第6話 :【王宮への召喚 ~明かされた前世の記憶~】
1. 王宮会議と温泉治癒師の噂
王宮では、海流循環の悪化や病気の蔓延、眠りについたドラゴンへの対策を話し合う会議が、頻繁に開かれていた。大臣たちはそれぞれの意見を述べ、解決策を模索していたが、具体的な方法は見つからなかった。
そんなある日のこと、王宮の会議で思いがけない報告が持ち上がった。ダガール王国の海域で、テュポーンドラゴンが眠る場所がついに見つかったというのだ。しかし、そこからはドラゴンの治療を求める協力要請も届いていた。大臣たちは時間をかけて話し合い、その結果、治療のための部隊を派遣することが決定した。
王宮会議の翌日、さっそく部隊の編成が始まった。海底騎士団から選りすぐりの精鋭が集められ、王室付きの魔導士たちも次々と加わっていく。しかし総指揮を任された将軍カリオス――ポントス国王の右腕であるこの男は、幕僚たちを前に、ひどく困り果てた表情を浮かべていた。
「問題は治療だ。ドラゴンに傷があるなら、その傷を癒やせる者が必要になる。王室付きの魔導士は戦闘魔法には長けているが、治癒魔法においては力不足だ」
その場に控えていた王室付きの老治癒師ラコスが進み出た。
「テュポーンドラゴンの体は、あまりにも途方もなく巨大です。普通の治癒魔法では、その傷のほんの一片すら、癒やすことは叶わないでしょう」
会議室に重い沈黙が落ちた。
その場に居合わせた宮廷書記の老人が、おずおずと口を開いた。
「ひとつ、申し上げてもよろしいでしょうか。ドウゴ街に、温泉治癒師の噂があります。海流の淀みで病んだ海牛を一晩で立ち直らせたとか、長年治らなかった難病の漁師の手が動くようになったとか。ここ数か月で患者が後を絶たないと聞いています」
カリオスが眉をひそめた。
「温泉治癒師? そんな者が今の世にいるのか」
「若い娘だそうです。歳はまだ……十三か十四そこらかと」
場がざわめいた。
「子どもではないか」
「本物かどうかも怪しい」
しかし意見が出尽くすにつれ、代わりの案も出尽くした。
「……背に腹は代えられん。その温泉治癒師とやらを、至急連れてまいれ」
将軍カリオスの重々しい一言を受け、すぐに二人の警備兵がドウゴ街へと向かったのだった。
◇
2. 突然の召喚
湯都ドウゴ街にある小さな診療所。その空気ドームの中には、今日もやわらかな源泉の湯気が心地よく立ちこめていた。
「はい、これで肩の凝りはすっかり良くなりますよ。お家に帰ったら、温かいお湯に浸かってゆっくり休んでくださいね」
ルミナは額に浮いた汗を袖で軽く拭うと、施術台のおばあさんにやさしく微笑みかけた。十四歳になったルミナの指先からは、ほんのりと心地よい温もりの魔力が漂っている。
前世の海洋生物学者としての知識と、この世界で学んだ温泉治癒魔法を組み合わせた彼女の治療は、ドウゴ街の人々にとってなくてはならない救いとなっていた。
その時だった。
――バタン!
診療所の重い木製扉が、静寂を切り裂くような乱暴な音を立てて開いた。
「失礼する! 温泉治癒師ルミナはここにいるか!」
重々しい声とともに踏み込んできたのは、全身を深い青色の金属甲冑で固めた、アトランティス王国の警備兵二人組だった。腰には重厚な剣を下げ、ずしりと響く足音を立てながら診療所の内部を見渡している。
その物々しい姿を目にした瞬間、ルミナの心臓はドクンと嫌な跳ね方をした。
(うそ、ま、また……!?)
脳裏に、数か月前の不吉な記憶が一気に蘇る。海面禁止令を破り、海流の変化を直接調べようとして警備本部に連行され、冷たくて薄暗い留置場に一晩お泊まりさせられた、あの大失敗だ。
(海流の異変を調べるために、また海面に近づいたのがバレたの……!? それとも、あの時の件で追加のお説教とか、罰則があるってこと!?)
背筋を嫌な冷や汗が伝っていく。ルミナは必死に平静を装いながら、ロングスカートの裾からチラリと覗いていた【水棲脚】の鰭をきゅっと縮めた。
「は、はい……! 私がルミナですが……何かご用でしょうか……?」
引きつった笑顔で応じるルミナに対し、警備兵の一人が兜の奥から鋭い視線を向け、威厳に満ちた声で告げた。
「カリオス将軍より、お前を王宮へ召喚せよとの至急命令だ。直ちに我らと共に同行願いたい!」
「同、同行……!? あのっ、お言葉ですが私、最近は本当に大人しく、ここで患者さんを診ていただけなんです! また勝手に海面へ近づいたりなんて、絶対にしていません! 本当です!」
必死になって身の潔白を主張し、身振り手振りで弁明する少女の姿に、厳つい警備兵たちは顔を見合わせ、拍子抜けしたように肩をすくめた。
「……何を言っているのだ。お前を罪に問うための取り調べではない。カリオス将軍より、お前を王宮へ召喚せよとの至急命令が出ているのだ。さあ、来てもらおう」
「えっ……将軍様が、私を……?」
お説教や逮捕ではないと分かって「ふぅ……」と大きく胸を撫で下ろしたルミナだったが、次の瞬間、別の意味での巨大な緊張感が波のように押し寄せてきた。
(国の、一番えらい人たちのいる王宮……?)
