第三補助フィルター
四眼の民は、半開きの円形扉へ視線を向けた。
次に私を見る。
扉の前から退き、進路を空ける。
進めという意味か。
ここから先は自分で選べという意味か。
言葉はまだ分からない。
私はすぐ扉へ近づかず、ポーチを開いた。
銀脈根へ反応した。
ならば、ほかの素材へはどう反応する。
蒼輝石を右の掌へ置く。
青白い石を左へ置く。
武器ではないことが分かるよう、両手を開いたまま見せる。
四眼の民の四つの瞳が、蒼輝石へ向いた。
胸元の銀色の筋が、淡く光る。
銀脈根へ触れた時と似ている。
しかし、近づいてはこない。
代わりに一歩だけ横へ移動し、扉までの道をさらに広く空けた。
次に青白い石を掲げる。
瞳はそちらも追う。
だが胸の発光は起きなかった。
興味は示す。
反応の強さは明らかに違う。
蒼輝石。
装置が生体フィルターのコアと認識したもの。
四眼の民にも、特別な意味を持つらしい。
私は二つの石をしまい、扉へ一歩近づいた。
距離、一メートル。
腰の銀色装置が強く震える。
《ACCESS NODE》
《AUTHORIZATION...》
《CORE DETECTED》
コアを検出。
続けて表示が変わる。
《FILTER STATUS》
《INCOMPLETE》
フィルター未完成。
蒼輝石は認識されている。
しかし、それだけでは扉は開かない。
円形扉の中央にある六角形部分が青く光った。
窪みの周囲へ、細い線が浮かび上がる。
銀色殻の輪郭。
完全に一致していた。
四眼の民は、窪みと私のポーチを交互に見る。
止めない。
急かさない。
ただ、必要なものを知っているように見えた。
殻を入れる前に、私は最後の確認をした。
窪みの縁に土や小石が残っていないか。
殻の六角形に欠けがないか。
装置の電力が急激に落ちていないか。
四眼の民が後退する、身を伏せる、耳を塞ぐといった警戒行動を取っていないか。
どれも見られない。
それでも安全とは限らない。
ただ、今得られる情報の中では、装着する根拠が最も揃っていた。
生体フィルターという装置表示。
施設側にある同形状の窪み。
蒼輝石だけでは「未完成」と判断される状態。
四眼の民が窪みとポーチを見比べる行動。
私はそれらを順に確認してから、ようやく殻を前へ出した。
銀色殻は一つしかない。
黒光実と濃縮粒子から作られた、未知の生体フィルター。
装置へ組み込むこともできた。
だが、装置は宿主未確認と警告した。
この施設こそが宿主なのかもしれない。
私は四眼の民を一度だけ見た。
相手は武器を持たない。
扉の前にも戻らない。
私は銀色殻を取り出した。
*
窪みまで十センチ。
カチッ。
まだ触れていない。
それでも殻が小さく震えた。
五センチ。
内側の六角形が青く発光する。
私は指へ余分な力を入れない。
無理に押し込まない。
殻は手を離れる前に、窪みへ引かれ始めた。
スッ――。
磁石へ吸い寄せられるように、円盤の中央へ収まる。
隙間はない。
向きを調整する必要もなかった。
殻が固定された瞬間、円盤全体へ青い光が走った。
一本。
二本。
六角形の線を伝い、外周へ広がる。
地面がわずかに震えた。
私はすぐ一歩下がった。
竹槍へは触れない。
逃げ道を確認する。
振動は強くならない。
崩落するような揺れでもない。
長く止まっていた巨大な機械が、内部の部品を一つずつ動かし始めたような低い響き。
腰の装置が、これまでで最も強く反応した。
《FILTER MODULE》
《ONLINE》
フィルターモジュール、オンライン。
次の表示。
《CORE》
《NOT INSTALLED》
コア未設置。
さらに。
《ENVIRONMENTAL FILTER》
《31%》
環境フィルター、三一パーセント。
銀色殻だけで、施設の一部が動き始めた。
だが完全ではない。
蒼輝石はまだポーチの中。
円形扉の奥から、重い機械音が響く。
ゴゴゴゴ……。
半開きだった扉が、さらにゆっくり開いていく。
石や土が縁から落ちる。
私は入口の正面から少し外れた。
内部から何かが噴き出す可能性がある。
流れ出したのは、冷たい空気だった。
森の湿った匂いではない。
土や腐葉土の匂いでもない。
雨上がりに似た、澄んだ香り。
