新2章 蟻の一決
日本での活動開始。
一夜明け、ふかふかのソファーの上で敏夫は目を覚ます。
「いけね、寝ちまった」
慌てて体を起こす、体のどこにも痛み無し。
「お目覚めになりましたかな」
電動で車椅子を動かし、栗之介が部屋に入って来る。
「どうぞ」
アニがコーヒートレイを持ってやってきた。
「ありがとう」
義務的にお礼を言い、コーヒーを受け取る。
コーヒーを飲み終え、一息ついた頃を見計らい、
「倉野様の経営している会社のパンフレットを読ませてもらいました。実に興味深い内容です」
それはどうもと言いながら、敏夫はトレイに空になったコーヒーカップを置く。
「そこで貴殿の会社に投資したいと思いましてね、倉野様が望まれますならばですが」
敏夫の目の色が変わる、欲望丸出しの色に。
「本当ですか! いくら程でェツ」
少々、声が裏返る。
栗之介の口にした想像以上の金額に、敏夫は飛び上がりそうになるのを何とか堪えることが出来た。
「ぜ、是非に」
分厚い欲の皮を持つ敏夫に、断る選択肢は存在しない。
ちゃっちゃっと、契約の準備を始めるアニ。
ペンを手に取り、すぐに契約書にサインしようとする敏夫に、
「正し、条件が一つあります」
待ったをかける、敏夫の表情はまるでお預けを食らった犬。
「あなたの会社に何か不正があった場合、この契約は無かったことになる。条件はそれだけです」
欲に支配された敏夫の耳には栗之介の言葉は届いてはいない、契約書にも書いてあるが目には映っていない。
躊躇することなくサイン、迷うことなく捺印も済ましてしまう。
そんな敏夫を見ている栗之介の表情は包帯で解らず。
レクサスを運転しながら、敏夫は込み上げてくる欲にまみれた笑顔を押さえることが出来ない。
「あの出門グループにこんなにも投資してもらえるなんて、これは大きな信頼に繋がるぞ。顧客や取引先も増えるし、融資も増えるだろう。これは最大のビジネスチャンス、大儲けが出来るぞ!」
既に敏夫はそこそこの金持ち。なのにさらに大金を求めようとしている。
ドイツの哲学者、アルトゥール・ショーペンハウアーの名言にこんなのがある。富は海水に似ている。飲めば飲むほど渇く。名声についても同じことが当てはまる。
今、敏夫の頭の中に映し出されているのはバラ色の未来、それ以外の未来など考えもしない。
タワーマンションの最上階、栗之介の部屋。
『あの出門グループにこんなにも投資してもらえるなんて、これは大きな信頼に繋がるぞ。顧客や取引先も増えるし、融資も増えるだろう。これは最大のビジネスチャンス、大儲けが出来るぞ!』
テーブルに置かれた装置のスピーカーから、敏夫の独り言が聞こえてくる。
敏夫の体内に屍骸の改造技術を応用して仕込んだ小型の盗聴器、それもこの世界にはない魔法の技術を合わせた盗聴器がしっかりと独り言を伝える。
屍骸技術だが施したのも忌むべき相手、毒を以て毒を制す。
「……」
喋らず動かず黙って聞いている栗之介。
「話に聞いた通りの行動だな」
呟くアニ、小さく澪は頷く。
二週間が過ぎた……。
柄九巣市市外のファミリーレストラン、席に座っているのは敏夫の会社で自殺した社員と仲の良かった男。時折、周囲を見ながら警戒中。
気分を落ち着かせるため、お冷を一気に飲み干す。
注文したコーヒーが届いた頃、ファミリーレストランにあまり目立たない服装の女性が入ってきた。メイド服は着ていないが、伊達眼鏡をかけたアニである。意外と眼鏡一つで印象が変わるもの。
アニは男を見つけると、向かいの席に座った。
「本当に“見張られて”はいないんだな」
頷くアニ。
「今までの告発がバレたのは社員の中にスパイがいるからです。“見張られて”ははったりに過ぎません」
そのスパイが最古参の社員と聞かされた男は、彼に知られないように細心の注意をはらい、行動してきた。
注文を取りに来たウェイトレスにアニはコーヒーを注文。
ウェイトレスの姿が見えなくなったのを確認して男は、
「例の物は持ってきた。約束は守ってもらえるんだな」
小さな声で話す。
「奴らに見つからずに市外に引っ越せるルートを用意しております、今回の一回しか使えませんが」
つまり一回は使えると言う事、柄九巣市内では敏夫には逆らえないが、市外までは手を出せない。
「市外にマンションを用意しております。勿論、新しい就職先も、そこでは今まで以上の給与も補償いたします」
商業的なスマイルを作るアニ、それだけでも男は安心できた。
「解った取引に応じる」
テーブルの下でそれぞれ持ってきた角型封筒と茶封筒を交換。
早速、男は角型封筒の中身を確認、ホッと肩の力を抜く。
テーブルの上のコーヒーを飲み干し、
「正直、社長のパワハラにはムカついていたんだ」
思わず、本音が出るた男は自分のお会計伝票を持って席を立つ。
しばらくして、届いたコーヒーにアニは砂糖とミルクを入れ、飲む。
「この世界のコーヒーも美味しいな」
「……」
車椅子に座って黙っている栗之介。
澪はアニに渡された茶封筒の中にあったUSBメモリーを取り出し、ノートパソコンに差し込む。
モニターに映し出されるデータ。
「これだ、これが最初の一撃になる」
後は最初の一撃が蟻の一決になるかだが、敏夫の欲深さは既に計算に組み込み済み。
人の話はしっかりと聞こうね。




