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飲んだくれに助けられ

 


 次の朝、仕事に戻りいつもの生活が再び始まった。


 身寄りのない孤児という設定の主人公……もとい私は町の小さな果物屋で働いていて、その建物の一室に居候させてもらっている。


 店主はヴィルヘルムさん。

 熊のような大柄な男性で、基本的に無口だけどとても優しい人。


 なにせ私はこの世界に来た時、ゲームの主人公としてただ町娘というところまでしか設定が作られておらず、家族も家も無くて。

 泣き出したいくらいひどい状況だった。本当に何も無く、知り合いや仲間は全くおらず……


 そんな不安でいっぱいだったところに声をかけてくれてくれたのが彼、ヴィルヘルムさん。

 素性の知れない私に町について教えてくれて、さらに部屋を貸そうとまで言ってくれた……まさに命の恩人。感謝してもしきれないくらいだ。


 こうして今ここで必死に働いているのも、生活費云々よりもまず彼に恩返ししたいから。少しでも彼とその家族に返したいからだ。


 そんな彼は主に商品の仕入れが担当で、だいたいいつも市場に行っていて店にはいないことが多い。


 いつも店を取り仕切っているのはその奥さんの、レベッカさん。

 寡黙な旦那さんとは正反対で、よく喋るハキハキとした姉御肌の女性。

 まだ幼い娘が二人いて、よく店内ではしゃぎ回ってはレベッカさんに怒られている。




 入荷した果物を店頭に並べ終わると、店の入り口に掛かっている看板をひっくり返して[Open]に。


 レベッカさんはちょっと倉庫に用があるらしかった。

 だから、戻るまでしばらく店番は私一人。


 よ〜し、やるぞ~!




 張り切っていると、早速お客さんが一人。

 パッと見どこにでもいそうな普通のおじさん。リンゴの棚の前で立ち止まりしばらく吟味した後、一つ買って店を出ていった。


 無事接客できたと思って気を緩めていたら……またしばらくして戻ってきた。

 一瞬違う人かと思ったけど、買ったばかりのリンゴを持っていて。


 でも、同じ人のはずなのに周りを威嚇するようなドスドスという足音に、きつく睨みつけるような怖い目つき。なんだか様子が変だった。


 なんだか異様な雰囲気に驚いていると、突然話しかけてきて、無茶な値切りをし始めた。

 大きな傷があるから返金しろ!と、リンゴを指差しながら声を荒立てて。


 実はさっき、窓の向こうで買ったばかりのリンゴに何やらごそごそ細工をしているのが見えていた。だからおそらくそういう手口なんだろう。

 手慣れた動きから見るに、常習犯のようだ。


 勢いよく大声で凄まれて、本当は怖くてしょうがなかった。

 でも今、店の中にはその男と二人きり。レベッカさんは奥の倉庫でまだ作業中。遠くて声が届かない。


「おい!この傷が見えねえってのか?!」

「ですが、お客様……」


 恐怖で怯える心を抑え、あくまで冷静に……これ以上興奮させないように……

 心臓はバクバク言っている。


 もういっそ、言われた通り返金して……いや、お金を出そうと引き出しを開けた時点で横取りされるかもしれない。


 それで、しまっておいた売上全部持ってかれたりなんてしたら……できればそれは避けたい。


 誰か助けて……!お願い、誰か……!


 そんな願いも虚しく、ただ時間だけが過ぎていく。




 長い睨み合いの末、痺れを切らした男はどこからかナイフを取り出して私の胸元に突きつけた。

 放り出されたリンゴが床をごろごろと転がっていく音が店に響く。


「おめぇよぉ!無駄に抵抗しやがって!死にてぇのか?!ああ?!」

「ひっ……!」


 ギラギラと光る刃先が胸の前スレスレをなぞって往復する。

 蛇に睨まれた蛙のよう。全く身動きが取れない。


 狂ったように鳴り響く鼓動。走った後のように吸っても吸っても呼吸が苦しい。


 怖いし、死にたくない。

 それでも引き出しは開けなかった。どうしても開けたくなかった。


「まだ抵抗する気か!じゃあ、お望み通り逝かせてやるよ!」


 ぎゅっときつく目をつぶる。

 これで私は終わるんだ。またこんな中途半端な人生の途中で、でもここで終わるんだ……


 まさに胸に刃が突き立てられる、その瞬間。




 ドンッと何か重いもの同士が衝突する音と共に、カランカランと軽い何かが私の足元に落ちた。




 えっ?ナイフが……落ちた……?


 刺されたはずなのに、あれ?

 痛くない……なんで?


