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海洋生物学者だった私、異世界の海底王国で温泉治癒師になったら世界の危機に巻き込まれました  作者: サンサンマツリ


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第11話 :【ダガールの浄化 ~灰色の絶望を溶かして~】


1. 戻りゆく潮と、はじまりの光


 静寂の海溝を後にした一行がダガールの領海へと戻ってきた時、海の様子は確かに変わり始めていた。


 わずか数日前までねっとりと濁り、硫黄の鋭い匂いが漂っていた海水が、少しずつ透明度を取り戻している。テュポーンドラゴンが目覚め、ダガールへ連なる深層海流が巡り始めたことで、澄んだ海水が滞留していた火山の不純物をゆっくりと外海へ押し流し始めていたのだ。


「……本当に、海が動き出している」


 ダガールの案内人が、信じられないというように周囲の水を見つめ、目頭を熱くした。


 街に近づくにつれ、人々の変化も目に見えて現れていた。力なく座り込んでいた人々が立ち上がり、不思議そうに上を見上げ、肌を撫でる潮の流れを感じている。灰鱗に覆われた肌はまだそのままだが、瞳の奥には、ほんのわずかな希望の光が宿り始めていた。


 王宮へと戻ると、ダガール国王が自ら大広間で一行を出迎えた。


「よくぞ戻ってくれた。海流が……確かに、変わり始めている」


 カリオス将軍が重厚な甲冑を鳴らし、簡潔に報告する。


「テュポーンドラゴンの傷は塞がりました。瘴気の流出は完全に止まり、循環を取り戻した海流が、領内の汚染を着実に清浄化しております」


 国王は深く息を吸い、力強く頷いた。


「ならば……今度こそ、我が民を救えるのだな」


 ルミナは治癒の杖を握る手にぐっと力を込めた。左腕を侵食する黒い結晶の痛みは残っていたものの、その進行は以前より落ち着いていた。


「はい! 原因が絶たれた今なら、もう治療しても再発することはありません! ダガール治癒師団の皆さんと一緒に、みんなを根本から治しましょう!」


 王宮治癒師グラウクスが、前へ進み出た。


「……頼みます、ルミナ殿! 各地区に治療拠点を展開させましょう! 我らダガール治癒師団も全力を挙げ、もう一度……自分の手で民のそばに立ちたいのです!」


2. 重ね合う防護、溶けゆく絶望


 王都の各地区、そして大断崖のふもとにある中央広場には、国中から多くの人々が集められていた。灰色の鱗に覆われた老人、子ども、そして母親たち。


 グラウクスは素早く治癒師たちへ指示を飛ばした。


「王宮へ向かう途中でルミナ殿が見せてくださった温泉水の膜を応用する! 各拠点で重症者を包み込み、環境から保護しながら手当てを進めよ!」


 ダガールの治癒師団が一斉に動き出す。ゼノスが魔導測定器で、各地区の水質を示す数値の変化を監視し、ラコスが治癒結界を重ねて各拠点を補強する。カリオス将軍率いる騎士団が、混乱する民を優しく誘導し、治療の場を守っていた。


 ルミナは広場の中央で治癒の杖を両手で強く握りしめ、深く息を吸い込んだ。


「地の底に眠りし清冽なる炎よ、湧きて迸れ! 澱みし毒を、命を育む薬湯へと変え給え!」


 杖の青い精霊石が眩い光を放ち、大断崖の亀裂から温かな温泉流が勢いよく噴き出した。黄金色の温泉流が広場へ広がり、清浄な海水と混ざり合いながら、残っていた不純物を中和していく。


 広場の隅では、グラウクスが王宮へ向かう途中で出会った、あの幼い女の子のもとへ駆け寄っていた。グラウクスは、水中でも流れ落ちにくい、粘性の高い薬膏を丁寧に塗り重ね、そこにルミナの温泉治癒の温もりを融合させていく。


