第16話 前編『ゴンちゃん星を見る』第16話 後編『信吾と美沙がケンカ。その時ゴンちゃんは』
第16話 前編『ゴンちゃん星を見る』
「ゴンちゃん、そろそろ寝る時間だぞ〜」
信吾はマンションの屋上にある小屋の扉をそっと開けた。夜風がやさしく頬をなで、少しひんやりとした空気が肌に触れる。
見上げると、澄んだ夜空に、思いのほかたくさんの星がきらきらと光っていた。
「……いつも見えてるけど、今日はひときわキレイだな」
信吾はつぶやきながら空を仰ぐ。田舎の夜空に星が浮かぶのは当たり前の景色だけれど、今夜はなぜか、その輝きが胸に染みる気がした。
小屋の中では、いつものようにゴンちゃんが丸まっていた。毛布にくるまって眠っているようだったが、信吾の気配を察したのか、ふいに頭をもたげて「きゅっ」と小さく鳴いた。
「まだ起きてたのか。……お、今日は星がよく見えるな」
信吾は屋上のフェンス際まで歩き、空を仰いだ。空には、まるで誰かが宝石をばらまいたかのように、無数の星が点々と浮かんでいる。
ゴンちゃんも小屋を出て、ちょこんと信吾の隣に座った。そして同じように、夜空を見上げる。
「キレイだな……」
思わずこぼれた信吾の声に、ゴンちゃんは「きゅぅ〜……」と感嘆するような声を漏らした。
「……いつか、ゴンちゃんもこの空を飛び回るんだろうな」
信吾はふと、となりの小さな背中に目をやった。その姿はまだまだ幼く頼りないけれど、未来に向かってふわりと羽ばたいていくような、不思議な期待を感じさせた。
ゴンちゃんは少しだけ首をかしげて、それでもなんとなく意味を汲み取ったように、夜空をじっと見つめ続けていた。ふわりとしっぽを揺らしながら。
「そのときは、どこを飛ぶのかな。海の上とか、山の上とか……雲の中とか。……でも、今はこうして、一緒に星を見てる時間も、悪くないよな」
ゆっくりと、静かに時間が流れていく。周囲の音が消えたように感じられるほど、静かな夜だった。
ゴンちゃんは信吾のそばにぴたりと身を寄せてきた。あたたかな体温が、そっと信吾の腕に伝わってくる。
「……ほんとは、もう寝る時間だけどさ。もうちょっとだけ、こうしてよっか」
信吾がそう言うと、ゴンちゃんは短い前足をきゅっと揃えて座り、上を見たまま「……きゅ」と小さく鳴いた。
うん、って言ってくれた気がした。
都会の喧騒とは無縁の、屋上で。
ふたりはただ、星を見上げていた。
それだけのことが、どうしようもなく、愛しかった。
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第16話 後編『信吾と美沙がケンカ。その時ゴンちゃんは』
その日、信吾は大きな商談の打ち合わせがあり、どっと疲れて帰ってきた。
「……あれ?」
冷蔵庫を開けた信吾が、思わず声を漏らす。
中段の奥――そこにあるはずの、黄色くてふるふるしたやつが、ない。
「……プリンがない」
たったひとつ、昨日コンビニで見かけて思わず衝動買いした高級プリン。三層になっていて、上はとろけるクリーム、真ん中はなめらかプリン、下には濃厚カラメルソース。
食べる日を楽しみに、今日まで取っておいたのに。
「……美沙さん、冷蔵庫のプリン食べた?」
リビングで雑誌を読んでいた美沙が、顔を上げて振り返る。
「ああ、あれ? 食べたけど」
「えっ」
「昨日の夜、ちょっと甘いもの欲しくなっちゃってさ。冷蔵庫見たらあったから」
信吾は一瞬、言葉を失った。
「……あれ、楽しみにしてたんだけど」
「え、そうだったの? ごめん、でも書いてなかったし……そんなに怒ること?」
その軽い口調が、信吾の中で何かをカチッと弾いた。
「怒るよ! 普通に“これ俺の”って思ってたし、黙って食べるとかないでしょ!」
「でもさ、共同生活じゃん? 冷蔵庫にあるもの全部、いちいち許可取らなきゃいけないの?」
「だからって勝手に食べていい理由にはならないだろ!」
「そんなに言う? プリン一個で!」
「一個だからだよ! だからこそ大事にしてたんだ!」
その時、ふたりの間に座っていたゴンちゃんが、心配そうに顔を動かした。
「……きゅ?」
だが、ふたりとも気づかない。
「じゃあ買い直してくればいいでしょ!」
「そういう問題じゃなくて! それは“あのタイミングで食べるはずだったプリン”なんだよ!」
「うわ、細かい……」
「細かくないよ!」
信吾の声が一段と大きくなる。
その瞬間だった。
「きゅぅぅぅぅっ!!」
ゴンちゃんの小さな叫び声と同時に――
「ぼっ!」
ソファの真上、空中に小さな火の玉がふわりと浮かんだ。
一瞬の沈黙。
「……え?」
「いま、火、吐いた……?」
信吾と美沙が同時に言って、目を見合わせる。
火は一瞬で消えたが、部屋にうっすらと焦げた匂いが漂う。
「ゴ、ゴンちゃん……?」
ゴンちゃんはしゅんとしながら、ふたりを交互に見上げていた。まるで「ケンカしないで」と言いたげに、翼をぎゅっと縮めている。
「……もしかして、止めようとした?」
美沙が呟くと、ゴンちゃんは小さく「きゅ」と鳴いた。
信吾は、さっきまでの怒りが一気に冷めていくのを感じた。
「……ごめん、ついカッとなって」
「ううん、私も軽く考えてた。食べちゃってごめん。ほんとに楽しみにしてたんだね」
ふたりは視線を合わせ、ふっと笑う。
「ゴンちゃん、ありがとな。おかげで落ち着けたよ」
信吾が頭をなでると、ゴンちゃんは目を細めて気持ちよさそうにした。
「てか、あんな感じで火吐くんだ……」
信吾は驚いたようにゴンちゃんを見る。
「くしゃみの時しか出ないと思ってたけど……感情で出ることもあるのか?」
「そうだね。今の可愛い火だったけど、びっくりするよね」
美沙も安堵の表情を浮かべながら、ソファに腰を下ろす。
「でも火事にならなくて良かった……」
信吾も落ち着いた声で言った。
「今度から、怒りすぎないように気をつけよう」
「それと、“楽しみにしてるやつ”は名前書いとく」
「うん、それが平和だね」
ふたりの間に、ふたたびあたたかな空気が戻ってくる。
ゴンちゃんは、ふたりの間に挟まって丸まりながら、安心したようにひとつ深いため息をついた。
それはまるで、「まったく、人間って……」とでも言いたげだった。
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