第7話
矢島文左衛門は土手の上から旗本行列を眺めていた。
手ぬぐいを鼻の下で結んだほっかむりで顔を隠し、黒いはっぴを羽織った壮年の文左衛門。
背中に白地で丸に「福」の字が入っている。これが「福村組」の紋だった。
「福村組」からはこれまにも何回か仕事を受けたことがある。
泣く子も黙る「福村組」と呼ばれるようになったのは自分が組で仕事をするようになってからだという自負もある。
金はないが剣の腕には自信があり、そんじょそこらのやつには負ける気がしない。
それでも「どんなに強くても妻子を食わせられない男は男じゃない」と妻は言い捨て、文左衛門のもとを去った。
文左衛門は若い時分、地方の小藩で兵法指南役を務める侍だったが、徳川幕府の命で藩がお取り潰しになって以降、用心棒や刺客を生業とする浪人に成り下がった。
文左衛門が浪人になると妻は子供を連れて実家に逃げた。
あれから妻にも子供にも会っていない。
霧雨だった雨は少しずつ雨足を強め、小雨ぐらいになっていたがまだ傘をさすほどではない。
「福村屋」の番頭で「福村組」の若頭を務める助六が狼煙を上げる。
それが突撃の合図だった。
土手に身を隠していた「福村組」の面々は「わー」と勝どきを上げながら街道の旗本行列に突進する。
行列を護衛していた侍や足軽たちは異変に気づき、ある者は抜刀し、ある者は槍を構える。
賊はみな同じ恰好をしているのですぐわかる。
丸に「福」に字が入った黒いはっぴを着たほっかむりをした男衆。
これが「福村組」だった。
「福村組」と護衛の侍たちとの戦いは最初は五分と五分だったが、「福村組」が火縄銃で攻撃を始めると形成は一気に「福村組」優勢になった。
文左衛門は駕籠の近くまで来ると、馬に乗っていた侍を斬り捨て、駕籠のすだれを開ける。
中には江戸町奉行、東山金四郎景元。凍りついた驚愕した顔だ。
「ご無礼仕り候」
文左衛門はそう言いながら、金四郎の襟元をつかんで駕籠から引きずり出し、みぞおちを拳で殴る。
金四郎が意識を失うと素早く縄で手足を縛り、肩に担ぎ上げる。
そのまま斬り捨てた侍が乗っていた馬に乗り、その場を走り去る。
木賃宿の外は小雨だった。
大部屋で寝ころんでいた魔左衛門はふと立ち上がり、外へ出る。
「マーさん、どこへ行くの」
お菊が気がついて外に出る。
「……」
魔左衛門は無言のまま道を進んで行く。
「待って」
お菊が後を追いかける。
「ついて来るな」
振り向きざまに魔左衛門が言う。
「どうして」
「あれが聞こえないか。お菊にも聞こえるはずだ」
お菊が耳を澄ますと犬の遠吠えにような「ウォォォーン」という獣の咆哮がかすかに聞こえる。
「おれを呼んでるんだ。だから行かないといけない」
魔左衛門はそう言うと咆哮が聞こえる方向に歩いていく。
「ねえちゃん」
振り向くと喜平がいる。
「マー兄ちゃんについて行こうよ」
六十尺の巨人となった魔左衛門は大地を鳥瞰した。
刑場にはほとんど人はいなかった。役人はいないし、野次馬衆もほとんど消えた。
役人連中は戦っても巨人にかなわぬと見て早々に退散したに違いない。
逃げ遅れた老婆や町人風情が自分を神と思ったのか、ひれ伏しているのをときおり目にする。
おれはなにものだろう。巨人の魔左衛門は訝った。
おれは人間ではない。異形だ。では死人憑か。それもおそらく違う。
太古の昔よりこの地を創造し、この地に君臨した伝説の巨人、ダイダラボッチ。
土着の道祖神にして、万物の王。
人間はもとより生き物すべての頂点に立つ絶対的存在者。
それがこのおれだ。
巨人の魔左衛門はふと南方を見た。太平山がそびえている。
等身大だったときには見えなかったが、巨人の目から見ると太平山がはっきり見える。
あそこがおれの住処だ。ダイダラボッチの故郷だ。それは本能的な直感だった。
巨人は太平山に向けて歩き出す。
ゆっくりした歩みだったが、巨人の一歩は人間の十歩よりも大きい。
おそらく飛脚や馬よりも速い速度で巨人は移動していった。
やがて太平山のふもとにたどり着くと、巨人は道なき山林の中を進んで行く。
山の多くの高木は巨人より高く、やがて巨人の姿は山の中に隠れた。
江戸町奉行、東山金四郎景元はようやく目が覚めた。
賊にみぞおちを強く殴られたのでまだ腹が少し痛い。
「気がつきましたかな」
ほっかむりをした男が声をかける。
金四郎は自分が牢に入れられていることにようやく気づく。
「ここはどこだ」
金四郎がほっかむりをした男に言う。
「はい。合戦場宿の『玄宗』という遊郭の座敷牢にございます」
「なにっ、座敷牢じゃと?」
ほっかむりをした男はほっかむりを取って素顔をさらす。
「初めまして。手前は福村屋六太と申す者でございます。お奉行様、ご機嫌いかがでございますか」
「早くここから出せ」
「それには条件が二つございます。
一つはお奉行様が手前どものすべての不祥事をすべてお目こぼしいただくこと。
もう一つは関東取締出役の宇賀神権助様の不祥事をすべてお目こぼしいただくことでございます。
いかがでございましょう。もし条件が飲めないとおっしゃいましたら、お奉行様のお命も危なくなりますが」
「わしを脅迫する気か。賊の分際で無礼千万。わしをだれだと心得る。
江戸町奉行、東山金四郎景元なるぞ」
「まあ、そう怒らずに。脅迫なんで人聞きが悪いです。手前どもはただ取引をお願いしているわけでございます」
「たわけ」
金四郎ははらわが煮えくり返りそうな思いだった。
だがここは下手に動くと自分の命も危ない。どうにももどかしい心持ちが金四郎を苛んだ。
(つづく)




