粒子のない湖
下流へ向けていた足を止め、私は来た道を振り返った。
川は、音を立てながら森の間を流れている。
水面へ浮いた泡や葉は、素直に下流へ運ばれていた。
しかし、青白い粒子だけはわずかに速い。
水に流されているのではなく、何かへ引かれているように見える。
この先にある轟音の正体を確かめれば、理由が分かるかもしれない。
だが、粒子の流れる先と、粒子が生まれる場所は同じとは限らない。
水そのものは上流から来る。
ならば、発生源を探すには、濃度が増える方向を確かめる方が先だった。
私は下流で採った三本の水を物資袋へ固定した。
岸辺。
中央。
深場。
蔓の結び目を一重、二重、三重に変えてある。
触れれば採取場所が分かる。
赤紫果も、外見を保ったものと、皮と果肉を分けたものを別々に収めた。
食べられる可能性はある。
だが、試験は後だ。
今は川を追う。
時刻は午前八時三十六分。
私は上流へ向かって歩き始めた。
*
今度の移動は、探索ではなく測定だった。
ただ歩くだけではない。
一定の距離ごとに止まり、同じ方法で水を採る。
容器を洗う。
流れの中央付近から採水する。
外光を遮る。
粒子が現れるまでの時間を測る。
量と明るさを比べる。
そのたびに、地面へ小石を並べて簡単な記録を残した。
下流。
粒子量は中程度。
光は強い。
中流。
粒子量はやや多い。
光は下流より弱い。
仮拠点α付近。
中流と大きな差はない。
さらに上流。
粒子の数が増える。
ただし、一粒ごとの明るさは下流ほど強くない。
量と発光の強さは、同じようには変化していない。
下流では粒子が少ない代わりに、明るく見える。
上流では粒子が多いが、一つひとつの光は穏やかだ。
同じ物質が移動する間に変化しているのか。
下流の何かが発光を強めているのか。
水温。
深さ。
川底の鉱物。
条件はいくつも違う。
一つの数字だけで答えを決めることはできない。
それでも、粒子の量は上流へ行くほど増えている。
発生に関係する場所は、上流側にある可能性が高い。
私は昨日見つけた湧き水へ向かった。
岩の間から透明な水が流れ出し、その周囲だけ植物が濃い青緑色へ育っている場所。
初日に見た時は、川の粒子を生み出しているのは、この湧き水ではないかと考えた。
私は湧き出した直後の水を採った。
十秒。
粒子は現れない。
二十秒。
透明なまま。
三十秒。
一分。
青白い光は一つもない。
「ない……?」
上流ほど粒子が多い。
しかし、その上流へ水を供給している湧き水には粒子がない。
私は別の容器を用意し、湧き水が川へ合流する場所から採った。
数秒後。
大量の青白い粒子が現れた。
同じ湧き水。
数メートルしか離れていない。
湧き出した直後には何もなく、川へ混ざったあとには粒子がある。
発生源は水そのものではない。
私は川底を見た。
青白い石。
仮拠点付近にもあった。
ここでは特に数が多い。
湧き水が流れ込む場所の周囲で、石の表面から淡い光が染み出している。
光は小さな粒となり、水へ混ざる。
川底の石が粒子を生み出している。
ただし、石だけでもない。
川に沈んでいた石は、どこにでもあった。
それでも、湧き水との合流地点で発生量が急に増えている。
湧き水と石が接触する。
その時、何かが起きる。
私は岸へ身体を固定し、マルチツールを川底へ伸ばした。
石を一つ挟む。
拳の半分ほど。
川底から持ち上げると、驚くほど軽かった。
水中では青白く光っていた。
しかし、水面から出した瞬間から光が弱まり始めた。
数十秒で、ほぼ普通の白灰色の石へ戻る。
乾燥した表面には、細い筋が残っている。
石単体では粒子を大量に出さない。
水中。
湧き水。
流れ。
川底の別の物質。
複数の条件が必要なのかもしれない。
私は石を青白い石と仮称し、湿った布へ包んだ。
完全に乾かした場合と、水へ戻した場合の変化を後で比較できる。
立ち上がろうとした時、川岸の土から銀色のものが見えた。
自然の石とは違う直線。
半分ほど土に埋まっている。