ルミナは治癒の道具をカバンに詰め込みながら、胸の高鳴りを抑えるように大きく深く息を吸い込んだ。
ドウゴ街の静かな日常から、世界の運命を左右する王宮へと、彼女の運命が大きく動き出した瞬間だった。
◇
3. 謁見の間にて
王宮に到着すると、ルミナは警備兵から近衛兵へと引き渡された。近衛兵に先導されて王宮の壮麗な回廊を歩くルミナは、胸の奥で心臓がいつもより速く脈打つのを感じていた。
重厚な扉が開かれ、案内された広大な謁見の間には、カリオス将軍をはじめ、大臣や宮廷学者たちがすでに整列し、物々しい静寂が満ちていた。
ルミナが案内された場所で、緊張のあまり身を硬くしていると、やがて王の入場を知らせる重々しい奏楽が響き渡った。
居並ぶ高官たちが一斉に深く頭を垂れる中、銀髪を揺らすポントス・エルダー国王が姿を現し、ゆっくりと玉座に着座した。
――冬の日差しを静かに映す湖面のような佇まいだった。
ポントス・エルダー国王は、ドウゴ街で多くの病める人々を癒やしている温泉治癒師――ルミナの噂を、すでに耳にしていた。
国王の傍らに控えていた王室付きの老治癒師ラコスが進み出て、ルミナの発する澄んだ魔力を慎重に見定めた。
「……間違いありません、陛下。この少女の魔力には、失われた古の温泉の『巡り』が宿っております。診療所の記録を確認いたしました。海牛と漁師の治療実績に、偽りはございません」
ラコスの言葉に頷き、国王は厳しい表情を崩さず、ルミナに尋ねた。
「そなたが、その温泉治癒師か? ドウゴ街で海牛を一夜で立ち直らせた、長年動かなかった漁師の手を動かしたという噂を聞いたが……それは真実か?」
「普段は一体、どのような施術を行っているのだ?」
ルミナは深く息を吐き出し、胸の前で手を組み直すと、真っ直ぐな視線で国王を見つめ返した。
「はい、ポントス陛下。海牛や漁師さんの噂は、すべて事実です。ですが、私は決して奇跡や特殊な魔法で無理やり治しているわけではありません」
謁見の間を覆う静寂の中、ルミナは自分の言葉で丁寧に語り始めた。
「普段の施術では、まず患者さんの体内の温もりと巡りを観察します。お湯の温度を調整し、必要な鉱物成分や浸透圧を見極めたうえで、微小な温気の魔力を注ぎ込みます。無理に外傷を力任せに塞ぐのではなく、温もりによって血管や魔力層を広げ、全身の循環を活性化させるのです。そうすることで、患者さん自身が本来持っている『自己回復力』を引き出しています」
十四歳とは思えぬ論理的で落ち着いた説明に、周囲に控えていた高官や学者たちの間に、低いどよめきがさざ波のように広がった。
国王の銀色の眉がかすかに動く。
「そなたは一体どうやって、その温泉治癒魔法を習得したのだ?」
「十二歳のとき、海底林で道に迷い、古い洞窟に辿り着きました。そこで海底地震に遭い、頭を打って気を失いました。目が覚めたとき、洞窟の奥から温泉が湧き出ていました」
「それで、どうしたのだ?」
「温泉精霊のマリン様がそこにいらっしゃいました」
謁見の間に、微かなざわめきが走った。大臣の一人が隣の者へ耳打ちした。国王は表情を変えなかった。
「温泉精霊は岩盤の崩落とともに海底に埋もれたと伝えられている。数世紀前のことだ。なぜ今になって現れる」
「マリン様はおっしゃっていました。精霊たちは眠っていたのだと。ドラゴンたちと同じように。そして私の手の甲にある印が、マリン様の目覚めのきっかけになったのだと」
ルミナは右手の甲をそっと広げた。細い光の紋様が、今も淡く輝いている。
国王の眼が、その印に止まった。隣に控えていた老治癒師ラコスが、小さく息を飲むのが聞こえた。
「……治癒師の印。まさか、本当に」
ルミナは続けた。
「マリン様から、巨大なドラゴンたちの存在や温泉精霊の歴史、迫り来る世界の危機、そして温泉精霊がかつてこの世界でどのような役割を担っていたのかを教えていただきました。私はその話を聞いて、修行を決めました。一年間、マリン様のもとで学びました」
「一年で習得できるものではない」
大臣の一人が鋭く言った。
「私には、前世の記憶があります」
謁見の間に、重い静寂が落ちた。




