骨の針
朝露が葉の先から落ちた。
保水繊維の寝床を外し、私は身体を起こす。
時刻は午前六時十二分。
三日目。
昨夜、木を叩く音は聞こえなかった。
遠くから下流の轟音が届いただけで、仮拠点αの周囲に異変はない。
地面では、四つ目の生物たちがすでに活動を始めている。
昨日埋められた赤紫果の場所にも、目立った変化は見えなかった。
透明魚。
赤紫果。
青緑色の葉。
昨日試した食料による体調異常もない。
空腹と水分は減っているが、身体は十分に動く。
今日、優先したいのは研究ではなかった。
建築と道具の材料。
特に、竹に似た植物。
中空で、軽く、丈夫な茎が見つかれば、使い道は多い。
水を運ぶ容器。
釣り竿。
槍。
配管。
屋根の骨組み。
現地素材だけで作れる物の幅が、一気に広がる。
私は太陽の位置を確認し、昨日までほとんど進んでいない東側へ向かった。
*
森を約五百メートル進むと、植物の種類が変わり始めた。
仮拠点αの周辺に多いねじれた幹が減り、細く真っすぐ伸びる植物が増える。
最初に見つけたものは、高さ四メートルほど。
節がある。
遠くから見れば、地球の竹に近い。
私は周囲を確認してから、マルチツールで表面を軽く押した。
硬い。
だが、刃を当てると繊維が見える。
一本を大きく曲げる。
折れない。
力を抜くと、元へ戻る。
内部は中空ではなかった。
細かな繊維が詰まり、全体が強くしなる。
竹ではない。
それでも、弓やバネの材料になりそうだった。
私は地面近くから二本だけ切り取った。
仮称、弾性茎。
採りすぎない。
耐久性も加工性も分からないうちから、持てるだけ持ち帰る必要はない。
さらに進む。
今度は、明らかに違う群生が見えた。
高さは六から七メートル。
太さは腕ほど。
節があり、表面は滑らか。
日光を受けると、わずかに青みを帯びて見える。
一本を軽く叩いた。
コン。
澄んだ音。
内部は空洞らしい。
「今度こそ、竹に近い」
マルチツールの刃を当てる。
切断しようと力を入れる。
刃が途中で止まった。
木よりはるかに硬い。
もう一度、角度を変える。
表面へ細い傷が付くだけ。
金属に近い音まで返ってくる。
生えているものを切り倒すのは難しい。
刃を傷める価値もない。
私は地面を探した。
倒木なら、加工せずに運べる可能性がある。
少し離れた場所に、折れた一本が横たわっていた。
自然に倒れたものらしい。
長さは二・五メートルほど。
持ち上げると、見た目より軽い。
折れ口は鋭く裂け、内部が空洞になっている。
使える。
私はそれを空洞竹と仮称した。
中を覗く。
節の一つに、透明な液体が少量溜まっていた。
無色。
匂いはない。
朝日に向けると、ほんのわずかに銀色へ輝いた。
飲まない。
捨てもしない。
竹の内部で作られた液体なのか。
雨水が溜まっただけなのか。
粒子や銀化に関係する物質なのか。
小さな容器へ移し、別の試料として保存する。
空洞竹一本だけでは、試作にしか使えない。
安定して入手できるか調べる必要がある。
私は周囲の地形と、竹の生え方を確認しながら、さらに奥へ進んだ。
*
群生している空洞竹は、すべて同じくらいの高さだった。
若いものが見当たらない。
地球の竹のように、地下茎から密集して生えているようにも見えない。
根元を調べると、一本ずつ独立している。
成長周期が長いのか。
この大きさになる時期が揃っているのか。
まだ分からない。
斜面で、さらに倒れた空洞竹を二本見つけた。
一本目と同じように自然に折れたように見えたが、幹には大きな噛み跡がある。
刃物で切った形ではない。
何か大型の生物がかじった。
この硬い植物を折れる顎を持つものがいる。
私は周囲を見回した。
新しい足跡はない。
鳴き声も聞こえない。
それでも、長く留まる場所ではない。
倒れた二本を回収する。