私はすぐには触らなかった。
周囲の土をマルチツールで少しずつ除く。
長さは四十センチほど。
円柱状。
片側は折れている。
銀色の装置と同じような素材だった。
表面の泥を拭うと、刻印が現れた。
《E.S.A.》
Unit-7と同じ文字。
その下には、今度は読める表示が残っていた。
《FILTER MODULE》
フィルターモジュール。
偶然、川辺へ落ちていた部品ではないのかもしれない。
粒子が大量に発生する場所。
湧き水と青白い石。
そのすぐそばに、破損したフィルター。
装置は河川水の粒子を未精製と判断した。
この文明は、川の粒子を集め、フィルターで処理していた可能性がある。
あるいは、フィルター設備が壊れたため、今のように粒子が川へ漏れ出しているのかもしれない。
そこまで考えたが、証拠はない。
破損した部品が、粒子を作っていたのか、取り除いていたのかさえ分からない。
私はフィルターモジュールを持ち上げた。
軽くはない。
片手で運べるが、探索の邪魔になる重さだ。
内部から液体は出ない。
熱もない。
装置の警告も鳴らない。
持ち帰って調べる価値はある。
私は折れた部分を布で包み、身体へ固定した。
時刻は午前九時五十一分。
私は、粒子の発生している場所だけを見ていた。
だが、原因を知るには、発生しない場所との違いも必要だった。
川から離れた水場。
青白い石がない場所。
魚や植物の様子。
比較できる場所を探すことにした。
*
川から少し離れ、森の中を歩く。
地図には、進んだ場所が細い線として加わっていく。
装置は周囲のすべてを見通せるわけではない。
実際に歩いた範囲だけが明瞭になる。
水場の位置を表示する機能も、今の電力では使えないらしい。
耳を澄ます。
流れる水の音ではなく、鳥や虫の声が集まる方向。
地面の湿り方。
水辺に多い植物。
それらを頼りに進んだ。
四十分ほどして、木々の間に光が開けた。
小さな湖。
直径は三十メートルほど。
水面は鏡のように静かだった。
細い流れ込みはある。
しかし、目に見える流れ出しはない。
川のような青白い光は見えない。
私は岸辺を一周する前に、周囲の足跡を調べた。
小型生物の跡。
鳥型生物が降りたような爪の跡。
大型の捕食者らしい深い足跡は、見える範囲にはない。
完全に安全とは言えない。
それでも、水辺としては生物の気配が多かった。
採水する。
三十秒。
粒子は現れない。
一分。
透明なまま。
二分待っても、青白い沈殿はなかった。
川とは違う。
マルチツールで浅い湖底を探る。
灰色の石。
茶色い石。
細かな砂。
川底にあった青白い石は一つも見つからない。
湖畔の植物も、川沿いとは違っていた。
成長は穏やか。
色も地球の植物に近い緑。
川の周囲のように、異様なほど青々とはしていない。
だが、枯れているわけでも、弱っているわけでもない。
普通に生きている。
そして水の中。
何かが動いた。
私は岸から距離を取る。
半透明の小さな生物。
魚に似ている。
体長は十五センチほど。
一匹ではない。
群れで泳いでいる。
川では、一匹も見なかった。
流れが速いためかもしれない。
湖の方が産卵に向いているのかもしれない。
それでも、粒子のある川には魚がおらず、粒子のない湖には魚がいる。
無視できない違いだった。
私は記録へ並べた。
川。
粒子あり。
青白い石あり。
水流あり。
魚は見ない。
植物の成長が非常に強い。
湖。
粒子なし。
青白い石なし。
水流はほとんどない。
魚がいる。
植物は普通。
粒子は、生物すべてにとって毒というわけではない。
長首草食獣は川の水を飲んでいた。
川沿いの植物はむしろ強く育っている。
黒光実も粒子を利用する。
だが、魚にとっては住みにくい環境を作っている可能性がある。
人間へ与える影響も、生物ごとに違うと考えるべきだった。
ろ過済み河川水を飲んだ私の身体では、代謝率と水分吸収効率が変化した。
急性症状はない。
しかし、変化がないわけでもない。
今後も大量に飲み続けるのは避ける。
