第11話
与力、藤山宗太郎忠良は問屋場に隣接した本陣の縁側に座っていた。
縁側の前には砂利で敷いた日本庭園が広がる。
宗太郎は旗本行列の護衛監督を任されていたが、「福村組」なる地元の任侠集団に上司の江戸町奉行、東山金四郎景元公を誘拐されてしまった。
部下の同心や足軽、地元の目明しは懸命に捜索しているはずだが、未だに行方不明だという。
この先、自分が責任を取らされることは必至だが、果たしてどうなることやら。
なんとも心もとない思いが宗太郎を苛んでいた。
すると唐突に日本庭園に馬が入って来る。
馬には人が二人乗っている。
宗太郎は驚いた。
馬の手綱を握っているのは人相書きそっくりの魔左衛門。
そして馬の首にしがみついて魔左衛門の前側に乗っているのは、行方不明だった奉行の東山公ではないか。
馬はしばらく庭の中を回っていたが、金四郎が落馬して地面に落ちると、前足を上げて後ろ足だけで立ち、「ヒーン」といななき、その場を走り去る。
「お奉行様」
宗太郎は立ち上がり、金四郎に近づく。
「ご無事ですか」
金四郎は手で着物についたほこりを払いながら立ち上がる。
「大丈夫。わしは無事じゃ」
金四郎が言う。
「だれかいないか」
宗太郎が叫ぶと、同心や目明しが数人駆けてくる。
するとまた別の馬が日本庭園に入って来る。
馬の手綱を握っているのは魔左衛門だが、先ほどと違い、三度笠をかぶり、道中合羽を羽織っている。
魔左衛門の前に座っているのは後手をしばられ、ほっかむりをした男だった。背中に丸に「福」の字が入ったはっぴを着ている。
ほどなくしてほっかむりをした男が地面に投げ出され、馬は魔左衛門を乗せたまま、日本庭園を後にする。
「やつを追いけろ」
宗太郎は周囲の部下たちに命じる。
「まだ遠くに行っていないはずだ」
宗太郎は頭が混乱する。
奉行と馬に乗っていた魔左衛門。ほっかむりの男と馬に乗っていた魔左衛門。
同じ人物か。それとも同じ顔をした別人か。
金四郎は地面に倒れている男に近づくとほっかむりを取る。
「こいつじゃ」
金四郎が叫ぶ。
「こいつが福村屋六太じゃ。この顔は間違いない」
巨人の魔左衛門はおもむろに右手の中にある獲物を握りつぶす。
断末魔の悲鳴とともに手から鮮血が滴る。
手のひらを広げ、宇賀神権助の死体の残骸を地面に捨てる。
遊郭「玄宗」の屋敷は跡形もなく破壊しつくされていた。
「福村組」の男衆も生きている者はもはやここにはいない。どこかへ逃げたか、ここで死んだが、そのいずれかのはずだった。
ここにはもう用はない。巨人はそう思った。
「ヒュールルルー」
巨人は空に向かって咆哮する。
太平山に帰るとしよう。あそこが自分たちの住処だ。
巨人は太平山の方角へ歩いていく。
ときおり「ヒュールルルー」と叫びながら歩いて行く。気がつくと自分の後を人間と等身大の魔左衛門たちがぞろぞろついて来る。
彼らもまた「ヒュールルルー」と口ずさんでいる。
そのうちに山林に入る。
そこは道なき道だった。獣道ですらない。周囲の草木をかき分けながら登っていく。
人間が生きて入ることの許されない魔境。それが山林の中だった。
巨人はなおも「ヒュールルルー」と叫び続け、仲間を集め続けた。
お菊はふと目が覚めた。
魔左衛門が木賃宿の外に出ようとしているのだ。
喜平は隣でいびきをかいて寝ていた。
酒屋で食糧を買い、木賃宿「桜屋」では雑炊を作って三人で食べた。
その後すぐ床に入った。
大部屋にいた客たちも日が暮れるとすぐに寝た。
魔左衛門が外に出るとお菊も後を追った。
満月の夜だった。
「マーさん、どこへ行くの」
街道を南に進む魔左衛門にお菊が尋ねる。
「ヒュールルルー」
魔左衛門は振り向きざまに獣の鳴き声のような奇妙な言葉を口にする。
「どうしたの。なにがあたったの」
魔左衛門はなにかにとりつかれたように足早に進んで行く。
お菊は小走りで後を追う。
そのうちに石につまずいて転んでしまう。
慌てて立ち上がると背後から声がする。
「そっちへ行くな」
振り向くと魔左衛門が佇んでいる。
だがなぜか三度笠をかぶっていないし、道中合羽も羽織っていない。
街道の反対方向を見ると、三度笠をかぶり、道中合羽も羽織った魔左衛門が「ヒュールルルー」と唱えながら歩いていく後ろ姿が目に入る。
お菊はもう一度振り返る。
「木賃宿に戻るぞ」
傘をかぶってない魔左衛門が言う。
お菊はふと思い出す。今日の昼下がり、獄門で三度傘と道中合羽を手渡した魔左衛門のことを。
あのときのマーさんが、他のたくさんいるマーさんではない、この世でたった一人のマーさんが、今ここにいるのかしら。
「おれはどこにも行かない。お菊と一緒にいる」
魔左衛門の言葉を聞くとお菊はわっと泣き出し、思わず魔左衛門に抱きつく。
これまでの心のわだかまりが一気に涙になって流れ出した。
(つづく)




