最初の雨
透明魚の骨を一本ずつ洗い、乾いた布へ包んだ。
食べ終えた魚から得られたものは、食事だけではない。
骨製の釣り針。
予備の細い骨。
中空部分から出た銀色の粉。
そして魚の口から見つけた、八秒ごとに波紋を作る小さな粒。
この星では、食べられない部分にも用途がある。
何かを使い切るということは、なくなるまで消費することではない。
別の形へ変えること。
次の食料を得る道具へつなげること。
私は骨と小粒を別々に収め、湖をあとにした。
仮拠点αへ戻ったのは午後一時三十五分。
今日はもう遠くへ探索しない。
竹林。
銀節竹。
応答するような音。
釣り竿の試作。
透明魚の捕獲。
朝から十分に動いている。
体力を使い切る前に、手元の素材を生活へ変えるべきだった。
木の上へ資材を引き上げる。
空洞竹。
弾性茎。
丈夫な蔓。
硬石。
平板石。
樹脂。
透明魚の骨。
保水繊維。
銀色殻。
銀脈根。
蒼輝石。
破損したフィルターモジュール。
数日前には、非常食と飲料水しかなかった。
今は、用途の分からないものまで含めれば、置き場所に困るほど素材が増えている。
私はノートへ、生活を楽にするための工作を書き出した。
予備の骨針。
空洞竹の水筒。
丈夫なロープ。
資材を分ける収納。
ろ過装置の改良。
どれも必要だ。
だが、木々を見上げた時、別の問題に気づいた。
空は晴れている。
だからこそ、今まで考えていなかった。
雨。
仮拠点αは木の上にある。
頭上には葉がある。
しかし、葉が雨を完全に防ぐ保証はない。
むしろ、枝葉へ集まった水が一か所へ流れ、寝床へ大量に落ちる可能性がある。
保水繊維は水を吸う。
それは利点であると同時に、雨の中では欠点にもなる。
寝床が水を含みすぎれば重くなる。
体温を奪うかもしれない。
蔓の結び目も、濡れれば強度が変わる。
道具や特殊素材まで濡らせば、予想しない反応が起きる可能性もある。
「家が使えなくなったら、全部終わる」
釣り竿を改良するより先に、雨を防ぐ。
今は晴れている。
だから、準備できる。
私は工作の順番を変えた。
*
資材を集める範囲は、仮拠点αの周囲百メートルだけにした。
遠くへ行かない。
荷物を運ぶ距離を短くする。
異変があれば、すぐ木へ戻れる。
最初に必要なのは、真っすぐな枝。
屋根の骨組みに使う。
太すぎれば重い。
細すぎれば葉の重さと雨水に負ける。
腕ほどの太さは必要ない。
指二、三本分。
曲げた時に少ししなり、力を抜けば戻る枝を選ぶ。
一本。
二本。
折れや腐食がないか確認する。
地面へ落ちている枝のうち、乾きすぎて脆いものは避ける。
生木を大量に切ることもしない。
落ちて間もない枝や、倒木へ残っているものを中心に集める。
次に葉。
大きいだけでは足りない。
薄い葉は、水を受けると裂れる。
表面へ細かな毛や粉があるものも避ける。
厚く、幅が広く、水を弾きそうな葉。
折り曲げてもすぐ裂けないもの。
同じ形の葉をそろえる。
四十八枚。
数だけ見れば多い。
だが屋根として重ねれば、それほど広い面積にはならない。
丈夫な蔓も集める。
朝に見つけた太い蔓と同じ種類。
十一本。
細い枝は数を数えず、まとめて束にした。
葉を押さえるために使える。
倒木の陰には、厚い苔が生えていた。
手で押すと弾力がある。
水を吸うが、簡単には崩れない。
隙間を埋める材料。
断熱材。
四束だけ採取する。
その間にも、周囲の音を聞く。
四つ目の生物たちは普段どおり。
大型生物の足跡はない。
「カコン」という音も聞こえない。
資材集めだけで午後の大半を使った。
時刻を確認する。
まだ日没まで余裕はある。
私は集めた枝と葉を、荷物用の吊り紐で順番に木の上へ上げた。
*
屋根を平らには作らない。
