第14話 :【恵みの暴風雨】
1. 絶望の打電
レムリア海底王国・深海司令部。
淡い晶石の光が揺らめく作戦室に、ノイズの混じった痛烈な悲鳴が響き渡った。
『こちらおとり部隊! 死者百数十名! おとり作戦失敗! 負傷者多数!』
――……バチンッ!
衝撃音とともに、双子共鳴貝からの通信が途絶える。
「通信兵! 応答せよ! おとり部隊、応答せよッ!」
通信兵の叫びも虚しく、返ってくるのは冷たい静寂だけだった。
上陸した二百名のおとり部隊。敵を引きつける命がけの陽動戦。その最期を示唆する破砕音に、将校たちは青ざめ、息を呑んだ。
「全滅か……」
深海司令部に激震が走った。
重苦しい沈黙を破り、アトランティス軍幹部が潰れるような声で漏らす。
地下へ逃れようとしていた兵士たちの死闘を知る由もない深海司令部は、この通信をもって「おとり部隊二百名、全滅」という惨劇の結論を下したのである。
2. 緊急最高作戦会議と、交替ローテーション戦術
ただちに各国の王と将軍による緊急最高作戦会議が招集される。
上陸直前に迫っていた三か国合同第一・第二・第三部隊、そしてルミナの所属するドラゴン部隊に対し、「上陸中止・待機」の命令が下されたのだ。
カリオス将軍の厳格な号令が作戦室に響き渡り、即座に全軍へ伝令が飛ばされた。
「伝令! 上陸直前の全軍に緊急発令! おとり作戦失敗により上陸を中止せよ! 作戦決行の日時まで全軍は待機態勢に移れ!」
しかし、仕切り直しの作戦構築は困難を極めた。問題は山積みであった。羊皮紙の地図を前に、ダガールの王が重々しく拳を握りしめる。
「ごく少数の偵察部隊を除けば、我が国の兵も含め、海底の民には地上戦の経験が一切ない。それどころか、陸上での『徒歩の進軍』すら、人生で一度も経験したことがないのだぞ」
水中の浮力を失った地上で、頑丈な防護服と硝石冷却ユニットを背負って歩く。それは海底の兵士たちにとって、一歩踏み出すたびに全身の重みが脚と腰にのしかかる、未体験の負荷であった。
「ならば、長時間の連続戦闘は回避せねばならん。短時間の全力戦闘と、迅速な撤退を繰り返すのだ」
レムリアの老魔導士が指を立てた。そこで提起されたのが、部隊を次々と入れ替えながら戦う、極めて合理的な『攻撃の交替ローテーション戦術』であった。
第一波:三か国合同第一部隊が魔物と交戦し、海岸沿いの砲撃エリアへ誘導。
第二波:海中大型魔導船の『超遠距離魔導砲』から『マグマ溶岩炸裂砲弾』を放つ隙に、第一部隊は後退し、第二部隊が前線を引き継ぐ。
第三波:同様に第二部隊が誘導し、砲撃の合間に第三部隊へ交替。
「敵が超遠距離魔導砲の射程外に逃れぬ限り、この交替を徹底して繰り返す。兵の疲労を抑え、陸上歩行の負荷に慣れさせながら敵の戦力を削ぎ落とすのだ」
この交替ローテーション戦術を中核として、第一~第三部隊を定められた順番で交替させ、海中大型魔導船の砲撃を組み合わせながら戦線を維持していく――その一連の作戦こそが、『輪番交戦作戦』であった。
「よし。射程外へ出た段階で、第一~第三部隊およびドラゴン部隊が一斉攻撃に転じ、『聖なる岩嶺』への突入路をこじ開ける!」
3. 四日間の猶予と、食堂での誓い
作戦の骨組みが固まったその時、伝令兵が作戦室へ駆け込んできた。
「報告! アトランティス本国より打電! 製造中であった陸戦用『対魔物自走砲』百五十門、四日後には全門が完成し、戦線へ到着する目処が立ちました!」
「なに……! 『対魔物自走砲』百五十門だと!?」
さらに、沖合から陸上を警戒中であった海中小型魔導船からも情報がもたらされた。
「地上偵察部隊より報告! 荒野の特定地点、旧市街地周辺にて、魔物の群れが異常な密度で一箇所に集中し始めております!」
(魔物が一箇所に集まっている……? 一体なぜ……)
