第5話
飯盛旅籠「福村屋」の側の路地を進んで行くと、人里離れたところにぽつねんと広い屋敷がある。
古ぼけた看板で遊郭「玄宗」と読める。
「玄宗」は玄関を入ってすぐの大広間が丁半博奕の賭博場になっており、その奥が遊郭になっている。「福村屋」の飯盛り女の多くが夜になると「玄宗」の遊女になる。
十畳の間では、二人の男がつまみを食いながら酒を酌み交わしている。
一人は御家人、宇賀神権助。もう一人は「福村屋」の主にして「玄宗」の主でもある六太。
派手な振り袖を着た二人の若い女が、ときおり男たちに酌をする。
「ときに六太」
宇賀神が言う。
「例の件、本当に大丈夫なのか」
「手前どもに任せてください。
奉行様が来ようが将軍様が来ようが、手前どもの福村組は天下無双にございます」
六太が赤ら顔で言う。
江戸町奉行の東山金四郎景元がこのほど合戦場宿に出向くという。
関東取締出役の不祥事並びに「福村屋」の不祥事を暴くためと聞いている。
身に覚えがある宇賀神にしてみれば、江戸町奉行の来訪は心中穏やかでない。
職場の左遷で済むならいざ知らず、切腹を申し付けられたらたまったものではない。
六太が親分を務める福村組という地元のヤクザは三十名足らずの集団だが、いざとなれば締めてニ百名以上の男を集められるという。
隣村のヤクザの親分とも懇意だし、その他、刺客、浪人、野武士など、この界隈のならず者に六太の顔が利く。
しかも長崎から調達した南蛮渡来の最新の火縄銃をこちらは多数所有している。
聞くところによると奉行の行列は総勢五十名程度。
六太は「手前どもに勝ち目がある」と何度も宇賀神に説明した。
「して、奉行を殺めるつもりか」
宇賀神が訊いてみる。
「ご心配なく。生け捕りにしてうちの座敷牢に連れて来るつもりです」
六太が答える。
「座敷牢?」
「はい」
奉行を捕まえ、脅してすかせば、先方はこちらの言うことを訊く傀儡となり、以降、様々な便宜をはかってもらえる。最初からそれが狙いだと六太は説明した。
「下にい、下にい」
露払い役の足軽が脅すように槍を振りかざす。
町人たちは慌てふためき、道端に土下座する。
駕籠の行列は五十人程度だから参勤交代や日光社参の大名行列にくらべれば小規模だった。
江戸町奉行、東山金四郎景元は駕籠の御簾から外を眺めていた。
御簾から入って来る秋風が心地いい。
日本橋から中山道を北へ進み、倉賀野宿で日航例幣使街道に折れ、もうすぐ栃木宿を越える。
目指す合戦場宿はその先にあるはずだ。
二人の人足が駕籠を担ぐ。
駕籠の前後で馬に乗っているのは与力や同心たち。
後は徒歩で行列に加わっている。
先頭は槍を持った足軽たち。次いで帯刀した侍たちが駕籠を囲む。
籠の後方は挟箱を担ぐ道具持ちが続く。
今回の合戦場宿の視察は奉行就任以来の大仕事になるやもしれぬ。
そう思い、金四郎は身の引き締まる思いがした。
お菊は魔左衛門から手渡された小判や銀貨をていねいに確認する。
これでまたしばらく暮らせそうだわ。
お菊は深く安堵の吐息をつく。
先ほど両替商「梅屋」から戻ってくると魔左衛門は金銭をすべてお菊に預けた。
部屋にはすでに飯盛り女が昼飯の高坏を二人分運んでいた。
高坏はお菊と喜平の分だった。今朝方役人に連行されたせいか、魔左衛門の分の高坏は運ばれなかった。
「マーさん、わたしの分、食べていいよ」
お菊が自分の高坏を魔左衛門に差し出す。
「マー兄ちゃん、漬物食べて。これ嫌いなんだよ」
喜平が漬物の小皿を魔左衛門に差し出す。
魔左衛門は二人からもらった昼飯を食べ始める。
「それにしてもさあ」
喜平が言う。
「お上に連れて行かれた方のマー兄ちゃんは今ごろどうしているんだろう」
「……」
そう言えば、右手首以外の方の魔左衛門はどうなったのか。もう右手首は生えているのか。
お菊はいろいろ考えを巡らせてみる。
しばらくすると部屋の襖の奥から女の咳をする音が聞こえる。
飯盛り女が客間に入るときの合図だ。
「マーさん、隠れて」
お菊は魔左衛門を押し入れに隠す。
「どうぞ、お入りになって」
お菊は襖に向かって言う。
襖が開く。女将のサヨだった。
「実はねえ」
サヨが言う。
「あんたたち、悪いんだけどここ出て行っておくれ。
あんたたち二人は悪いことしてないかもしれないけど、今朝あんたたちの連れがお上にしょっぴかれてお咎め受けているでしょう。
他のお客さんが嫌がるんで、あんたたちもうちに置いていけないんだよ」
「……」
「残りの宿代は返すからさあ」
お菊は頭の中が真っ白になる思いだった。
ここ追い出されたら、どうしたいいのかしら。わたしたち行くとこがない。
すると押し入れから魔左衛門が姿を現す。
それを見たサヨは大声で悲鳴を上げ、その場を逃げ出す。
(つづく)