 不思議に思って恐る恐る目を開けると、目の前にいたはずのあの男は少し離れたところに倒れていて。


 逆に今の目の前にはさっきとは別の男が立っていた。




 見覚えがある。忘れもしない、あの人。

 ほんのり酒臭い、私の大事なものを奪った、あの……


 あの男の仲間かと一瞬身構えてしまったけど、その雰囲気からしてどうやら私を守ってくれているようで。


 でもまさか、また会うなんて……しかもこんな時に。うわぁ……

 せっかく思い出さないようにしてたのに、嫌な感情がじわじわと蘇ってきて……ぞぞぞと背中が冷たくなっていく。




 とはいえ、今はそうも言ってられないんだった。まずは目の前の危機に集中しないと。


「危ねぇから、下がってな」と掠れた低い声。

 言われるがまま、彼の後ろに回り体を小さくする。


 なんとか立ち上がりよろめきながらも体勢を立て直し、反撃の機会を窺う男と、次に備えて身構える目の前の彼。


 お互い体一つの状態ゆえに、下手にかわされたり体を取られたりしたら相手に反撃のチャンスを与えてしまう。

 さっきは不意打ちだったけど、もう警戒されてる以上勢いで押すわけにもいかず。


 獲物を狙う獣のようにお互いじっと静かに、そして慎重にタイミングを見ていて……


 緊迫した空気に思わず唾を飲み込む。




 先に動いたのは、男の方だった。ダンッという音と共に地面を強く蹴ってこちらに突っ込んできた。

 拳をキツく固め全速力でこちらに向かってくる男に、彼も真っ向から反撃する風を装って駆け寄ったが、さらりと斜め下に懐に滑り込むようにかわして。


 そして彼の目の前に現れた……予想外の動きに怯んでノーガードの、男の脇腹。

 すかさず力を込めた拳を打ち込む。


「んぐげっ……!」


 蛙の潰れたような声を漏らす男。下方からの強い衝撃でその体はふわりと一瞬だけ浮き上がり、すぐに重力に引かれて落ちた。

 それでも起きあがろうと床の上でしばらくもがいていたが、腕を伸ばしたままがくんと意識を失った。


 ここまでたった一瞬の出来事だ。あっという間だった。

 流れるような綺麗な動きに思わず見入ってしまい、呼吸を忘れてしまった。


 まさか素手で倒すなんて。

 その動きはとても同じ人間とは思えないほど野生的で、動物的で。




「よし、もう大丈夫だ」

 彼はそう言うとゆっくりと振り向き、にっと笑った。


 汚らしい格好に見合わない爽やかな笑顔に、うっかりドキッとしてしまって。思わず目をそらす。


 その見た目と行動のギャップに私の頭は混乱していた。


 伸び放題だった無精ひげはあの後剃ったようで、精悍な顔立ちが露わになっていた。この世界は西洋風だから多分彼も西洋人なんだろう。鼻筋が高く顔の彫りもはっきりしている。

 皺が多いせいでなんとなく貫禄があるように見えるけど、さっきの活発な動きぶりから多分そんなに歳はいってない気がする。

 それに、なんだか昨日会った時より表情がさっぱりとしていてだいぶ若く見えた。素面だからかな?


 背が高く体格のいい体。その浅黒い肌はゴツゴツしてて傷やら土汚れやらがついている。


 前と変わらずボロボロの布……もとい服を着ていて。

 ちらりと隙間から覗く、わざとらしくない健康的な体の筋。思わず目が行ってしまう。

 前の世界にいたような筋トレでわざと作ったようなものではなく、毎日労働で体を使っているがゆえのとても自然なもの。きちんと使い込まれている体。




 そんな彼を前にして、私はなんだかおかしくなっていて。

 けたたましい鼓動と顔の火照り。


 いやいやいや、待って待って!待って私!違うってば!

 これは王子とかイケメンを前にした時のリアクションであって……!


 いくらなんでも、さすがにあれはない!

 ありえないから……!違うんだってば!


 でもなんだか変にドキドキしてて……まさか、つり橋効果とかそういうやつ?

 いやいやいやいや!だとしても違う!絶対違うから!


 と、と、ともかく!きっとこれは気のせい!勘違い!

 勘違いよ、こんなの……!




 ふと彼がこちらをちらりと横目で見た。


 心の内がバレたんじゃないかって焦ったけど、視線はその一瞬だけで、すぐにまたどこかを向いた。

 よかった、気づかれてはいないみたい。


 ともかく、とっとと早くこの変な感じを覚まさないと。

 別にそういう気持ちはないんだから……顔赤らめてるなんて、勘違いされちゃう。




 急いで意識を逸らす。


 思い出すんだ、私……そう、なんといったってあの人は。

 ボロボロの格好で汚らしくて、全体的にむさ苦しくて、酒臭くて……えっと、あと……


 ……ほら、全然ドキドキなんてしなくなった。

 よし、大丈夫。大丈夫。




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