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第19話『ゴンちゃん、検査を受ける』

第19話『ゴンちゃん、検査を受ける』


 朝から曇り空が広がる土曜日の午前。信吾はゴンちゃん用のカートを後部座席に載せ、少し緊張した面持ちで車を走らせていた。


「ゴンちゃん、覚えてるかな。あの病院」


 ちらりとバックミラーで視線を送ると、カートの中でゴンちゃんが「きゅ」と鳴いた。火を吹かない程度のくしゃみで、小さな火花が網目の奥で瞬いた。


「まあ、前にも来たしな」


 助手席の美沙が笑う。「しかもちゃんと父さんに撫でられてたし」


「“うん、爬虫類だな”って、開口一番それだったな」


 ふたりがくすりと笑ううちに、見覚えのある白い外壁と青い看板が見えてきた。



 駐車場に車を停めると、信吾は深呼吸をひとつ。美沙が後部座席からカートを引き出して助手席側から降りる。ゴンちゃんは、すでに出番を察したようにしっぽを軽く揺らしていた。


 引き戸を開けると、受付の森下さんが変わらぬ笑顔で迎えてくれた。


「こんにちは。お父さん、もう来てる?」


「ええ、診察室にいるわ。ちょうど空いたところだから、すぐ通せるわよ。あ、今日はうちの娘の李衣が手伝いに来てるの。技師の資格取ったばかりでね」


「へえ、そうなんですね」


 待合室には、子犬を抱いた老夫婦が一組いるだけだった。美沙が軽く会釈してベンチに腰かけると、ゴンちゃんはカートのファスナーが開くのを待ちきれず、鼻先をつつくように押しつけてくる。


「はいはい。もうちょっとだけ」


 そのとき、診察室の扉が開いて、白衣姿の茂夫が顔を出した。


「おう。入れ」


「こんにちは、父さん」


 診察室に入ると、すでに準備された診察台があった。信吾がカートのファスナーを開けると、ゴンちゃんは慎重に辺りの匂いを嗅ぎ、するりと出てくる。天井のライトを見上げて一声「きゅ」。


「覚えてるな。お前」


 茂夫が静かに言うと、ゴンちゃんは一歩、彼に近づいた。しっぽがゆるやかに左右に揺れる。


「今日は、健康診断。血液検査とレントゲンをする」


「採血は無理じゃない?」美沙が心配そうに言う。


「一応、前脚の静脈が見えてる。試してみよう」


 茂夫は手際よく器具を用意し、ゴンちゃんの前脚を取り上げる。ゴンちゃんは少し身を固くするが、暴れはしなかった。信吾がそっとその首を撫でる。


「大丈夫。すぐ終わるからな」


 採血は成功。ほんの少し赤黒い血液が小瓶に流れ込み、茂夫は眉をひそめた。


「成分分析は後だが……粘度が哺乳類と違う。やはり特殊だ」


「火、関係あるのかな」


「たぶんな」


 続いてレントゲン。別室に移動すると、そこにいた若い女性が思わず立ち止まる。


「……この子、火、吹くんですか?」


 信吾が笑いながら答える。「そうなんです。くしゃみ限定で」


「こ、こわ……。いえ、がんばります」


 怖がりながらも、森下さんの娘・李衣はきびきびと準備を整える。ゴンちゃんはすっかり慣れた様子で、撮影の間もじっとしていた。



 待合室に戻ると、さっきの老夫婦の子犬がキャンと鳴いた。


 突然、ゴンちゃんがぴくりと反応し、立ち上がった。その瞬間、室内の空気が一瞬だけ緊張に包まれる。


「おいおい、待て」


 信吾が慌ててゴンちゃんをカートに戻し、ファスナーを閉める。幸い、老夫婦は気づいていないようだった。


「ごめんなさい、ちょっと音に敏感で」美沙がすぐに謝ると、老婦人が微笑んだ。


「まあ、大人しい子ね。でも、あの瞳……なんだか不思議」


 カートの網目越しに光るゴンちゃんの瞳が、ほんの少し伏せられる。まるで感謝を示すように。


「うそ、通じてる……?」


 信吾と美沙が目を見合わせた。



 診察室に戻ると、茂夫がレントゲン写真をライトにかけていた。


「肩甲骨、気になるな。やはり前回言った通り……鳥類に近いが、違う」


 写真を見つめながら、茂夫がぽつりとつぶやく。


「全体的に軽量化されてる構造だ。骨の密度も特殊だな……」


「それって、何かに適応してるってこと?」


 美沙の問いに、茂夫は一瞬黙ったあと、言葉を選ぶように答える。


「飛翔か、高速移動……もしくは、熱耐性。普通の動物とは違う進化をしてるのは確かだ」


「ああ……やっぱり、そうなんだ」


 信吾がぼそりとつぶやく。


 茂夫が無言のままゴンちゃんを見やった。ゴンちゃんは視線に気づいたのか、しゅんと首をすくめて「きゅ」と鳴いた。


「……なるほど。じゃあ、この構造も納得だな」


「秘密、守ってくれる?」


「当たり前だ。……生きてるものを、無用に晒す気はない」


 信吾も美沙も、ほっと息をつく。


「それにしても……」


 茂夫がふいに笑うような目をした。


「前よりも、表情が豊かになってる気がする」


 ゴンちゃんが「きゅ」と鳴き、小さな舌でぺろりと茂夫の手の甲を舐めた。


「……おい、こそばゆい」


 初めて、診察室に笑い声が響いた。



 会計のとき、森下さんがこっそり言った。


「院長、検査の途中で一瞬だけ“可愛いな”ってつぶやいてたの、聞こえてたわよ」


「うそでしょ?」


「ほんとよ。口元が動いてたもの」


 森下さんはいたずらっぽく笑った。



 病院を出るとき、信吾が聞いた。


「父さん、血液検査の結果って、いつ出る?」


「かなり特殊だからな。すぐには無理だ。本格的な検査はここでは限界がある。ただ、できる限りやってみる」


「ありがとう。結果、待ってる」



 帰りの車で、ゴンちゃんは疲れたように丸くなりつつも、しっぽを微かに揺らしていた。


「……結局、あんまりゴンちゃんのこと分からなかったね」


「うん。そうだね」


 美沙が窓の外を見ながら言った。


「でも、良いんじゃない。こうやってお父さん達とも仲良くなれてるわけだし。それに何か、分かるかもしれないし」


 信吾がうなずき、ふとバックミラー越しにゴンちゃんを見やる。


「ちゃんと、家族だってわかってる顔してるもんな」


 美沙がやさしく微笑む。


「そうだね。自分が大切にされてるって、ちゃんとわかってるよね」



 信吾がぽつりと言うと、美沙が頷いた。


「うん。ちゃんと伝わってる。言葉がなくても」


 後部座席で、ゴンちゃんが小さくくしゃみをした。


 ――ぱすっ。


 またしても火花が散り、座席の端がじんわりと焦げた。


「こらゴンちゃん!」


 そんな土曜日の昼下がりだった。




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