シナリオの崩壊
翌朝になっても唇にはまだあの感覚が残っていた。起きるなり慌てて水で念入りに洗い流す。
昨日も帰って速攻洗ったけどなんか残ってる感じがして。
うげぇ、気持ちわる〜。気分は未だに最悪。
あ~あ、私のファーストキス……
初めては好きな人がよかった。
というか、そういうものだと思っていた。
あんな騒々しい大衆酒場で、それも小汚い男に……雰囲気も何もあったもんじゃない。
ほんと最悪……はぁ。
なんであんなところ行っちゃったんだろう私……いや眠れなかったからなんだけど、それでも。
それに、どうしてあの人は私なんか狙ったんだろう。
他にも女の人いたのに。遊ぶんだったら、もっと派手な格好の夜の仕事っぽい人だって、いっぱいあの場にいたのに。
地味すぎて逆に目立っちゃってた?
大人しい人って断るの苦手そうだからって、わざと狙ってたとか?
あ〜あ。なんで私、よりによってあんな場所行っちゃったんだか。
あのままベッドにいればよかったのに……
なんで……
どうして……
同じ内容をずっと、ぐるぐるぐるぐる。無限ループ。
無意味だと分かっていながらも、私の脳みそは納得できる理由を延々と探していた。
そうこうしているうちにも時間は無情に過ぎて行く。待ってはくれない。
とうとう結局何の納得も解決もできないまま……来てしまった、運命の時。
気を取り直し、いざ用意した格好で町に出る。
曇る心の内を反映して下がりっぱなしの口角を無理矢理ぐいっと上げて、なんとか明るい表情を作って。何事もなかったかのように装う。
シナリオとしては、花屋の前でふと足を止めた主人公……つまり私が王子とすれ違って、そこで話しかけられるはず。
準備は万端。さぁ、こいっ!
ドキドキしながらその場所で待つ。緊張と焦りで落ち着かない内心を隠しながら。
ゲームとしてやっていた頃はポリポリお菓子とかつまみながらのんびり見ていられたこのシーン、現実だとこうも緊張するなんて。
王子が来るんだからあくまでお淑やかに、と自分に念じてなんとか淑女を演じようとしてるけど……どうにもそわそわしちゃって駄目。
手を揉んだり、指を絡ませては解いたり。落ち着かない。
何か別の事考えよう。別の事に意識を……う〜ん。
そういや、王子ってリアルだとどんな感じだろ?
見た目はもちろんだけど、彼の生の声なんて聞いたら……耳が蕩けるどころじゃない、なんかもう腰が砕けちゃったりして……!
えっそしたら、それはそれで救護とか言って城に連れていってもらえたり?!ひゃ~っ!
あっ!もしかしてお付きの人までイケメンだったりして……!
王子と貴族達、そして使用人達との複雑な関係が始まっちゃったり?!
えっ待って!待って待って!いきなりそんなの始まっちゃったら、心の準備が……!
時間がありすぎて、頭の中に広がり始める妄想ワールド。
人間暇だとろくなことを考えない、とはまさにこの事……
そうしてどうにか大人しく時間を潰す方法を見つけたのはいいものの、待てど暮らせど一向に王子が現れる気配はなかった。
それでも待った。憧れのキラキラした世界がその先にあると信じて……
そんなこんなで朝から長々待ち続け、そして今。
綺麗なオレンジ色の夕日が静かに沈んでいった。
ううう……そろそろさすがにしんどい……
気温が下がり少し肌寒くなってきた中、お腹が鳴りそうなのを必死で堪えていて。お昼抜きでずっと待ってるから……
ずっと立っててそろそろ椅子にも座りたいし、慣れない高いヒールに足は痛いし。
花屋の店員さんにもめちゃくちゃ不審がられてるし……なんかごめんなさい。後でこっそりお花買います……
か、帰りたい……めっちゃ今すぐ帰りたい……!
でも、肝心の王子は来ないし……!どうなってんのさ!
ここまで待ってて来ないなんて。
さすがに違和感というか、なんかおかしいっていうか……
でも、カレンダーはちゃんと見た。確かに今日がその日のはずだった。
えっまさかバグ?そんなのって、あり?
元はゲームだけど、今のこの世界は私にとって現実で……壊れるなんてことある?
あるいはイベント失敗とか?
いや、でも失敗なら失敗ってなってゲームがそこで終わるはず。
ふっと画面が変わって、一からやり直しか課金アイテム使うか聞かれて……
まさか……昨日のキスのせい?
……いや、いやいやいや!ないないないない!絶対ない!
そんなまさか……まさか、ね?
