準備?」


「はい。今朝、ボス様と飾りつけをしているときです。どのように配置すればマスターが喜んでくださるか、二人で考えていました」


 紬は少し驚いた。


 自分が起きる前の出来事については、ほとんど知らない。


「……そうだったんだ」


「ボス様は看板の文字を大きくすることにこだわられましたし、私は色の組み合わせを提案しました。意見が合わない部分もありましたが、それも楽しい経験でした」


「おい、あれはお前が細かすぎたんだろ」


「ボス様が看板を斜めに設置しようとされたので、水平にすることを提案しただけです」


「ちょっと斜めのほうが格好よかったんだよ!」


 紬は二人のやり取りを聞きながら、朝の看板を思い出した。


 きれいに飾られた部屋の裏側で、そんな会話があったとは知らなかった。


 自分のために二人が相談していたことが、改めて嬉しくなる。


「……私、今日の朝、すごく嬉しかったよ」


 紬がそう言うと、ボスとアイリスは同時に彼女を見た。


「……起きたら二人がいなくて、ちょっと寂しかったんだけど」


「おう」


「……リビングに行ったら、あんなに準備してくれてて。びっくりしたし、嬉しかった」


 紬は少し照れながら続けた。


「……何かを作ってもらうのも嬉しいけど、私のために考えてくれたのが、一番嬉しかったかも」


 ボスは何も言わず、しばらく紬を見つめていた。


 それから、照れ隠しのように顔をそらす。


「……まあ、喜んだならよかったじゃねえか」


「うん。ありがとう」


 アイリスは柔らかく微笑んだ。


「そのように感じていただけたのであれば、準備した甲斐がありました」


 紬は二人を見て、胸の奥が温かくなるのを感じた。


 能力を得る前の自分なら、こんな休日を想像できただろうか。


 誰かと一緒に料理をして、工作をして、昼寝をして、何でもない話をする。特別な場所へ出かけたわけでも、珍しいものを手に入れたわけでもない。


 それでも、今日という一日は、きっと長く覚えている気がした。


 紬はテーブルの上のカードを見つめた。


「……ねえ、ボス」


「何だ?」


「また、こういう日を作ってもいい?」


「いいに決まってんだろ。別に今日だけの決まりじゃねえし」


「……じゃあ、今度は私が準備したい」


 ボスは少し考え、にやりと笑った。


「おう。ただし、俺を驚かせようとして家を城に変えたりするなよ」


「……しないよ」


「本当か?」


「……たぶん」


「たぶんって言ったな!」


 紬は笑いながら、ボスを抱き上げた。


 彼の身体はいつもどおり温かく、腕の中にすっぽりと収まる。ボスは紬の胸元に寄りかかり、残っているカードを眺めた。


「で、次は何する?」


「……映画かな」


「いいな。何見る?」


「……ボスが選んでいいよ」


「本当か? じゃあ、海の冒険ものだな!」


 紬は思わず笑ってしまった。


 昨日あれほど広い海を作ったのに、今日も海の話がしたいらしい。


 けれど、ボスらしくていいと思った。


 アイリスが映画の候補をいくつか表示すると、ボスは真剣な顔で画面を見比べ始めた。紬はその横顔を眺めながら、ソファの上で足を伸ばした。


 窓の外では、いつの間にか日が傾き始めている。


 特別なことは何もしていないつもりだったのに、気づけば一日が終わろうとしていた。


 紬はふと、棚に飾った小さな紙の家へ目を向けた。


 隣には、王冠の印が描かれた船が置かれている。どちらも少し不格好で、万物創造で作るものに比べれば、何の機能もない。


 それでも、紬にはその二つが、どんな立派な創造物にも負けないほど大切に思えた。


「……アイリス」


「はい、マスター」


「今日の写真、全部残しておいてね」


「もちろんです」


「……あと、あの工作も、壊れないように飾っておきたいな」


「では、保管場所の環境を整えておきます。作品そのものには手を加えず、長く楽しめるようにしましょう」


「うん。お願い」


 紬は満足そうに頷いた。


 ボスが映画を決めたらしく、嬉しそうに声を上げる。


「よし、これにするぞ! 海賊が宝探しするやつだ!」


「……面白そう」


「だろ? こういうのは冒険が大事なんだよ」


 アイリスが照明を落とし、壁いっぱいに映像を映し出した。


 紬はボスを抱えたまま、クッションに身体を預ける。画面には青い海と大きな帆船が映り、勇ましい音楽が流れ始めた。


 その光景を眺めながら、紬は小さく微笑んだ。


 自分には、何でも作れる力がある。


 けれど、こうして誰かと同じ映画を見て、笑ったり驚いたりする時間は、思いどおりに作るものではないのだろう。


 今日のような一日が、これからも続けばいい。


 そんなことを考えていると、腕の中のボスが画面を指さした。


「おい紬! あの船、俺のよりでけえぞ!」


「……そりゃそうだよ」


「くそっ、次はもっとでっけえの作るか!」


「……無敵艦隊ボス二号?」


「おう! 今度は本物の船だ!」


 紬は笑い、アイリスも楽しそうに声を立てた。


 映画はまだ始まったばかりだったが、ボスはすでに次の工作のことで頭がいっぱいらしい。


 紬は彼の頭を撫でながら、画面の向こうに広がる海を見つめた。


 明日になれば、また新しい実験を思いつくかもしれない。秘密基地の世界には調べたいことがたくさんあるし、いつか遠くの大陸へ行く約束もしている。


 けれど、今は何も急ぐ必要がない。


 紬はボスを抱き直し、隣に立つアイリスへ微笑みかけた。


「……今日は、いい休日だったね」


「はい。私もそう思います」


「まだ終わってねえぞ。映画はこれからだろ!」


「……うん。そうだね」


 紬は笑いながら画面へ向き直った。


 部屋には映画の音楽と、ときどきボスが上げる賑やかな声が響いている。


 いつもどおりの家で、いつもどおりの三人が過ごす、少しだけ特別な休日だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。