守られた教室、予期せぬ敵意
ミラが通うことになった「ガレオン王立高等学院」。
アージュ国に数ある学び舎の中でも、名門中の名門とされる場所だ。
十四歳から十六歳の二年間、身分を問わず平等を謳い、最高の教育と卒業後の地位を約束する夢の学園。
全寮制で、生徒の外出は厳しく制限されているけれど、衣食住は完璧に保証されているし、何より治安が良い。
(アルが用意してくれた、安全な場所……)
寮の窓から整備された中庭を見下ろすミラにとって、故郷を失った今、ここはアルが与えてくれた「避難場所」だった。
少し過保護すぎる気もするけれど、幼なじみの気遣いは素直にありがたかった。
入学前、後見人となった宰相リューゼン卿との面談は、少し緊張するものだった。
「……君のその髪と瞳の色。生まれつきかね?」
卿はミラの金髪碧眼を、まるで珍しい美術品でも見るように観察し、根掘り葉掘りと出自を尋ねてきた。
ラダー村の生まれであること、母ミーシャと二人暮らしだったこと。
ありのままを話すと、卿は眉間に深い皺を刻んだ。
「現在、このアージュ国において、金髪碧眼は『王家の血筋』のみが現出させる色だ」
「王家の、色……?」
初耳だった。
辺境のラダー村では誰も気にしていなかったし、母もそんなことは教えてくれなかった。
「片方だけなら貴族にも稀にいる。だが、両方揃っているのは、現国王陛下の第一王女、エリーゼ姫のみだ」
卿はミラの母の名を聞くと、何かを飲み込むように沈黙し、やがて重々しく告げた。
「……君の出自に思い当たる節がある。だが、今すぐどうこうできる話ではない。勇者様との約束もあることだし、まずは学園で大人しくしていなさい。その間にこちらで調査を進める」
「はい……」
「いいかね、ミラ。余計なことは喋るな。ただの『ラダー村のミラ』として振る舞いなさい。特に、エリーゼ姫には注意するように。彼女はプライドが高く、自分と同じ色を持つ君を良くは思わないだろう」
そうして始まった学園生活は、少しの居心地の悪さと共に過ぎていった。
やはりリューゼン卿の懸念通り、金髪碧眼のミラは目立った。
すれ違うたびに視線を感じ、出自を尋ねてくる生徒が後を絶たなかった。
けれど、ミラが何も知らない辺境の田舎者だとわかると、彼らの興味は急速に薄れていった。
(よかった。このまま静かに過ごしていれば、きっと大丈夫)
唯一の懸念だったエリーゼ姫も、何かの理由で長期休暇を取っているらしく、今のところ姿を見ていない。
何より、ミラにはアルとの約束がある。
『ミラ、元気? ご飯ちゃんと食べてる? 悪い虫がついてないか心配で夜も眠れないよ。男とは話してないよね? 約束だよ?』
制服のポケットに入れた手紙を、ミラは指先で確かめた。
数日おきにアルから届く手紙だ。
世界を救う旅の途中だというのに、中身はまるで離れて暮らす母親か、あるいは嫉妬深い恋人のような心配事ばかり綴られている。
(……もう、アルったら。勇者のくせに心配性なんだから)
ミラは苦笑しつつも、手紙の文字を脳裏になぞる。
「僕だけを見ていてほしい」なんて言われて戸惑ったけれど、こうして気にかけてくれるのは、やっぱり家族として大切に思ってくれているからだろう。
……そう思わないと、胸の奥の変なドキドキが止まらなくなるからだ。
「ねえ、聞いてる? ミラちゃん!」
「え? あ、ごめんナンナ。何だっけ?」
向かいの席で、ルームメイトのナンナが頬を膨らませていた。
リゼリア子爵家の三女である彼女は、ミラの唯一の友人であり、学園一の情報通だ。
「もう! 勇者様の話だよ! パルマールの港町に現れた巨大魔獣を、一撃で退治したんだって!」
「一撃……すごいわね、やっぱり」
「でしょ!? さすが歴代最強の勇者様! しかもね、巫女のシュナ様との連携がバッチリで、まるで夫婦みたいだったって噂なの!」
「……夫婦?」
スプーンを持つミラの手が止まる。
心臓が、とくんと小さな音を立てた。
「そうそう。やっぱり伝説は本当なのかなぁ。『勇者と巫女が結ばれしとき、世界は救われる』ってやつ」
「それ……みんな信じてるの?」
「常識だよ? 神殿も国も、二人の結婚を前提に動いてるし。勇者様の破魔の力と、巫女様の法力が合わされば、最強の子供が生まれるんだって!」
ナンナはうっとりと両手を組む。
「ああ、素敵だなぁ。美男美女のカップル、まさに運命の二人だよねぇ」
(運命、か……)
胸の奥が、すうっと冷えるのをミラは感じた。
アルは「心はずっと君の側にある」と言ってくれた。
でも、世界中が二人の結合を望み、祝福している。
シュナは美しく、気高く、勇者の隣に立つ資格を持っている。
それに比べて、自分はどうだ。
ただ守られているだけの、無力な幼なじみ。
アルとの関係は秘密で、誰にも言えない。
(……もしアルが、本当にシュナさんを選んでしまったら?)
