第12話 :【陽光の障壁と、古代の遺産】
1. 陽光の障壁と、三か国合同の決断
テュポーンドラゴンから告げられたゼピュロスドラゴンの情報は、すでにアトランティス、ダガール、レムリアの三王国の間で共有されていた。大気を司るゼピュロスドラゴンは、地上に聳え立つ『聖なる岩嶺』の頂で深い眠りについているという。
ルミナたちの次なる目的地は、その『聖なる岩嶺』であった。
しかし、海面に降り注ぐ猛烈な太陽光――「陽光の障壁」を破らぬ限り、陸地へ一歩を踏み出すことすら叶わない。陸に上がれば身体から一気に水分が奪われ、数分と持たずに干からびて散ってしまうのだ。
緊急の合同戦略会議の会場となったのは、レムリア海底王国の秘境にある魔導殿であった。巨大な晶石が淡い青の魔力光を放ち、水中に揺らめく美しい水晶都市。太古の精霊技術を今に伝える大広間に、軍事国家アトランティスのエルダー国王、火山と鉱物を統べるダガールの王、そしてレムリアの最高魔導士たちが一堂に会していた。
テーブルの上に広げられたのは、数世紀前、巨大隕石が落下する以前に描かれたという、擦り切れた古地図である。
「テュポーンドラゴンから得た情報によれば、ゼピュロスドラゴンはこの『聖なる岩嶺』の頂に眠っている」
ダガールの王が重々しく拳を握りしめた。
「だが、登山口にすら辿り着けまい。陸に上がれば、我らの身体は数分と持たず干からび、灰となって散るだろう。ゼピュロスドラゴンが眠りについて以来、この星の熱を逃がす大気の循環が完全に途絶えてしまっているのだ。地上には狂乱の灼熱と乾燥が留まり続け、古代の防護具のままでは、とても耐えられぬ」
重苦しい沈黙が広がる中、レムリアの老魔導士が恭しく一巻の羊皮紙を差し出した。
「我らレムリアの宝物庫に眠っていた、数世紀前の古代図面です。かつて我らの先祖が、地上との交流に使っていたとされる『陸上用防護具』の設計図ですが……」
「なに……! 防護具だと!?」
エルダー国王が身を乗り出す。しかし、図面を検分した職人たちは一様に暗い顔で首を振った。
「ダメだ」
職人の一人が、図面を強く机の上に叩きつけた。
「昔の地上環境なら、まだマシだった。今は違う。大気の循環が死んでいる今の地上は、狂乱の灼熱だ。服を着たところで、中で熱がこもる。蒸し焼きになるのが関の山だ」
絶望が再び広がりかけたその時、ルミナの脳裏に前世――「鈴木ナナミ」としての記憶が鮮やかにフラッシュバックした。
(水族館にいた頃の、あの事故だ……!)
「いいえ、方法があります!」
ルミナは力強く一歩前に出た。
「前世の水族館の記憶です。陸に打ち上げられたクジラやイルカは、水から上がった瞬間から命の危険にさらされます。日光による乾燥だけじゃありません。水の浮力を失えば、自分の体重そのものが筋肉や内臓を圧迫し、体温も急激に上がっていきます。皮膚も乾燥と熱で傷んでしまう。日光、乾燥、自重、体熱――そのすべてが命を奪う原因になるんです」
ルミナは続けた。
「だから救護では、身体を濡らし続けて乾燥と体温上昇を防ぐ。つまり必要なのは、ただ身体を覆う服じゃない。水分を保ち、熱を外へ逃がし続ける仕組みなんです」
ルミナは古代図面を指差した。
「この防護服の内側に、薄い水膜を循環させられないでしょうか! 私が温泉治癒で使っている水流制御を応用して、全身へ水を送り続けるんです。でも、それだけじゃ水が温まってしまう……」
「ならば、循環水の途中に冷却ユニットを置く。硝石の吸熱を利用すれば、水から熱を奪える」
職人の一人が身を乗り出して応じると、ルミナはハッと目を見開いた。
「水を流すだけじゃなく、一度冷やしてから身体へ戻す……!」
老魔導士も驚愕に声を上げた。
「温泉治癒の水流制御に、硝石の冷却を組み合わせるだと……!? 防護服の中に、小さな海を作るつもりか!」
