聖女の涙に口づけを(3)
ティリーの零したクリスタルの涙が病人の胸の上に置かれる。するとふわりと体に沈んでいき、直後苦しんでいた病人の顔は穏やかな表情を取り戻していた。
「これが聖女の“万物を癒す力”ですか」
その光景を眺めていたリュカにティリーは新しい涙を零しながら答える。
「はい、ですが一度では完治できません。複数回行う必要があります」
赤くなっている目元から彼女がどれほどの涙を流したか伺えるだろう。教会のガラスから差し込む光によって彼女の左手首に付けられたブレスレットが煌めいた。
「と、なると数が多いっすね」
病人の額に滲む汗を拭いながら呟いたイグニスに重く頷いたティリー。これは流行り病だ。看病していた者にも病は容赦なく手を伸ばす。
(なにか方法はないかな)
首をひねっていたルイ。彼はリュカにより「病気が移ってはいけませんので」と教会の端に追いやられていたのだ。ぬいぐるみを抱えつつ思考を巡らせていくうち、ひとつの考えに思い及ぶ。
立ち上がったルイはある人物の元へ駆け寄り、冷たい水の入った桶を運んでいる彼の服を掴んだ。
「……え? ルイ様?」
「アルヴァンくん、あなたならこの病気が癒せると思うんです」
ルイの淀みない眼に見つめられたじろいだアルヴァンは激しくかぶりを振る。
「……。ぼ、僕!? いやいや、僕には無理です! ……僕はみなさんに比べると底辺の魔法使いですので」
「そんなことありません。アルヴァンくんにしかできないことなんです。風属性の魔法使いであり、聖女様に信頼されているあなたにしか」
ルイに促されるままに桶を置いて聖女の元へと歩まされるアルヴァン。重い足取りにルイは必死にその背中を押す。
「もう、臆病アルヴァン!」
「腹決めなって!」
ルイの肩に乗って一緒にアルヴァンの背中を押しているぬいぐるみたちだが綿の体では雀の涙ほどの助力にしかならない。
「……無理ですよ。僕なんかに」
「「「僕なんか、って禁止!」」
「ひゃ、ひゃいっ!」
一人と二つに叱られ情けない返事をするアルヴァンに近くを通りがかったイグニスは苦笑い。
(ルイくんの方が年上に見えんな、ありゃ)
ルイたちに押されながら渋々歩いていたアルヴァンだったが、ティリーに近づくと打って変わり自らの足で歩み始めた。不意にかけられていた体重がなくなり危うく前に転びかけたルイ。
「お疲れ様、ティリー。平気かい?」
「あ、アルヴァン。うん、平気よ」
目を細め片手を上げながら労う彼に彼女も嬉しそうに微笑んだ。だが、その顔は明らかに憔悴している。
「ティリーさんの前ではあんなにもかっこいいのに、アルヴァンくん」
「きっと好きな女の子の前ではかっこつけたいんだよ」
「きっとそういうお年頃なんだよ」
アルヴァンのあまりの変わりように声を潜めて話し合うルイとぬいぐるみたち。国家魔法機関でのアルヴァンくんの姿を見たらティリーさんはきっと驚くだろうな、とルイは小さく笑ってしまった。
「で、ルイくん。僕にして欲しいことってなんでしょう?」
呼び方まで変わっている彼にぬいぐるみたちはヤジを飛ばそうとしたがルイに口を塞がれ断念する。
「風属性魔法のひとつ、治癒魔法です」
「いや、僕の治癒な――風属性の治癒魔法は聖女の癒しの足元にも及ばないですよ」
“なんか”と言いかけたが踏みとどまり言い換えたアルヴァンは、眉を下げてルイを見つめた。わかりきっていることなのになぜ、と問いたげに。
「はい、なので二人のお力を合わせられたらな、と。合わさればきっとみなさんを癒せると思うんです」
ルイの一言に顔を見合わせ合った二人。
「本当にできるの?」
「お二人が信頼し合えば」
「……なら、やるわ」
ティリーは答えたが、アルヴァンは口を閉ざしたまま俯いている。
「不安ですか?」
「……僕の魔法じゃティリーの足を引っ張ってしまいます」
「リオンさんは以前こうおっしゃっていました。『国家魔法使いになるには優れた実力に加えて人格者でなくてはならない』と」
自身が選考試験の試験官に選ばれた際リオンに言われた言葉だ。
「つまり、国家魔法使いの試験に受かったアルヴァンくんはどちらとも備わっているということです」
「でも、あの試験はたまたまで……」
「リオンさんってお腹の中の色がちょっと濃ゆいんです。そんな方が情けで合格を出すと思いますか?」
ルイはここまで遠く離れていてもリオンの耳に届いているんじゃないか、と少し身震いする。アルヴァンもリオンの笑みを思い浮かべて体を震わせた。
「ほら、ね。大丈夫です」
アルヴァンの手を取ったルイは彼へと手を伸ばしているティリーの手に重ねさせる。強く握られた手から伝わる彼女からの信頼。
(この信頼に応えたい……!)
アルヴァンからは迷いが消えていた。
「やろう!」
「はい」
彼の決意が固まった言葉にルイは花が綻ぶように微笑んだ。
アルヴァンとティリーが合わせた手の中にある一粒のクリスタルへ手をかざしたルイは、自身の周囲を舞う魔力の精霊に声をかける。
「魔力の精霊さん、あの二人に力を貸してくれる?」
――もちろんさ
――君が望むならいくらでも
――さあ、僕たちを求めて
色とりどりな半透明の球体はルイの元を離れ二人の周囲を舞った。魔力の精霊は二人には見えていない。だが、底から湧き上がる“なにか”を感じていた。
「ありがとう。‘Olu Makana」
聖女の涙にかけられたルイの魔法。それは、クリスタルに込められた聖女の力を最大限に引き出したのだ。二人の手の中で激しく光るクリスタル。
「……すごい、こんな光見たことない」
呆気に取られている彼女の白髪が靡き始めた。アルヴァンが風属性魔法をゆっくりと放ち始めたからだ。はためく夜空色のマント。まだ着られている感が拭えなかった彼だが、今は様になっていると言えよう。
「ティリー」
「アルヴァン」
名を呼び合った二人は両手をきつく絡め合い額を合わせる。
二人が纏う淡い光は優しい風と共に、瞬く間に広い教会を包み込んだ。




