秘密の約束
目が覚めると、そこは見たこともない豪奢な天蓋付きのベッドの上だった。
「……ここ、どこ?」
ぼんやりとする意識の中、身体を起こす。
あれは夢だったのか?
村は燃え落ちてしまったのか?
あの時、私は魔王の攻撃を受けて、背中が裂けるような怪我をしたはずだ。
「……痛くない」
恐る恐る背中に手を回すが、傷跡どころか痛みひとつ感じない。
肌は陶器のように滑らかで、まるで最初から怪我などしていなかったかのようだ。
(治ったの? そんな馬鹿な)
魔族の王の一撃だ。人間なら即死してもおかしくない傷だった。
それを、寝ている間に跡形もなく?
癒しの法術を受けたとしても、これほど綺麗に治るものだろうか。
疑問が渦巻く中、不意にノックの音が響いた。
「ミラ、入るよ」
返事をする間もなく、扉が開く。
現れたのはアルだった。
豪奢な神殿の衣装を纏い、月光のような銀髪と黄金の瞳が、薄暗い部屋の中で異様に輝いて見えた。
「アル……。あ、あのね、私――」
「目が覚めてよかった。シュナさんの治療が間に合ったみたいだね」
アルは私の言葉を遮り、ベッドの縁に腰を下ろした。
その距離が、以前よりも近い。
膝が触れ合うほどの距離で、彼は甘えるように首を傾げた。
「具合はどう? 痛む所はない?」
「え、ええ。嘘みたいに、どこも」
「そっか。なら、今のうちに大事な話をしよう」
アルの声は優しかったが、どこか逃げ道を塞ぐような響きがあった。
彼は私の手を両手で包み込み、指を絡めてくる。
「ミラ。ラダー村はもうない」
「……っ」
「僕の力が、魔王を引き寄せた。僕のせいで、みんな死んだ」
単刀直入な言葉が、胸をえぐる。
けれど、アルの瞳に涙はなかった。あるのは、凍りつくような決意だけだ。
「だから、もう二度と失わないと決めた」
「アル……?」
「明日、僕はここを発つ。ドリス砦で修行をして、そのまま魔王討伐へ向かう」
「待って、急すぎるわ! 怪我だってまだ――」
「時間がないんだ。……それに、君をここに置いておくわけにはいかない」
アルは絡めた指にきゅっと力を込め、上目遣いで私を見つめた。
「ミラ、君のこれからの生活は全て決めておいたよ」
「は……?」
全て、決めておいた?
「君はこの王都にある『ガレオン王立高等学院』に通うことになる。入学手続きも、寮の手配も、後見人の契約も、さっき全て済ませてきた。……僕、頑張ったんだよ?」
「ちょ、ちょっと待って! 頑張ったって、何それ、聞いてないわよ!」
「聞いてないのは当然だろ? 今、決めたんだから」
アルは「褒めて?」とでも言いたげな顔で、悪びれもせずに言う。
「僕が勇者として国に協力する条件として、君の安全と生活を保障させた。最高級の待遇だ。衣食住に困ることはない」
「条件って……」
「でも、一つだけ守ってほしい約束がある」
アルの黄金の瞳が、すっと細められる。
甘えた雰囲気の中に、鋭い棘が見え隠れする。
「学院では、僕のことを他人のフリをしてほしい。幼なじみだということも、ましてや親しい関係だということも、絶対に誰にも言わないで」
「え……どうして? 友達だってことくらい――」
「駄目だ。君の存在そのものを、隠さなきゃいけないんだ」
アルは悲しげに眉を下げた。
「この国には古い言い伝えがある。『勇者と巫女が結ばれしとき、世界は救われる』……神殿も国も、その伝説を狂信している」
「勇者と、巫女が……?」
「そう。だから僕は、シュナさんと結ばれることが『義務』付けられているんだ」
私は息を呑んだ。
あの美しい銀髪の巫女、シュナ。
彼女とアルが、結ばれる運命?
