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勇者と幼なじみの物語―あざと勇者の愛が重すぎる―  作者: 華乃ぽぽ
一章

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崩れゆく日常

ドォン――。


地の底を叩くような轟音とともに、神殿が大きく揺れた。 数百年を耐えてきた石壁が軋み、天井からパラパラと砂埃が舞い落ちる。

ミラは思わず体勢を崩し、背中が硬い石柱にぶつかりそうになった。 だが、衝撃が来るより早く、強靭な腕が彼女の身体を支える。


「大丈夫? ミラ」


その声が近い。 ミラは胸の早鐘を抑えながら、顔を上げた。

目の前にある黄金の瞳には、一切の動揺がない。


「う、うん……ありがと」


何が起こったのか思考が追いつくより先に、青銀の鎧をまとったクリオが弾かれたように走り出した。 マントの裾が風を切り、重厚な大扉の前に仁王立つ。


「シュナ様は奥へ! すぐにここを離れてください!」

「あ、クリオ! 待って!」


シュナの悲鳴のような静止も聞かず、クリオは閂を外し、扉を開け放つ。

外の赤い光が差し込んだ、その一瞬――巨大な影が飛びかかってきた。

虎のような体躯。 鎧のように分厚い剛毛の黒い毛皮。

凶悪に湾曲した指先ほどの鉤爪が、風を裂いてクリオの頭上へ振り下ろされる。


カァンッ!


甲高い金属音が神殿内に響き渡る。 クリオは神速で抜剣し、刃の腹で爪を受け止め、衝撃を殺しながら後方へ跳んだ。 石床に火花が散る。


「くっ……重い!」


魔獣は獲物を仕損じた怒りに唸り、黄ばんだ牙を剥き出しにする。

ジアナが素早く杖を掲げ、保護の法を唱えると、淡い光の膜がクリオの身体を包んだ。


グルルル……。


その低い唸り声は、鼓膜ではなく、胸の奥の臓器を直接揺さぶるようだった。

ミラの指先が冷たく震える。

今まで村の近くで見てきた小型の魔獣とは、根本的に「格」が違う。

まるで獣の形をした、純粋な殺意の塊だ。


「クリオ、先ほどの覚醒の衝撃で結界が破れたようです!」


シュナの凛とした声が響く。 彼女は優雅に杖を構え、輝く球体を生み出す。

その光は矢のように魔獣へ突き進み、鈍い爆音を伴って弾けた。

光が霧散すると、あれほど巨大だった魔獣は砂のように崩れ落ちていた。

だが、安堵する間もなく、外の空気がまた震える。

今度は周囲の森の暗がりから、次々と異形の影が這い出てきた。

重なり合う咆哮。 闇の中でギラギラと光る無数の赤い目。


「クリオ、ジアナ。時間を稼いでください。結界を張り直します!」

「御意!」

「やれやれ、年寄り使いが荒いのう……!」


シュナがその場に膝をつき、必死の形相で祈りの言葉を紡ぎ始める。

クリオはその前に立ち塞がり、地の魔術で身体強化を施すと、群れなして襲いかかる魔獣を迎え撃つ。

銀閃が走り、黒い影が次々と両断されていくが、数は減るどころか増えていく一方だ。

ジアナが後方で法術を放ち、弾幕のような光弾で援護するも、徐々に防衛線が下がり始めていた。

ミラは石の壁に背中を押しつけながら、呼吸が浅くなるのを感じていた。

息を吸っても酸素が入ってこない。 圧倒的な暴力への恐怖に、足が地面に縫い付けられたように動かない。


「ミラ、大丈夫?」


耳元で囁かれた声に振り向くと、アルが真剣な目でこちらを見ていた。

その金の瞳は、恐怖ではなく、静かな炎のように揺らめいている。


「……ええ、だい、じょうぶ」

「僕、手伝ってくる。ミラはここで待っていて」

「え? アルが行っても足手まといに――!」


止めるより先に、アルは駆け出していた。

剣など握ったこともない、ただの村の少年だったはずなのに。

ミラの心臓が嫌な音を立てて跳ね上がる。


「ちょっと、待って! アル!」


自分でも信じられないほどの上ずった声が出た。

それでも彼を追いかけるように、強張る足を叱咤してミラも走り出した。

神殿の大扉の前、そこはまさに地獄絵図だった。 魔獣の群れが黒い渦となって押し寄せている。

その中心へ、アルが無防備に飛び込んでいく。


無謀だ。自殺行為だ。 けれど――それでも、放っておけるはずがない。


ミラは走りながら呼吸を整え、必死に詠唱の式を頭の中で構築する。

大気中の冷気を集め、一点に圧縮する。氷の魔術なら自信がある。

あいつの動きを止めて、少しでも時間を稼げれば――。

そう願った、その瞬間だった。


カッッッ――!!