粒子のない湖の水を利用できるなら、そちらの方が安全かもしれない。
私は川で拾った青白い石を取り出した。
湖の水へ入れる。
十秒。
光らない。
三十秒。
粒子は出ない。
石だけでは反応しない。
次に、採取していた湧き水を数滴だけ垂らす。
変化なし。
石を湖へ浸したまま一分待つ。
表面に、ごく薄い青い線が現れた。
それ以上は何も起きない。
湧き水。
青白い石。
それだけでは、川と同じ現象にならない。
流速。
水圧。
川底にある別の鉱物。
微生物。
温度。
電気的な条件。
川という環境そのものが、粒子を生み出す装置のように働いている可能性がある。
私は青白い石を取り出し、湖水に触れた状態が分かるよう別の布へ包んだ。
その時、腰の装置が微かに振動した。
画面を開く。
《FILTER MODULE DETECTED》
矢印。
《北東 127m》
私が拾った破損部品とは別のフィルターモジュールが近くにある。
装置が反応したのは、電力が一二パーセントを超えたためか。
破損部品を持っているため、同種の信号を検出できるようになったのか。
北東へ進めば、新しい部品を見つけられるかもしれない。
しかし、今すぐ向かう必要はなかった。
湖には魚がいる。
粒子のない水がある。
食料と水を確保できる可能性の方が優先だった。
*
魚を捕まえる方法を考える。
素手では難しい。
網はない。
釣り針もない。
槍を作って突く方法はあるが、透明な身体は水中で位置を見失いやすい。
しかも、一度失敗すれば群れ全体が深い場所へ逃げる可能性がある。
私は浅瀬の形を観察した。
岸の一部が緩やかに窪み、魚が時折入ってくる。
そこへ枝を並べ、出口を狭くすれば、追い込めるかもしれない。
丈夫な蔓。
細い枝。
マルチツール。
浅瀬へ入る前に、宇宙服の足部分に傷がないことを確認する。
水深は足首程度。
底も見える。
私は枝をV字型に並べた。
先端を岸へ向ける。
魚が広い側から入れば、狭い浅瀬へ追い込まれる形。
枝の隙間は、魚の身体より少し狭くする。
完全な柵ではない。
魚が強く押せば抜けられる。
それでも、進む方向を制限できれば十分だった。
最初の一回。
私は群れの後ろへ回ろうとして、水を大きく動かしてしまった。
魚は一斉に散り、深場へ逃げた。
待つ。
水面が静かになるまで動かない。
数分後、魚が戻る。
二回目。
今度はゆっくり近づく。
一匹がV字の中へ入る。
出口を塞ごうとした瞬間、枝の隙間から抜けた。
柵の間隔が広い。
私は枝を追加した。
三回目。
岸から影を落とさないよう、太陽の位置を確認する。
水を蹴らない。
身体で追うのではなく、長い枝を遠くから動かす。
群れが少しずつ浅瀬へ寄る。
一匹がV字の奥へ入った。
私は蔓で作った束を横から落とし、出口を塞いだ。
魚が方向を変える。
枝と岸の間。
逃げ道がない。
マルチツールで慎重にすくい上げる。
魚は強く跳ねた。
私は落とさないよう布へ包んだ。
捕獲。
体長は約十八センチ。
湖で見た個体の中では大きい方だった。
身体は半透明。
内臓の形まで薄く見える。
体液は青く光っていない。
異臭もない。
食べられる保証はない。
だが、現地で得られる最初の動物性食料だった。
私は魚へできるだけ苦痛を与えないよう、マルチツールで素早く処理した。
次の問題は火。
火花石。
乾燥草。
乾いた枝。
材料はある。
昨日は、煙と光が何を呼ぶか分からないため、仮拠点αで火を使わなかった。
ここは拠点から離れている。
異常地点からも遠い。
湖水を消火へ使える。
岸辺は湿っており、燃え広がりにくい場所も選べる。
少量の火を、安全に試すには適していた。
火口には、役目を終えた保水繊維を使えるかもしれない。
粒子を装置へ渡し、白く脆くなった繊維。
非常に細い。
乾燥している。
火花を受け止めるには、乾燥草より向いている可能性がある。
私は湖畔の石を円形に並べた。
周囲の枯れ草を除く。
風向きを確認する。
煙が森の奥や自分の退路へ流れない位置。
