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勇者と幼なじみの物語―あざと勇者の愛が重すぎる―  作者: 華乃ぽぽ
一章

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3/39

神殿で変わったのはあの子だけ

苔むした石畳の小道は、まるで異界への入口のように森の奥へと続いていた。

陽の差さない場所にひっそりと建つその神殿は、朽ちかけてはいるものの、周囲の空気だけが不自然なほど澄んでいる。 いや、澄みすぎていて、肺に入れると内側から凍りつきそうなほど冷たい。


「……ここだ」


アルが呟き、重厚な木の扉に手をかけた。 蝶番が錆びつき、悲鳴のような高い軋み声を上げて開く。

中は薄暗く、長い時間を積み重ねた埃と、冷たい石の匂いが混じり合っていた。 高い天井には、裂けた布のような祈り旗が、風もないのに微かに揺れている。


「――お待ちしておりました」


不意に、静寂を破る鈴のような声が響いた。

ビクリと肩を震わせたミラが目を凝らすと、闇の奥、祭壇の前から一人の少女がゆっくりと立ち上がるのが見えた。

自ら光を放つような、圧倒的な存在感。 純白の法衣に、繊細な金の刺繍。 月の光を紡いだような銀の髪がやわらかく揺れ、透き通るほど整った顔立ちは、作り物めいて美しい。

少女の紫の瞳は、熱っぽい輝きを帯びて、まっすぐアルだけに向けられていた。 隣にいる私など、最初から存在しないかのように。


「……勇者、アルヴィン様」


少女が夢見るようにその名を呼ぶ。


「え?」


ミラは思わず、間の抜けた声を漏らす。 隣のアルを見上げると、彼は何かに魅入られたように少女を見つめていた。 その瞳孔が、わずかに開いている。


「その魂の輝き……わたくしにはわかります。貴方様こそが、世界を救う光。さあ、こちらへ」


少女が白く細い手を差し伸べる。 それは、拒絶を許さない甘い誘惑のようだった。


「……僕が、光?」


アルの足が、ふらりと前に出る。


「ちょ、ちょっとアル!? なに勝手に行こうとしてるの!」


ミラは慌てて彼の袖を掴んだ。

知らない場所、怪しげな少女、意味不明な言葉。

警戒信号がガンガンと頭の中で鳴り響いている。

けれどアルは、ミラの制止が聞こえていないかのように、うわ言のように呟いた。


「呼ばれてるんだ……ミラ。行かなくちゃ、いけない気がする」

「気がするって、あんたねぇ……!」

「大丈夫。すぐに終わるから」


アルは優しく、けれど有無を言わせぬ力でミラの指を解いた。

その手つきは優雅で、いつもの「どんくさい幼なじみ」のものではない。

ミラが唖然としている間に、アルは祭壇の前へと歩み寄っていた。

少女――巫女は、満足げに微笑むと、アルの手を両手で包み込んだ。


「覚醒の儀を執り行います。怖がることはありません。貴方様本来の姿に戻るだけなのですから」


巫女が古びた杖を掲げ、歌うような声で詠唱を始める。

その瞬間、空気がビリビリと震え始めた。 足元から巻き上がる風が、埃を舞い上げる。 杖の先端に光が集まり、直視できないほどの輝きを放ち始めた。


「っ……!」


ミラは思わず腕で顔を覆った。 ただの光ではない。 肌を刺すような熱と、鼓膜を圧迫するような重圧。 生物としての本能が「逃げろ」と叫ぶような、強大なエネルギーの奔流。