職人と魔導士たちの目に、一斉に情熱の火が灯った。
そこからの仕事は迅速であった。ダガールは火山の国が誇る特殊な耐熱鉱物を叩き鍛え上げ、太陽の灼熱と熱線を強力にはじき返す頑丈な外装甲を作り上げた。レムリアは太古の精霊技術を用いて、激しい衝撃を吸収しつつしなやかに身体へフィットする基本骨格を設計。内部には薄い水膜を絶え間なく循環させる『持続加湿』の魔陣と、硝石の吸熱作用を利用して循環水から熱を奪う小型の『硝石冷却ユニット』を組み込んだ。
ルミナの生物学的知見と温泉治癒のロジックが融合し、古代の防護具は現代の苛酷な地上環境に対応する試作装備として鮮やかに蘇ったのである。
「計算上は耐えられるはずだ。だが、実際の地上で試さなければ分からない……」
職人たちは慎重に試作品を見つめていた。
2. 自分専用の防護服とマリンが残した温泉
ルミナは、自分専用の採寸と魔法調整を行ってもらうため、レムリア王国の職人街を訪れていた。
「ルミナ殿の治癒魔力を邪魔しないよう、持続加湿回路の配置を調整しておきましたぞ」
レムリアの職人たちの温かな真心がこもった仕事に、ルミナは胸を熱くしながら礼を言った。
「ありがとうございます! これで地上でも、精一杯みんなをサポートできます!」
心地よい高揚感に包まれて工房を後にし、宿へと戻る帰り道でのことだった。職人街の一角に、透明な『空気のドーム(魔力の膜)』に包まれた小さな区画があった。そのドームの入口から、ふわりと白い湯気とほのかな硫黄の香りが流れてくる。
(水中と空気の境界を、こんなにも自然で穏やかに維持できるなんて……レムリアの魔導技術って本当にすごいんだな)
感心しながらドームの膜をすっと潜り抜けると、そこに広がる景色にルミナは息をのんだ。
「――『マリン温泉』……!?」
そこにあったのは、透き通る結晶の岩組みで作られた美しき温泉施設であった。ドーム内の乾いた空気の中に心地よい温湯がとうとうと湧き出ており、湯気を上げながら旅の疲れを癒やすレムリアの人々で賑わっている。
「すごい……! こんな深海に、こんな素敵な温泉があるなんて……!」
ルミナが大喜びで湯気を吸い込んでいると、露天商店の店先に飾られた一体の素朴な石像が目に入った。
「すみません、この店先にある石像はどなたなんですか?」
「おう、お嬢ちゃん! この石像はね、『温泉精霊マリン様』だよ!」
見上げると、彫刻の腕前が独特なのか、実物のマリンとは全然似ていない。
ルミナが(……これ、マリン様に全然似てないなぁ)と心の中で小さくツッコミを入れていると、店主は嬉しそうに語り始めた。
「一年ほど前にな、温泉精霊マリン様が突然ここに現れて、持っていた杖で地面をトントンと叩いたんだ。そしたら、そこからどっと温かい温泉が湧き出したんだよ! そのあと、この空気ドームと温泉施設が建てられたってわけさ」
マリンが残した奇跡の痕跡を知り、ルミナの胸に温かい感動が広がっていく。
「私、温泉治癒師なんです! マリン様の弟子なんですよ!」
「なにっ、本当かね!? マリン様の弟子かい! じゃあ、一個オマケしてあげるね!」
店主はおどけて笑うと、蒸し器からふっくらとした茶色の丸いお菓子――『蒸し皮の実の餡包み』を一個多めに包んで手渡してくれた。
「わぁ、ありがとうございます!」
受け取った温かなお菓子を一口かじった瞬間、ルミナの瞳が輝いた。ほんのり甘いしっとりとした皮と、中に詰まった温かな餡。
(これ……温泉まんじゅうだ!!)
前世で大好きだった温泉街の風景と、マリンの優しさが重なり合い、ルミナの心は幸福感で満たされた。
(陸への進出は怖い……。でも、マリン様が守りたかったこの世界には、こんなに温かくて素敵なものがたくさんある。絶対に、みんなで生きてこの世界を守ってみせる!)