消火用の湖水をすぐ横へ置く。
貴重品と装置は三メートル以上離す。
火口として、使用済み保水繊維を細かく裂く。
その上へ乾燥草。
さらに細い枝。
外側へ少し太い枝。
火花石を打ち合わせる。
一回。
火花は外れた。
二回。
草の上で消える。
三回。
煙も出ない。
石の角度を変える。
四回。
五回。
六回。
七回。
八回目。
火花が保水繊維へ落ちた。
細い繊維の一点が赤くなる。
白い煙。
私はすぐに大量の息を吹き込まない。
弱く、長く。
赤い点が広がる。
フッ。
小さな炎が立った。
乾燥草へ移す。
火が消えそうになる。
枝を一度に重ねず、細いものを一本ずつ置く。
炎が大きくなる。
中くらいの枝へ燃え移る。
火を起こせた。
私は周囲を見る。
鳴き声が突然止まることはない。
大型生物が近づく気配もない。
煙の色は白に近い。
刺激臭も強くない。
ただし、長時間燃やすつもりはない。
調理と湯沸かしに必要な分だけ。
*
魚を湖水で洗う。
腹を開く。
内臓も半透明だった。
目で見える寄生虫はいない。
強い臭いもない。
だから安全とは限らない。
未知の生物である以上、中心まで完全に火を通す。
細い枝を串にし、魚を火から少し離して置く。
表面だけ焦がさないよう、ときどき向きを変える。
同時に、湖水を小さな容器へ入れて火へかけた。
目的は飲料としての安全性を高めること。
そして、加熱によって粒子が現れるか確認すること。
数分。
水の底から泡が上がる。
沸騰。
湯気は無色。
川の水のような青白い粒子は現れない。
容器の底にも沈殿は残らない。
少なくとも、加熱によって湖水から粒子が生まれることはなかった。
魚は二十分ほど焼いた。
半透明だった皮が白くなる。
肉も不透明な白へ変わった。
香ばしい匂い。
地球の白身魚に近い。
私は火から下ろし、少し冷ました。
最初に食べるのは、小さな一切れだけ。
口へ入れる。
淡白。
少し甘い。
苦味はない。
舌の痺れもない。
飲み込む。
時刻を記録する。
十分待つ。
吐き気なし。
喉の痛みなし。
腹痛なし。
生体モニターにも異常は出ない。
次に、魚の半分ほどを食べた。
残りは布へ包み、火の近くへ置いてさらに水分を飛ばす。
保存できる時間は分からない。
それでも、生のまま持ち歩くよりは長く保つ可能性がある。
煮沸した湖水も、すぐ大量には飲まない。
少量だけ口へ含む。
味はほとんどない。
川のろ過水にあった甘みも感じない。
三十分。
身体に異常はない。
空腹が満たされ、疲労も少し軽くなった。
現地の食料を、初めて安全に近い形で得られた。
非常食は残り半分。
だが、もうそれだけが唯一の食料ではない。
湖へ来れば、魚を捕れる可能性がある。
火を起こせる。
粒子のない水を煮沸できる。
ここは仮拠点αから離れている。
それでも、生活を続けるための重要な場所になり得る。
私は火を完全に消した。
湖水をかける。
煙が止まる。
石を動かし、熱が残っていないことを確認する。
燃え残った枝は散らさず、次に使えるようまとめた。
跡を完全に消すことはしない。
自分が再び使う場所として、最低限分かる形にしておく。
時刻は午後零時二十八分。
湖面へ目を向ける。
魚の群れは、すでに浅瀬へ戻り始めている。
その中で、一瞬だけ青い光が見えた。
川の粒子とは違う。
水全体へ広がる光ではない。
もっと深い場所。
針先ほどの一点。
私は立ち上がった。
光は消えた。
魚が反射したのか。
湖底に別の鉱物があるのか。
装置が検出したフィルターモジュールの光なのか。
湖には粒子がない。
そう判断した。
だが、粒子が見えないことと、青白い光に関係するものが何もないことは同じではない。
私は湖面を見つめた。
初めての現地食。
初めて安全に使えそうな水。
そして、粒子のないはずの場所に現れた小さな光。
この星では、安全な場所も、答えの出た場所も、まだ一つもない。
それでも、今日の昼を越えるために必要なものは、ここで手に入った。




