森に溶ける装備
湖畔前線基地βを離れる前に、私は持ち帰るものを一つずつ確認した。
未調理の透明魚、三匹。
取り分けた骨。
半透明の鱗。
煮沸した湖水。
雨水。
残った赤紫果。
釣り竿と骨針。
食料を得る方法は安定し始めている。
水も、雨と湖の二つから確保できる。
仮拠点αには屋根があり、湖畔には前線基地βがある。
ここまでに作ったものは、どれも暮らすための道具だった。
だが、暮らしが広がるほど、危険へ遭遇する範囲も広がる。
竹林では、生物が近づかない銀節竹を見た。
森の奥には、装置が異常地点と示す場所がある。
夜には、正体の分からない音が木々の間を移動する。
今は何も襲ってこない。
それは、これからも安全だという意味ではない。
身を守る準備が必要だった。
重い鎧ではない。
動けなくなれば、危険を防ぐ前に逃げられなくなる。
森の中で目立たず、小枝や軽い引っかき傷を防ぎ、必要な時だけすぐ着られるもの。
そして、近づかれる前に距離を取れる道具。
帰り道では、武器や防具へ使える素材を探すことにした。
*
弓の弦に必要なのは、細く、強く、伸びすぎない繊維だった。
これまで使ってきた丈夫な蔓は、ロープや釣り糸には使える。
しかし水を吸うと少し伸びる。
弓を引くたびに長さが変われば、同じ方向へ矢を飛ばすことは難しい。
竹林の近くへ差しかかった時、以前採取した弾性茎を思い出した。
内部が中空ではなく、細かな繊維で満たされていた植物。
全体は強くしなる。
その表皮を細く剥ぐ。
外側は硬い。
だが乾燥させると、内側から丈夫な繊維が現れた。
一本を両手で引く。
普通の蔓より伸びが少ない。
強く引いても切れない。
何本かを撚り合わせれば、弓弦として使える可能性がある。
私は生きている茎を大量に傷つけず、倒れかけたものや採取済みの端材から四束分だけ確保した。
仮称、弾性繊維。
帰路の間、肩から提げた運搬筒は安定していた。
魚が内部で激しく動く音はない。
蓋も外れない。
水筒も漏れていない。
両手を空けたまま、素材を拾い、周囲を確認できる。
容器を作った意味は、物を多く運べることだけではなかった。
危険に対して手を使える。
歩き方を崩さない。
生活道具は、そのまま生存装備でもある。
仮拠点αへ戻ったのは午後三時五分。
日没まで、まだ二時間ほどある。
私は魚を日陰へ置き、まず防護服へ取りかかった。
*
宇宙服には、外気を直接吸わないための機能がある。
だが、森を歩くための外装としては弱点もあった。
枝へ擦れる。
尖った植物へ引っかかる。
表面へ目立つ傷が増えれば、気密性にも影響する可能性がある。
銀節竹の周辺や、白殻樹のような未知の植物へ近づかなくても、移動するだけで細かな危険はある。
宇宙服そのものを加工することはできない。
傷をつければ、修理できない。
その上へ重ねる、脱着可能な防護層を作る。
素材を並べる。
保水繊維。
苔。
大きな葉。
丈夫な蔓。
透明魚の鱗。
保水繊維は柔らかく、引っ張りにも強い。
ただし、厚く重ねると水分を含んで重くなる。
全身を包むのではなく、細い帯状へ裂き、網のように編む。
宇宙服へ直接縫い付けない。
前で結び、肩と腰の蔓を外せば、すぐ脱げる形にする。
胴体。
肩。
前腕。
太腿。
小枝が当たりやすい場所を中心に覆う。
内側には、乾いた苔を薄く挟む。
厚く入れれば動きを妨げる。
必要なのは、軽い衝撃を和らげる程度。
胸と前腕には、透明魚の鱗を並べた。
一枚では小さい。
重ね方をずらし、魚の身体についていた時と同じように、上の鱗が下の鱗を覆う。