ふと湧き上がった寂しさを打ち消すようにスープを口に運ぼうとした、その時だった。
ザワッ……。
食堂の空気が、一瞬で変わった。
賑やかだった生徒たちが一斉に口を閉ざし、視線を一点に向ける。
「……あら。随分と騒がしい食事風景ですこと」
凛とした声が響く。
そこに立っていたのは、豪奢な制服を完璧に着こなした一人の少女だった。
うねるような癖のついた長い金の髪。
少しつり目がちで、長い睫毛に縁取られた碧い瞳。
その色彩は、鏡を見ているかのようにミラと同じだった。
「エ、エリーゼ姫様……っ!?」
ナンナが椅子を倒しそうになりながら立ち上がり、深く頭を下げる。
周囲の生徒も慌ててそれに続く。
エリーゼ・ヴィアイン・アージュ。
この国の第一王女であり、ミラと同じ「金髪碧眼」を持つ唯一の存在。
入学以来、なぜか姿を見せなかった「奇跡の姫」が、今ここにいる。
彼女は取り巻きの令嬢たちを引き連れ、優雅に、そして真っ直ぐにミラのもとへ歩いてきた。
「顔をお上げなさい」
傲慢な声。
ミラはゆっくりと顔を上げた。
至近距離で絡み合う、同じ色の視線。
「……あなたが、ミラ・ディオラ?」
「はい。お初にお目にかかります、殿下」
ミラが努めて冷静にカーテシー(礼)をすると、彼女は扇子で口元を隠し、鼻で笑った。
「ふん。薄汚い田舎娘かと思えば、随分と生意気な目をしているのね」
「殿下、この平民が何か無礼を?」
取り巻きの令嬢が色めき立つが、エリーゼはそれを手で制した。
彼女は一歩、ミラに近づく。
甘い香水の匂いが鼻をつく。
「後見人のリューゼン卿から聞いていますわ。わたくしと同じ『王家の色』を持つ、不吉な娘がいると」
「……不吉、ですか」
「ええ。王家の血筋でもない平民がこの色を持つなど、あり得ないこと。……一体、どこの馬の骨と混ざったのかしらね?」
彼女の瞳が、侮蔑の色を帯びて細められる。
その言葉の裏に、何か別の意味――ミラの出自に関する疑惑が含まれている気がして、背筋が寒くなった。
「貴族であるリゼリア子爵令嬢が、こんな得体の知れない者と食事を共にするなど、嘆かわしいことですわ」
「ひっ……も、申し訳ありません!」
ナンナが青ざめて震え上がる。
友人を侮辱され、ミラはカッとなって思わず口を開いた。
「殿下。学園内では身分は平等のはずです。友人を侮辱するのはおやめください」
シン、と食堂が静まり返った。
誰もが息を呑む中、エリーゼ姫の目が大きく見開かれる。
「……平民風情が、わたくしに意見する気?」
「事実を申し上げただけです」
「無礼者!!」
取り巻きの令嬢が叫んだ瞬間、エリーゼ姫がパチンと扇子を鳴らした。
「おだまりなさい」
彼女の低い声に、取り巻きが口をつぐむ。
エリーゼ姫はミラを睨みつけたまま、口元だけを三日月のように歪めた。
「いい度胸ですわ。……気に入らない」
彼女は顔を寄せ、ミラだけに聞こえる声で囁いた。
「わたくしと同じ色を持つ偽物が、のうのうと学園を歩いているなんて……虫唾が走るわ」
「……っ」
「リューゼン卿が何を考えてあなたを入学させたのかは知らないけれど……勘違いしないでちょうだいね?」
彼女の碧い瞳が、冷ややかにミラを射抜く。
「偽物は、所詮偽物。その色が本物でないことを、これからたっぷりと教えてあげるわ」
エリーゼ姫は冷ややかに告げると、踵を返した。
翻るスカートが風を切り、ミラの横を通り過ぎていく。
「行きましょう」
彼女たちが去った後には、嵐が過ぎ去ったような重苦しい沈黙だけが残された。
「な、なんなの……今の……」
ナンナが腰を抜かしたように椅子に座り込む。
ミラは震える手を隠すように、スカートを握りしめた。
アルとの関係はバレていない。
けれど、もっと根深い「血筋」の問題で、目を付けられてしまったようだ。
(偽物……)
その言葉が胸に突き刺さる。
王家の色を持つ平民。
確かに自分は、この学園にとって「異物」でしかないのかもしれない。
ポケットの中のアルの手紙だけが、今のミラを繋ぎ止める唯一の熱だった。
安全だと思っていた学園生活に、今、大きな亀裂が入ろうとしていた。