「う、あぁぁぁっ……!」


光の中で、アルが苦しげな声を上げた。


「アル!?」


助けようと踏み出したミラの足が、見えない壁に弾かれる。 近づけない。 光の渦が、彼と私を隔てる断絶となって立ちはだかる。


「アル! アルッ!?」


私の叫び声は、轟音にかき消された。

閃光が神殿全体を白一色に塗りつぶし、世界が軋むような音が響き渡る。 永遠にも思える数秒の後。 光が弾け飛び、静寂が戻った。

ミラは恐る恐る顔を上げる。


「……嘘、でしょ?」


視線の先に立っていたのは、見慣れた少年ではなかった。

栗色だった髪は、月光を浴びたような銀色に。

あどけなかった瞳は、溶けた黄金のように鋭く輝いている。

体つきも一回り逞しくなり、その輪郭がほのかに燐光を帯びて見えた。

あまりの変化に、言葉が喉に張り付く。


「ミラ……?」


呼ばれた声だけが、かつてのアルの面影を残していた。

彼は自分の手を見つめ、握ったり開いたりしている。


「すごいんだ……体の奥から力が溢れてくる。視界が、今までとは違う」

「本当に……アル、なの?」

「ああ。僕は僕だよ。でも……」


アルが困惑したように眉を寄せる。

その表情は、以前よりも大人びていて、どこか冷徹な美しさを湛えていた。

まるで、美しい怪物に入れ替わってしまったかのような疎外感。


「素晴らしい……! これぞ真の勇者様!」


巫女が感極まった声を上げ、アルにすがりつくように抱きついた。

胸板に顔を埋め、その背中に腕を回す。


「わたくしはシュナ。この時を、貴方様を、ずっとお待ちしておりました」

「あ、あの、シュナさん……?」

「どうか、わたくしをお使いください。貴方様の剣となり、盾となりましょう」


その距離はあまりに近く、親密だった。

ミラの胸の奥が、ざらりとした音を立てる。 理由もなく、彼女を引き剥がしてやりたくなる衝動。

その時、神殿の奥の重い扉が、バン!と勢いよく開け放たれた。


「シュナ様! 何事ですか、この光は!」


現れたのは、青銀の鎧をまとった騎士風の青年と、威厳ある白いローブの老女だった。

彼らは祭壇の上の光景――変貌したアルと、彼に寄り添うシュナを見て、目を見開いた。


「お婆様、クリオ! 勇者様が……勇者様が現れたのです!」


シュナが頬を紅潮させて叫ぶ。


「勇者……?」


老女――ジアナと呼ばれた女性が、鋭い眼光でアルを品定めするように見つめた。


「ほう……。確かに、この神気。伝説の記述通りじゃな」

「まさか、本当に……」


騎士のクリオはその場に跪き、頭を垂れた。


「神殿騎士クリオ、ただいま推参いたしました。……覚醒の気配を感じ駆けつけましたが、まさか本物とは」


大人たちの深刻なやり取り。 飛び交う「勇者」という言葉。

ミラは、急速に現実感を失っていく自分を感じていた。

ここはもう、私の知っている世界じゃない。

アルは「選ばれた人」で、私はただの「村娘」。

その残酷な境界線が、今引かれたのだ。


(……帰ろう)


ここにいてはいけない。 みじめな気持ちになるだけだ。

ミラはふと、窓のない神殿の隙間から、オレンジ色の光が差し込んでいることに気づいた。


「アル」


努めて明るく、日常のトーンで声をかける。


「私はそろそろ帰るけど、どうする? 勇者様はお忙しそうだし」


その一言で、場の空気が凍りついた。 シュナがゆっくりとミラの方へ視線を向け、静かに微笑む。

その目は、笑っていなかった。


「あら、あなた様は? ……勇者様はこれから、世界のための重要なお話をなされるところです」


やんわりとした口調。 けれど、そこには明確な「排除」の意志があった。

『部外者は消えろ』と、そう言われている。


「お急ぎでしたら、どうぞお一人でお帰りくださいませ」


カチン、とミラの頭のどこかで何かが切れた。


「そう、そういうこと? なら遠慮なく帰らせてもらうわ。邪魔して悪かったわね!」


ミラはくるりと背を向ける。 悔しさと寂しさが混ざり合い、視界が滲むのをこらえて足早に出口へ向かう。 背後で、アルが何かを言おうとする気配がした。


「お待ちください勇者様、これからのことを――」

「離してくれ!」


鋭い叫び声と共に、衣擦れの音がする。

ドタドタと、神殿の静寂には似合わない慌ただしい足音が近づいてくる。


「ミラ! 待って!」


手首を掴まれた。 振り返ると、息を切らしたアルがそこにいた。

神々しい銀髪を振り乱し、顔だけは必死に歪んでいる。


「ごめん、今日は帰るよ! ミラと一緒に。話なら明日聞くから!」

「し、しかし勇者様!」


シュナが悲鳴のような声を上げるが、アルはもう聞いていなかった。

唖然とする神殿の面々を残し、アルはミラの腕を引いて歩き出す。


「行くよ、ミラ」


「……あんたねぇ、勇者なんでしょ? あんな綺麗な人に引き止められたのに」

「関係ないよ。僕はミラの幼なじみだもん」


アルは当然のように言い放つと、握っていた手首から、掌へと指を滑らせた。

ぎゅう、と。 痛いほどの力で、指を絡めてくる。

その手はひどく熱く、そして微かに震えていた。


「……」


ミラは何も言えなくなった。

姿が変わっても、中身はあのアルのままだ。


「離さないでね」


小さな呟き。 胸の奥が少しだけ熱くなり、ミラは握り返した。

神殿を出た瞬間、風の音が変わった。

空気がざらつき、肌が粟立つような不穏な気配。


地の底から、腹に響くような微かな地鳴りが伝わってくる。

夕暮れの光が揺らめき、不気味な赤い影が村の方角を染めていく。


「……な、なに?」


ミラは立ち止まり、アルと目を合わせた。 彼の金色の瞳が、かすかに危険な光を帯びて細められる。


「ミラ、離れないで」


声色が、完全に変わった。 甘えを含んだ少年のものではない。


「何かが、来る」



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