「そんな……。じゃあ、シュナさんもそれを?」
「ああ。彼女は真面目だからね。使命感から、僕を受け入れようとしている」
アルはふう、と切なげな溜息をつく。
「本当は、彼女にはクリオという婚約者がいたのに」
「えっ」
「勇者が現れる前、二人は神殿の定めで婚約していて、愛し合っていたそうだ。でも、僕が現れたせいで全て破談になった。勇者の伴侶は巫女でなければならないから」
なんて残酷な話だろう。
あの二人――シュナとクリオの間に漂っていた、どこか悲痛な空気の正体がこれだったのか。
彼らは個人の想いを殺し、世界の平和のために「役割」を演じているのだ。
「馬鹿げてるだろ? でも、それが『勇者』という偶像だ」
アルは私の手を引き寄せ、自分の頬に押し当てた。
彼の手の温もりが、肌を通して伝わってくる。
「だから、ミラの存在は邪魔なんだ。もし君が僕の『特別』だと知られたら、神殿の狂信者たちが何をするかわからない。君を排除しようとするかもしれない」
「排除って……」
「だから、隠すんだ。学院という安全な場所の中に」
アルは私の掌に顔を擦り寄せ、潤んだ瞳で見上げてくる。
それは、私が一番弱い、捨てられた子犬のような表情だ。
「君は、誰にも知られない『秘密の存在』になってほしい。僕と君だけの秘密だ」
「アル……」
「表向きは、僕は巫女と並び立つ勇者になる。でも、心はずっと君の側にある。……だから」
彼は私の手首を掴み、そこにちゅ、と甘い音を立てて口づけた。
「待っていて。僕が魔王を倒し、誰も文句を言えない力を手に入れるまで。そうしたら、この馬鹿げた掟を全て終わらせて、君を迎えに行くから」
「……えっと」
私は困惑し、眉を下げた。
アルの言っていることはわかる。私の身を守るために、関係を隠せというのは理解できる。
でも、その仕草と熱っぽい視線が、どうにも腑に落ちない。
「あのね、アル。守ってくれるのは嬉しいけど……その言い方だと、まるで私たちが『恋人』みたいじゃない」
「……恋人だよ?」
アルはきょとんとして、小首を傾げた。
「は?」
「僕たちは恋人になるんだ。いや、心はもう繋がっているだろ?」
「いやいや、待って!」
私は慌てて彼の手を振りほどこうとしたが、彼はさらに強く抱きついてきた。
腰に腕を回され、胸板に顔を埋められる。
「何を言ってるの? 私たちは幼なじみでしょ? 家族みたいなものじゃない。いきなり恋人なんて言われても、私、そんな目でアルのこと見たことないわよ」
恋愛感情なんて、今まで一度も持ったことがない。
アルは弟分で、守るべき対象で、大切な家族だ。
それを飛び越えて「恋人」だなんて、あまりに唐突すぎる。
「今はまだ、家族でいい」
アルは私の胸元で、くぐもった声を出した。
「でも、お願いだ。僕を一人にしないで。……僕、怖いんだ」
「え?」
「勇者なんて柄じゃないし、魔王なんて怖いし。ミラがいなかったら、僕、どうにかなっちゃうかもしれない」
彼は震える身体を私に押し付け、さらに密着してくる。
反則だ。
そんな弱音を吐かれたら、突き放せるわけがない。
「君だけが支えなんだ。君がいるから、僕は戦える。だから……」
アルは顔を上げ、至近距離で私の瞳を覗き込んだ。
長い睫毛が触れそうなほど近い。
「他の誰かじゃなく、僕だけを見ていてほしい。ね? お願い」
「う……」
「ミラは優しいから、僕のこと見捨てないよね?」
計算なのか、本気なのか。
その瞳は黄金に輝き、吸い込まれそうなほど美しい。
村も家族も失い、望まぬ勇者の使命を背負わされた彼が、唯一縋れるものが私なのだ。
それを、彼は誰よりも理解して利用している気がする。
「……わかったわよ。もう」
私は降参して溜息をつき、彼の頭をぽんぽんと撫でた。
「約束する。誰にも言わないし、アルの帰りをちゃんと待ってる」
「本当? 誰とも、特別な関係にはならない?」
「心配性ね。そんな余裕あるわけないじゃない」
私が苦笑すると、アルはパッと花が咲いたような笑顔になった。
「よかった……! 大好きだよ、ミラ」
アルは嬉しそうに私の肩に顔を埋め、深呼吸するように匂いを嗅ぐ。
その甘え方は、以前の弟分のようでありながら、どこか粘着質な独占欲を感じさせた。
「じゃあ、僕はもう行くね。明け方には出発だから」
「え、もう? 少し休まないと……」
「平気だよ。ミラの顔を見たら力が湧いてきたから。……行ってきます、僕のミラ」
アルは名残惜しそうに離れると、最後に一度だけ振り返り、極上の「あざとい」笑顔を残して部屋を出て行った。
バタン、と扉が閉まる。
部屋に静寂が戻る。
「……勇者と巫女、か」
私はベッドに倒れ込んだ。
身体中がどっと疲れていた。
完全に、彼のペースに乗せられた気がする。
全てが決まっていた。
住む場所も、学校も、そして「隠された存在」という立場も。
アルの周囲には、彼を必要とする世界があり、隣には美しい巫女が立つ。
私はその光の当たらない場所で、息を潜めて彼を待つだけの存在。
「一緒にいることと、隣に立つことは……違うのね」
窓の外、王都の煌びやかな灯りを見つめる。
そこは華やかな世界。
けれど私がこれから向かうのは、孤独で安全な、秘密の鳥籠だ。
翌朝。
私は迎えに来た神官の馬車に揺られ、新しい「家」へと運ばれていった。
見送るアルの姿は、もうどこにもなかった。