水平な葉の上には水が溜まる。
重くなれば、枝ごと落ちる。
雨を受け止めるのではなく、寝床の外へ流す形にする。
空洞竹の一本を、寝床の上を通る主骨にする。
生えている空洞竹は切れないほど硬かったが、倒木として拾ったものは、自然に裂けた部分を利用できる。
屋根を支える柱として立てるのではない。
木の幹と太い枝の間へ渡し、骨組みにする。
弾性茎としなやかな枝を弓のように曲げる。
左右へ傾斜をつける。
空洞竹へ蔓で固定する。
一か所へ力を集めず、複数の結び目へ分散させる。
一本が切れても屋根全体が落ちないよう、補助の蔓も加える。
骨組みができた。
身体を寝床へ横たえ、頭、胸、脚が覆われる範囲を確かめる。
大きすぎる屋根は風を受ける。
小さすぎれば雨が入る。
寝床より一回り広い範囲。
荷物を置く場所まで、完全には覆えない。
特殊素材は幹側の最も濡れにくい位置へ集めることにする。
葉を骨組みへ並べる。
ただ重ねるだけではない。
下側から置く。
その上端を、次の葉で覆う。
さらに上の葉が、下の葉へかぶさる。
魚の鱗のように。
水は上から下へ流れる。
継ぎ目が下向きなら、内側へ入りにくい。
一段。
二段。
左右の重なりもずらす。
同じ場所へ継ぎ目を並べない。
葉の付け根は細い枝で押さえ、蔓で骨組みへ固定する。
締めすぎれば葉が裂れる。
緩ければ風で飛ぶ。
力を加えながら、一枚ずつ調整する。
屋根の中央。
端。
木の幹との接触部。
隙間には苔を詰める。
苔だけで防水するのではない。
葉を通ったわずかな水を吸い、寝床へ落ちる前に横へ逃がす。
細い枝を屋根の上へ渡し、葉全体を押さえる。
外から見れば、木の枝葉が少し密集しているように見える。
完全な人工物の形にはなっていない。
偽装も保たれている。
完成したように見えても、雨が降るまで性能は分からない。
私は空洞竹の節へ湖水を入れていた容器を使い、屋根の上へ少しずつ流した。
水が葉を伝う。
下の葉へ。
さらに下へ。
最後は寝床の横へ落ちた。
保水繊維には一滴も届かない。
別の位置へ流す。
同じように外へ落ちる。
三回目。
蔓の結び目から、細い水が内側へ染み出した。
失敗ではない。
雨の前に弱点を見つけられた。
結び目の上へ葉を追加し、苔を薄く挟む。
再び水を流す。
今度は入らない。
仮拠点αの上に、防雨屋根ができた。
木上の寝床。
保水繊維。
落下防止の蔓。
枝葉の偽装。
そこへ初めて、天候へ対抗する設備が加わった。
作業を終えたのは午後四時五分。
腕が重い。
喉も渇いている。
それでも木の上から屋根を見た時、ただの仮住まいではなくなったと感じた。
風が少し強くなる。
木々が揺れる。
西の空を見る。
灰色の雲が集まり始めていた。
屋根を作ったその日に、雨が来るのかもしれない。
*
暗くなるまで、まだ少し時間がある。
私は空洞竹の残りを見た。
雨が降っても、水を受ける容器がなければ、屋根からすべて地面へ流れていくだけだ。
湖の水を毎回運ぶには、容器も必要になる。
今日の最後の工作。
水筒。
そして雨水の集水装置。
最も状態のよい空洞竹を一本選ぶ。
節と節の間、約四十センチ。
片方の節を底として残す。
反対側だけを開く。
空洞竹そのものは硬い。
自然に裂けた端から少しずつ削り、開口部を整える。
内側へ残っていた銀色を帯びる液体は、すでに試料として分けてある。
湖水で内部を何度も洗う。
細い枝の先へ布を巻き、内側を磨く。
驚くほど滑らかだった。
繊維のささくれも少ない。
蓋は、厚い葉を何枚か丸めて作る。
接触部へ樹脂を薄く塗る。
完全に接着しない。
蓋を外せなくなるからだ。
樹脂は防水材として使い、蔓を巻いて固定する。
容量を測る。
約七百ミリリットル。
湖水を入れ、逆さにする。