骨針で保水繊維へ穴を開け、細く裂いた蔓で固定する。
硬い板ではない。
強い牙や爪を止めることもできない。
それでも、鋭い枝が直接宇宙服へ触れることは減らせる。
外側へ大きな葉を部分的に取り付ける。
身体全体を葉で覆えば、歩くたびに大きな音が出る。
必要なのは輪郭を崩すこと。
肩。
背中。
腰。
周囲の植物と同じ高さで揺れる位置だけ。
立ったまま数歩歩く。
葉が擦れる。
少し音が大きい。
取り付け位置を減らす。
葉の付け根を強く固定せず、歩行に合わせて自然に動くよう調整する。
木の下へ降り、数メートル離れた場所から拠点を振り返る。
葉と苔の色が森へ溶ける。
人間の形が完全に消えるわけではない。
だが、宇宙服の人工的な輪郭と表面は見えにくくなった。
再び着る。
肩の結び目。
腰の結び目。
腕の固定。
一分もかからない。
脱ぐ。
さらに早い。
寝る時まで着続ける必要はない。
危険な場所へ向かう時だけ羽織れる。
偽装防護服、第一号。
軽量。
着脱可能。
小枝や軽い引っかき傷を軽減。
森で目立ちにくい。
ただし、大型生物の攻撃を防ぐ装備ではない。
防護服という名前だけで、守られていると誤解しないこと。
私はその注意も記録した。
*
次は弓。
竿へ使った空洞竹ではなく、弾性茎を選ぶ。
空洞竹は軽く、しなる。
しかし、強く曲げ続けた時の耐久性が分からない。
弾性茎は内部まで繊維が詰まり、力を抜けば元へ戻る。
自然な反りを利用し、長さを調整する。
表面を削りすぎない。
外側の繊維を切れば、引いた時に折れる可能性がある。
中央部は持ちやすいよう、乾いた布と細い蔓を巻く。
両端へ浅い溝を作る。
弾性繊維を三本撚り合わせ、弓弦にする。
最初から強く張らない。
弱い張力。
弓を少し曲げる。
戻る。
繊維に裂け目なし。
張力を上げる。
もう一度。
弾性茎全体が均等に曲がる。
一か所だけが大きく曲がっていない。
さらに調整する。
弓弦を指で弾く。
短い音。
蔓のような大きな伸びはない。
矢も必要になる。
細い竹の端材を、真っすぐなものだけ選ぶ。
先端には透明魚の骨。
すべてを鋭い矢にする必要はない。
最初の試射では、平らに削った練習用の先端を使う。
後端へ切れ込みを入れ、弓弦を受ける。
矢羽の代わりに、半透明の鱗を左右へ貼る。
樹脂で固定。
鱗が完全な羽の役割を果たす保証はない。
だが、飛行中の姿勢を安定させる面にはなる。
私は拠点から離れた倒木を目標にした。
背後に生物がいないことを確認する。
矢の進む先を横切るものがない。
初めは五メートル。
弦を半分だけ引く。
放す。
シュッ。
矢は倒木の下へ落ちた。
方向は大きく外れていない。
弦を少し強く引く。
十メートル。
矢は倒木へ当たり、跳ね返る。
さらに調整。
鱗の角度をそろえる。
矢の重心を確認する。
十五メートル。
放す。
矢は真っすぐ飛び、倒木へ当たった。
深くは刺さらない。
だが、飛距離と方向は実用になる。
次に骨矢。
魚の細い骨を先端へ差し込み、樹脂と蔓で固定する。
強い力で撃たない。
まず倒木へ向け、半分の張力。
骨の先端が表面へ刺さった。
抜く。
固定部は外れない。
狩りや威嚇。
小型生物へ距離を取るための道具。
大型生物へ対抗できる威力はない。
それでも、石を投げるより遠くへ正確に届く。
竹骨弓、第一号。
練習矢六本。
骨矢四本。
矢は使えば失う。
骨矢を無駄に撃たない。
この武器の目的は、未知の生物を倒すことではない。
