第7話 :【王宮の謁見と信念の火花 ~交錯する二つの正義~】
1. 王宮での告白と世界の真実
「前世の記憶だと……?」
先ほどまでとは異なる緊張が、謁見の間を走った。
宮廷学者の老婆が、震える声で呟いた。
「古文書に記された『異界の記憶を持つ者』……まさか、実在していたとは」
高官たちの間に動揺が広がる中、ポントス国王はゆっくりと立ち上がり、重々しい声で大臣たちを見渡した。
「この場で聞いた言葉は、すべて王命により他言無用とする。……ルミナ、続けよ」
王の威厳に守られ、ルミナは怯まずに言葉を続けた。
「前世で私は、生き物の体の仕組みを研究していた者でした。病が体の中でどのように進行するか、循環が止まると何が起きるか、それを既に知っていました。マリン様が温泉の力を教えてくださったとき、私の中に既にあった知識と繋がりました。だからこそ、一年という短い期間でも、温泉治癒の基礎を身につけることができたのだと思います」
ルミナの言葉が終わると、ポントス国王は静かに頷き、傍らに控える側近たちへ視線を向けた。
「では、我らが知る世界の真実を、そなたにも話そう」
国王の低く重厚な声が広間に響いた。傍らに控えていた宮廷学者が進み出て、ずっしりと重みのある古びた羊皮紙の海図を広げた。そこには、現在の地図には存在しない未知の海域と、太古の世界の姿が描かれていた。
「ルミナよ、学校の古典文学の授業で、かつて地上にあった『アストリア王国』をはじめとする地上王国はすべて滅び、海に栄えた五つの海底王国のうち二つもまた、歴史から姿を消したと教わったな?」
学者からの問いかけに、ルミナは背筋を伸ばして頷いた。
「はい。災厄の隕石によって地上王国はすべて壊滅し、アストリアの豊かな文化も途絶えたと教わりました……」
「そうだ」
と、宮廷学者は海図の深部を指し示した。
「だが、王宮の機密記録にはその先がある。かつてこの世界の循環は、二つの巨大なドラゴンの系統によって保たれていたのだ」
続いて、将軍カリオスが重々しい一歩を踏み出し、朗々とした声で説明を引き継いだ。
「天空と大気を巡らせる『ゼピュロス・ドラゴン』の一族。そして、深海と海流を巡らせる『テュポーン・ドラゴン』の一族。かつては二つの系統を合わせて、数百体ものドラゴンが海と空を自由に泳ぎ回っていた」
「数百体も……!?」
思わずルミナが息を呑むと、今度は深紅の長袍を着た老神官が、静かに胸に手を当てて言葉を添えた。
「ドラゴンたちは、ただそこにいるだけでは生きられぬ。彼らは、我ら人々の心から生まれる『幸福感』や『希望』といった、温かな生命力を生きる糧としていたのだ。しかし……数世紀前の災厄の隕石と、それに伴って世界を覆った絶望によって、ドラゴンたちは傷を癒やす活力を失い、次々と深い眠りについてしまった……」
精霊マリンから聞いた断片的なおとぎ話、ガンナ先生が教えてくれた掟の歴史、温泉治癒師の試練、そして王宮に伝わる国家機密。バラバラだったピースが、ルミナの頭の中で一つの大きな「世界の真実」として繋がり合っていく。
「そして今」
とカリオス将軍は言った。
「隣国ダガール王国の最深部『静寂の海溝』にて、海流循環を司る巨大ドラゴン――テュポーンドラゴンが発見されたのだ。だが、その巨大ドラゴンが負った傷はあまりにも深い。現地ダガール王国の治癒師団が総力を挙げても癒やせず、我が国へ救援を求めてきたのだ」
2. ゼノスの反論と対立
――静まり返った広間の中央で、一人の男が拒絶を露わにして前へ踏み出した。白銀のフレームの眼鏡を指で静かに押し上げた男――王宮筆頭研究者、ゼノスだった。
