やけ酒
婚約者に選ばれなかった。
本当ならそこでゲームオーバーのはずなのに、この世界は今もまだ普通に続いていて。
やっぱりこれは現実なんだなって、改めて感じさせられた。
ゲームオーバーから、かれこれもう一週間たった。
いきなり話を飛ばすなと言われそうだけど、話にできる事が何もないってくらい、あれから本当になんにもなかった。
いつも通り朝から働いて、いつも通り終わる。そしてまた次の朝が来て……の繰り返し。
もちろん、変わらず町娘のまま。王子の婚約者でもなければ宮廷の誰かの恋人でもない。
そんな中……今日は朝一で、ある貴族の男がこの店に訪れてきた。その恋人らしき女性を連れて。
この地域を観光しに来たらしい。要はデート。
さっきまでその対応に追われてたんだけど……その人もまたイケメンだった。残念ながらやっぱり。
全てを拒絶するような硬いオーラにキツい物言い、刺すように冷たい氷の眼差し。
でも、恋人の方を見る時だけほんの一瞬わずかに緩んだのが見えて。
ゲームの彼と全く同じ、たまにしか見れないあの微笑みだった。
常に穏やかな王子とは正反対の、でもとても優しい人。
お忍びだからと結局最後まで名乗ってくれなかったし、私もあえて聞かなかったけど……その名前は知ってる。
ゲーム内で散々見た、あの名前。
でもここで自分で言ってしまったら、また色々思い出して苦しくなるのが目に見えてるから。言わない。
おそらくもう二度と会わない相手、だから記憶は永遠に封印しておくんだ。
まだゲームオーバーを根に持ってるのかと言われたら、その通り。
そう簡単に忘れられるわけもなく。
いつも何かと脳裏にチラついて、その度に胸の奥がずーんと重くなる。
それでも今は前よりだいぶマシになった方なんだけど……
王子に次いで二人目の『攻略対象』……いや、今じゃ『攻略対象だった人』。
去り際にご丁寧に『なかなかいい店だから、他の者にも勧めておこう』とまで言ってたから……おそらく『他の者』もまたそのうち来るんだろう。
他の者、つまり……この流れだと攻略対象だった彼ら全員来る、たぶんそうだ。
攻略対象は全部で五人いたから……王子、クール系ときて、次は熱血系か可愛い系あたり来るかな。
意外に根暗系のあの人が先だったりして……いや、でもあえての……
……ってなんなのさ、今更!私に対する嫌がらせかなんかか!
こんな状況じゃなきゃ、そりゃ大喜びだった。
そうだけど、でも今は違う。
そんなどんどん来られたって、もう私は宮廷へは行けない。
もうこの先ずっと、庶民として生きていくしかない。
だから……もう諦めてたのに。なのに。
なによもう……!今さら何なの……!
かあっと熱くなった目頭。指で押さえるも隙間から雫がこぼれ落ちて。
ようやくやっと忘れられそうだったのに。やっと事実を受け入れられるようになってきたのに。
全部、時間が解決してくれそうだったのに。
せっかく治りかけの傷口を、またえぐって……
弱り目に祟り目。終わったと思ったらまた不幸が来て。
神様の仕業だとしたらよっぽどその性格が悪いのか、何か大きな罰を与えようとしてるのか。
なんなの……ほんと、なんなの……
私、前の世界でなんかしたっけ?そんなとんでもない極悪人だったっけ?
それとも何か道を間違えた?こっちじゃないって言ってるの?
私に何か気付けって言ってる?
…………
あ~っ!もう!
もう、やってらんない!
もういい!飲もう、飲も飲も!
こういうのは忘れるのが一番……頭から消そう、記憶から全部抹消だ!うん、そうしよう!
