Ep.12 <暴食>の精霊 前編
12-1
彼の姿がぼやけて見え、イヴは口を覆った。
「すみません……こんなことに巻き込んでしまって……」
「だから、謝るなって言っただろ。似合わないぞ」
「だって……貴方、彼と戦ったら絶対、傷だらけに……!」
「それは違うな」
鋭く、強く、絶対に認めない声で、真來は言った。
「俺の相棒は世界一だ。俺は絶対に傷ついたりはしない。それに」
「……それに?」
「お前はもう、傷だらけだ」
真來の背中から、静かに燃える炎のような、冷たい怒りが伝わってくる。
彼の怒りが、踏みにじられたイヴの心を包み込んだ。
ほんの少しだけ、痛みが和らいだ気がした。
平静を取り戻し、イヴは傷ついたオーディーンを抱き上げ、きっと顔を上げる。
「……シンライ、状況を理解していないのかな?」
真來と白夜の向こうでは、ファルシアが困惑の色を見せていた。
「よく聞いてくれ、シンライ。<精霊の天敵>の正体はイヴだったんだ。僕は風紀委員長として、彼女を捕縛しなければ──」
「やれやれ。下手な芝居でも、もう少し良い脚本は書けると思うぞ、風紀委員長さま?」
僅かに、ファルシアの体が浮ついた。
……動揺している。
これを、真來は見逃さなかった。
「確か、お前はイヴの部屋にある霊晶は『<精霊の天敵>が消したもの』としてイヴのところへ行ったんだよな?」
「……そういうことになるね」
「つまり、その証拠はまだ不完全な訳だ。<精霊の天敵>はイヴじゃない」
微かに震える声で、ファルシアは反論した。
「でも、こうして彼女は僕の放った囮の精霊に食いついたんだ。彼女の部屋から発見された霊晶も、こうなった以上は<精霊の天敵>のものだと考えて当然──」
「言い忘れてたが、あといくつか、こっちには証拠があるんだ。お前の言い訳なんざ無力になっちまう、悪魔の証拠がな」
そう言って、真來はデバイスを操作した。
そして、音声データが再生される。
『恨むなら、この魔触の年を恨むんだね。君と僕が、偶然にも会ってしまったことを』
『彼には、君が僕の正体だと伝えた。直にここに到着するだろうね』
それは、つい先刻、ファルシアがイヴに話した内容と同じものだ。
「ここに来る直前、イヴからこんなものが送られてきた。このデバイスにはお前から送られてきたメッセージも残ってる。これを照合すれば、イヴが<精霊の天敵>じゃないことは分かるはずだ」
「……でも、それも不完全だろう?そんなものじゃ、僕を<精霊の天敵>として捕らえることはできないはずだ!」
目に見えるほど狼狽しながら、ファルシアは弁明を続ける。
「それと、クエストの申請書を見たら面白いことになってたんだ。どうやら今も、俺とイヴが受けたクエストは続いているらしい」
それを聞いて、イヴは急いでデバイスを操作し、自身が受けたクエストの内容を確認した。
【クエスト名:魔物の討伐
クエスト参加者:イヴ・アレスターナ、黒鋼真來
クエスト詳細:
・小人鬼五体の討伐:完了】
【クエスト名:<精霊の天敵>拘束
クエスト参加者:風紀委員、黒鋼真來
クエスト詳細:
・<精霊の天敵>の正体究明及び拘束】
「俺が受けたクエストは、魔物の討伐だけじゃない。イヴと外出する前に、<精霊の天敵>のやつも受けてたのさ」
「そんなこと、僕は聞いてないぞ……」
「当然、あんたには言ってないからな」
肩をわなわなと震わせるファルシアをよそに、真來は話を続ける。
「知らなかったのか?どうやらクエスト中は、デバイスが周囲の音声を記録して、クエストの参加者と共有できる仕組みになってるらしい。イヴがここに来たのは、自分が囮になって、<精霊の天敵>に襲わせるつもりでいたのさ。録音してたのは、いざというときに情報を残すためだったんだよ」
「……やはり、君は非常に危険な存在だった。もう少し早いうちに消しておくべきだったよ」
「おや、俺は別に、お前が犯人だとは一言も言ってないぞ?」
まあ、お前は一つ罪を犯しているけどな、と言い、真來はファルシアの腰を示した。
「……何を言っているんだい?」
「クエスト中の<ネイティブドライヴ>の使用禁止──まさか風紀委員長ともあろうお方が、それを忘れるのか?」
「──っ!!」
そう、校則によって、クエスト中は<ネイティブ>の使用は禁止されている。
小人鬼と対峙したとき、イヴに教わった事だ。