「――お言葉ですがポントス陛下! 到底、承服しかねます!」
ゼノスの硬質な声が、重苦しい空気を切り裂いた。
「前世の記憶だの精霊の教えだの、客観的に検証できぬ証言を根拠に治療に及ぶなど、あまりに危険です! ダガール遠征部隊の総力を挙げたこの作戦において必要なのは、現時点で最も安全性と再現性を検証できる手段――我が研究チームが導き出した、厳密な魔導エネルギーの照射理論です! 彼女には巨大生物への施術実績が一度もありません。未知の治療法に部隊全員の命を委ね、国家間の信頼まで危険にさらすことはできません!」
ゼノスに同調するように、後ろに控えていた一部の重臣たちからもざわめきが起こる。
「そうだ! たかが街の子どもではないか!」
「巨大ドラゴンの治療など、このような子どもに務まるはずがない!」
ゼノスは冷静かつ厳格な視線でルミナを見つめた。外交上の責任と部隊の安全を背負う研究者としての正義が、彼の言葉には込められていた。
冷ややかな不信と拒絶の空気が、謁見の間を満たした。だが、ルミナの脚は一歩も引かなかった。
彼女の脳裏に蘇ったのは、あの冷たい留置場の床で自分自身に固く誓った言葉だった。
(逃げない……! 誰に否定されても、私が見た今の海と空を伝える。古い恐怖に縛られたまま、この海を死なせたりしない。必ず、もう一度海を巡らせる方法を見つけるんだ……!)
ルミナはすっと背筋を伸ばし、まっすぐにゼノスの眼鏡の奥の瞳を見つめ返した。
「ゼノス様。照射量を正確に計算し、再現性を重視されるお考えは素晴らしいと思いますし、私も科学や研究を否定したいわけではありません」
「なに……!?」
意外なルミナの言葉にゼノスが眉をひそめると、ルミナは一歩踏み出し、凛とした力強い声で言葉を重ねた。
「ですが、傷ついた体がどれだけの力を受け取れるかは、その時々で変化します。計算された魔力を一方的に照射するだけでは、弱り切った生命の『巡り』まで活性化させることはできません。私の温泉治癒魔法は迷信ではありません。水温、成分、浸透圧を観察し、相手が受け取れる温度に合わせて自己回復力を引き出す――生命反応に基づいた『巡りの医療』です!」
ルミナは腰に差した【治癒の杖】をギュッと握りしめた。
「計算式だけでは捉えきれない個体差があります! 傷つき、冷え切って眠っている巨大ドラゴンにも、外から魔力を注ぎ込むだけではなく、自ら生きようとする生命力を呼び覚ます温もりが必要なのかもしれません。だから私は、まず実際の生命反応を確かめたいのです! 診察もせずに、必要な治療法を決めつけることはできません!」
「……だからこそ、現地での厳密な測定と安全管理が必要なのだ。観察だけで部隊を危険にさらすわけにはいかない」
部隊の安全を第一とするゼノスの『正義』と、個々の生命の巡りに寄り添うルミナの『正義』――広間の中央で、互いの信念が激しく交錯した。
「――見事だ!」
静寂を破ったのは、玉座から立ち上がったポントス国王の重厚な声だった。
「二人の言い分、どちらにも理がある。ルミナ一人にすべてを委ねるわけにはいかぬ。だが、既存の治療で救えなかった以上、新たな可能性を退けることもできぬ」
国王は力強い眼差しで一同を見渡した。
「ルミナを特別治癒師として派遣部隊に加える。ラコスは施術を補佐し、ゼノスは魔力と生命反応の測定を担当せよ。三者で状態を見極めたうえで、治療の可否を決定するのだ!」
「……御意にございます。測定と安全管理は、このゼノスが責任を持って務めます」
「はい……! ポントス陛下、全身全霊を尽くします!」
