第10話 前編『ゴンちゃんもお散歩したい』第10話後編『ゴンちゃんに炭酸水はキケン』
第10話 前編『ゴンちゃんもお散歩したい』
前書き
散歩に憧れるゴンちゃんと、それを見守る信吾たちの日々。
部屋の中だけでは物足りなさそうに見える姿に、ほんの少しの“冒険”を許してみようかと、信吾は考え始める。
そこに現れたのは、頼れる(?)DIY大家・赤荻さん。
ドラゴン用の“お出かけカート”をきっかけに、ゴンちゃんが新しい世界へ一歩踏み出す――そんなお話。
第10話 後編『ゴンちゃんに炭酸水はキケン』
前書き
初めてのお散歩を終え、少しだけ“世界の広さ”を知ったゴンちゃん。
その余韻に浸る間もなく、今度は思わぬトラブルがやってくる。
美沙が持ち込んだ炭酸水。うっかり口にしてしまったゴンちゃんの、まさかのリアクションとは……?
小さな生き物との暮らしには、油断と笑いとちょっぴりの教訓がつきものだ。
第10話 前編『ゴンちゃんもお散歩したい』
最近、ゴンちゃんの様子がおかしい。
元気がないわけじゃない。むしろ逆だ。
やたらと部屋の窓に張りついて、外の様子を眺めている。ベランダに出たがることも増えた。今朝なんかは、カーテンにぶら下がって外を覗こうとしていた。
「おまえ……それ、完全に“外出たがってる”顔だよな?」
ソファに座っている信吾の問いかけに、ゴンちゃんは“きゅう”と短く鳴いた。否定はしていない。むしろ肯定だ。
部屋の中を縦横無尽に駆け回っていたのは、最初のうちだけ。飛んだり、転がったり、火を吹いたり、あらゆる手段で退屈を紛らわせていたけれど――どうやら、限界がきたらしい。
今のゴンちゃんは“もっと広い世界を見たい”という顔をしている。
「でもなぁ……君、見た目がもう完全に“人類未確認生物”なんだよ。連れて歩くとか無理だろ、常識的に考えて」
テレビに出てきた、犬を連れて散歩する親子を見ながら、信吾はぼやいた。
それに対するゴンちゃんの反応は――くるりと尻尾を巻いて、しょんぼり。
まるで「いいよ、どうせ無理だもんね」みたいな顔をして、ソファの下に潜ってしまった。
「いやいや、そんな顔されたら……」
どうにかしたい。でも、どうしたら……。
*
その日の夕方。信吾は帰宅途中、ついふらりとマンションの裏手に足を向けた。
そこには、赤荻さんの“作業小屋”がある。管理人室の横を改造して作ったらしく、常に何かの木材のにおいがする。
案の定、扉は開いていて、中では赤荻さんが黙々と木を削っていた。
「……こんばんは」
「ああ、山之内」
無骨な挨拶。赤荻さんは顔も上げずに作業を続ける。
「……あの、ちょっと相談っていうか、アイデアないかなと思って」
「坊の話か?」
あっさり見抜かれた。
「最近、やたら外に出たがってて。でも……やっぱ、外には出せないじゃないですか。見た目が……」
「まぁ、そうだな。下手すりゃ警察か動物保護センターだ」
「ですよね……でも、なんかこう、“外の空気に触れさせてあげる”方法って、ないですかね」
赤荻さんは、しばし無言になった。
木を削る音が止まる。
「……あるぞ」
「えっ?」
「しばらく前から考えてた。いつか坊が“飽きる”んじゃないかってな。だから……これ」
彼が指さしたのは、部屋の隅に置かれていた――
「……カート?」
「外用カート。DIYで作った。ベビーカーをベースに改造してある。中はクッション入り、蓋つき。網越しに外が見える構造。少し大きめに作ってあるから、坊でも収まるはずだ」
「マジで……?」
信吾は思わず、カートをのぞき込んだ。
丁寧に縫われたファスナー、骨組みに沿って通された通気メッシュ、そして側面には……まさかのネームプレート。
『GON』
「名前……!」
「見た目がアレだからな。名前を出して、なるべく“ペット感”を出した方がいい。目立たない色で作っておいた。ベージュ。街中でも浮かん」
「……赤荻さん、天才じゃないですか!」
「使うなら、貸す。返す必要はない」
「マジで、ありがとうございます!」
*
次の日、信吾はついにゴンちゃんを“散歩デビュー”させることになった。
「じゃあ、入ってみようか」
玄関に置いたカートの蓋を開けて呼びかけると、ゴンちゃんは慎重に中に入り、くるりと丸まった。
「うわ、ちゃんと収まってる……」
蓋を閉めると、外からは中がうっすら見える程度。形状は大きめのペットカート。中身がまさか小型ドラゴンだとは、まず誰にもバレないだろう。
エレベーターに乗って、外へ。
風が、ちょっとだけ強かった。
でも、信吾もゴンちゃんも、どこかちょっとワクワクしていた。
「さて、今日は……ちょっとだけ、遠回りしてみるか」
タイヤが回る音。カートがアスファルトの上を静かに進む。
信吾がハンドルを押しながら歩くたび、ゴンちゃんは網越しに周囲を見回していた。犬の散歩、買い物帰りの親子、コンビニ前のベンチで話す学生。
――どれも、初めて見る風景だ。