空洞竹は合計三本。
これ以上は運搬が難しくなる。
帰ろうとした時、群生の奥に一本だけ様子の違うものが見えた。
高さは同じ。
だが、節の間隔が半分ほどしかない。
表面には、細い銀色の筋が縦に走っている。
根元には青白い石がいくつか転がっていた。
私は近づこうとして、足を止めた。
腰の銀色の装置が震える。
画面が自動で点灯した。
《WARNING》
《HIGH ENERGY DENSITY》
高エネルギー密度。
私はその場から動かず、周囲を観察した。
通常の空洞竹には、小型の飛行生物が止まっている。
地面には小さな足跡もある。
しかし、銀色の筋を持つ一本の周囲には、生物がいない。
半径十メートルほど。
鳥型生物も近づかない。
四つ目の生物に似た掘り跡もない。
その一方で、植物だけは異常によく育っている。
根元の草は濃い青緑色。
葉も大きい。
川沿いの粒子が多い場所と同じ傾向だった。
仮称、銀節竹。
高エネルギー反応。
生物は避ける。
植物は育つ。
手に入れたいという理由だけで、警告範囲へ入るべきではない。
通常の空洞竹は、倒木を探せば確保できる。
今、銀節竹へ近づく必要はなかった。
私は踵を返した。
その時、風で空洞竹同士がぶつかった。
コン……コン……。
澄んだ音。
少し間を置いて、遠くの森から同じ音が返ってきた。
コン……。
さらに別の方向。
コン……コン……。
風で偶然ぶつかったにしては、間隔が整っている。
こちらの音へ応答しているようにも聞こえた。
私は正体を確かめなかった。
立ち止まらない。
走らない。
来た道を正確に戻る。
空洞竹三本を抱えて走れば、枝へ引っかかり、転ぶ。
焦るほど事故が増える。
音は追わない。
未知のものを知ることより、生きて帰る方を優先する。
*
帰り道でも、使える素材は拾った。
危険から逃げているからといって、周囲が見えなくなるほど急ぐ必要はない。
川沿いでは、硬く割れにくい石を六個選ぶ。
その中に、叩くと澄んだ音を出す平たい石が一枚あった。
作業台。
刃物を研ぐ台。
容器の蓋。
用途はいくつも考えられる。
蔓も見つけた。
これまで使っていたものより太い。
両手で引いても切れない。
乾燥させ、細く裂いて編めば、強いロープになる可能性がある。
五本採取。
倒木には、琥珀色の樹液が固まっていた。
触れると粘りがある。
接着剤として使えるかもしれない。
少量だけ布へ取る。
後方を一度確認する。
竹林は静かだった。
応答するような音も聞こえない。
何かが追ってくる様子もない。
それでも、戻って確かめには行かない。
仮拠点αへ帰ったのは午前十時二分。
四つ目の生物たちは普段どおり活動している。
危険が近づいている時のような、一斉退避もない。
私は木の上へ資材を引き上げた。
空洞竹三本。
弾性茎二本。
丈夫な蔓五本。
硬石。
平板石。
樹脂。
手元にある素材の種類が、一気に増えた。
これまでは、見つけた現象を調べるために道具を作っていた。
これからは、暮らすための道具を作れる。
最初に必要なのは、安定した食料確保。
透明魚を毎回V字の柵へ追い込む方法は、時間も体力も使う。
釣り竿があれば、湖岸から魚を狙える。
私は材料を一つずつ並べた。
*
竿には空洞竹。
二・五メートルの一本を、扱いやすい約二メートルへ調整する。
完全に切断するのは難しい。
自然に裂けた折れ口から、必要な長さの節を選ぶ。
端を石で磨き、鋭い繊維を落とす。
持ち上げる。
軽い。
曲げる。
十分にしなる。
魚が引いた時の力を受け止められそうだった。
糸には丈夫な蔓を使う。
そのままでは太すぎる。
縦方向へ裂く。
さらに細く分ける。
三本を撚り合わせる。
一本が切れても、すぐ全体が切れないようにする。
乾いた状態で引っ張る。
かなり強い。
水へ浸す。