ゼノスは静かに一礼して引き下がり、ルミナもまた深々と頭を下げた。
◇
3. 旅立ちの決意と刻まれる代償
派遣の決定を受け、ルミナは旅の準備をするため自宅へ戻った。
家の扉を開けると、潮の香りと共に、温かな夕食の匂いが彼女を迎えた。食卓には、母・マーヤと、無口だが実直な漁師の父・サクが待っていた。
「お帰り、ルミナ。今日は随分と遅かったね」
マーヤが心配そうに声をかけた。
ルミナは意を決して、王宮へ行ったこと、そして明日から隣国ダガールへと旅立つことを打ち明けた。
「……そんな、危険すぎるわ! 軍隊と一緒に行くなんて、あなたはまだ十四歳なのよ」
マーヤは震える手で茶碗を置いた。
「母さん、心配なのは俺も同じだ」
サクはしばらく俯いたまま、固く拳を握っていた。
「ルミナ。お前自身は、どうしたいんだ?」
父の真剣な問いかけに、ルミナはまっすぐな瞳で答えた。
「私、行きたい。海の底で苦しんでいる命があるなら、私の温泉治癒で助けたいの」
サクは静かに深く息を吐くと、ゆっくりと頷き、立ち上がって棚の奥から古びた革の鞄を取り出してきた。
「……最近、網にかかる魚の目が濁っている。海の底で何かが起きているのは、漁師の俺が一番よくわかっている。ルミナにしかできないことがあるなら、行ってこい。これは俺が若い頃に使っていた航海鞄だ。丈夫にできている。持っていけ」
「お父さん……!」
マーヤも涙を拭い、ルミナの旅支度を手伝い始めた。診療所で使う薬草に加え、マーヤはルミナが生まれた夜、泉のほとりで拾い、十四年間大切に保管していた小さな石を、丁寧に布に包んで持たせてくれた。
「これはお守りよ。あなたが生まれた時の、あの『温もり』が宿っている石。心細くなったとき、きっとあなたを支えてくれるわ」
マーヤがふと、荷物を詰めるルミナの袖口に目をやった。
「……ルミナ、その左腕の痕、前より少し広がっていないかい?」
「えっ……?」
母の視線の先には、ルミナの左腕の皮膚にうっすらと浮かぶ、暗く冷たい黒い結晶の影があった。治癒魔法を使うたびに、彼女の命を少しずつ侵食していく代償の印だ。
ルミナはハッとして、反射的に服の袖をすっと引き下ろした。
「ううん、なんでもないよ! ちょっとあざができちゃっただけ。……心配しないで、お母さん」
懸命に作り笑いを浮かべる娘の姿に、マーヤはそれ以上問いただすことができず、愛おしそうにその肩を抱きしめた。
「ルミナ、あなたは私たちの誇りよ。でも、無理だけはしないで。……必ず帰ってくると約束して」
「ありがとう。お父さん、お母さん。……私、行ってくるね」
ルミナは、父の鞄と母のお守りをギュッと抱きしめた。
十四歳という若さで背負うには重すぎる使命と、ひそかに身体を蝕んでいく治癒の代償。しかし、家族の温かな愛が彼女の心を満たしていた。
その夜、旅支度を終えたルミナは【治癒の杖】を胸元に抱き、王宮で決まった任務のことを心の中でマリンへ語りかけた。
やがて、腕の中の杖が淡く脈打ち、その奥からマリンの温かな声が響いた。
『ルミナ。巨大な命を癒やすときほど、力を押しつけてはいけません。相手が受け取れる温度を、決して見失わないで』
「はい、マリン様……決して忘れません」
ルミナは胸に手を当て、そっと頷いた。
翌朝、街の魔石灯が夜明け前の淡い青白さへ切り替わる頃、ルミナは両親に見守られながら家を出た。
背には父から譲られた航海鞄。胸元には母のお守り。そして腰には、精霊マリンから授かった治癒の杖があった。
その背中には、家族の祈りと、海を救うという強い決意が宿っていた。