車の窓から見た世界とは、まるで違う。においがして、音がして、人の気配がちゃんと伝わってくる。
ゴンちゃんは、それを一つずつ確かめるように、じっと見つめていた。
目は、きらきらしていた。
*
帰り道、公園の近くを通ったとき、小さな男の子が信吾のカートに目を止めた。
「あ、わんわん!」
お母さんがあわてて「違うのよ、わんちゃんじゃないの」と止める。
信吾は少し焦ったが、カートの中のゴンちゃんは“ふわぁ”とあくびをして、まったく動じていなかった。
「堂々としてるな、おまえ……」
信吾のつぶやきに、ゴンちゃんは“きゅ”と短く鳴いて、目を細めた。
夕暮れ。少し赤みがかった風景。
カートの中でまるまると身を縮めたゴンちゃんは、まるでどこかのぬいぐるみみたいに見えた。
「……また行こうな」
その声に、ゴンちゃんはしっぽを軽く一回転させて応えた。
*
帰宅後、美沙に報告すると、彼女はスマホを構えながらため息をついた。
「うわ、それ、完全に“親バカの極み”なんだけど……その顔、想像つくわ」
「いや、想像だけにしてくれ。目に見える証拠は残さない方向で頼む」
「ふふ、残念。でも……いいね、それ。散歩って、なんか“生きてる感”あるじゃん」
たしかに――信吾もそう思った。
今日の散歩は、ただの“外出”じゃなかった。
ゴンちゃんにとっても、信吾にとっても、“ちょっと世界が広がった”そんな日だった。
第10話後編『ゴンちゃんに炭酸水はキケン』
散歩デビューの翌日、部屋の中には“ちょっと外の世界を知った者”ならではの余韻が残っていた。
ゴンちゃんはお気に入りの毛布の上でまるくなり、たまに窓の外を見つめながら、しっぽで小さな円を描いている。
「完全に“また行きたい”って顔してるな……」
信吾がそんな独り言を言いながら洗い物をしていると、ピンポーンとチャイムが鳴った。
玄関を開けると、美沙がコンビニ袋をぶら下げて立っていた。
「お疲れ。スイーツと……おつかれ炭酸。ほら、散歩の打ち上げってことで」
「散歩で打ち上げって……まあ、ありがたくいただきます」
そのまま美沙は台所に向かい、炭酸水を冷蔵庫にしまう。だが、1本はすぐ開けて、テーブルに置いた。
「今日めっちゃ暑かったからさ、もうこれが恋しかった~……」
彼女がキャップを開けると、ゴンちゃんがくんくんと音を立てながら近寄ってくる。
「ん? ゴンちゃん、気になる? だーめ、それはちょっと君には――」
言い終えるより早く、ゴンちゃんがテーブルの縁に前脚をかけた。その瞬間――バランスを崩したボトルが、ゴトン、と倒れる。
ごぼ、ごぼっ。
中の炭酸水が一気に流れ出し、床へとこぼれ――そこにゴンちゃんが飛びついた。
「あああああ飲んじゃだめーっ!」
だが遅かった。
ゴンちゃんは喉を鳴らしながら、ごくごくと炭酸水をけっこうな量飲み込んでいた。
そして――しばらくフリーズ。
「……きゅぅ……ぐえっ」
突如、ゴンちゃんの体がピクンと跳ね、口元からもわっと白い煙が漏れる。次の瞬間――
ボフッ!
炎が小さく暴発した。
カーペットの端がじりっと焦げ、信吾が慌ててタオルをかぶせる。
「マジか、やっぱ炭酸刺激強すぎた! ゴンちゃん、おまえ舌ピリピリしてんだろ!」
「ちょっと待って、まさかこんなに派手に来るとは……! これ、完全に爆発フラグじゃん!」
信吾が急いで濡れタオルを取りに行き、美沙はゴンちゃんをなだめようと毛布を広げてしゃがみこむ。
ゴンちゃんはというと、涙目で「きゅ……」と鳴きながら、火花の名残をぺろぺろ舐めるようにして口元をぬぐっている。
しょんぼりと丸くなった背中が、なんとも言えず切ない。
「これはあれだな、完全に“炭酸トラウマコース”入ったな……」
「てか、ちょっと可哀想すぎて笑えないんだけど……私のせい?」
「いや、まあ半分はな」
「ひどっ!」
信吾がそう言うと、美沙は両手で顔を覆い、そのままソファに沈み込んだ。
その足元で、ゴンちゃんはまだ口の中をべろべろと確かめながら、しっぽを丸めてようやく落ち着いたようだった。
*
夜、信吾と美沙はリビングでテレビを見ながらそれぞれくつろいでいた。
ゴンちゃんはクッションの上で仰向けになり、ようやく元気を取り戻したように小さく伸びをした――が。
次の瞬間、信吾の視線の先で、ゴンちゃんがふっと息を吸い――
「ぷすっ」
火でも風でもない、謎の空気漏れのような音が口から抜けた。
ふたりの視線が、ぴたりと止まる。
「……もう今日は寝とこうか」
信吾が苦笑しながらそう言うと、ゴンちゃんは自分の顔をしっぽでぺちんと叩き、それからもそもそと丸くなって眠りに入った。
「炭酸、絶対ゴンちゃんの手が届かない棚に移動しとこうな」
「てか、棚じゃなくて冷蔵庫の鍵つけた方がよくない?」
「いやそれもうペットじゃなくて、完全に対ドラゴン防衛じゃん……」
ゴンちゃんとぼく、そして巻き込まれた姉。
**“炭酸はキケン”**という教訓は、この夜しっかりと刻まれた。




