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彼の過去

 


 翌日。昨日はやけくそでだいぶ飲んじゃったけど、二日酔いは無事回避。

 朝起きてすぐにちょっと頭痛があったくらいで、たいしたことなかった。一安心。




 でも、問題は他にあった。


 あれから仕事にも身が入らなくて、ずっと上の空になってしまって。

 まるで魂が抜かれてしまったかのよう。


 それでもなんとか平静を装って、午前中はどうにか切り抜けた。

 今日はあともう半日、もう少し。


 でも……


「うわっ!」

 カシャン!と軽いものが落ちる音と共にゴロゴロゴロと四方八方に転がっていく小さな赤い実。


 とうとうやってしまった。

 カゴに入ったイチゴを移動させようとして、うっかり落としてしまった。

 極力気を付けてはいたけど……ああやっぱり、という気持ちもあった。


 よく熟れた柔らかい実はぐずぐずに潰れてしまい、もう売り物にはならない。

 カゴ一杯分、丸ごと駄目にしてしまった。


「そんな……イチゴが……」

「いいよいいよ。まだ他にたくさんあるからさ…….そんな事より、メイ大丈夫かい?朝から調子悪そうだけど……」

「いえ!全然大丈夫です!大丈、」

 潰れたイチゴを回収しようと伸ばした私の手。レベッカさんに強くがしっと掴まれて。

「駄目よ。その顔、なんだか疲れてるわ。今日はもう上がりなさい。最近忙しかったからね」

「レベッカさん……」

 優しさが身に染みる。ここの夫婦は本当に暖かい人達で……いくら感謝しても足りないくらい。


 そういえばと、小さな紙包みを渡される。

「クライドからさ。昨日のお詫びとかなんとか言ってたけど……」


 中身は小さな水色の花のイヤリング。

 水色と言ってもよくあるような青空の色じゃなくて、雪のようにほんのりグレーがかった薄い水色。

 私の好きな控えめで落ち着いた色味。


 これ、前から欲しかったやつだ。

 前に彼が店に来た時に私がちょろっと喋ってたのを覚えていてくれたんだ。

 アクセサリーなんて普段しない人だし、その実物を見た訳じゃないからどれだか分かんないだろうに、必死で探してくれんだろうな……


 それにお詫びだなんて……私だって昨日の態度謝らなきゃいけないくらいなのに、そんな。


 でも、嬉しい。

 欲しい物もらって嬉しいっていうのももちろんあるけど、それよりも。

 まさか、あんな何気なく言ったことを()()()()()()()()なんて……


 思わず顔がにやける。

 しまった、と思って焦ってレベッカさんの方を見ると……気づかれてない。セーフ。




 ふとここで我に返る。


 彼のプレゼントに大喜びしている自分がそこにいて。

 それは事実。幻でもないし、嘘でもない。




 ああ、やっぱり……


 もう駄目だった。

 私の心は彼に惹かれてきている。彼の中に引き込まれている。


 好みじゃないとあれほど思っていたのに、危ない男だと十分分かっていたのに。

 思い出すと、ほら。またこうやって鼓動が早くなって……




「めずらしいね、アイツがそんな可愛いのを買ってくるなんて……おや?」

 レベッカさんは私の顔を見てニヤリとした。しまった、と思って頬に手を当てたがもう遅い。


 ほんのりとそれは熱を持っていた。


「ああ……なるほど、なるほど。そういう事か」

 目を細め、ふふふっと笑う。まるで幼い子供を見守るかのように。


「そうか、そうか。アイツもようやく……か。なんだかこそばゆいね」

 『ようやく』……つまり、彼はそういった事に疎いタイプなんだろう。

 おそらく、今までずっと今までそういうのに無縁で生きてきた人。




「で、どうなんだい?」

 どうなのか。それはつまり私の事だ。

 なんとか詮索から逃れようとうまくはぐらかそうともしたけど、彼女を騙せるほど口はうまくなくて。


「ええっと……その、自分の気持ちがまだよく分からなくて」

 本当に好きなのか……もしそうだとしてもなんで?どうして?