アルの身体から、目映い光の粒が奔流となって溢れ出した。

それは炎でも氷でもない。 まるで星の命が弾けるような、純粋で暴力的な“光”だった。

無数の光弾が放射状に広がり、群がる魔獣たちの体を次々と貫いていく。

悲鳴すら上がらなかった。 ただ、風が鳴っただけ。

光に貫かれた魔獣たちは、断末魔を上げる暇もなく、跡形もなくさらさらとした砂となって崩れ去っていく。


「……嘘」


ミラは呆然と手を下ろした。 構築しかけた詠唱の言葉が、喉の奥で溶けて消える。

その光は、どんな高度な魔術にも似ていなかった。理屈を超えた、絶対的な力。

勇者の力――そう理解するしかなかった。


圧倒的な静寂が戻る。


遅れてシュナの祈りが完成し、神殿の上空に半透明の光の幕が生まれた。

膜はふわりと膨らみ、やがて神殿全体をドーム状に包み込む。

淡い金の粒子が空に広がり、ささくれ立っていた風が落ち着いていく。


「応急処置なので長くは持ちませんが……これでしばらくは大丈夫でしょう。それにしても……勇者様、お見事です」


シュナは荒い息を整え、頬を紅潮させてアルへと熱い視線を送る。

クリオは剣の血糊を払い、畏敬の念を込めて頷いた。


「その力、やはり勇者のもの。魔を滅する破魔の光……」


アルは称賛に答えず、自分の掌をじっと見つめていた。

自分の中から湧き上がる得体の知れない熱を、どう扱えばいいのか戸惑っているようだ。


「よくわからないけど……力が、勝手に溢れてくるんだ」


「それは女神が勇者に与える力、破魔の力です。魔獣や魔族に絶大な効果を持つ、特別な聖なる力。貴方様がその力を使いこなせば――世界を脅かす魔族の王さえも打ち破ることができる」


ミラの頭の中で、シュナの言葉がぐるぐると回る。女神、勇者、魔族の王。

子どもの頃に御伽噺として聞いた“伝説”が、現実の質量を持って迫ってくる。

息が苦しい。現実味がない。

隣にいるアルが、どんどん遠い存在になっていく気がする。


ふと、風向きが変わった。


森の奥から吹き抜けてきた風に、鼻をつく異臭が混じっている。

獣の臭いではない。 これは――何かが焦げる、匂い。


「……煙?」


ミラはハッとして振り返った。 木々の隙間から見える空が、夕焼けとは違う、どす黒い赤に染まっている。 そして、微かに聞こえてくる音。

カーン、カーンという半鐘の音。 悲鳴のような風の唸り。


「まさか……村?」


数年前に両親を亡くした私にとって、村の人々は家族そのものだ。

不器用な私にパンの焼き方を教えてくれたおばさん。

両親の代わりに畑仕事を助けてくれたおじいさん。

嫌な予感が背筋を駆け上がる。 この神殿にこれほどの魔獣が現れたということは、結界の影響範囲はもっと広いはずだ。


「アル、帰るわよ! 今すぐ!」


ミラは衝動的にアルの手を掴んだ。 だが、シュナがすかさず二人の間に割って入る。


「お待ちください! 勇者様は覚醒したばかり。今の不安定な状態で、これ以上の戦闘は危険すぎます!」


「でも、村が襲われているかもしれないのよ! 煙が見えるでしょ!? みんなが危ないの!」

「分かっております! ですが、神殿の結界も今、崩壊寸前なのです。ここを放棄すれば、森全体からさらに多くの魔獣が溢れ出してしまう……!」


シュナは苦渋の表情で唇を噛んだ。 彼女は冷酷なのではない。

巫女として、被害を最小限に抑えるための最善の選択に苦悩しているのだ。

神殿を守るか、村へ向かうか。戦力は足りない。


「アルはどうするの!?」


ミラはアルの手を強く握りしめた。 アルの黄金の瞳が、揺れることなくミラを見据える。


「僕は行くよ」

「勇者様……!」

「シュナさんは、ここの結界をお願い」


アルの言葉に、シュナは一瞬目を見開いたが、すぐに覚悟を決めたように深く頷いた。


「……承知いたしました。クリオ、ジアナ様と共に結界を安定させ次第、すぐに後を追います。勇者様、どうかそれまでご無事で!」

「うん。待ってる」


アルが力強く答える。 二人は弾かれたように駆け出した。

森の中へ飛び込むと、焦げた匂いはますます強くなる。 頬を打つ風が生温かい。 木々がざわめき、まるで何かを警告しているようだ。

背後では、シュナたちが展開する結界の光が、森を照らすのが見えた。

彼女たちも戦っている。

ミラは走りながら、胸が張り裂けそうな思いで祈った。


お願い、間に合って――。


森を抜け、視界が開けた瞬間。 ミラの足が止まった。

そこにあったのは、見慣れた平和な村ではなかった。

赤々と燃え盛る炎。 崩れ落ちた家屋。 そして、逃げ惑う人々の悲鳴。

願いが届くには――あまりにも、遅すぎた。


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