宇宙服の表示を確認する。
冷たい空気は、勢いよく噴き出したのではなかった。
入口から床を這うように流れ、白い土の上へ薄く広がる。
私は手袋を外さず、掌を流れへかざした。
温度は森より低い。
湿度も少し違う。
乾燥しすぎてはいない。
長く密閉されていた空間の、よどんだ匂いも感じない。
三一パーセントしか稼働していないにもかかわらず、内部では今も空気を処理する何かが働いている。
外気浄化フィルターの残量表示へ目を向ける。
この施設の空気を直接吸えるとは、まだ判断できない。
環境フィルターという名称も、施設内だけを対象にしている可能性がある。
ヘルメットは外さない。
澄んだ匂いに安心を感じても、判断はセンサーと試験が先だった。
新しい警告は出ない。
フィルターの消耗表示も、急激には変わらない。
四眼の民の表情が、初めてはっきり変わった。
四つの瞳が細くなる。
口元がわずかに緩む。
人間でいうなら、安心した時の表情に近い。
胸へ手を当て、私へ頭を下げる。
それは、敵意がないというだけではなかった。
施設が動いたことを喜んでいる。
そう見えた。
*
扉の向こうは円形の部屋だった。
中央に台座。
その上に、蒼輝石と同じ形の空のソケット。
壁一面には、青白く光る六角形の結晶が並んでいる。
ただし、その多くは砕けていた。
ひび割れ。
欠け。
完全に光を失ったもの。
部屋全体は動いている。
だが正常ではない。
装置へ、これまで読めなかった文字が現れた。
《環境維持施設》
《第3補助フィルター》
《稼働率:31%》
《管理者認証:未登録》
翻訳が突然、日本語に近い形へ変わった。
四眼の民の言葉を記録したこと。
施設へ接続したこと。
装置の電力が回復していること。
どの条件が影響したのかは分からない。
だが、ここが何なのかは読めた。
環境維持施設。
第3補助フィルター。
主施設ではない。
少なくとも第三の補助設備。
この崖に埋まった巨大構造さえ、全体の一部でしかない。
私は部屋の入口にも印を残した。
帰路を失うほど複雑な構造ではない。
それでも、扉が途中で閉じる可能性がある。
円盤の外周。
開いた扉の縁。
床の境目。
動きそうな部分へ荷物を置かない。
入口付近にはロープの端を軽く固定し、崩落した場合にも外側の方向を探れるようにする。
四眼の民は、その作業も黙って見ていた。
急ぐ様子はない。
施設を知っている相手が急がないから安全、とは限らない。
だが少なくとも、今すぐ何かを作動させなければならない切迫した状況には見えなかった。
四眼の民は、蒼輝石を指差した。
「アル……ネア」
装置が反応する。
《翻訳候補:「核」》
精度は低い。
それでも、蒼輝石がコアであることと一致する。
台座へはめれば、稼働率が上がる可能性がある。
私は蒼輝石を取り出さなかった。
動かす前に調べる。
銀色殻を入れた時は、形状、装置の表示、四眼の民の反応が一致していた。
それでも稼働率は三一パーセント。
部屋には破損した結晶が多い。
コアを設置して出力だけを上げれば、壊れた部分へ負荷を掛ける可能性がある。
まず構造を知る。
私は四眼の民の前で、部屋を見回す動きを示した。
相手は止めなかった。
むしろ一歩下がり、私が調べられる空間を空けた。
*
部屋の直径は約二十メートル。
天井は半球状。
高さは八メートルほど。
照明器具らしいものはない。
壁の六角形結晶そのものが淡く光り、部屋を照らしている。
床には薄い埃。
完全な廃墟なら、もっと厚く積もっていてもよい。
一部には、何かが歩いた跡がある。
四眼の民が時折入っているのかもしれない。
壁へ近づく。
ほとんどの結晶にはひびが入っている。
数個だけ、新品のように透き通ったものが残っている。
その近くには、銀色装置と同じ六角形の紋章。
交換部品。
系統表示。
所有者を示す印。
どれかは分からない。
中央の台座を一周する。
蒼輝石用と思われるソケット。
その周囲には、さらに六つの細い溝があった。
一つには、外の円盤へ装着した銀色殻とつながる光が走っている。
残り五つは暗い。
フィルターモジュールは一つだけではない。
施設を完全に動かすには、同じような部品がさらに五つ必要なのかもしれない。