 それが未だに分からない。


 レベッカさんの方をちらりと見ると、黙って目を伏せていた。

 私が全て吐き出すのを待っていてくれている。


「私がただ押されて流されてるだけじゃないかって」

 遊びの女でした、という結末はどうしても避けたくて。


「それに……お仕事の事といい、飲んでばかりのその性格といい……なんていうか、えっと、その……弊害が多すぎて」

 弊害ってなんだよ、って内心自分でツッコミを入れる。下手な洋画の吹き替えみたいな変な日本語。


 かといって、さすがに実の姉の目の前でそのまま正直に『飲んだくれの甲斐性無し』なんて言葉は出せなかった。といっても、彼女の場合うっかりそう言っても笑ってくれそうな雰囲気ではあったけど。


 でもそれこそが一番の悩みであり、一番の懸念事項だった。


 どれだけ愛されてたとしても……誰がどう見ても駄目な男。もし前の世界の友達がここにいたら全力で止められるレベル。

 やめときなよそんな男!って絶対言われるやつ。


 言われなくても分かる。これでも恋愛はそれなりにしてきた。経験豊富、とまではいかないにしても。

 彼は関わらない方がいい相手。こうやって引っかかってしまったからには逃げるが勝ち。


 それが正解だって知ってる。でも……




 何も言わずレベッカさんは私を連れて倉庫に。たまたま店の方に来ていたヴィルヘルムさんに店番は任せて。

 扉をしっかり閉め、お互い休憩用のテーブルに向かい合って座る。


 気を遣ってくれたのだろうけど、なんだかこうして改まるとどうにも言葉に詰まって。


 長い沈黙。


 脇に積み上げられた木箱の木目を目でひたすらなぞる。

 手のひらはじわじわと湿り、喉はカラカラ。




 しばらく待っててくれたレベッカさん。でも、私のもじもじとした態度になんとなく察してくれたようで。

 ふいにポツリと一言。

「アイツは、馬鹿だけど優しい男だよ」


 何の事かと目を丸くする私に、彼の生い立ちをゆっくり説明してくれた。




 父親は彼が産まれた頃に病死。姉弟は女手一つで育てられた。


 彼は家計を支えようと小さいころから町に働きに出ていた。職を選ばず、とにかくできることならなんでもやった。

 だから学校にも行けなかった。他の子供達が学校で勉強している頃、彼は大人と一緒に働いていた。

 大人になった今でも文字の読み書きや複雑な計算は苦手だそう。


「今でも毎年アタシの誕生日にプレゼントくれるんだ。なけなしの金を叩いてさ……そんな事するくらいなら、真面目に仕事しろって毎回言ってるんだけどね」

「仕事……定職にはついた事ないんですか?」

「職を転々としているんだがどれも長続きしなくてね。幼いころから家のために働きづめで……母は死んで、アタシは結婚して、それでいざ自分の人生に直面したら……やりたいこととか、自分の存在意義が見つからない。色々悩んでるんだろうよ、彼なりに」

「……」

「もともと酒は好きだったけど、あそこまで浴びるように飲むような奴じゃなかった。どうにも素面じゃいられないらしいね」


 そんな過去があったなんて。

 ただの酒飲みのだらしない人かと思ってた。




「でも、アイツは本気だよ」

「……?本気って?」

「メイに対して、さ。いきなりあれほど好きな酒を控えてまで貯金し始めたんだから」

「えっ……」

「このままの俺じゃ釣り合わないって、図書館に通って猛勉強し始めたくらいだ。それに、あれほど無頓着だった見た目にも気を使うようになった……アタシが散々言っても、めんどくさがって聞く耳持たなかったくせにさ」

「でも、私の中身なんてわかってないのにそんなに好きなんて……」

「アイツの肩を持つわけじゃないが……まぁ一目惚れなんだろうよ」

「……」

「初めての恋、それも一目惚れで……運命の恋だと思って奴は必死なのさ」


 確かにそうとも取れる、いや……長年一緒に育った彼女がそう言うんだから多分そうなんだろう。




 なんだか純粋というか、まっすぐ過ぎて子供の恋のよう。

 でもそんな正直なところは彼らしくもあって。


 なんだ、そっか。

 絡んでいた糸がするすると解けていくような感覚。気持ちがすっと軽くなっていく。


 彼の言動に嘘はなかった。悪意だってなかった。


 頭の中で描いていたイメージが書き換えられていく……下心のありそうな何やら怪しい男から、溢れる好意のまま突進してくる大型犬に。


 何してたんだろう、私。変に斜に構えて……勝手に勘繰って、無駄に警戒して。

 真実はこんなに単純だったのに。




「……まぁ、無理に付き合ってやれとは言わないけどね。どちらにせよ、アタシは応援してるよ。頑張りな」

 そう言って、レベッカさんは窓の外を何気なくちらっと見た。


 しまった!だいぶ話し込んじゃった……!

 別にわざとじゃないし無意識なんだろうけど、彼女のその視線の動きは私には退屈そうに見えて。

 忙しいのに、長々とこんな話に付き合わせてしまった。なんだか申し訳ない。


 そろそろ切り上げないと。

 レベッカさんにお礼を言って、私はさっさと仕事に戻った。



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