近づかずに済む可能性を増やすことだった。
*
日没まで、あとわずか。
私は接近された時の道具も作ることにした。
弓は距離がある時に使える。
森では枝や木が多く、矢を引けない場面もある。
相手が近い時、マルチツールだけでは腕の長さまで近づかなければならない。
長い棒があれば、距離を保てる。
空洞竹を一本選ぶ。
長さは約二・二メートル。
持ち運べる範囲で、できるだけ長く残す。
先端へ、透明魚の丈夫な背骨を差し込む。
自然な突起を削り、尖らせる。
樹脂で固定する。
その上から、丈夫な蔓を十字に巻く。
樹脂だけへ頼らない。
接着が弱くなっても、蔓が骨を保持する。
火の近くで樹脂を少し温める。
液状にしすぎない。
蔓の隙間へ染み込み、冷えると固定される程度。
倒木へ突く。
ドスッ。
骨の穂先が表面へ刺さる。
引く。
抜けない。
もう一度、強く突く。
柄は大きく曲がらない。
固定部も外れない。
竹槍、第一号。
長い間持ち歩けば、枝へ引っかかる。
狭い場所では使いにくい。
だが、小型から中型の生物を近づけないためには役立つ。
水辺でも、深さを確かめる棒や、魚を追い込む道具として使える。
武器専用ではない。
用途を一つに限定しないことは、素材を節約することにもつながる。
*
未調理の透明魚は、三匹ある。
そのまま一晩置けば、傷む可能性がある。
湖畔前線基地βで気づいた新しい課題。
保存。
塩は見つかっていない。
冷蔵設備もない。
乾燥させる。
煙を当てる。
それで腐敗を遅らせられるかもしれない。
ただし、拠点のすぐ下で魚を長時間燻せば、匂いが木や寝床へ残る。
捕食者を呼ぶ可能性がある。
私は仮拠点αから約三十メートル離れた、風通しのよい場所を選んだ。
四つ目の生物たちの巣穴からも離す。
石で新しい火床を作る。
大きな炎は使わない。
枝を燃やし、赤い熾火が残る状態にする。
煙がゆっくり出続けるよう、少し湿った木片を加える。
透明魚を二つに分けた。
一匹は今日食べる。
いつもどおり完全に火を通す。
残りは保存実験。
身を骨から外す。
細かくすりつぶす。
厚い塊では、表面だけ乾いて内部に水分が残る。
薄く、平らに広げる。
竹の細片を格子状に組んだ網へ載せる。
火から約七十センチ。
炎が直接届かず、熱と煙だけが当たる距離。
風向きが変わるたび、位置を調整する。
煙は目に見える。
だが、宇宙服の外気警告に新しい反応はない。
それでも直接吸い込まない位置へ立つ。
一時間。
魚の表面が乾き始める。
色は白から薄い褐色へ変わる。
裏返す。
二時間。
水分はかなり抜けた。
煙の香りが付いている。
腐敗臭はない。
ただし、完全には乾いていない。
中央はまだ柔らかい。
一晩かけてさらに乾燥させる必要がある。
その間、奇妙な違いがあった。
今日食べる魚を焼いている側には、小さな虫が集まってきた。
火へ近づきすぎず、匂いの周囲を飛んでいる。
だが、煙を当てている魚のすり身には、一匹も寄らない。
同じ魚。
同じ場所。
違いは、煙。
煙には、乾燥させる以外に虫を遠ざける効果がある可能性がある。
保存とは、腐敗だけを遅らせることではない。
虫に食べられない。
卵を産み付けられない。
それも重要だった。
私は記録へ書く。
燻製魚ペースト、試作。
長時間の煙で乾燥。
虫は近づかない。
保存可能期間は未確認。
焼き上がった魚を食べる。
湖水と雨水を飲む。
骨は回収する。
日没はすでに過ぎていた。
*
片付けの最中、煙の向こう側で光が見えた。
一つではない。
四つ。
低い位置。