部屋の隅には、倒れた棚のようなものがあった。
金属ではない。
石でもない。
陶器に似ているが、破片を持ち上げると驚くほど軽い。
棚を無理に起こさず、周囲から調べる。
下から、小さな円筒が転がり出た。
長さは十五センチほど。
両端が透明。
中央だけ銀色。
銀色装置を近づける。
《UNKNOWN COMPONENT》
《ENERGY:2%》
未知の部品。
エネルギー残量二パーセント。
私が円筒を拾うと、四眼の民が初めて自分から近づいた。
奪おうとはしない。
円筒を指差す。
「……セル」
装置の表示。
《翻訳候補:「セル」》
意味を翻訳したというより、同じ音を登録しただけかもしれない。
だが、エネルギーを残した円筒。
セル。
エネルギーセルと考えれば、現象と一致する。
私は勝手に装置へ接続しなかった。
二パーセントでも、施設の記録を読むために必要かもしれない。
どの機器用の部品かも不明。
円筒を布へ包み、部屋から持ち出すとはまだ決めず、床の見える位置へ置いた。
最奥の壁には、細い通路が続いていた。
途中で崩落している。
完全には塞がっていない。
人一人が身体を横にすれば通れそうな隙間。
奥から、かすかな風。
この施設は、円形の部屋だけでは終わっていない。
*
私は一度調べた場所も含め、もう一周することにした。
見つかったものだけで全体を判断しない。
今度は順番を決める。
床。
壁。
天井。
収納の裏。
時計回りに進む。
床の中央は平らだった。
壁際で、一枚だけわずかに沈んだ六角形の床板を見つける。
踏む。
何も起きない。
隠し扉ではない。
埃が落ち、縁へ文字が現れた。
《MAINTENANCE》
保守。
点検用の床板。
開け方は分からない。
工具も足りない。
今は位置だけ記録する。
壁。
ひび割れた結晶の間に、一か所だけ透明な板がはめ込まれている。
土を払う。
外の景色が映ったように見えた。
違う。
映像。
現在ではない。
数秒間だけ、同じ部屋の過去が現れた。
壁の結晶はすべて正常。
今よりはるかに明るい。
四眼の民が数十人いる。
中央の台座には、今持っているものよりも巨大な蒼輝石。
何人もの四眼の民が、部屋の周囲で作業していた。
過去の映像にいた四眼の民は、今目の前にいる一体と同じ体格だった。
だが、胸の銀色の筋は一人ずつわずかに異なって見えた。
衣服なのか、個体差なのか、映像が短すぎて分からない。
中央の巨大な蒼輝石の周囲には、複数の透明板と円筒が配置されていた。
今見つけたデータスレートやエネルギーセルと同じ種類かもしれない。
白い光が広がる直前、部屋の一部で誰かが手を上げた。
警告。
操作。
別れの合図。
意味は読み取れない。
映像はそこで途切れ、同じ場面を再生する方法も見つからなかった。
私は見えた順番だけを書き留めた。
正常な施設。
数十人の四眼の民。
巨大なコア。
白い光。
終了。
原因を補わない。
映像の外にある出来事を、想像で記録へ加えない。
突然、映像全体が白い光に包まれる。
そこで消えた。
事故。
攻撃。
施設の過負荷。
原因は映っていない。
私は見えたものだけを記録した。
映像を見ていた四眼の民は、静かに目を閉じた。
悲しみ。
祈り。
単に眩しさを避けただけ。
表情の意味は断定できない。
だが、過去の映像を知っているようには見えた。
天井。
半球状の六角形模様。
中心だけ黒い。
直径三十センチほどの円形の穴。
雨水や光を入れる構造には見えない。
何かを接続するためのポート。
配管。
エネルギー供給。
別区画との連絡口。
用途は不明。
倒れた棚を、先ほどより少しだけ動かす。
下から薄い透明板が出てきた。
厚さは二ミリほど。
四眼の民から受け取った六角板より大きく、表面に細い筋が走っている。
装置を近づける。
《DATA SLATE》
《READ ERROR》
データスレート。
読み取り失敗。
記録媒体らしい。
四眼の民が、初めて驚いたように目を見開いた。
胸へ手を当てる。
「……リア」
《翻訳候補:「記録」》
音と物の対応が、少しずつ増えている。
セル。
記録。
核。
施設。
この部屋は、単なる機械室ではない。
保守。
制御。
記録。
環境維持設備を管理する場所だった。