蓋の端から数滴漏れた。
完全密閉ではない。
それでも、立てた状態で持ち歩くには十分だった。
肩から下げるための蔓も付ける。
空洞竹水筒。
地球から持ってきた二リットルの容器を失っても、現地で水を運べる。
次に屋根の端を見る。
試験で流した水は、ほぼ同じ場所から落ちていた。
その流れを集めればいい。
空洞竹を縦方向へ割る。
硬いため、完全に刃で切るのではなく、自然の裂け目へ薄い石を差し込み、少しずつ広げる。
半円形の長い溝。
天然の樋になる。
屋根の下端へ傾斜をつけて固定する。
葉から落ちた水が樋へ集まる。
樋の先を、別の空洞竹へつなげる。
最後は、地上へ置いた大きな竹筒へ落ちる位置へ合わせた。
木の上に大量の水を保管すれば重くなる。
集水用の竹筒は地上。
巣穴を塞がない。
木の根や四つ目の生物の通り道から少し離す。
蓋は完全には閉じず、落ち葉が入りにくいよう葉を斜めにかぶせる。
もう一度、湖水で試す。
屋根へ流す。
葉の表面を水が走る。
端で一つに集まる。
空洞竹の樋へ入る。
コポン。
地上の竹筒へ落ちた。
途中の漏れはほとんどない。
雨水回収装置。
雨が降れば、何もしなくても水が集まる。
装置を見ながら、別の使い方も浮かんだ。
空洞竹の中へ、小石、苔、保水繊維を順番に詰める。
水を上から通せば、簡易ろ過器になるかもしれない。
今日は試さない。
日没が近い。
雨も来る。
新しいものを作るより、今ある設備を固定し直す方が先だった。
私は屋根と樋の結び目を一つずつ確認した。
風で揺れても外れない。
水が流れる傾斜も保たれている。
特殊素材を屋根の中央下へ移す。
銀色装置。
銀色殻。
蒼輝石。
銀脈根。
破損したフィルターモジュール。
互いに接触しないよう分ける。
時刻は午後五時十八分。
森が赤い夕日に染まる。
頬へ冷たいものが触れた。
一滴。
次に二滴。
雨。
*
私は屋根の下へ身体を入れた。
ポツ。
ポツ。
雨粒が葉を叩く。
数秒で音が増える。
パタパタパタ……。
屋根の上へ落ちた水が、葉の傾斜に沿って流れる。
寝床へ落ちない。
風が枝を揺らす。
骨組みもしなる。
だが、結び目は外れない。
水は屋根の端へ集まり、空洞竹の樋へ入った。
コポン。
コポン。
地上の竹筒へ落ちる音。
作った仕組みが、実際の雨の中で動いている。
葉の重なり。
竹の傾斜。
蔓の固定。
試験で直した結び目。
すべてが役割を果たしていた。
雨は敵になると思っていた。
寝床を濡らし、体温を奪い、資材を使えなくするもの。
だから屋根を作った。
しかし屋根を作り、流れを集めると、雨は飲み水になる。
同じ自然現象でも、受け方を変えれば意味が変わる。
私は樋から落ちる水音を聞きながら、思わず小さく笑った。
この星へ来て初めて、自然がただの脅威ではなく、こちらの生活を助けるものになった。
*
午後六時五分。
雨は静かに降り続いている。
屋根からの漏れはない。
樋も詰まっていない。
地上の竹筒へ、一定の間隔で水が溜まっていく。
今夜は、新しい食材を試さないことにした。
透明魚。
赤紫果。
湖水。
それぞれ少量や複数回の試験は行った。
それでも、遭難からまだ三日しか経っていない。
地球から持ってきた非常食には、栄養と安全性が分かっているという大きな利点がある。
保存していた最後の非常食を開ける。
最初の日には二食あった。
一食を食べ、残りを半分ずつ使い、ここまで残した。
最後の一片をゆっくり食べる。
味は淡い。
この星で食べた透明魚や赤紫果の方が、食事としては豊かに感じる。
それでも、これが自分の知る世界から持ってきた最後の食料だった。
宇宙船から持ち出した飲料水も飲む。
容器の底まで。
これで、地球から持ち込んだ食料と水はなくなった。