少し伸びた。
長時間使えば、撚りが緩む可能性がある。
樹脂を薄く塗る方法も考えたが、硬くなりすぎれば、結び目が割れるかもしれない。
今はそのまま使い、使用後に乾かす。
問題は針だった。
金属はない。
石を削れば硬い針は作れるかもしれないが、細くすれば割れやすい。
私は空洞竹の裂けた繊維を一本取り、先端を石で削った。
火へ軽く近づけ、表面だけを硬くする。
鋭い。
だが、返しがない。
魚の口へ刺さっても、引いた時に外れやすい。
周囲から硬い植物の棘を探し、小さく切る。
竹製の針へ斜めに当て、樹脂で固定する。
乾燥させる。
形だけなら、釣り針になった。
空洞竹の竿。
撚り蔓の糸。
竹製針。
樹脂で付けた返し。
試作釣り竿、第一号。
いきなり魚へ使わない。
木の枝へ針を掛け、少しずつ力を加える。
軽く引く。
問題なし。
もう少し強く。
樹脂は耐えている。
さらに引く。
パキッ。
針が折れた。
竿は使える。
糸も、短時間なら耐えられる。
弱いのは針だけ。
試作は失敗ではない。
どこを変えればよいかが分かった。
私は折れた竹針を拾った。
視線の先には、布へ包んだ銀色殻がある。
縁に、非常に細く鋭い突起が並んでいる。
加工できれば、理想的な針になるかもしれない。
だが、銀色殻は一つしかない。
生体フィルターの部品であり、研究資料でもある。
魚一匹を釣るために削るべきものではなかった。
「ほかに、細くて曲がった素材……」
口へ出したところで、昨日食べた透明魚を思い出した。
骨。
*
最初に焼いた透明魚の骨は、湖畔の焚き火跡へまとめて置いてある。
捨てたわけではない。
しかし、回収していない。
私は試作竿を置き、湖へ向かった。
骨は残っていた。
大型生物に荒らされた形跡もない。
背骨。
肋骨。
細い骨。
湖水で洗い、布へ包んで拠点へ持ち帰る。
透明魚の骨は、乾燥すると乳白色になる。
地球の魚骨より半透明。
細い肋骨を指で曲げる。
しなる。
すぐには折れない。
一本を選び、火で軽く炙って乾燥させる。
平板石の上で慎重に削る。
先端を尖らせる。
反対側へ小さな切れ込みを作り、蔓糸を結べるようにする。
骨がもともと持つ湾曲を利用すれば、無理に曲げなくても針の形になる。
自然な先端を内側へ向ける。
返しはないが、竹針より深く曲がっている。
強度試験。
枝へ掛ける。
軽く引く。
耐える。
強く引く。
まだ耐える。
竹針なら折れた力を加えても、骨針はしなって力を逃がした。
実用になる可能性が高い。
試作釣り竿、第二号。
空洞竹の竿。
撚り蔓の糸。
透明魚の肋骨で作った針。
今の弱点は糸だけになった。
骨を削っている途中、中空の部分からごく微量の銀色粉が出た。
装置を近づける。
反応なし。
エネルギー源ではないようだ。
だが、透明魚の骨にも、この星特有の銀色物質が含まれている。
粒子のない湖で暮らす生物にも、銀色の成分がある。
川の粒子とは別のものか。
湖底で見た光と関係するのか。
記録だけ残す。
釣り竿が完成しても、魚が針へ寄らなければ意味はない。
餌が必要だ。
私は湖での出来事を思い返した。
赤紫果を扱っていた時、水面へ魚影が寄ってきた。
その時は、果実ではなく別のものを見ていると思っていた。
偶然だった可能性もある。
確かめる。
*
昼前の湖。
透明魚の群れは、昨日と同じように浅瀬と深場の間を泳いでいる。
私はすぐ針を入れなかった。
まず、餌だけの反応を見る。
赤紫果を小さく切り、一片を水へ落とす。
十秒。
変化なし。
二十秒。
小さな魚影が一つ近づく。
三十秒。
さらに二匹。
やがて五匹ほどが、果肉の周囲を回り始めた。
すぐには食べない。
近づく。
離れる。
また近づく。
一匹が果肉をつついた。
その瞬間、他の魚も一斉に寄った。
食べ始める。