とはいえもちろん節度は守って、だけどね。あの人とは違うんだから。
そんな勢いで、仕事終わるなりダッシュで酒場に。
薄暗い雰囲気になんだか少し気持ちが落ち着く。
店内は今日も大繁盛で相変わらずのどんちゃん騒ぎだけど、今日はなぜか全然耳に入ってこなかった。
グラスに映る自分を見つめると、顔色は悪いし眉間に皺が寄っている。下がった眉にじんわり潤む瞳。
今にも泣きだしそうな不細工で情けない顔だった。
見てられなくてぐいっと一気に煽る。
あっさりと空になったグラス。それを意味もなく手元でくるくる回しながらぼんやりしていると、どこかから聞き覚えの有るあのハスキーボイスが聞こえてきた。なんともタイミングが悪い。
「いつもので~!」
どうやらここの常連らしい。ジョッキを受け取ると、私がいるのに気づいていそいそと近づいてきた。やたらとニコニコ笑いながら。
最悪だ。ただでさえ気が滅入っているというのに……隣にこの男がくるなんて。
私は相当嫌そうな顔をしていただろうけど、ご機嫌な彼には全く見えていなかった。
「……久しぶりらなぁ、メイ」
うっ、となって顔を背ける。うわ酒臭っ。
どこかで飲んできたのか、もうすでに呂律が怪しくなっている。
「どうした?そんな顔してぇ」
「いや……ちょっと考え事してて」
「悩み事かぁ?」
「ええ、あなたの酒臭さに参ってるの」
大して面白い返しでもないのに、手を叩き腹を抱えて笑う彼。
店で搬入作業してた時とはまるで別人のよう。どうやら笑い上戸らしい。
なかなか出来上がっちゃってるみたいだ……やだなぁ。もう早速絡まれてるし。
「なんだ、聞こうかぁ?吐き出したほうが楽なことらってあるぜぇ?」
「……」
「なんだなんだぁ、悩みは?なんなら俺、お悩み相談室するぜ?あははは!」
酔っ払いに相談。
なかなか新鮮なシチュエーションだけど……その方が逆に今はありがたいかもしれない、全部笑ってごまかせそうで。
せっかくだし心の内を少し聞いてもらおうかな。
とはいえ、そもそも相手は一連の災難のきっかけをつくった張本人な訳なんだけど……
……だぁ~っ!もう!
もういい、もういい!やけくそだぁぁ!
私もなんだかんだ結構酔ってきているのかもしれなかった。
そして、酔っ払いによるお悩み相談室が開講。
相談といっても、案の定何を言っても相手は馬鹿笑いするだけで何の実りもないけど、それがかえって色々言いやすくて。抑え込んでた私の感情をするすると引き出してくれた。
しかしその代わり、段々と気持ちが入っていって口調がきつくなる私。
そんなつもりは無かった。全く無かった。
でも暴走し始めた感情は、もう止められなくなっていった。
「……だから、あのイベントが無くちゃ駄目だったの!王子と結婚して幸せになるつもりだったのに!」
私のそんな大声の八つ当たりも、周りの騒音が誤魔化してくれて。聞こえるのは二人だけ。
「なのに……予定が狂って!」
もう何杯目だか分からないグラスをまた一気に空けて、ガンッ!とカウンターに叩き付ける。
勢いが強すぎて、あっしまった!と思ったけど割れてはいなかった。意外と頑丈なもののようだ。
ふと見ると、あれほど楽しそうだった彼の顔からは笑顔が消え、すっかり大人しくなっていた。
「ふん、どうしたの?愚痴ばっかり聞いて酔いが醒めた?でも、聞きたいって言ったのはあなたよ」
口から出るのはとげとげしい物言い。いつもなら言わないようなことも今はポンポン出てくる。
「イベント無くなったのも、そもそもあなたのせいなんだから」
「俺のせい……」
「ええそうよ。予想外もいいところ、全部駄目になってしまった」
「……」
「あの日まで頑張って努力してきたつもりなのに……全部水の泡、希望はそこで潰えた。もう私の人生なんて終わったも同然」
「なぁ、」
「何よ?」
彼は椅子をこちらに近づけ、体を寄せてきて。
何事かと身構える私に、やけに熱を帯びた低音で一言。
「俺じゃ駄目か?」