医療キット。
マルチツール。
宇宙服。
装備は残っている。
だが、明日から口へ入れるものは、この惑星で得たものだけになる。
私はノートへ書いた。
――明日からは、この惑星だけで生きる。
書いた文字をしばらく見た。
不安はある。
湖の魚に長期的な問題がない保証はない。
雨水にも、未知の大気中成分が混ざっているかもしれない。
植物の食料候補も、まだ少ない。
外気浄化フィルターも劣化を続けている。
生活基盤が整ったからといって、救助されたわけではない。
それでも、墜落直後とは違う。
水は集められる。
魚は釣れる。
火を起こせる。
屋根がある。
眠れる。
明日を迎える理由を、自分で作れている。
雨は次第に強くなった。
風も吹く。
屋根は揺れるが、力を逃がすようにしなる。
空洞竹の骨組みは折れない。
葉の一部がめくれそうになると、上から押さえた細枝が止める。
私は身体を保水繊維へ包み、横になった。
深夜、一度だけ目が覚めた。
いつも遠くから聞こえていた下流の轟音は、雨音に消されている。
代わりに聞こえるのは、葉を叩く雨。
樋を流れる水。
竹筒へ落ちる音。
コポン。
少し間を置いて。
コポン。
一定のリズム。
人の作った機械音ではない。
自然の雨と、現地の竹と、自分が組み合わせた設備の音。
それを聞いているうちに、再び眠りへ落ちた。
*
朝。
葉の隙間から差し込む光で目が覚めた。
時刻は午前六時八分。
雨は止んでいる。
森全体が洗われたように輝いていた。
葉には水滴。
幹の色は濃くなり、紫色の苔も鮮やかに見える。
身体を動かす。
痛みなし。
疲労もほとんど残っていない。
屋根を確認する。
大きな破損はない。
葉が二枚ずれている。
蔓の一本が水を吸って伸びている。
修理は必要だが、一晩の雨には耐えた。
地上へ降りる前に、四つ目の生物たちの様子を見る。
まだ穴から出ていない。
雨の直後は活動開始が遅いのかもしれない。
私は周囲を確認し、集水用の竹筒へ近づいた。
中を覗く。
水が溜まっている。
約三リットル。
予想より多い。
屋根や樋を通ったにもかかわらず、目立つ泥や葉は見当たらない。
透明。
ただし、そのまま飲まない。
葉の表面。
竹の内側。
大気中の微量有害成分。
目に見えないものは残っているかもしれない。
煮沸し、少量から試す。
それでも、地球の飲料水を使い切った翌朝に、三リットルの水が手元にある。
雨水回収装置は、実用に耐えた。
森にも変化があった。
植物が一段と生き生きしている。
倒木には、昨日までなかった白いキノコが生えている。
雨によって新しい蔓が地面へ何本も垂れ下がっていた。
食料や資材が、天候によって現れる。
今後、雨の翌日には別の資源が見つかる可能性がある。
そして、四つ目の生物たちが赤紫果を埋めた場所。
昨日は平らだった土が、数センチほど盛り上がっている。
芽はまだ出ていない。
だが、地面の下で何かが膨らんでいる。
果実が水を吸っただけか。
種が発芽しようとしているのか。
四つ目の生物たちが、夜の間に手を加えたのか。
私は掘り返さなかった。
彼らが埋めたものだ。
変化を見たいからといって、途中で壊す必要はない。
位置と大きさを記録する。
四日目。
健康状態は良好。
非常食はない。
地球の飲料水もない。
だが、湖には魚がいる。
雨水がある。
火を起こせる。
釣り竿がある。
屋根は雨に耐えた。
仮拠点αは、墜落直後に一晩を越すためだけに作った場所だった。
今は違う。
雨を防ぐ。
水を集める。
資材を守る。
身体を休ませる。
生き続けるための拠点になった。
私は水を満たした竹筒を持ち上げた。
重い。
けれど、その重さは恐怖ではない。
この星で得た、次の一日の重さだった。