こちらを見ているように並んでいる。
私は動きを止めた。
弓へ手を伸ばさない。
竹槍も構えない。
四つの青白い光。
四つ目の生物なら、一匹の目と同じ数だ。
だが、距離がある。
煙と暗さで身体までは見えない。
光は近づいてこない。
しばらくその場に留まり、やがて森の奥へ消えた。
四つ目モグラ。
それとも別の生物。
確認はできない。
私は火を消した。
保存実験用の魚は、雨の当たらない風通しのよい場所へ吊るす。
地面へ置かない。
小動物の手が届きにくく、煙が少し残る位置。
竹製運搬筒も木の枝へ吊るす。
水は十分。
雨水。
煮沸済み湖水。
武器は寝床から手の届く場所へ置いた。
竹骨弓。
竹槍。
マルチツール。
偽装防護服は着たまま眠らない。
すぐ羽織れるよう、寝床の横へ置く。
濡れた部分がないことを確認し、葉が音を立てないようまとめる。
身体を保水繊維へ包む。
今日は十分に動いた。
湖畔前線基地β。
魚の確保。
運搬。
防護服。
弓と矢。
槍。
保存食。
生活を広げる作業と、守る準備を同じ日に行った。
森の夜は静かだった。
だが、以前の静けさとは違う。
私は少しずつ、異常でない音を覚えている。
葉が揺れる音。
夜行性の鳥の声。
遠くの湖から来る風。
地面の下で、四つ目の生物が土を掘る音。
すべてへ身構える必要はない。
いつもの音を知ることが、異常な音を見つけるための基準になる。
深夜。
一度だけ目が覚めた。
空には二つの月が見えた。
淡い光で、森の輪郭が青白く浮かぶ。
巣穴の方向から、小さな明かりが動いていた。
四つ。
先ほどと同じ。
私は息を潜めて見る。
別の四つが、隣に現れた。
八つ。
二匹の四つ目モグラ。
並んで歩いている。
一匹が足を止めた。
木の上を見上げる。
四つの目が、こちらへ向いた。
「キッ」
小さな一声。
警戒を知らせる鳴き方ではない。
群れを呼ぶ声でもない。
意味は分からない。
それでも、以前のように私を見てすぐ逃げることはない。
彼らはしばらく木を見上げ、再び森の中へ消えた。
煙の向こうに見えた四つの光も、彼らだった可能性が高い。
魚の匂いを見に来たのか。
煙を確かめたのか。
私の行動を観察していたのか。
答えはない。
ただ、彼らの活動範囲が巣穴の周囲だけではないことは分かった。
私は武器へ手を伸ばさず、再び横になった。
*
朝日は午前六時二分に昇った。
身体の疲労は抜けている。
痛み。
発熱。
食事による異常。
どれもない。
私は最初に、保存実験中の魚を確認した。
表面は、昨夜よりしっかり乾いている。
指で押しても、水分は出ない。
中央にはわずかに柔らかさが残っている。
完全な乾燥食品ではない。
それでも腐敗臭はない。
煙の香りが保たれている。
虫に食べられた跡もない。
一晩の保存には成功した。
何日保つかは分からない。
食べて安全かどうかも、少量ずつ確かめる必要がある。
だが、魚を釣った日にすべて食べ切らなくてもよい可能性が生まれた。
それは、遠くへ進むための条件でもある。
湖から離れる日。
雨で釣りができない日。
怪我で移動できない日。
保存食があれば、食料を得られない時間を越えられる。
私は乾いた魚ペーストを布へ包んだ。
装備を見る。
偽装防護服。
竹骨弓。
骨矢。
竹槍。
空洞竹水筒。
竹製運搬筒。
釣り竿。
六日目の朝。
この星で暮らすための基盤は整った。
次に必要なのは、その生活圏の外へ進むこと。
四つ目の生物が示した北東。
銀色の装置が指す方向。
そこへ向かう準備が、ようやくできていた。