「今度こそ……今度こそ、お前の身体が自分で温もりを巡らせるまで、私は絶対に手を離さない……!」


 薬膏が深く浸透し、女の子の皮膚から灰鱗が痛みもなく、ふわりと自然に剥がれ落ちていった。下から潤いのある鮮やかな皮膚が顔を出し、女の子がゆっくりと目を開く。


「……痛くないよ、おじちゃん……! あたたかい……!」


「あぁ……! 治った……! 今度こそ、本当に治ったぞ……!」


 何度治療しても再発を止められず、自分を責め続けてきたグラウクスが、ついに自らの手で女の子を再発の連鎖から救った瞬間だった。グラウクスの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。


 しかし、身体が楽になっても、長年の孤立と恐怖から、人々の瞳の奥にある深い陰りは完全には消えきらない。


(あとひとつ……心の傷を、温めなきゃ……!)


 ルミナは傍らに立つクックを見上げた。クックは賢く瞬き、静かに頷く。


 ルミナは胸の前で両手を重ね、クックから授かった『癒やしの歌』を、澄んだ声で静かに歌い始めた。


 『……響け――エコー 時を超えて

  凍てついた この海を溶かして

  ナギの声が 命を呼び覚ます

  巡りゆく 温もりの魔法……』


 ルミナの澄んだ歌声に、クックの低く荘厳な声が重なる。二つの声は海中で波紋となって広がり、人々の心の結び目を解いていく。


 すると、女の子を抱きしめていた母親が、涙を流しながら小さく歌詞を口ずさむ。続いて、治療を終えたグラウクスとダガール治癒師団の若者たちも、ひとり、またひとりと同じ旋律を重ねていった。


 最後には、ルミナとクックだけの歌ではなく、広場に集まった人々が自らの声を重ね、『癒やしの歌』を合唱していた!


「……聴こえる。私たち……見捨てられていなかったんだ……!」


 涙が温かな海に溶け、広場全体に希望という名の循環が戻ってきた。


3. 再生の誇りと、新たなる循環


 歌が終わる頃、広場を埋め尽くしていた暗い灰色はほとんど姿を消していた。人々は互いに手を取り合って泳ぎ回り、子どもたちの健やかな笑い声が広がっていく。


 ダガール国王が広場の中央でルミナとクックの前に立ち、深く頭を下げた。


「温泉治癒師ルミナ、そして守護者よ。そなたたちは我が国の肉体だけでなく、絶望していた魂までも救ってくれた。この恩、ダガールの民は永遠に忘れぬであろう」


 ルミナは優しく首を横に振った。


「いいえ、国王様。国を救ったのは、諦めずに治療を続けてきたグラウクス様をはじめとするダガール治癒師団の皆さんと、皆さんの『生きたい』と願う心です。私は、その力を少しお手伝いしただけです」


 隣でクックが『キュイィン!』と誇らしげに水しぶきを上げた。


 カリオス将軍が静かに報告する。


「海流の循環は、着実に安定へ向かっています。このまま推移すれば、ダガール全域の汚染は解消されるでしょう」


 ゼノスが測定器具の良好な数値を見て頷く。


「数値も極めて良好です。再発の懸念は、ほぼありません!」


 ルミナがふと見ると、先ほどの女の子が、治癒師から受け取った小さな薬壺を大切そうに抱えていた。そして、まだ動きの覚束ないおじいさんのもとへ、ゆっくりと泳ぎ寄っていく。


 ルミナはそっと泳ぎ寄った。


「お姉ちゃん……歌、また聴かせて」


 女の子が笑顔で見上げると、ルミナは優しく微笑み、静かに頷いた。


「うん、また歌おうね。今度は……みんなで」


 女の子はおじいさんに薬壺を差し出しながら、無邪気に笑った。


「今度は、私がお手伝いするの!」


 その言葉に、ルミナの胸が温かな光で満たされた。


 外国の英雄に救われるだけの国ではない。絶望の循環は絶たれ、誰かを思いやり助け合う「希望の循環」が、ダガールの海にしっかりと生まれていたのだ。


 海は、再び巡り始めていた。灰色の絶望を溶かし、温かな希望を取り戻したダガールの海で、ルミナとクックの絆が、そしてダガールの人々の誇りが、静かに、確かに輝いていた。

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