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第25話『ゴンちゃん大空を飛びたい』

第25話『ゴンちゃん大空を飛びたい』


ある日、信吾はいつものように小屋へ向かった。

ゴンちゃんが中で何をしているか、胸を弾ませながら、そっと扉を開ける。

しかし、そこにゴンちゃんの姿はなかった。


「あれ? ゴンちゃんがいない……」


軽い不安が胸に広がる。

扉を閉めて周囲を見回し、ふと空を見上げた瞬間、息を呑んだ。


青空の中、小さな影が弧を描いて舞っている。

羽ばたくたびに光を反射し、きらめきながら高く昇っていく。

それは間違いなく――ゴンちゃんだった。


「ゴンちゃん!」


慌てて名前を呼びながら、信吾はただその姿を追い続けた。

羽を大きく広げ、太陽の下を滑空する姿は、美しくも誇らしい。


(もう完全に飛べるようになったんだ……)


しかし同時に、不安が背中をひやりと撫でる。

(もし誰かに見られたら……いや、写真や動画を撮られたら……どうしよう)


胸の奥がざわついたまま、その日は落ち着かずに過ぎていった。



---


その夜、帰宅した美沙に信吾は切り出した。


「美沙さん、今日さ……ゴンちゃん、空飛んでたんだよ。小屋にいないと思ったら、外でぐんぐん高く舞い上がってて……もう雲の近くまで行ってたんだ」


「えー、すごいじゃん! もうそんなに飛べるようになったんだね。それって嬉しいことじゃない?」

美沙は笑顔でゴンちゃんを抱き寄せ、羽をそっと撫でる。ゴンちゃんも目を細め、甘えるように小さく鳴いた。


だが信吾は首を横に振った。

「いや、成長は喜ばしいけど……もし誰かに飛んでるところを写真撮られたら、大問題になるだろ。今回はたまたま騒ぎにならなかったけど、次はどうなるか分からない」


美沙の笑顔が一瞬で消えた。

「……そうだよ! それは絶対マズい!」


二人の間に沈黙が落ちる。

「でも……どうすればいいんだろ」

美沙が小さく呟く。


信吾も腕を組み、視線を落とした。

「人のいない場所で、安心して飛べるようにしてやりたいけど……そんな場所、そうそうないしな」



---


翌日、困り果てた信吾は赤荻さんの作業小屋を訪ねた。

扉を開けると、作業台の上に缶コーヒーが二つ置かれている。


「あれ? 誰か来てましたか?」


「ああ、孫がな」

赤荻さんは空き缶を片付けながら、少し笑った。


ゴンちゃんの飛行の件を説明すると、赤荻さんの顔が真剣になる。

「……確かに、それはまずいな。万が一噂になったら、あっという間に広まっちまうな」


信吾は眉を寄せ、息を吐く。

「そうなんです。正直、どうしたらいいのか……」


赤荻さんは一呼吸置き、腕を組んで考え込んだ。

「なら桜小路に相談してみたらどうだ? あそこなら人通りも少ないし、庭も広い。誰にも見られる心配もねぇだろ」


信吾は顔を上げた。

「確かに……あそこならゴンちゃんも思いっきり飛べるかもしれませんね」


「わかった」「オレから桜小路に連絡しておく」

頼もしい口調に、信吾は深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。本当に助かります」

赤荻さんは「気にすんな。お前が心配してるのはよく分かるからな」と言い、缶コーヒーをひと口飲んだ。



---


翌日、信吾は車を走らせ、再び桜小路さんの家へ向かった。

「やっぱり何回来ても、桜小路さんの家は緊張するなぁ」

そう小さく呟きながら、車を停める。


庭にはいつものようにルネが待っていて、ゴンちゃんは窓越しにその姿を見つけ、嬉しそうにしっぽを振った。


玄関先にはメイドの女性が立ち、にこやかに迎えてくれる。

すぐに桜小路さんも姿を現した。


「ようこそ、信吾くん、ゴンちゃん。事情は赤荻さんから聞いていますよ」

優しい声に、信吾の緊張が少し和らぐ。


庭へ出てルネとゴンちゃんを見守りながら、桜小路さんは微笑んだ。

「ここなら、ゴンちゃんも安心して大空で飛び立てると思います」


信吾は頭を下げた。

「ありがとうございます。本当に助かります。ゴンちゃん、あの後もずっと空を見上げてたんです」


桜小路さんは頷き、「やっぱり空はゴンちゃんにとって特別なんでしょうね」と優しく言い、ルネの頭を撫でた。



---


桜小路さんの広い庭に出ると、真夏の陽射しの下、芝生はきらきらと輝いていた。

ゴンちゃんは一歩、二歩と前に出て、ふと空を見上げる。

その瞳は、期待と好奇心で満ちている。


「行っておいで」

信吾がそっと声をかけると、ゴンちゃんは翼を大きく広げた。

次の瞬間、風を切る音とともに地面を蹴り、空へ舞い上がる。


青空の中でゴンちゃんは自由自在に弧を描き、雲をかすめるように飛び抜ける。

大きく旋回し、時には芝生すれすれを滑空する。

そのたびにルネが尻尾をぶんぶん振りながら走り、まるで「こっちだよ!」と競争を挑んでいるようだった。

ゴンちゃんも負けじと加速し、ゴンちゃんと、ルネは芝生と空の間で何度も追い越し合った。


「まあ……見事ですね」

桜小路さんは口元に手を添え、うっとりと見上げる。

信吾も笑みを浮かべた。

「本当に……あんなに高く、遠くまで。前は数メートル飛ぶだけで精一杯だったのに……」


風が頬を撫で、空からゴンちゃんの軽やかな鳴き声が響く。

その姿はもう「守られなければ飛べない小さな存在」ではなかった。

完全に、自分の翼で世界を楽しんでいる。


やがて夕暮れが近づき、空の色がオレンジから薄紫へと変わるころ、ゴンちゃんはふわりと庭へ降り立った。

息を弾ませながらも、その瞳は輝きに満ちている。


「楽しかったか?」

信吾がしゃがみ込むと、ゴンちゃんは頷くように鳴き、頬をすり寄せた。


信吾は桜小路さんの方を振り返り、少し申し訳なさそうに口を開く。

「……もしゴンちゃんがまた空を飛びたがったら、ここを使わせてもらってもいいですか?」


「もちろんですとも」

桜小路さんは微笑んで頷く。

「ここなら、誰に見られる心配もありませんし……ルネも喜びますわ」

ルネはその言葉を理解したように、ゴンちゃんの隣にぴたりと寄り添い、ふたり並んで夕空を見上げていた。


信吾は胸の奥に温かいものを感じながらも、ふと小さな寂しさを覚える。

(成長は嬉しい……でも、少しずつ、ぼくの知らないところへ行く準備をしてるのかもしれないな)


夕陽に照らされたゴンちゃんの背中は、以前よりも少し大きく見えた。

その姿を静かに目に焼き付けながら、信吾はそっと笑みを浮かべた。



---


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