「……っ!」
いつものカスカスに枯れた声は今日は変に色っぽく聞こえた。
狙っているのかってくらい、甘い声。
じんわりと体の髄まで染み渡るような優しい刺激。
そのまま溶かされてしまいそうな心を奮い立たせ、近づいてくる彼の体をなんとか押し戻し、話をこちらのペースに戻す。
「……何よ、いきなり。あの時の罪滅ぼしでもするつもり?」
「いや……」
「じゃあ何よ」
「俺は……お前が求めてるような男にはなれないのか?」
じっと私を見ながらそう言う、酔っぱらった顔とは違う真剣な顔。
窓からの月光にぼんやり照らされた、どこか切なさをはらんだ艶のある表情。
こうしてまじまじと見ると、今日はなんだか違和感があった。
汚らしい見た目は相変わらずだけど、雰囲気がなんとなく違う気がして。
前はお気楽そうなぽやーっとした雰囲気だったのに、今日は顔つきがしっかりしているように見えた。
……なんて。相当酔ってるのかも私。
騙されちゃいけない、なんて言ったって相手は一度『事故』を起こした張本人なんだから……
「な、何……言ってんのよ……」
でも、そう思いながらも実際に口から出た私の声は、ひどく動揺し震えていて。
「その、俺は……お前が……」
彼は手を伸ばすと、ぐいっと私を引き寄せる。
何かを言おうと口をわずかに開きながら近づいてきて。
かあっと熱くなる私の体。これから先に起こるであろう事を予知した胸が鼓動を早める。
あの時を思い出す。同じ光景。
そういえばあの日もこんな夜更けだった……
でも。
……でも、駄目。受け入れる訳にはいかない。
今はただ酔ってるだけなんだから。
これはきっと、自分の言葉じゃないから。
この流れはまずい。
このままじゃ、またこの空気に飲み込まれてしまう。流されてしまう。
「馬鹿にしないで……っ!」
精一杯の虚勢。声を振り絞って。
思い切り彼を突き飛ばし、席を立つ。
「それに!私は『お前』じゃない!ちゃんとした名前あるし!」
ただの当て付けをもっともらしく大声で言い放つ。
それでも彼に対する精一杯の牽制のつもりだった。来ないで、の意思表示。
ふと思い出した。あの時もこうだった。
世間話していくうちになんとなく打ち解けていって。
重大なイベントを前に緊張して不安な気持ちを打ち明けて、それを彼は静かに聞いてくれて。
それで、ああなって……
今日はあの日みたいになんてならないんだから。
ガタンと大きな音を立てて椅子から立ち上がる。
彼はびくっと体を震わせ、ゆっくりと体を引っ込めた。
彼の方には一切振り向かずにさっさと会計を済ませ、衝動のまま私はスタスタと店を出ていった。
帰り道、途中でなんとなく後ろを振り返るも彼はついて来ていなかった。
だからといって別になんでもないんだけど。追いかけてくる事を期待してた訳じゃない……多分。
ぼんやりしながら歩いていると、脳裏にさっきまでの出来事が浮かび上がってくる。
お前が、の先の言葉。
言わなくても、もうなんとなく雰囲気で分かってしまった。
でも……それを素直に喜んでいいのか。
考えとは裏腹に、思い出すとまた高鳴る胸。かあっと熱くなる体。
頭と体がまるで別の人間のようで。
実際、気持ちのまま動きそうになる体を理性でなんとかギリギリ止めている状態だから、ある意味本当に別人格なのかもしれない。
でも、これはきっと気の迷いだ。それがきっと真実。
危ないところを助けてもらって、好きになった気がしてるだけ。
彼を好きになる要素なんて他に何も無いんだから。一体どこに惚れたって言うのよ、私。
あんな飲んだくれで甲斐性無し……まだ知らないだけでもっと色々他にも問題があるかもしれないし。
そんなろくでもない男が気になるなんて……何してんだろ、私。
お酒はあんまり強くないから、いつも飲むと頭がぼーっとしてしまう。
でも今日は特にひどい。脳の中で情報が錯綜している。
こんなに頭が混乱したのは初めてだ。
酔っているから?……きっとそうだ。