*
調査を終えると、四眼の民は崩落した通路へ向かった。
途中で振り返る。
私を見る。
今度は、止まれという手ではない。
身体を通路側へ向け、こちらを待っている。
ついて来るか。
そう問いかけているように見えた。
私はうなずいた。
弓は背中。
竹槍は構えない。
身体の横へ下げ、岩へ引っかからないようにする。
武器を持っていても、敵意を示さない姿勢を選ぶ。
四眼の民は小さくうなずき返した。
言葉を共有していない。
それでも、動きに対して動きが返ってきた。
初めて、相互理解に近いものを感じた。
崩落した隙間へ入る。
四眼の民は細い身体を横にし、ほとんど音を立てずに抜けていく。
私は水筒、ロープ、弓が岩へ当たらないよう、一つずつ位置を変える。
約十五メートル。
狭い通路が開けた。
自然の洞窟ではない。
天井は約十二メートル。
床には六角形模様がどこまでも続く。
だが、機械室でもなかった。
巨大な温室。
青く光る葉。
銀色の蔓。
そして、銀脈根。
モグラから受け取ったものと同じ植物が、何十株も並んでいる。
ただし、その多くは枯れていた。
葉は縮み、銀色の筋も暗い。
生き残っているのは数株だけ。
四眼の民は、そのうちの一株へ近づいた。
葉へそっと触れる。
施設の部品へ触れる時とは違う。
壊れやすいものを扱う動き。
大切に育てていることが、言葉がなくても伝わる。
銀色装置が表示を変えた。
《SPECIES IDENTIFIED》
《SILVER ROOT》
《STATUS:CRITICAL》
銀脈根。
状態、危機的。
私が付けた仮称と同じ意味が、正式な名称として表示された。
温室の植物は、すべて同じ状態ではなかった。
完全に枯れ、銀色の筋が灰色へ変わった株。
葉を失い、根だけが残っている株。
わずかに青い光を保つ株。
四眼の民が触れたのは、その中でも最も生きている一株だった。
床の六角形の継ぎ目には、古い水の跡が残っている。
かつては水路から複数の細い溝へ水が分かれ、一株ずつ根元へ届いていたらしい。
今はすべて乾き、亀裂の中へ白い粉が溜まっている。
水が一度途絶えただけではない。
長い時間、維持できていない。
それでも数株が残っているのは、銀脈根そのものが乾燥に強いのか。
四眼の民が少量の水を与え続けてきたのか。
施設のフィルターが、最低限の湿度だけを保っていたのか。
私は根へ触れず、周囲の状態だけを記録した。
温室の最奥には水路があった。
乾いている。
一滴も流れていない。
四眼の民は水路を見る。
次に、私の空洞竹水筒へ視線を向けた。
そして、ゆっくり水路を指差す。
光。
フィルター。
水。
この温室は、その三つで維持されていたのかもしれない。
銀色殻によってフィルターの一部は動いた。
壁の結晶にも光が戻った。
だが水がない。
だから銀脈根は枯れている。
四眼の民は外から水を運べないのか。
施設を離れられないのか。
水源の位置を知らないのか。
まだ分からない。
相手は腰の小袋へ手を入れた。
取り出したのは、小さな種。
銀色に輝いている。
それを私へ差し出した。
銀脈根の残りが危機的な状態なら、貴重な種のはずだ。
敵と判断した相手へ渡すものではない。
私は両手で受け取った。
装置が表示する。
《RESTORATION SEED》
復元の種。
生き残るためにこの施設へ来たのではない。
水や食料を求めていたわけでもない。
それでも、目の前には枯れかけた植物がある。
それを守る四眼の民がいる。
そして、未来へ残すための種を託された。
これまでの目的は、この惑星で自分が生きることだった。
今、初めて別の目的が生まれようとしていた。
自分が築いた水の確保方法。
素材を組み合わせる工作。
壊れたものを調べ、試す習慣。
それらが、私以外の命を残すために使えるかもしれない。
私は復元の種を布へ包み、最も安全なポーチへ収めた。
乾いた水路の前で、四眼の民が静かに待っている。
施設を動かしただけでは、何も終わっていない。
三一パーセント。
五つの不足部品。
未設置のコア。
壊れた灌漑。
枯れ始めた銀脈根。
ここから先に必要なのは、装置を起動する勇気ではない。
壊れた世界を、一つずつ直す方法だった。