赤紫果は、透明魚の餌になる。
次に、昨日加熱してジャム状になった果肉を少量落とす。
反応はさらに早かった。
五秒ほどで魚が集まり、群れ全体が夢中になって食べる。
加熱によって香りが強くなったためか。
柔らかくなり、食べやすくなったためか。
釣り餌には、加熱した赤紫果の方が向いている。
私は骨針へ、ジャム状の果肉を少し付けた。
外れないよう、針の湾曲部へ薄く押し込む。
静かに湖へ入れる。
三秒。
一匹が近づく。
五秒。
二匹。
八秒。
コツッ。
竿先が小さく震えた。
すぐには引かない。
魚が餌だけをつついた可能性がある。
もう一度。
コツッ。
糸が少し張る。
私はゆっくり竿を立てた。
水面が割れる。
透明魚が一匹、湖から跳ね上がった。
骨針が口へ掛かっている。
糸は切れない。
空洞竹は大きくしなり、魚の動きを受け止めた。
岸へ寄せる。
布で包む。
釣れた。
V字の柵を作らない。
水へ入らない。
一匹を追い込むために何度も失敗しない。
竿と餌があれば、湖岸から魚を確保できる。
安全な水。
火。
透明魚。
赤紫果。
釣り道具。
明日の食料を、今日のうちに見通せるようになった。
墜落直後の二食分しかなかった備蓄とは違う。
この星にあるものを使い、食料を得る仕組みができ始めている。
魚を針から外そうとした時、口の中に別のものが見えた。
赤紫果ではない。
直径二ミリほどの小さな粒。
青みを帯びた透明な球。
光へかざすと、内部が銀色にきらめく。
魚が湖底から飲み込んだ小石かもしれない。
食物の一部かもしれない。
私はマルチツールの先で取り出し、小さな布袋へ保管した。
*
昨日と同じ焚き火跡を使う。
湖水を新しく汲み、金属容器へ入れる。
透明魚は内臓を取り、骨を傷つけないよう丁寧に下処理する。
今は骨も資源だ。
湖水を沸騰させる。
青白い粒子なし。
沈殿なし。
湯気にも異常なし。
念のため、そのまま五分ほど沸騰を続ける。
変化はない。
少し冷まし、一口飲む。
体調に異常なし。
魚は弱火でじっくり焼く。
前回より、火からの距離を一定に保てた。
皮は均一に白くなり、焦げも少ない。
焼いた魚と煮沸した湖水を、体調を確認しながら食べる。
三十分後。
吐き気。
腹痛。
痺れ。
呼吸異常。
どれもない。
湖水は二回の煮沸と飲用。
透明魚は二回の加熱調理。
どちらも急性症状はない。
私は慎重に結論を書く。
現時点では、湖の水と透明魚を主要な水・食料源として利用できる。
その下へ、注意も加える。
長期的な影響は未確認。
定期的な体調観察を続けること。
安全と断定はしない。
ただ、生存のために利用できる可能性は、十分に高くなった。
食事を終え、魚の骨を洗っている時、先ほど口の中から見つけた小粒を思い出した。
煮沸して冷ました湖水へ入れる。
粒は底へ沈んだ。
浮かない。
光も強くならない。
何も起きないように見えた。
数秒後。
水面に細い波紋が広がった。
風はない。
容器にも触れていない。
波紋が消える。
約八秒。
再び同じ中心から、細い輪が広がる。
八秒。
また一度。
規則正しい。
生き物のように動くわけではない。
装置の警告もない。
それでも、完全に静止した石ではなかった。
私は時刻を測る。
七・九秒。
八・一秒。
八・〇秒。
ほぼ一定。
湖底で一瞬見た青い光。
魚の骨に含まれていた銀色粉。
魚の口の中にあった小粒。
粒子のない湖にも、川とは別の仕組みが存在する。
私は小さな球を水から取り出し、別の容器へ封じた。
今は調べすぎない。
魚の骨も一本ずつ洗い、すべて持ち帰る。
食べられない部分まで、次の道具になる。
この星で暮らすとは、見つけたものを消費することではない。
一つの命から食料を得て、残ったものを針へ変え、その針で次の食料を得る。
少しずつ、循環ができ始めていた。