オマケしてもらったお菓子を大切に頬張りながら、ルミナは完成した試作防護服をぎゅっと抱きしめ、決意を新たにするのだった。
3. 波打ち際の別れ
量産体制に入る前に、完成した試作品を用いた「偵察と性能テスト」が行われることとなった。ルミナ、リオ、カリオス将軍をはじめとする少数精鋭の部隊が選ばれた。
出撃直前、試作品を着た一人の若きアトランティス騎士が、少し緊張した面持ちでルミナに声をかけてきた。
「ルミナ様。この防護服が完成して陸へ上がれるようになれば……いつか、うちの幼い子どもたちにも、あの広大な地上の空を見せてやることができるのですね」
彼は誇らしげに、そして優しく微笑んでいた。
「ええ、必ずです! みんなで一緒に青い空を見ましょうね!」
ルミナが笑顔で答える一方、その輪に入ることができない者が、一匹だけ波打ち際にたたずんでいた。リヴィアタンのクックである。
「クック……ごめんね」
ルミナは寄り添うクックの巨大な頭部にそっと手を当て、抱きしめるように身を寄せた。
「あなたの身体は、水の浮力があるからこそ支えられているの。陸では、その巨大な身体が自分の重さに耐えられない……。どれだけ装備を整えても、陸の奥深く、高い山まで連れていくことはできないの……」
クックは悲しげに「キュゥゥ……」と低く鳴き、大きな瞳を揺らした。クックは、前世の水族館から続く深い絆で結ばれた相棒だった。しかし、巨大な身体構造と陸上の重力という現実だけは、どうしようもなかった。
クックはルミナの手を名残惜しそうに鼻先で撫で回すと、納得したように優しく一度だけ大きく鳴いた。『いってらっしゃい、無事でいて』と告げるかのように。
「待っていてね、クック。必ず……この世界に青い海と優しい光を取り戻して、帰ってくるから!」
クックは、ルミナたちを静かに見送った。それ以上の言葉は、必要なかった。
4. 悲劇の試行と、尊い犠牲
完成したばかりの試作防護服を身にまとい、ルミナたちはついに陸へと足を踏み入れた。
一歩、外へ踏み出した瞬間、全身を襲う異様な重圧感。見上げる空には、雲を焼き尽くさんばかりに猛威を振るう太陽。足元には、草木一本生えていない灰色の荒野が広がっていた。
「これが……地上の世界……」
リオが息をのむ。服の内部は精霊石の循環加湿によって保たれていたが、試練はすぐに訪れた。
「――グオオオオオッ!」
不毛の地で飢えていた地上魔物の群れが、海底の生命力を敏感に察知し、地響きを立てて襲いかかってきたのだ。岩のような皮膚を持ち、鋭い爪を振るう凶暴な怪物たち。
「総員、構えろ! 試作服の性能を確かめつつ、迎撃する!」
カリオス将軍の号令が響く。ルミナも治癒の杖を構え、後方から支援を試みるが、地上の魔物の攻撃力は想定を大きく超えていた。
「ガアッ!」
激しい乱戦の中、大型魔物の爪が、先ほどルミナに語りかけていた若いアトランティス騎士の防護服の関節部分を鋭く引き裂いた。
「ぐああああああっ!?」
継ぎ目が破れた隙間から、容赦のない太陽光と乾燥した灼熱の風が服の内部へなだれ込む。加湿魔陣が崩壊し、むき出しになった皮膚から水分が急速に失われ、騎士の身体が赤黒く変色していった。
「ルミナ! 治癒を!」
「パラダイス・フォント――!!」
ルミナは即座に杖を振った。騎士の身体を温泉水の膜で包み込み、まずは灼熱の外気を遮断する。体温を奪いすぎない温度に水流を調整し、損傷した皮膚へ慎重に治癒魔力を送り込んだ。
だが、加湿魔陣から水分は流出し続け、熱傷と脱水はすでに全身へ及んでいた。
「ル……ミナ様……」
声が途切れる。
「子ども……たちに……」
指先から、ゆっくりと力が抜けていく。温泉水の膜で包んでも、全身に及んだ熱傷と脱水が、騎士の命を身体の内側から奪っていく。
「待って……! まだ……!」
返事はなかった。
ルミナの腕の中で、若い騎士の胸の動きが静かに止まった。正しい応急処置を施した。それでも、救いきれなかった。地上の過酷さと防護服の致命的な欠陥がもたらした、痛恨の悲劇である。
「退却だ! 仲間を抱えて海へ戻れ!!」
カリオス将軍の苦渋の号令により、偵察部隊は命からがら海中へと撤退したのだった。