司令部はそれを「魔物の大規模な巣窟」と捉えた。おとり部隊の生き残り七十八名が、まさにその旧市街地の地下深くに身を潜め、歴史の記憶『再生』とともに息を殺しているとは知る由もなかった。
「『対魔物自走砲』百五十門の到着と、兵員の増員を待つ。作戦決行日は――四日後とする!」
カリオス将軍の決定により、四日間の準備期間が生まれた。
◇
その日の夜。ドラゴン部隊の宿舎。
一日の準備を終え、夕食をとるためにルミナが宿舎の食堂へ足を踏み入れると、そこには数十名のダガール兵たちが整然と集まっていた。彼らは軍の命によってではなく、自らの足でルミナを待っていたのだ。
ルミナの姿を見ると、その先頭から一人の若い騎士が進み出て、深く頭を下げた。かつてルミナが温かな温泉治癒で灰鱗病から救い出した、あの小さな少女の兄であった。
「ルミナ様! 我が妹の笑顔を取り戻してくださった恩義、忘れたことはありません! 我らをドラゴン部隊へ加えてください!」
「我が命にかえても、ルミナ様をお守りいたします!」
彼の熱意に動かされるように、「私の母も救われた!」、「私の息子もだ!」と数十名のダガール騎士たちが次々と胸を叩いて名乗りを上げる。
「地上戦は恐ろしい。陸を歩くことすら覚束ない。だが、ルミナ様が切り拓く道ならば、私たちは盾となり剣となります。四日後の作戦、我らも最前線でお守りさせてください!」
真っ直ぐな誓いの眼差しを受け、ルミナの胸にあたたかな思いがこみ上げる。だが、自分の一存で配属を決められる立場ではないことも理解していた。
「皆さん……お気持ち、本当にありがとうございます。ですが、私の一存で皆さんをドラゴン部隊へ配属することはできません」
ルミナは騎士の目をしっかり見つめ、力強く頷いた。
「明日、私が必ずカリオス将軍にお会いして、皆さんの思いを直接お伝えします。ドラゴン部隊への参加も、私からお願いしてみます! でも……誰も命を捨ててはいけません。みんなで生きて青い空を見ましょう!」
「「「はいッ!!」」」
4. 恵みの暴風雨と、出撃の鼓動
そして――運命の四日後。
地上では、正常な循環を失った大気を激しい大嵐が包み込んでいた。天空を黒漆の雨雲が覆い尽くし、ハリケーン級の豪雨が地上の灼熱を焼き払い、凄まじい雷鳴が轟く。
凶悪な太陽光が消え去り、気温が急降下する。
防護服の『硝石冷却ユニット』が冷気を含んだ白い霧を吹き出し、循環加湿回路が心地よい潤いを全身に巡らせた。
「天が我らに味方した!!」
恵みの暴風雨の中、一万名規模の大遠征軍――その先陣が、海面を割って、ついに地上へと第一歩を踏み出した。
陸上での歩行にも慣れぬ海底の兵士たちが、絆と決意を胸に、未曽有の『輪番交戦作戦』を開始する――!
だが、暴風雨は別の試練を生み出していた。
乾ききった荒野はたちまち泥濘へと変わり、兵士たちの足を容赦なく呑み込んでいく。水中の浮力を失えた身体は重く、一歩踏み出すたびに脚へ負荷がのしかかる。暴風雨のおかげで灼熱による消耗は抑えられ、呼吸の苦しさも和らいでいたが、水中のような浮力がない以上、全身にのしかかる重さばかりはどうにもならなかった。
それでも、彼らは武器を握り直した。
『グオオオオオオオッ!!』
地響きとともに、四方から魔物の大群がなだれ込む。剛鬼オーガ、巨巌ゴーレム、戦蜥蜴リザードマン、ミノタウロス。上空からはワイバーンとキラービーの群れが急降下し、足元の泥底からは巨大サソリが針を覗かせる。
「作戦開始! 第一部隊、前進! 陣形を崩すな!」
カリオス将軍の号令が雷鳴を切り裂いた。
【第一波攻防:泥濘の死闘と海中魔導船】
三か国合同第一部隊が泥を踏みしめて前進する。ダガールの重装歩兵が大盾を隙間なく並べ、アトランティスの騎士がその間に剣を構える。後方ではレムリアとダガールの魔導士たちが杖を構え、詠唱の準備を整えていた。
魔物の第一波がぶつかる。
ズドオオオンッ!!