まさかと思いたかった。でも、なんとなく心当たりはあって。
このずっと後、王子にファーストキスを奪われるシーンがある。
綺麗なイベント背景の付いた……序盤の最大の見せ場。
もしかして、あの時キスされたせいで……キスを先取りされたせいで……流れが前後しちゃって、シナリオが壊れたって事?
いや、でも。そんなまさか……
「……あの!」
突然、通りすがりの男に声をかけられた。
それは綺麗な優しい声色なんかじゃなくて、耳障りなガサガサの酒焼け声。
「昨日は勢いで……その、すまなかった……!」
昨日のおじさん……いや、雰囲気からしてもうちょっと若い?お兄さん?
その見た目は……なんていうかよく言えばワイルド、そのまま率直に言うならならず者。
山賊とか盗賊とかそういう感じの雰囲気。
実は、昨日は暗かったし酔ってたから本当はもっとましな格好だったかも……なんて、自分の中で期待してる気持ちがまだ少しあったんだけど……見事に期待は打ち砕かれてしまった。
ひ〜!やっぱり何度見ても無理!無理なもんは無理……!
伸び放題の無精髭に囲まれた汚い顔、寝癖か癖っ毛なのか分からないボサボサの短い金髪、日焼けしてる上にひどく汚れていて地黒なのか土埃なのか分からない浅黒い肌。
年季の入ったボロボロのズボンにブーツ、上半身には所々破れてる薄汚い布きれ……ぐしゃぐしゃで原形を留めていないけど多分服、を巻き付けて。
土だか草だかよく分からない匂いと酒臭さが混じっていて、鼻がおかしくなりそう。
ありかなしかでいったら完全になし、間違いなくなしの部類。
私が好きなのは、王子みたいな顔が良くて細身で柔らかい雰囲気の人だし……
ほんとに無理。とてもじゃないけど無理すぎる……こんなのに唇を奪われたなんて。
王子に会えなかった事も結構ショックだったけど、今この瞬間はその事が頭から綺麗さっぱり消えてしまった。
こっちの衝撃があまりに強すぎて……
あまりに突然でうまく返す言葉が思いつかないでいると、彼は本当にすまなかった!とはっきり大音量でもう一度言った。
私を見るその目は強くまっすぐで。どうやらその言葉は本心らしい。
こうやって素直に謝れるような人で、別に全然悪い人とかじゃないんだろうけど……
けど。けどなぁ……
その後も必死に謝り続ける彼。その声量が大きいせいでなんだなんだと野次馬がぞろぞろ集まってきて。
私は思わず小声で大丈夫です、と答えてそそくさと足早に離れてしまった。
もちろん、全然大丈夫じゃない。
そりゃあ、そんなに真剣に謝ってくれるのはありがたいけど……どこの誰だか、あなたのせいで全部パーなんだから。
嫌な性格なのは重々承知。
でも、人生でたった一回の大事なものを奪われたっていうのに、ちょっと謝られたくらいではいそうですかとあっさり許せる訳もなく。
私は聖女でも天使でもなんでもない。ただの普通の人間。
とはいえ、周りが気になって結局何も言えず。逃げてきてしまった。
だってこんな小さな町で騒ぎなんて起こしたら、あっという間に町中に噂が広まって……
勢いのまま戻ってきた、自分の部屋。窓の外は完全に真っ暗。
一日中必死に待ったけど、結局王子には会えなかった。
着替えもせずに、へなへなとそのまま床にへたり込む。
そんな。そんな、嘘でしょ……
せっかくの機会が……貴重なイベントが……消えたなんて。
序盤のこんな下町で、周りにいるのはイケメンなんて程遠い男ばかり。
彼みたいなむさい男か、盗賊とかそういった犯罪者か……ろくなのがいない。
期待してた貴族のイケメンなんて、今のこの状態からじゃまるで雲の上の人。
ゲームだとあれほど頻繁に会ってたのに、この町じゃその名前すらめったに聞けない。手が届かないなんて次元じゃなくて、まるでもう別世界の存在。
私はそんな町娘の状態のまま、このまま生きていくしかなくなった。
そう、全ては……シナリオが狂って、彼らのいる宮廷へ行けるせっかくの貴重なチャンスが消えてしまったから。
そのせいでイケメン達との交流の一切が綺麗さっぱり消えてしまった。
転生してすぐの頃はイケメンと楽しく過ごせる!やった~!ってあれほど喜んでたのに。
まさか、こんな事になるなんて……
かといって、もうすでに一度死んだ身。元いた世界には戻れない。
ゲームみたいに強制終了もリセットもできない。
八方塞がり。手詰まり。どうしようもない。
詰んだ。完全に詰んでしまった……
もういいや、もう恋愛とかそういうの考えずに平和に生きよう。そうしよう。
もうこのまま独り身でいいや。うん。
どうしようもないんだもん、諦めないと……
……はぁ。ため息しか出ない。