「これでも、風紀委員に協力してる身だ。イヴのことは霊晶の鑑定が終わってからでいい。お前は、校則違反者として、俺が裁く」
ファルシアはため息をつき、愉しげに肩を震わせる。
「──やれるものならやってみなよ!」
そして、猛烈な速さで真來に突進する。
「行け、白夜」
はい、という白夜の返事は、遥か前方から聞こえた。
イヴの目には、白夜の体が透けたように見えた。
それが網膜に残った残像だと気づくまで、少し時間がかかる。
まさに疾風。
白夜は一足飛びに間合いを詰め、敵に襲い掛かった。
しかし、ファルシアは虚空から剣を取り出し、白夜の猛進を迎え撃つ。
流石は<十一人>といったところだろうか。
その刹那、両者の力が交差した。
白夜は刃を素手で払いのけ、認識できないほどの速さで拳を撃ち込んだ。
敵は首を逸らして交わしたが、小指が顔面を掠めたらしい。
顔面を覆っていたマスクはまるで蜘蛛の巣のように容易に変形し、引きちぎられるようにして割れた。
白夜は大きく跳躍し、ほんの数瞬で戻ってくる。
彼女が真來の前に着地したとき、敵のマスクの左半分が落ちて、その素顔があらわになった。
中から見えたのは、酷く歪んだファルシアの顔だった。
イヴを身代わりにする計画の失敗や焦りから、普段の彼と比べるとだいぶ落ち着きがなくなっている。
ここで、イヴはあることに気がついた。
「ふむ。君の精霊の力はよく分かった。けれど、君はいつまでそうしているつもりだい?君はまだ生身──まさか、戦闘は全て精霊に任せるつもりかい?」
そう。真來はここまで、たったの一度も、魂端末を起動していない。
精霊や召喚獣たちは、学園に張られた結界内において、その実力の全てを発揮する事はできない。
故に、学園の敷地内で行われる戦争では、精霊たちの召喚は必須とされてきた。
だが、真來はどうだろう。
魂端末を起動もせずに、白夜の拳は武装したファルシアの防御をいとも容易く貫通し、そのマスクを砕いた。
学園の結界内でこれだけの力を出せるのなら、真來の魔素位階はゆうに三を超えるはずだ。
以前、イヴが自身の魔素位階を測定したとき、イヴの魔素位階は二・六だった。
ファルシアの魔素位階も、風の噂では二・九程と聞いたことがある。
もし真來が白夜を召喚したら、彼はどれほどの強さなのだろう?
そんな思考が、イヴの頭をよぎった。
「ご指摘ありがたいが、もちろん、俺も戦うさ」
真來は<ホゥリィドライヴ>を装着すると、魂端末を起動した。
真來の高められた魔力が、空気を震わせる。
魂端末を<ホゥリィドライヴ>に差し込み──
「召喚」
そして、レバーを展開。
瞬時に魔法陣から鎧が出現し、真來の体に纏われる。
その姿は、あたかも鎧武者。
現代の機械的な意匠がみられる、メカニカルな鎧だ。
「おい、イヴ」
突然名を呼ばれ、イヴはびくりとした。
「お前も武装しろ」
「でっ、でも……オーディーンが……!」
「何だ、パニックになって頭も回らなくなっちまったのか、優等生」
真來はイヴの肩に手を置いて、真正面からイヴの瞳を見つめた。
「っ!?何をするんですか!?」
「ちょっとは落ち着け、らしくない。あるだろ、オーディーンが複製した能力の中に、回復魔法の一つや二つ」
「……あなたに指摘されるとは心外です。ですが……ありがとうございます」
一つ、深呼吸。
イヴはきっとファルシアを睨み、魂端末を起動、<ホゥリィドライヴ>に差し込んだ。
「……召喚」
レバーを展開し、イヴは駆け出した。
中世の騎士のような鎧を身につけ、長剣を握ったイヴは、オーディーンを瞬間的に回復させると、ファルシアを左肩から胸にかけて斬りつけた。
が、ファルシアはその動きはすでに見切っているようで、イヴの攻撃を剣でいなし、裏拳で反撃した。
簡単に吹っ飛ばされるも、それだけでやられてしまうイヴではない。
即座に空中で体制を変え、地面に剣を突き刺した。
しかし、勢いを殺しきることができない。
そのまま転がり、木の幹に背中を打つ。
そして、ファルシアはその隙を見逃さない。
一瞬にして魔力を練り上げ、水の槍を長剣めがけて放つ。
とっさに剣で弾くも、刃の一部が欠け落ちた。
──このまま戦うのは危険だ。
そう考えたイヴは、隠れることを決断したようだ。