オーガの鉄槌が大盾に落ちる。泥が激しく跳ね、白い冷霧が乱れる。
『ガアアアアアッ!』
オーガが《轟突》を発動し、全身の重量を乗せて盾列を押し込む。複数の盾が同時に沈み、兵士たちが半歩後方へ弾かれた。
「盾を支えろ! 押し返すな、受け止めろ! 後退しながら誘導するぞ!」
第一部隊全体が、半円を描くようにゆっくりと後退を始めた。魔物たちは勢いのまま追いかけてくる。
泥に足を取られながらも、敵の群れは確実に海岸線の砲撃エリアへ引き寄せられていく。
その間、剣士たちが動く。
「《鎧通し》ッ!」
盾の隙間から滑り込んだアトランティス騎士が、低く構えて突きを放つ。刃はオーガの硬質化した皮膚を避け、膝関節の隙間へ深々と突き刺さった。『ギャアアアッ!』オーガが片方の膝をつき、鉄槌を支える力が急に落ちる。
「《旋風斬》!」
別の騎士が泥を蹴って回転した。刃が風を巻き込み、銀色の弧を描く。斬撃はリザードマンの膝下を正確に薙ぎ、腱を断った。転倒した敵が泥に沈み、後続の群れの足を絡める。
上空から急降下してくるワイバーンに対しては、魔導士たちが先に動いた。
「高圧水流『ウォーターカッター』!」
超高圧の水の刃が雨粒を切り裂き、ワイバーンの翼膜を斜めに裂く。『ギィイイッ!』バランスを失った飛竜が泥沼へ墜ちた。
「対軍用・爆炎砲、斉射!」
複数の魔導士が同時に杖を振り下ろす。橙赤の爆炎が連続で着弾し、墜ちたワイバーンと近くのキラービーの群れを炎の渦に巻き込む。
その直後、別の魔導士たちが《振動増幅術》を発動した。
「爆発の衝撃波を増幅しろ!」
爆炎によって生じた圧力波が、音響の共鳴によってさらに広がり、周囲の魔物の足取りを大きく乱した。密集していたリザードマンの列がふらつき、陣形を崩す。
ゴーレムが《大地踏砕》を繰り出し、地面を踏みつける。衝撃が伝わり、一部の兵士が転倒し、詠唱中の魔導士の集中が乱れた。
「結界展開! 吸熱魔法、同時展開!」
後方の魔導士たちが即座に詠唱を切り替える。淡い青白い防御結界が第一部隊全体をドーム状に覆う。同時に、結界の内側へ《吸熱魔法》が広がる。魔力消費の大きい《吸熱魔法》は常時展開できない。だからこそ、砲撃の熱波を受けるこの一瞬に集中して展開するのだ。
魔物の大半が砲撃エリアに入った瞬間、隊長が手を上げた。
「第一部隊、砲撃区画の外縁まで後退! 結界維持! 艦砲、要請!」
第一部隊が素早く外縁まで下がりきったのを確認して、沖合の海中大型魔導船から通信が返ってくる。
『了解。超遠距離魔導砲、全門開放! マグマ溶岩炸裂砲弾、放つ!』
ズドドドドドォォンッ!!
海面を割って無数の砲弾が撃ち上がる。
ヒュオオオオオッ――!!
砲弾群が大雨の空を切り裂き、敵陣の頭上へ飛来した。
ドガガガガガァァンッ!!
次々と炸裂した砲弾から高熱マグマの雨と凄まじい衝撃波が広がり、泥沼を薙ぎ払った。
結界が味方を守る。しかし、結界は激しく軋み、《吸熱魔法》を維持する魔導士たちの顔から血の気が引いていく。魔力も確実に削られ、爆風と熱波は完全には防げず、内側の兵士たちにも熱気と衝撃が伝わる。計算し尽くされた手順どおりに動いてなお、砲撃の余波は凄まじく、結界と吸熱魔法は致命的な熱波を防ぐだけで精一杯だった。
砲撃の余波が収まった頃、隊長が再び手を上げた。
「結界、解除! 攻撃再開! 残敵を落とせ!」
結界が消える。剣士と魔導士が再び動いた。
《鎧通し》が衝撃で足を止めたオーガの急所を穿つ。《旋風斬》がよろめくリザードマンを切り崩す。ウォーターカッターと爆炎砲が残敵を始末する。
十分に敵を削ったところで、隊長が号令を下す。
「第一部隊、後退! 第二部隊と交替する!」
「第一部隊、交替完了! 第二部隊、前進!」
【第二波】
第二部隊が泥を蹴って入れ替わる。
しかし、魔物側も学習し始めていた。
ワイバーンの群れが砲撃エリアを避け、後方の魔導士陣を狙って急降下してくる。『ギシャアアアアッ!』
「後衛を守れ! ワイバーンが魔導士を狙っている!」
剣士たちが《飛斬》で応戦し、魔導士たちはウォーターカッターで翼を切り裂く。誘導が遅れ、砲撃要請が前回より遅れた。
それでも、なんとか敵の一部をエリアへ引き込み、結界を張って艦砲を呼ぶ。結界は前回以上に軋み、魔導士の消耗が目立つ。
「第二部隊、交替! 第三部隊、前へ!」
【第三波】
第三部隊が前進する。
今度はゴーレムが《魔甲殻》を展開し、マグマ溶岩炸裂砲弾の直撃にも耐え、なおも前進を続けた。
砲撃だけでは押し返せない。
「ゴーレムが砲撃に耐えている! 足を止めろ!」
剣士たちが《鎧通し》と《旋風斬》を集中させ、関節を削る。魔導士たちが《振動増幅術》で爆炎の衝撃波を増幅し、甲殻に亀裂を入れる。
なんとか動きを鈍らせたところで艦砲を重ね、ようやく押し返す。
三度目の砲撃が終わったとき、海岸線近くの泥沼は蒸気と爆煙に包まれていた。生き残った魔物たちは数を減らしていたが、明らかに戦術を変え始めていた。
兵士たちは息を整え、泥だらけの盾を握り直す。
「次の波も、気を抜けない。奴らも学習している」
カリオス将軍の声が、大雨の中に低く響いた。
輪番は、まだ続く。