イヴはオーディーンの魔術記憶から色に紛れ込む魔術を発動し、夜の闇に溶けるようにして消えた。
やや離れたところへ移動し、欠け落ちた刃──長剣を修復する。
「すぐにでもカタをつけたいところだけど……厳しいわね」
「ああ。恐らく、ファルシアは防御系統の魔術も『喰った』のだろう。だとすれば──」
「アンノウンを一撃必殺できるような攻撃が必要、ってこと?」
「その通りだ──来るぞ!」
瞬時に身を投げ出す。先ほどまでイヴがいたところには、帯電した水の槍が突き刺さっていた。
上を向くと、第二射、第三射が飛んできている。
きわどく身体をそらし、イヴは槍の雨を切り抜けた。
「……鬱陶しいですね。閃光」
呟いた瞬間、地表を電気が駆け抜けた。
爆発的に流れた雷電により、水の槍は全て弾け、月光を反射して美しい光景を生み出していた。
攻撃の間が生んだ一瞬の隙を突き、再び闇へと消える。
真來たちが交戦していた場所に戻り、背後からファルシアを斬りつけた。
その瞬間、イヴは僅かな魔術的な抵抗を感じ取った。
魔力の波動から察するに、ある程度の攻撃なら防ぐことのできる初歩的な障壁魔法だ。
つまり、これはファルシアの<暴食>によるものではない。
そう、基本的な魔法に限って言えば、ある程度の技量のある者は扱うことができる。
遠い昔、精霊たちを使役しない魔術師たちが編み出した、基本魔法と呼ばれるものだ。
イヴ自身も、七大エーテル元素系とダメージ遮断などの基本魔法なら、一通り扱うことができる。
イヴが知っている障壁魔法の特徴は、「密度によって強度が変わること」だ。
つまるところ、障壁魔法は「点の攻撃に強く、面の攻撃に弱い」という、表裏一体の魔法なのだ。
もっとも、学園長のナドラル・レンロウグとなれば話は別だが。
イヴはファルシアを背面から斬りつけたとき、違和感を感じた。
その違和感の正体。それは──
「……委員長──<精霊の天敵>、貴方はなぜダメージを受けていないのですか?」
イヴの太刀筋は長かった。
最も大きな的である胴体を、外さないため、回避させないために。
それを障壁魔法で受けるなら、必然的に剣の軌跡を「面」で受けなければならなくなる。
そうなれば、僅かでもダメージは貫通するはずだ。
だが、目の前のファルシアは無傷。
一体、どのようにしてダメージを防いだのか?
「愚問だね。<十一人>にも匹敵する君が、こんなことも分からないなんて。もし君が<十一人>の一人なら、<十一人>の名が泣くよ」
芝居がかった動きで、ファルシアは腕を広げて言った。
「ほんの一部分に収束させた障壁を、君の動きに合わせて移動させただけさ。確かに、障壁は広い範囲での攻撃には弱い。なら、強度を高めた「点」を移動させればいい。僕の念動が成せる業だよ」
簡単な話だろう?と付け加え、ファルシアは肩をすくめた。
イヴは戦慄すると同時に、<十一人>に対して畏怖めいたものを覚えていた。
まさか、障壁を念動で自在に操るとは……。
次の瞬間、一陣の風がイヴの横を吹き抜けた。
イヴの鎧に、亀裂が走る。
何が起こったのか理解できぬまま、イヴは背後を振り返った。
そこには、長剣を振り抜いたイヴの姿があった。
イヴは瞠目した。
もう一人の「イヴ」はゆらりと立ち上がると、うねるように姿を変え──ファルシアが武装した姿になった。
「今の攻撃も、変化の魔術も、全て僕が『あの方』に授けてもらった、<暴食>の食事の成果さ。変化の魔術を持つ精霊は殺してしまったけれど、今の風──<疾風を弄ぶ堕天使>のルシファ・エミアの精霊は殺すことが出来なかった。おかげでこの一種類の魔術しか使えないわけだけど──」
そこで言葉を切り、ファルシアは空間に消えた。
「風を操る──響きだけ聞くと単純に聞こえるかもしれないけど、予想以上に応用の利く魔術でね。こんなこともできるんだよ」
誰もいないはずの空間から、不気味に声のみが響く。
そして、突風が吹いたかと思うと、再びイヴたちの鎧に亀裂が走った。
「風の刃と鋼の刃──いわゆる『かまいたち』というやつさ。障壁魔法じゃ防げない、見えない刃……防御こそ最大の攻撃とはよくも言えたものだよ」
姿を現したファルシアは薄く笑い、イヴに向き直ってから、攻撃の構えを取る。
「まずは君から「喰べて」あげよう、イヴ」
風と同化し、凶刃となった風鋼が、イヴの喉を引き裂こうと直進した。




